#合格 者= #入進学 決定者には”#リハビリ”が必要である

さて,今日で国公立大学前期日程の合格発表が出揃う事になる訳ですが(ちょうど「お楽しみ」の東大・京大あたりですね…?/笑),首尾良く合格≒進学が決まった方々に対しては,表題の通り「リハビリ」に取り組まれる事を強く推奨申します.
と言うのも,「受験勉強」には”後遺症”がつきものであり,そしてそれは例えば大学受験の場合ですとおおよそ2年間くらい続く事が典型的であるからです.これは必ずしも東大・京大等の最難関に限った事ではなく,筆者の存じる限りでは一橋・早稲田・東京理科大あたりでも観測されている結果です.
何故なのかは未だによく分からないのですが,一つの仮説としては,「高校課程範囲にとどまらない”大学入試対策専用の勉強”」に取り組む期間がおおよそ2年間くらいになっている,という事が効いているのではないか,という気もします.

 

ちなみにこの現象は,当然の事ながら必ずしも「大学受験」に限った話ではなく,高校受験や中学受験に際しても発生し得る構図です.しかしながら,例えば高校入試あたりですと,合格後に「入学者説明会」と称して合格者(の内で入学辞退をしなかった人)が集められて,そこで「春休みの入学前課題」が与えられたりする事が珍しくないので,事実上「受験勉強」から「進学後のカリキュラム」までが直結している事となります.これではもう”リハビリ”のタイミングなど存在しないので,仕方無く「走り続ける」学習に取り組む事となります.この構図は日本の「大学入試がゴール」傾向の一端として象徴的とも捉えられる現象ではないかとさえ思われる次第ですが,いずれにしても,どこかのタイミングで「必ずしも教科書的座学だけが勉強じゃないんだよ,世界はもっとずっと広いんだよ」という事を,今一度我に立ち返って,自分の手足で一歩一歩確かめながら,「この世」を掴み取って認識していく,という作業を思い出して欲しいのです.
音楽を聴くのも良い.スポーツをするのでも良い.酒…は現役生だとまだ法律的に呑めないと思いますが,パチンコは出来るので破産しない程度にやってみるのも良いでしょう.
また,本を読む場合には,なるべく「およそ受験勉強から遠く離れた本」を選ぶ事を推奨します.例えば小説一冊ないし複数巻もの,あるいは更にどっぷり浸かるならいっそ「全集」など,今までの受験勉強だったら大概は「切り取られた一部…に,更に傍線が引かれて設問が付与されたもの」しか読んでこなかったところを,本来の「丸々一つの世界観」を味わってみる,という事です.

もちろん,例えばそもそも宇宙・天文が好きな人は,一般相対論の詳しい本を読んでも良いでしょう.但しそういった場合,今度は大学課程の内容に「直結」する形により近くなりますので,実質的に”リハビリ”の期間が無い事になります.学者ルートや専門職(医師・弁護士等)を目指す人はそれでも良いのかもしれませんが,「その方向に人生を懸ける」事になるのは覚悟して取り組む構図になるでしょう.
東京大学あたりの場合,「進振り」があるので入学後に各履修科目の平均点を上げる必要があるでしょうし,また近年ではどの大学もGPAを気にし始めていますから,そのための勉強を事前に進めておきたい,という向きはあるかもしれません.ですがこの方式は,正直申し上げてあまり奨められたものではなく,他国ではむしろ「ギャップイヤー」が重視されて論題に挙がったりしているなど,やはり「一旦”外の世界”に目を向けてみる」機会を作る事は大切である,と一般には考えられているように思われます.

 

「専門バカでない者はただのバカである」と小平邦彦先生(当時東大理学部長)に言われた数学徒である筆者などは,今般のような事を申し上げるに際して誠に立つ瀬がない始末でありますが,斯く仰った小平先生は音楽にもコーヒーにも(他にも色々あった気がします…)造詣が深く,「ボクは算数しか出来なかった」(※成書のタイトル)などと言いながら,実際には広範な教養を潤沢に身に付けていらっしゃいました.東京大学教養学部(前期課程)=1991年まで存在した旧「大学教養部」の名残り 等においても,「本来提供したい環境」はそういう意味での「教養を身に付ける場」のはずだと思われるところ,実態としては「点取り合戦ゲームの続き」に堕ちてしまっている,としか形容しようが無い,というのが本音です.1991年に文部省(当時)は「大学大綱化」=事実上の「教養部解体」を宣言した訳ですが,往時のお題目としては「大学初年級から高度専門科目に触れる機会を提供する」という事だったはずのところ,実際に果たしてそれが結実したかというと,なかなか疑念を禁じ得ない次第であります.

 

近年…とは既に言い難い程度に,長らく更に大学卒業後へ向けた「就活」もある種の点取りゲームと化して久しいですが,そうなると当事者が「この広い世界」を認識する機会は一体いつ来るのか??という事が気に掛かります.ややもすると,その人達に子供が出来ても未だ「点取り競争ゲームレース」一辺倒から抜け出しておらず,そのまま「お受験教育」に邁進する事になりかねず,そうなると今度は「受験勉強点取りレースプレイヤーの次世代再生産」が発生する事となります.…と言ってまぁ,実態としては既にとっくの昔から斯様な構図は発生している訳ですが(既に親世代が「中学受験ブーム」を通ってきている年代はもはや子供側も中年に突入している程度であろうと思料されます…),そんな有様だから「自分の意見を持てない人」と指摘される事例が増え続けてしまう訳です.
それゆえ,「自分自身は果たして一体何なのか?」という事と,先ずは一度正面から向き合ってみられる事を強く推奨申します.(そして実は,「自分自身」などという代物は自分だけでは定まりようがない,という結論が導出される事になるのですが,そのあたりまで「体得」するには,養老孟司先生の成書を読んでもいいし,苫米地英人博士の本でもいいし,なんならちょっと古いですがアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」初回テレビ放送版の最終話を見て「学び取る」のも良いでしょう.)

また,幾分筆者のポジションを含めた話になるかもしれませんが,13歳~27歳の生徒・学生およびその保護者は,セルフコーチングプログラム「PX2」 http://bwf.or.jp/what_is_px2 を受講する事が出来ます.このプログラムは実費のみで「実質無料」で受講する事が出来るもので(運営関係者は全員ボランティア),例えば一般向けの同様のプログラム「TPIE」の受講料が33万円である事と比べると,如何に生徒・学生達が優遇されているか=将来への期待を込められているか,という事は明らかだと存じます.このPX2も「広い世界」を見渡すには非常に適した教材となっていますので,今からですと最速で4月初頭(オンライン受講)というタイミングにはなりますが,是非御検討の候補に加えて頂けたら幸いです.

 

なお,まだ受験機会が残っている人は,言うまでもなく「完走」しましょう.後期試験・3月入試組は合格発表のタイミングが遅いので,「リハビリ」の出来る余地が非常に限られてしまいますが,次善の策としては,入学早々に同級生や周囲の人達となるべく沢山「話し」ましょう.そして,「異なる世界観」と出来るだけ多く触れる機会を作るのです.なおこの際,後期入試組≒「前期落ちてた組」である事はもはや忘れて,「受かってしまえば一緒」と心を新たにする事を忘れずに行って下さい.筆者の周囲でも,後期組(当時は東京大学にも後期日程入試が存在しました)の中から優秀な人材は多く輩出されています.今ここを見ている「残り数日」の貴方も,晴れて合格すればその「優秀な人材」候補の一員となるのです.
そして,その為に「何をすれば良いか」についての方法技術は既に当サイトで述べてきた通りです.走り続けましょう.その努力の成果は,進学後に役に立つ事間違いありません.健闘を祈ります.

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