社会的生存の権利

これですね.

長谷川豊さんの「患者自己責任論」発言とMXバラいろダンディ降板に思うこと-ドクター苫米地ブログ
http://www.tomabechi.jp/archives/51533907.html

昨日公開された上記参照記事の内容は膨大な論点を含んでいますが,今回私が特に着目したい方向性は当記事タイトルの通りです.

更にもう少し私なりの言葉でスペクトルを絞るなら,
近日拙著記事のタイトル,あるいは「広げ過ぎた風呂敷」の範疇で,記事本文では触れるところまでいってなかった論題(=言いたかった事の「本体」)と申しましょうか:

「一代限り」の人権をどこまで主張・保護すべきか
http://wp.me/p6S43T-5J

冒頭の参照記事を読むと早々に,苫米地英人博士が,広く世の中一般に対して(顕名して)いかに「注意深く喋る」所作をずっと続けてきたか,という事もが,重大な関心を引く点として見てとれます.

他方,私が自身の活動においても心得ているのは,せいぜい「言葉の選び方」の範疇であって,「そもそも論題の選び方自体がマルくない」といった可能性に関しては,意に介さないというか,エラそうに言っても「先ず言及する=喚起して知らしめる」事を優先しています.

私の持論では、世の中には経済の論理に入れていいものと、入れてはいけないものがある。医療と教育は経済の論理に入れてはいけないものの代表だ。だから、国家医療制度は憲法第11条の基本的人権を守るのに当然必要であり、26条の教育を受ける権利で学校制度がある。

国民の憲法で保証された当然の権利であるのであって、医療を受けるのに理由は関係ない。だから自己責任か否かはどうでもいい。これが話題に上ること自体が、いつの間にか経済効率の論理が全てに優先する社会になっているということであり、私には相当の違和感がある。また、医師の中にもそういう考え方の人がいるのは大変残念である。

(冒頭引用Dr.苫米地記事より)

一般論としては同意というか,私自身は単により大局の意見を持ち合わせていない程度ですが,逆にひとたび「では個別の具体的状況においていかに実装まで落とし込むのか」と言い始めると,「果たしてどのラインまでを,国家レベルから含めた社会制度設計(及び運用)の範疇で助けるか」の問題に直面します.これは予算の問題に限った話にとどまらず(現状「金の多寡」が効いてしまう面も否めませんが…),どちらかというと「教育」の課題ではないかという気もします:経験の限りでは.

字面を建前の通りに読んで,「憲法レベルで規定合意されている[事になっているはずの]保護堅持すべき人権」と声明を上げる事までは,相応に座学的知識を持っていれば可能です.更に,合意納得しない”アタマのワルい”相手に対しても,「学歴武器」をもって上から叩き潰せば,相手の人格ごと支配下に置いてしまう形でなら,荒っぽいですが「所期の目的成果」=「社会において攻撃被害を受けない程度の立ち位置を確保する事」は一応達成出来てしまいます(当サイト前記事「いじめの根源と,対策…のウソ」http://wp.me/p6S43T-5P参照).

但し,そこまでやってさえもなお,「直感本音として納得されている」状態に至る事は,なかなか容易ではありません.これは,人道的に本来はより望ましいところの,といった話以前に,当事者自身の側の実利においても重大です:それこそ,私の十年来の知人が,「トイレが二択の建物で行われる会合に呼ばれると,数時間以内には体調を削りつつうろうろする羽目に陥る」同志が混じっている事にさえ想像が及ばなかったように.

その上,実際には更に,「より積極的な攻撃の企図」としか形容しようが無い,他者(当事者に対する他の人格主体)もが存在します.大変残念ながら.
近日も,とある「社会的には統計上マイノリティ(しかも,ある意味で「知的能力が高過ぎる」がゆえに)であるはずの人達」の会合に参加していたのですが,その中で「特定の属性」の人々が再びさんざんな扱いを受けている有様を目の当りにして,「あぁ,宗教戦争って全然終わっていないのだな」と思わざるを得なかったばかりでした.私が「直接乗り込んで対処しに行く」事をやってきた経歴の中でも,当該環境(未公開)は東大と並ぶ二大巨頭と言って過大でない程度と思いますが,日本(差し当り「おおむね日本語圏」くらいの意味で)が世界をリードするような分野で,その日本の最高峰を集めたような人達が「そんな有様」という現状は,うっかりすると「人類は設計不備だったのではないか」といった結論に陥りかねない程度に,夢も希望も見え難い光景だった事は否めません.

いえ,私の知見の限りでは,人類は「情報学習という手段を含めて,教育をもって成長出来る」がゆえに,物理ハードウェア依存の構造に「多分な余地」を残している仕組み…になっているはずではなかったでしたっけ? と思う訳ですが,そのくらいは中学校課程くらいまで履修していればおよそ理解出来る事じゃないかと認識しているのですが,公教育システムは一体何をやっているのでしょうか…??

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