教育というか養育を誰が担うのか,コストを掛けなさ過ぎではないか

駒崎弘樹さんといえば,過日も「ひとり親支援」について論議の”台風の目”的なポジションにあった,その分野では著名な方と認識しておりますが,実は私自身は此の議論についてはあまり深追いしていません.

しかし,そんな駒崎さんの直近の論(下記引用)に関しては,ひとまず全面同意と言えるところです:

政府の「学校の先生に保育士になってもらえば良い!」が、絶対にうまくいかない理由
http://www.komazaki.net/activity/2015/11/004738.html

政府は早く目を覚まして、保育士不足問題の本質である、保育士の給与の引き上げを行いましょう。
1万円上げるのに約340億円、全産業平均にまで引き上げるのに約3400億円です。(出典:http://bit.ly/1NiUjqs )
軽減税率についてはすぐ4000億円用意しようとする政府が、できないわけはありません。

でなければ、1年半後には保育士が7万人足りなくなります。(出典: http://bit.ly/1NiU7aA )

私は先日,知人の慶事で列席した(=託児室等でない)未就学児のお相手を務めさせて頂いたのですが,5時間も一緒になって遊びに付き合うと,流石に体力面での消耗も激しくなります.この個人的経験からも,上記の駒崎さん記事で紹介されている統計調査の回答内容には,体感レベルで信憑性があるものと言えます.

 

「育児負荷」についての議論は既に相当多く公に出ているかと思いますが,直近の報道でも気掛かりな話題がありました:

遊び相手は「母親」が最多 「友だち」は半減
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151129/k10010323281000.html

この報道記事ではむしろ「社会性」を主眼に置かれているようですが,育児負担が保護者(特に母親)に一極集中している実態が相当透けて見えます.

 

そして,今回駒崎さんに全力で批判を受けている大臣の意見に関しては,別の報道でこんな話もあります:

一億総活躍相 成長と分配の両立目指す
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151130/k10010324551000.html

「少子高齢化という日本の抱える構造的問題を乗り越えないと、日本の未来は切り開いていけない。そこで、一億総活躍社会の実現を大きな旗として掲げた」と述べました。そのうえで、「多様な方を包摂できる社会を作ることで、多様性の中からさまざまなイノベーションや生産性の向上が生まれ、強い経済につながっていく。(中略)
また、加藤大臣は移民政策について、「移民政策をとるという考えは持っていないが、高度な人材や臨時的に足りない建設や運輸などの方々に入ってもらうとともに、日本で勉強して能力をつけた方に働き続けてもらうよう、取り組んでいきたい。日本人だけではなく、海外からも来てもらって『一億総活躍時代』を作れば、その先に人口1億人維持というのも見えてくる」と述べ、(後略)

「移民政策を暗に展望する言い回し」と読むべき事の議論がここでの本筋かとは思いますが,「明るい未来が見えるような少子化対策」と言いたそうなのに,其の具体案が「小学校などの学校の先生に、保育士現場に入って頂く」ときては,別の意味で頭を抱えざるを得ません.

 

本来は若年者に限らない事でもありますが,いずれにしても「教育」がこれほどまでに甘く見られる実態は,「亡国」という言葉を安直にも髣髴とさせる程度かと存じます.
ちなみに,私は若年者(概ね「養育」を離れた「教育」の範疇の年齢層相当以上)から大人までの教育を職務として担っていますが,前述のエピソードからもお分かりの通り,ベビーシッターは自分には到底務まらないであろうと思っています.

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