受験勉強は果たしてどこまで必要か

「受験勉強ってそこまで必要ですか?」というお題を頂戴したので(thanks to Yuta Kawasaki),私なりの回答を試みてみようと思います.

端的な結論としては:苫米地英人氏のいずれかの成書で節題となっていた「理学のアメリカと工学の日本」という括りに含意が込められています.

これを換言すれば,受験勉強は「従来の日本型を突き詰めるのであればなお必要,アメリカ型で尖端を目指すのであれば改変を要する」という事になります.

日本型の受験勉強は,言わば「やり込みゲーム」の様相を呈しています.これを小平邦彦先生以来の亡霊と見るか,あるいは河東泰之先生が何と仰るか気になるところではありますが,いずれにしても,現代の受験勉強に織り込まれている「やり込みゲー」要素の源流がこのあたりにある,という事は言えそうです.

いや,「日本の東大京大は『十年に一人の天才を発掘出来ればそれでよし』なのであって,小平邦彦も河東泰之も斯様な人材だ」と言われる向きもあるかもしれませんが,私はそうは思いません.「演習の果てに成果がある」とは,まさに河東先生も仰っている通りです.

そこへきて,高等文官試験以来の流れを汲む東大入試~国家公務員試験制度を概観して言われる「進振り(進学振り分け)悪論」が比肩されるのかもしれませんが,かく言う私自身も進振りを「上手く使って」現在に至っています.いや,「私自身が二流官僚(の亜種)の典型である」とまで言われればそれまでかもしれませんが,そこまで言う人はもはや私に用は無いでしょう.

幾分駆け足の小論になりましたが,ひとまずの御回答までに.

Share