「ガリ勉」は相応の社会的地位と責任立場を獲得すべし

以前記事「大学受験生もアスリートなのだからコーチは必要」 http://wp.me/p6S43T-90 でも書きましたが,こと大学受験という局面において,「そこに取り組んでいる当事者・関係者と,世間一般の認識とのズレ」はなお大きいと見えます.これほどまでに情報伝達が迅速化した現在において,未だ斯様な「情報の偏在」が生じ続けているさまは,異様にさえ映ります.

またこれは,直近も相次いで報道されている「高学歴不祥事」における観点に際しても同様です.

もう一つ,筆者がつねづね考えている事があります:それは,「ガリ勉はカッコ悪い」という風潮を払拭すべし,という論点です.

何しろ,前述記事の通り「大学受験生はアスリート並み」なのですから,それ相応に見られて然るべきだし,逆に言えばそれ相応の責任を負う立場でもある,という事に違いはないからです.

筆者は最近,件の「高学歴不祥事」が報道されている傍で,当該事件について会話をしているパートタイマーの方々の話に耳をそばだてる機会を得たのですが,何よりも先ず「相互理解が足りていない」と感じました.ですからこうして日々サイト記事を更新しておるのですが,願わくば斯様な「共通認識」が広まってくれる事を祈るばかりであります.

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