そろそろ多少は考えがまとまった気分になってきたので,現時点で見えるところを書き付けておきます.
●入学者選抜(大学入試)が客観評価として何らかのスコアリング(数値化)基準をもって行われる限り,「合格点」≒目標得点,といった概念は今後とも残存しうるものと思われる.
●にもかかわらず,現行試験制度においてすら,当事者本人として「目標」を何ら意識しないままに,いわゆる「受験勉強」への取り組みを進めている受験生・高校生等は,相当多数割合に上るのではないかと危惧される.
●また,大学入学志望者の資質選抜において,「知識が少ない方が良い」という基準が優位となる事は,今後ともまず無いと思われる.即ち,この意味で「不勉強」な志願者が大学入学許可を得る際に有利となる事は無い.
●上述の「知識」を各個人が得るに際して,その全てないし大半を「実体験」によって得る,という事は,実際的でないし,のみならず,なおも「不足」が残る可能性が高い.この不足する部分とは,ごく素朴な古典的術語では「汎化」と称される概念の範疇に相当するのだろうけれども,この際には例えば読書のような座学的方法技術の導入もが(現行の方法論とおおよそ同様に)不可欠と思われる.
そんな訳で,すっかり色めき立っている(今でも??)大学進学希望者選抜試験方式改正…要するにいわゆる「2020年大学入試改革」の事ですが,筆者は「目標スコア取得達成ゲームのルールが変わるだけ」に過ぎない,程度の認識でおります.かつての当事者として,また教育職においての経験を含めて,展望見える限りで.
もちろん,「選抜する側(≒出題者)の意図」すなわち「大学が求める入学者像」という典型論点もある訳ですが,「それ」に対して実際の試験制度が如何になっているか,という事情は,現行の状況においても露呈している通りです.
端的には,「生き残りを懸けた再編」こそあっても,「上位層の集中による選抜激化」の構図の方は,より既存の状況に近く映るのではないか,と.
つい先日も,ある有名難関大学入試への合格を万全としたい,と仰る受験生御本人に,
「
●入試本番の大学個別学力試験(いわゆる2次試験)で,合計何点=各科目何点ずつ欲しいんですか,またセンター試験で何点欲しいですか
←●その為に必要な学習取り組みをどのようにしますか,教材は何を使用しますか・それは手元にありますか,その学習の量を時間で見積もるとおおよそ累計何時間・何週間・週当たり何時間ですか,またあなたの志望する入試で課される科目全体への配分の中で,個々の科目に掛ける学習量の位置付け・タイミングスケジュールはどのようになっていますか
←●今から入試本番まで「受験勉強」に使える学習時間・量はおおよそどのくらいですか,また現時点であなたの学力を目標とする入試の得点で測ると,まぐれ当たりでない点数はいくらですか
」
と訊いてみたところ,どれ一つとしてマトモな応えが返って来なくて唖然とした限りなのですが,敢えて厳しく指摘言及するなら,「目的が不明確なまま勉強には取り組む従順なよいこ」が「ロコツな数値目標をクリアする為に正面から入試ゲーム攻略に臨む(セミ)プロ受験生」よりマシと評しうる基準は,今一つ思い浮かびません.
実際には,私どものような職業専門家が上記のような「打算」計画を立案して提供する務めを担っている訳ですけれども,その計画の内訳である学習内容を「実施」するのは,あくまで学習者本人です.
これもよく訊く試問(苦笑)なのですが,「全方位的に勤勉」たろうとする(?)生徒は,大学受験に際して「家庭科」や「ドイツ語」も満点ないし高得点を目指して勤勉に取り組むのでしょうか??と.個人的には,入試に無いような科目も知識体系として(の捉え方に限って)すら有益なので,高校平常学習程度でマトモに取り組んでおく事は元来良いとも思っていますけれども.
とはいえ,それが「入試本番の得点に貢献するか」については,職責として実際別途の言及もしています.にもかかわらず,上述の論は理解出来る受験生(及び,さらには保護者層)の中に「まんべんなく高得点率で安定合格」を目標に設定しようとする例が,枚挙に暇無く後を絶たないのは,彼等の教育水準の高さに比しても相当不可思議です.その背景や一体,縋り宗教の類か何かなのでしょうか.