で,「数学・物理の教育水準を普く向上させ保つ」算段をどう作るか

以前から当サイト各記事で「教育」の内容について度々言及してきている話題の続論展望です.

その中でも今回,こと問題として採り上げたいのは:
(既に記事で触れてきたような)高等学校程度以下の学習途上受益段階にある若年者の皆様はともかく,
「現に世の中で活動している(割合的にも)多くの人々に対して,いかに『知って・学んでもらう』方向性(インセンティヴ)を,仕組み設計施策を含めて提供するか」
という事です.

 

安直な物言いとしては,例えば「日本で言う『文系』とは『数学出来ません』の言い訳用語に他ならないのであるから,即刻廃止すべき」などとつい申しがちに思われますし,実際あるいは筆者も以前に大意同様の言を発していたかもしれませんが,
しかしここで今一度踏みとどまって考え直してみるに,返す刀いや諸刃の剣で,
既に文科系の経歴を辿ってきて表舞台の肩書きに載せている面々をdisって敵対するなどという事は,何ら本意でないし,また実益にも乏しい事は言うまでもありません.

 

実利・実現可能性の打算から考えるなら,展望の一路は「コーチング」の範疇に有り得るのではないか,と筆者は思っています.なぜならば,コーチングを受けたクライアントにおいては,結果として「今まで唯の一度も気に留めなかったような事が,気になる=興味関心の対象に続々と入り始める」という現象が,しばしば発生するからです.
別に必ずしも,コーチングの本来目的なり定義が「知識を増やす事」という訳ではありませんし,かく言う筆者自身もそんな意向をもってコーチングを受けたり更にはコーチになったりしてきた訳ではないのですが,当事者の主観感想として「結果的に知識も増えました」と言う事は,確信を持って正当に出来ます.

何より,筆者が数学(元々の専攻=実質的に高校生前半以来ずっと)について話すなり発信する姿は,どうやら傍目素人からも余程「楽しそう」と見えるようで,英文科出身の母が「数学って楽しそう.私も高校時代もっと本気で取り組んでおけばよかった」などと言い始めた位です.
…そんなので広く世間に数理科学への興味関心知識を提供展開していけるというのなら,筆者は喉と腕(板書)の限界まで解説発信を続ける事さえやぶさかではありませんよ??

 

とは言え,その筆者自身は最近,他の興味対象(音楽や演劇鑑賞)に向かってむしろ走り込んでいる有様だったりしております.尤もこれらに関してはいずれも「受け手」一方なので,他の人へ向けて話題を提供する際には,その内容はやはり数学・物理学周辺に寄っている可能性が高いのではないかと思われますけれども.

 

あるいは,「他の(世に在る多くの)人々にも数学・物理学へ興味関心をもって知識習得をしてもらう為には,先ず自ら人に興味を持とう」などとスローガンを掲げてみても,恐らくほんの数年前の[数学以外眼中に無かった]筆者には,まず通じなかった事でしょう.

今でも,特定分野の専門家が集う会合などに混じって参加していると,「あぁこの人達は本当にそれ以外見えてないのかな」と感じられる局面が珍しくない程度に有ったりしますが,他方では彼らが「それゆえに研ぎ澄まされて今の形を成している」構造も否定し難く思われて,一体何を以て良しとすべきか,未だまことに迷うばかりであります.

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