適正な対価とは(2)電子出版編

通番的タイトルをつけてみましたが,同カテゴリの前回記事とは殆ど独立で,今回は表題の個別各論について述べます.

 

比較的直近の事ですが,電子出版に関して「仕事上の」お問い合わせを頂戴しました.直接連絡を取ってきた人は,私にとって「身内」もいいところの知人で,おそらく本人に悪気は無いのだろうと思うのですが,それにしても,所属企業(※出版系)から権限を任されて動いている以上,本来はあくまでも「職務関係」を前提とした形で話を進めるべき状況に違いありません.
ところが,今回の連絡相手は「個人的関係」をベースにして多くの仕事内容的な質問を送ってきてくれた挙句,最後まで「今度メシでもおごるよ」といった調子でありました.その相手本人の企業内ポジションと,同企業上層部の意向から察するに,「相応の知見・能力を有する人(私)から『知人の伝手』で有用な話を聞いて,自社プロジェクトに活用したい」といった流れが見え透いているかのようで,さすがにちょっとそれは待ってくれよ,と言いたい訳です.一応,連絡の末尾に「より深い話が必要になる際には,私が御社に出向く事になるでしょうから,その際はスケジュール合わせましょう」と誘導は言い含めておきましたが,こういう意味での企業の意識体質が,この先果たしてどうなります事やら.

 

さて,事のついでながらあらためて自己紹介をしておきますと:
私は昨年11月末に自身初の電子書籍(AmazonKindle対応)を出版し,同著は「教育・学参・受験」のカテゴリでベストセラー(ランキング1位)を獲得しました.また,この他にも当研究所(教育ビジネス研究所)の名義を冠さない,小規模出版希望者に対する電子書籍出版の全面的バックアップ等を行っており,日本語圏を主眼とした刊行物の展開ながら,海外での売り上げもが伸びてきている状況です.

そして,これらの「実績」の背景には勿論,長倉顕太さん・原田翔太さんを始めとする,電子出版業界・マーケティング・プロデュースといった,各方面の専門家による方法技術の粋が込められており,その中で私自身の上記実績も,これらの恩恵を存分に受けている事は確実と言えます.「何の師匠なのか」と一言で形容しにくい(それだけ本質的に分野の裾野が広範である故)事もあって,プロフィール欄の「師事した人」一覧にはお名前を挙げさせて頂いていないのですが,このお二方は間違いなく私の師匠,あるいは先達です.

この「専門家としての教育」を受けた上で,私自身が自らも実験例として電子出版を実行し,そして所期の成果を得た訳です.師匠達から習った方法技術の全てを活かしきるには,まだまだ私の活動範囲が追い付いていませんが,本来は此処にも未だ書いていない「凄まじいインパクト・ポテンシャル」を有し,しかも商業展開としての裾野も非常に広く展望出来る,壮大な企画が成立する沃土が広がっている分野です.

 

だからこそ,「ちょっと知人のよしみで質問」というのは,連絡の導入部分(実質上の挨拶)としてならまだしも,「職責」を含めた私の立場からすれば,「どう考えてもそんなタダみたいな安売りが許される話ではない」というのが偽らざる本音です.
(※なお例外として「私と同種の専門家教育を受けた人」については,「同志」としての関係が 有り得ると考える為,ちょっと特殊扱いです.該当者で当記事読者の方はお気軽にどうぞ.)

私くらいの実績を有する立場でも,当初の段階で「電子出版について相談したい」というお話であれば,「具体的な実現を所期目標として掲げる」事を前提に,初回相談対価として先ず5~10万円程度の支払は求めたい(現実上,問合せを頂いた私は本人共々「走り出す」前提で即始動する為,この程度のコストが最低ラインです).

そして,更に出版後の「著者本人の展望」につなげる話(※本来は出版を考える段階から並行設計しておくべき事)まで含めて,私が著者と共に,言わば著者に「寄り添う」形で責任を果たしていく道筋を展望し,実現していくという事を真摯に考えるならば,それはもはや,「電子出版に関するコンサルティング」から始まって,「著書を上梓した本人のプロデュース」にまで及ぶ,遥かに大きな展望(「壮大な野望」と言った方が嬉しい方はそちらを御採用下さい/笑)を見渡すプロジェクトとなります.
ここまでくると,そもそものフォーカスしていた媒体がもはや「電子出版」に限られず,「本人(企業単位の場合も含む)の行き方」そのものを扱う事になってくるので,その各段階において,私が如何なる職務役割を提供する事が出来るのか,随時確認しながらの仕事関係となるはずでしょう.

また,出版活動をこと「企業」という主体の立場からの位置付けとして考える場合,「企業経営戦略の一環として,出版という媒体をも活用する」という観点からすれば,突き詰めていくと本質的には「経営改善・企業生産性向上」の一環という面に辿り着くはずであって,これは寧ろコンサルティングの主眼とするところです.
其の意味で,私自身の例では一見「電子出版」という形を先行させていましたが,実は「効果・成功度において確実性が高い,コンサルティングに基づく企業戦略の道程」の雛形の一環として,実証実験を行い,所期の成果を得て其の「効果」を確認した,というのが,今更ながらのタネ明かしです.

 

上述の通り,個人におけるプロデュースや企業を中心とするコンサルティングのアプローチにおいて,必要に応じて随時電子媒体による情報発信の活用をも絡めた方法技術という「武器」には,現在(当記事公開時点)においてさえも,まだまだ非常に絶大な効果威力が存在します.これより先は「有償職務」の範疇と認識しておりますので,電子出版ないし経営改善に関心のある方は,上記初回相談料を御用意の上,御自身・御社の意向・展望と,当方への質問事項等を整理して, nlimeblizzam【at】hotmail.com まで御連絡下さいませ.

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前回記事についての反省

※あくまで反省とその為のまとめなので,聡明な方は読まれなくとも足るかもしれません:予め御了承下さい.

 

前回記事公開後,引用元記事著者御本人をはじめとして(!)識者の方々からあらためて記事等公開の形で御意見を頂戴しましたので,先ずその後の議論の流れを理解しながら整理しつつ,私の立場見解についても反省を進めて,それらの履歴記録を残す形にしたいと思います.

 

先ず,前回記事の「重要な追記」でも述べた通り,私の視点がそもそも「優先順位として筋が悪かった」事は,おおむね確かなようです.(ちなみに私の個人特性としてはどうも,各論を理詰めで掘り下げる能力に比して,それら各論を一目に眺められるよう配置して優先度を考える,といった事は苦手でありまして,今回のように「きちんと叩いて頂ける」事は大変貴重で有難いお話です.)

何よりも,速報レスポンス的な記事で山本さんが,まさに私の前回記事に応える形のタイトルをつけて下さった事は,「今一つ感覚として分かっていない人(典型例が私)への説明」として,誠に丁寧な補足を頂いたものと存じます.

「射幸性」はソシャゲの本質的な問題そのものです
http://lineblog.me/yamamotoichiro/archives/5198079.html

>この中で、いわゆる「高額課金」問題を問うに当たって、業界側の高収益構造を担う最大のポイントは射幸心を煽る告知に関わるノウハウやビジネスの仕組みです。(中略)
>その仕掛けのひとつとして、金券扱いのため返金できないという前提で利用者規約が組まれ、ユーザーが極めて低い確率でしか目当てのカードが排出されないことを知らされないまま「確率アップ」という曖昧な文言で300円を突っ込み続け、爆死していくビジネスの仕方の根幹は、この射幸心の煽り方に課題があるといえます。
(中略)
>ブリザムさんからご指摘のあった内容については、個人的には射幸心を煽ること、そのための仕組み全般が問題だということで私は考えております。ある程度業界全体の認識を持ってもらうことで、問題点を良く認識して善後策を考えてほしいと思うわけでして。

これらの御指摘からもあらためて明白なのは,結局「射幸性」に帰着される因子そのものが,ソシャゲの現状問題の「本丸」であるという事に他なりません.と言うか,私の当初着眼点は「問題の本質」より「ソシャゲの本質」という話をしてしまっていた訳で,そもそも「それが問題かどうか」という事については,殆ど論を積み上げていません.
このあたりの「認識のズレ」についても,上記引用の山本さん記事では的確に指して頂いています:

>この問題については、(中略)当然のことながら消費者問題の中心に位置するべきものです。

>【山本一郎】ソシャゲのガチャで,本当にヤバい問題はどこなのか
http://www.4gamer.net/games/238/G023885/20160216028/

この有識者対談は記事公開当初に読んでいたはずなのですが…当局的温度感に対する私の認識がなおも鈍かった事は先ず反省です.

 

但し,一方で山本さんの現状御見解の中では,幾分色味を別にするかのように見える論点も並べおかれています:

>充分な所得のある人が、個人の趣味と確実な合意の下に年間2,000万円以上の資金をつぎ込んでゲームをしている現状については、問題視する必要は特にないと思います。実際にそういう人がいるからこそ、大多数の人が無課金や微課金でぶら下がっていてもゲームとして成り立つという現状はあります。

この観点もあくまで経営収支的な立場主体と見えますが,現状の問題とされる「大まかなもやっと一塊の雲」の内側に線を引いている所が有る,という意味で,意識の片隅に残しておくべき点ではあろうと思います.

 

さて,ここまで一連の流れを含めて(!)まとめて頂いたサイトが更にありましたので,先ず御紹介:

サイバーエージェントの偉い人はゲームとパチンコで射幸性が異なるとか本気で言ってるの?
http://www.siskw.com/entry/20160405/1459814241

タイトルがあたかも私まで真っ直ぐ刺しに来ているかのようで一瞬竦みましたが(苦笑),拙記事[&山本さんレスポンス]の内容に関しては,後段の「追記」で触れられています.

>インフォメーション・アーキテクチャとして課金システムの射幸性の構造を捉えると、「欲しい」というモチベーションに対してかなり割合の低い偶発性の上で少額を投資するという状況そのものが人間の認識に対して大きな誤解を生ませてしまう構造だと言えるのであり、その構造を成立させるだけの欲望を喚起できる対象であれば手に入れるモノの内容は問わないと言えるんじゃないかと思います。

要するに,拙記事の主張に照らせば「射幸心につけ入る形の商売システムが機能する状況においては,『入口』の方法種類はおおよそ何でも良いのであるから,萌え誘引力に何らの特殊性がある訳ではない」という御話です.
私自身が前記事を書くに至った動機からすれば,こちらの方が余程恐ろしい指摘です.何しろ,「脳ミソの構造的に,萌で釣るというのはエグい針の掛け方なのではないか」と言おうとしているところに,「商売上は,単に釣りやすい(ユーザー数なり売上規模なりが多く取れるスキーム展望がある)名目の一例に過ぎない」との論が上界をおさえている訳ですから,「萌え誘引性は,ソシャゲの問題を考える上では本質的でない要素」と言われているのとほぼ同じで,勿論これこそ真正面から前回記事の拙論に刺さる話でございます.

萌ゆる絵柄はあくまでも「入り口で釣るための方法論(の一)」でしかなく,その先は単なるエグい射幸性商売に直結されていた…という話ですと,その釣り針を美味いと思って食い付いた人達の心を慮るに,哀しみを禁じ得ません.

 

ただそれでもなお,「本当に萌え絵の誘引力には大した意味が無いのか?」という点には疑念を持っておりまして,端的には「じゃあプレイヤーはなんでそのゲームに着手して,そしてプレイを続けているのか」という話です:射幸心が「本体」だというなら,そもそも別にビジュアルが可愛いキャラクターをもってくる必然性は全然無かったんじゃないのでしょうか??と.
言い換えると,たとえ射幸性のように「噴き上がる」原動力の必ずしも直結現物ではなくとも,ゲームシステム(経営的観点含めて)の入口付近では常時「ベース火力」の如く,キャラクターの誘引力が効き続けている構図は,なお有るのではないでしょうか…?という.

 

ちなみに,私自身はソシャゲを殆どプレイしていないのですが,前回記事ではユーザー視点からのコメントを各所で頂いています:その中では「ゲームプレイヤーとしての欲求対象は『キャラが可愛いから』だけではない,それでは説明がつかない」という点の指摘が多く,これは単に前回記事で私が「直感的には」と始めた話をそのまま端的な日本語で説明した事例だけで突っ走ったという,論述の技術的な落ち度に起因するものと存じます.申し訳ありません.
とは言いつつも,それら御指摘の中で挙げられている「ゲームをプレイする他の動機因子」を見ていくと,「それは結局射幸心に帰着されますよね」という代物だらけだったりして,先に補足記事の終盤で「射幸心そのものが悪いと限った話ではない」と言及されている山本さんの慧眼にこそ,寧ろあらためて畏れ入るところであります.

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【重要追記有】「射幸性」は果たしてソシャゲの本質的な問題点そのものなのか

先ず,そもそも「射幸心」の定義として何を基準に参照したらよいのか,という点からして問題となる訳ですが,ひとまずWikipediaの該当記事を確認しておきます(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%84%E5%B9%B8%E5%BF%83):

>人間の心理として「幸運を得たい」と願う感情の事で、その心理的な欲求を抱く状態
>しばしば「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい」という心理状態をも含む。

なるほど,定義はこういう事らしい.

そして更に,次のような議論も既知だそうです:

>射幸心と賭博行為は密接な関係にあり、

こちらは最高裁判例によるとの事.

ここで,当サイト今回記事後段の議論と関連する点としては:こと「萌え産業」自体についての話は,一言も触れられていないと見えます.

 

さて,それではあらためまして,今回本題の参照記事を紹介します:

ゲームにおける「射幸性」は何が問題なのか
山本一郎×日高裕介 ソーシャルゲーム対談(後編)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/279975/040400002/?n_cid=nbpnbo_mlp

当記事では山本さんの言として:

>その中でユーザーさんは、より強い武器やアイテム、キャラクターが欲しいと願い、1回、300円のガチャを回す。このくらい引いたら出るだろうと期待して、頑張って引く。出ませんでした。じゃあ、出るまで頑張ろうとなる。少ない金額でそのアイテムが当たるかもしれないという期待を抱かせる。これが、射幸性なんです。

とありますが,「少ない金額で当たるかもしれないという期待を抱かせる」事と,「じゃあ、出るまで頑張ろうとなる」という事とは,法制度に落としこむ際に結果評価(数理的モデルが出来る場合にはその形状構造をも含む)としてはたとえ同じになるとしても,そもそもユーザーがプレイを始める際の入口の「動機」のメカニズムとしては,一般にその原理メカニズムは必ずしも異なるのではないか?という点が,気に掛かる訳です.
勿論,此の論点の所在自体は今回記事対談内でも承知とは見えて,例えば直後の段落でも:

>まずは出現確率の表示をしなければ射幸性は制限できない。それって最低限の話で、「その確率だったらそもそもやらない」という人がいるかもしれないですし、「それでもやるんだ」という人もいるかもしれないですし。

という形で,一応の言及自体はきちんとされています.但し,その先を深く突き詰める論は,今回引用記事の範囲では見当りません.

 

他方で,私は個人的に,「ソシャゲはそもそも商売として何をやっている事になるのか,それをどう理解すればよいのか」という観点から,関係者らと非公式に会合の機会を得て,意見交換や議論をしてきています.

その中で,暫定結論の一環として:
「カネが懸かっている事」と「萌えゲーという属性」とは,相性こそ悪くないのかもしれないが,一般論としては別の話ではないか
という論題もが出てきている事については,少なからず重要な観点と認識しています.

すなわち,「ギャンブルとしての射幸性」と,「萌え媒体がその本質的特性として有する顧客誘引力」というのは,少なくとも話の発端としては「別の事」なのではないか,と,誠に荒削りな試論ながら一言指摘する次第です.

もう随分前の事ですが,パチンコ・スロット業界が,いわゆる「二次元萌え的媒体」を商売の一角に取り込んだ際,当初は恐らくかなり慎重に「導入」を進めていた,と傍目にも見えます(初期タイトルに「海物語」などが著名かと).
その後,同業界はアニメコンテンツ等の権利を積極的に獲得し市場投入していく道程を造り進めていく訳ですが(このあたりで「純然ギャンブル好き」と「アニメ絵好き」の顧客層は,重なりつつも両方取り込む形になっていたはずです),他方では,更に数年下って,「パチンコ・スロット産業の顧客層がFX(為替証拠金取引)に流れた」との報道も聞き及んでいたところです.後者の報道について,統計調査等の裏取りは確認していないのですが,ごく素朴に考えても,「ギャンブルファンと二次元萌えファンは両立なり共存し得るかもしれないが,純然ギャンブルファンに対して,例えば『二次元の魅力』で顧客として吸着し続ける事は必ずしも成り立っていない」という構図は見て取れます.

そして,この二軸的な観点からすると,モバイルゲームの課金ユーザーのメンタリティというのは,直感的にはあからさまに後者です.即ち,あくまでも先ずは「二次元のキャラクターが可愛いから」お金を払ってでもプレイする(勿論,その背後には「無課金組」も相応割合で存在する)のであって,ギャンブルとか法規制ライン的な意味での「射幸心」とは,人間の精神・脳機能の内訳からして,メカニズムがちょっと少なからず異なるのではないか,と考えられる訳です.

当記事の前段でも一度触れた通り,課金額やその内訳方式といった「結果」として出てくる際には同じ事だとすれば,法規制をはじめとする社会的合意形成ライン策定のための論議において,まず「射幸性」というキーワードから定量化が模索される事自体は当然でしょう.それらに関しては,既に動いていらっしゃる識者の方々等に,ひとまず仕事をお任せしたいところです(私自身が供せる議論はそう多くないでしょう).

しかしながら,上述の理屈がメカニズムとして成り立っているのであれば,たとえ「射幸心」側に十分妥当な規制ラインが引かれようとも,「萌え誘引力」に惹かれるユーザー層の行動源泉の本質に対しては,なお殆ど全くの「青天井」状態がそのまま継続する可能性さえ残ってしまいます.
そしてこの論点は,「射幸性」対策として何らかの規制ラインを策定するに際しても,そのラインの「妥当性」を考える上では,本来は考慮が必要な因子にも違いないのではないか,と思われる訳ですけれども,単に定量化が難しいのか,あるいは憲法・人権レベルの話まで踏み込むのがあまりにも規模の大き過ぎる話だからなのか,…正直,私の目から見えている限りの現状を,どう認識理解して落とし込んだものか,未だはかりかねているところもあります.

 

【重要な追記】
本件で引用した元記事著者のお一人である山本一郎さんが,取り急ぎ追加解説記事(事実上の拙記事への返信を含む)を迅速に公開されました:

「射幸性」はソシャゲの本質的な問題そのものです
http://lineblog.me/yamamotoichiro/archives/5198079.html

先に引用した対談記事では詳細に触れられていなかった話とか,更には参考文献の御紹介まで頂いて,速報的ながら至れり尽くせりの内容と見えます:浅学の典型たる私も,この頂いた端緒情報を元に知見改善に励みたく存じます.

また勿論,拙記事本文に対しては「人間の生物学的構造をハックする仕組み云々より以前に,先ず法制を含めた社会的合意ラインをシロに着地させていく算段の方が,重要度優先度としては高かろう」という,当り前のお説教をあらためて頂戴した感な向きもあるのですが,御蔭様で現状の「事の重大さ」は直感心理レベルでなお一段良く分かりましたので,こちらも「社会との接点におけるバランス・優先順位」という事を含めて,あらためて反省し考えたく存じます.

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顕名と社会的責任の所在と,経済活動生産性について少し

漫画家の種村有菜氏が,いわゆる「二次創作」同人誌の発行予定を中止した事で,関係方面では相当な物議というか炎上案件となっているようです.

容易に推測される状況として,「先に『公式版権下』でイラストを寄稿したタイトルと同作品の二次創作『同人』発行物を出す事が問題になったのではないか」との指摘があります.著作権法云々以前に民事契約違反も充分有り得る局面と言えます.

此の実情の仔細については,種村氏本人名義での直接説明文章も存在しているのですが,これはTwitter鍵付き(非公開)アカウントの内側で述べられていた内容が丸々コピペされている代物だったりして,仁義も何も有ったものではないインターネットの恐ろしさを感じずにはいられません.一応,公開状態になっている情報を以下にリンクだけ御紹介しておきます:
http://tr.twipple.jp/p/13/bff326.html

 

斯様な状況においては凡そ既定路線もいいところな流れとして,「二次創作のモラルを守って活動すべし」といった言説が,関係当事者からきのこたけのこ戦争並みのペースで沸き出てきます.当然の如く,論議に参加する人の大多数は匿名であり,論題そのものの社会的位置付けのグレーさは素人目にも露骨な程度です.
彼等にとって,今回の事案がいかに「外患誘致」的であったかの一端は,以下のまとめサイトでも存分に概観する事が出来ます(各ツイート等の内容については「全くのデタラメ」も含まれるので,情報源としての利用時には各自御留意の上,自己責任で行って下さい):

種村有菜、突然「おそ松さん」の18禁BL同人誌発行中止へ 理由がヤバすぎると話題に
http://matome.naver.jp/odai/2145750429496489201

上記サイトなどを一瞥すると,のっけから「二次創作はそもそもヤバいもの」という意識感覚が共有されていて,心得の無い方にとってはあたかも無法地帯の人外魔境か何かのように思われるかもしれませんが,実際その通りと認めざるを得ない面も当然有る訳でして(詳述は割愛しますが,著作権法親告罪の範疇で済まない事例も少なくない),それこそ「同人作家は本名と顔がバレたら即死」というデスノートのパロディなど,当事者にとっては笑うに笑えない程度の様です.
尚,種村有菜氏は漫画家(いわゆる商業誌作家)・同人作家のいずれとしても,行政登録上の本名で活動しています.

 

さて,現代社会において,日本国内法のみへの留意では足りない事は無論でありまして,例えば著作権法なら「非親告罪化」がTPPで話題になった事もまだ記憶に新しいところです.

此の「(法制に代表される)社会的責任」と,「其の責任の所在としての個人の顕名(実名)」という点については,既に私の師匠でもある苫米地英人氏が以前から指摘している通りです(近日参考:https://twitter.com/DrTomabechi/status/705667667584126976).

…とは言うのですが,一方で,現在ハンドルネームという匿名の下に”隠れている”人々を一挙に顕名化などしたとすれば,彼等の活動は即座に停止します:言わば本当に「即死」してしまう訳です(上掲まとめサイトの様子から窺える通り).

そして,此の「顕名即死」組の人口規模が結構な事になっていて(業界に明るい方には周知の通り),大まかに見積もっても国内の「書(描)き手」だけで5万人以上,受け手(読み手)に至っては数十万~百万人程度が,現在進行形で活動しています.
彼等の多くは,平日日中は「一般社会人」として実名で各々の仕事なりを営みつつも,ひとたび休日を中心に開催されている同人イベントとなれば,札束と薄い本が猛速で飛び交う祭りの燃料そのものと化す事になります.
更に其の傍らでは,そんな彼等の活動の「ほんの一かけら」の成果として,特典ポスターに釣られて献血に行って,首都圏近郊の輸血需要を異常な割合で満たしていたり,朝からすき家で牛丼を5杯ずつ平らげて,ワンオペ店員に悲鳴を上げさせたり,といった「社会現象」が発生している訳です.

 

そうすると,これってもはや,単に「社会的生産性・活動性・経済効果の高い人達」なのではないか,という意見が,さすがに脳裏に浮かんでくる事となります.五百円玉の100枚や200枚を半日で軽く使い切ってしまうような「経済社会的に温度速度の高い人」数十万人を,今刺し殺してしまってどうするの,という話です.

Instagramが今更ながらあらためて持て囃されていたり(広告代理店業界の後押しあっての事とは思いますが),TPP交渉で日本国当局が「コミケ文化」と明言していたり,山本一郎さんの直近記事(http://ironna.jp/article/2922?p=1)でも同人活動者に言及がされていたり,といった社会環境を見渡してみて,そして今回種村氏が「自爆炎上・外患誘致」とばかりに台風の目と祭り上げられている最中で,「顕名即死」の匿名同人関係者各位は,自分達の身の振り方について,果たしてどう考えているのでしょうか.

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国交省「UR団地を医療福祉拠点に」という尤もな政策が目指すもの

交通政策審議会の「首都圏15年整備計画」答申が諮問段階以降未だ出ていない事が,最近特に気になってきております.
http://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk4_000002.html
リンク先でも丁寧に説明されている通り,旧運輸省はおおむね15年ごとに「首都圏の交通整備計画」を目標の骨子として答申の形で明示し,その多くが実現してきました.勿論,鉄道や自動車道路の発展に伴う,宅地や商業地の開発・そして人口動態もが,セットになった話です:これらも結果評価から見て取れます.

 

一方で,「UR団地を医療福祉拠点に」という,これ自体は朗報とも見える政策が打ち出されました.

大型団地 福祉拠点に 国交省、高齢化で地域と連携
「住生活基本計画」原案
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS18H4E_Y6A110C1EE8000/?n_cid=SPTMG003

直近の「首都圏鉄道が雪で大影響」という状況を目の当りにして,これはこれで相当いかんぞと思ったのですが,さすがに医療福祉のような長期的展望の方が事の重大性としては優先でありましょうか.

少子高齢化(人口動態)で国交省マターといえば,既に昨年以前から大きく取り沙汰されている「空き家」といったキーワードが筆頭に思い浮かびますが,ここで「区分建物(マンション)の建て替え」という,法的にもハードルが高い項目に手がつけられた事は,「着手しやすいところから現実的な対処を考え,実行していく」という政策観点として,肯定的に評価出来るものと思います.

 

昨今でも「タワーマンション」といえば経済的成功者の象徴であるかのような認識が広まっていると見えて,そういう人達には本件例のような「人の高齢化と建物の老朽化を踏まえた上での,大都市圏再開発計画の大局」といった切り口は,今一つ当事者意識をもって響かないのかもしれません.或いは,先日の雪で大幅遅延した都内周辺交通の中で列を成していた方々にとっても,おそらく同様の向きがあるのではないでしょうか.
しかし,そうして日々の通勤・通学に最寄り駅との往復路を歩く中で,駅近の古びた「官設っぽい団地」を目にした事のない人は,実はむしろ少ないはずです.そして,それらの幾つかは30年以上前(1985年)の運輸省答申と関係しています.
斯様に,国策レベルの大局計画とは,時を経てその成果が目に見えるものだとつくづく思います.今回の国土交通省政策にしても,敢えて言うなら,「社会保険制度の設計・試算」みたいなものに比べたって,まだしも意義をイメージしやすい対象には違いないでしょう.「2020年より先」を見据えた展望を明示する今回の提案に,先ずは敬意を表したいと存じます.財源をどうするのかは未だ存じませんが…拙宅の例だと300億円規模のプロジェクトになると試算されたりしておる訳ですが…

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教育職の成果評価を如何にすべきか

学習塾の講師が,特に大学生を中心とする非常勤職員の立場から「ブラックバイト」として最近も問題が大きく取り沙汰されるようになってきていますが,個人的には,既に時効に掛かっているであろう案件なども含めて,「業界事情」はそれなりに存じてきているところであり,なお関心を強く持って動向を注視しています.

ブラックバイト指摘の学習塾 賃金未払いで是正勧告
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160108/k10010365431000.html

塾のブラックバイト、厚労省が改善要請 違法な例示す
http://www.asahi.com/articles/ASH657F6BH65ULFA02J.html

考えられる一応の構造原理的事情としては,業種特性として,「仕事をやり込んだ分だけ精度は上がるので,『持ち出し』になってでもやりたいと思ってしまう,従業者の動機が存在する」という点は指摘出来ようかと思います.また他方で,其の「成果」を適正に評価する方法については,現在に至るまで明示的な基準が出来ているとは到底言えない,という面も,結果として「タダ働き」に陥りがちな方向へ拍車を掛けている一因ではないでしょうか.

こういった構造の元では,やる気(更にはそれに伴う実力も)がある人は労力を「持ち出し」してまで「良い仕事」を成す一方で,評価基準が明示的に存在しない以上,「手を抜く」方向もそれこそ無制限に近い程度まで出来てしまう,という状況が,構造環境のレベルからして存在している,という事になります.「意欲的なタダ働きvs逆の意味で積極的なサボり魔」の恐るべき底無し沼です.

ちなみに,此の構造自体は更に広く言えば教育職全般に共通すると考えられ,例えば学校職員(1条校教諭)等に対しても,同様のメカニズムは恐らく働いているものと見受けられます.”クズ教師”がさんざん槍玉に挙がる割には,知人の教員らは総じて激務と向き合っています:一体どういう事でしょうか,と.

 

一方ではまた,教育産業が大学生等を「使い捨て」の如く酷使してきた構造そのものは,無論近年に始まったものではありません.
もっと深く,(筆者のポジションをも込めて言うならば,)其の背景には「教育なんぞは入試に受かった人なら誰でも担える」との(誤った)認識が,民間教育業の成果を享受する側(生徒・保護者)と提供する側(塾などの経営者・及びアルバイトに至るまでの従業者総員)の双方に,広く蔓延してしまっている,という構造があります.
この事は,もはや「社会問題」という看板の下で語られるべき事案であって,「ブラックバイト」の当事者として行政処分レベルに関係した人々,程度の規模の話として矮小化して済ませてしまうべきでは決してありません.

 

「仕事をやり込んだ分だけ精度が上がる」≒「持ち出しになってでもやりたいと思ってしまう」(前述の通り,後者は本来ダメな訳ですが)という構造をより具体的に説明する為に,実例の一として,私自身が個別指導で行っている対応の内訳を,簡単に列挙してみる事にします:

私の個別指導時間単価は「高い」と言われる事もありますが(それでも,「プロ家庭教師」の中では珍しくない程度で,また業界トップクラスからすればせいぜい数分の一ほどです),直感的にそう思って言ってくれたクライアントには,さしあたり「時間単価を5で割ってみて下さい」とお伝えする事にしています.

●例えば,1回の指導時間が2時間とします.
●指導本編前及び指導後の,生徒本人・保護者の方とのコミュニケーション(ここでの情報交換が実は重要です)が,平均30分程度(多くの例では15~45分の範囲).※なお,この部分を「時間給」の計算に敢えて含めていない事に関しては,教育業としての成果を最大化する為の目的に基づいた積極的戦略指針設計が存在します.
●毎回の指導終了後・及び次回指導直前(移動時間等の活用を含む)に,「今回指導の反省→今後の指導における大局展望の立案→個別具体的指導指針項目に落とし込む作業」を進めておきます.毎回30分~1時間程度.
●更に,上記の計画内容を文書化(必要に応じて随時クライアントに提供出来るよう,可及的速やかに準備しておく)するのに1~2時間程度.
●特に「学習指針を指導伝達する為の『学習の進め方・取り組み方の設計』」に関しては,随時構想を練り直してはメモに落とし込み,自宅やPC環境の整った状況でやはり文書化しておきます.これが概ね平均して指導1回分に対し1~3時間.
●また当然の事ながら,指導者側もつねに,教授すべき知識内容をアップデートする「学習」は続けていく必要があります.各教科・科目内容のブラッシュアップも当然の事ながら,更に「学習の方法論(いわゆる『受験勉強論』)」については,新たな方法論が世に出る事がしばしばある為,それらの情報収集も欠かさず行っていく事は必須です.其の多くは市販の成書が情報源となりますが,平均して週に2時間程度でしょうか.

以上,大まかに試算してみましたが,単純に足し算してもお分かりの通り,「1回2時間の指導」に対しても,準備及びアフターフォローに掛ける時間を含めれば,「指導1回当りに指導者が掛けている総時間量」が10時間に達する事はごく普通です.即ち,この計算の結果から,「名目指導時間中のみの『拘束時間給』で考えた場合の約5倍を,指導料として設定し請求する」という話になる訳です.

 

結局のところ,指導の対価は「指導時間に対する単価」として設定している訳ですが,他に妥当な計算方法が見つからないので,経験則として「おおよそ5倍」という数値的基準を現行採用しています.実際はもっと,例えば「10倍」に近い事もあるかもしれませんが,ひとまず現状の金額を頂ければ,営業上は回ると言えます.

逆に,指導者の実働量が「名目指導時間の5倍」を下回る事はないでしょう.例えば私は,1回2時間のみでそれきり(その後継続無し)の指導に際しても,「生徒の学習状況現状・今後の展望・在籍学校のカリキュラムの水準と本人の達成状況・進路選択へ向けて必要な取り組み」といった内容を含む,A4判1~2枚程度のレポートを作成し,提供しています.

勿論,厳密な事を言えば,この方法でも「持ち出しを高額単価設定で補っている」という構造である事は否定出来ません.それでも,経験則を含めて,プロ個別指導者の平均的な(それこそ「ピンからキリまで」の)時間単価の5倍程度の対価を支払ってもらえれば,当方の教育業としての能力相応の成果は提供可能である,と明示する事は出来ます.

 

ところが,もし「拘束時間給のみ」で計算した場合(=現状民間教育業界の殆ど)においては,この「相応の成果の提供」に資する為の労力の8割が,「タダ働きの丸々持ち出し」となってしまう訳で,ブラックどころか「職務としての本末転倒」が起こっている,とさえ形容せざるを得ない状況ではないかと思われる次第ですが,ひとまずはあらためて「適正な対価とは何か」という題目をもって,広く世に問いたいと存じます.

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「大学入学希望者学力評価テスト」の導入で,記述式試験に対応出来る指導者の養成は既に急務である

既に広く報道されている通り,センター試験の事実上後継となる「大学入学希望者学力評価テスト」(平成32年度より実施)において,一部科目に記述式試験を導入する方向で計画が進められています.

 

これに際して,教育指導者の舟生貴士さんは下記の通り御意見を表明していますが,

https://twitter.com/T_WhoNew/status/679725902196944896
『論理的思考力』の重要性が、ますます高まりそうです! 暗記などしないで、自分の頭でしっかり考える力を育てましょう! (^O^)

実際問題としては,記述式試験に正答する為の受験勉強の方法技術もまた「型稽古」の範疇である事には違いありません.「暗記では通用しない」などと言っている人は,その大半が暗記の定義というか適用対象を根本的に間違えているだけであって,「方法論ごと暗記」する形での試験対策は,論述式試験(小論文等を含む)に対してもなお有効です.

(尤も,舟生さんの場合はそれ以前にパーソナルコーチングのプロなので,テクニカルに細かな方法論を一々伝達するまでもなく,より大局的な指導に基づく成果を挙げる可能性は存分有ろうと思われますが,今回はコーチングの有用性についてはひとまず主題から脇に置きます).

 

ところが,拙外部ブログ記事でも触れた通り,現在に至るまで長きにわたって,この「日本語論述」の方法技術を的確に修得させる為の教育システムは,露骨に言えば殆ど機能していない,というのが実態です.
少なくとも私が個別指導で担当した教え子は「全員」が論述を出来るようになっていますし,方法論自体もとっくに確立されているはずなのですが,こと集団指導システムで実施しようとすると,事実上何らかの限界が殆どの教育現場において見受けられます.その限界をつくっている原因が何故なのかは,今一つ不明ではあるものの.

そうすると,来たるべき平成32=西暦2020年度において,日本語で「記述」の方法論を教える指導者が,圧倒的に不足するとの恐れが,かなりの確度で見えてきます.

これは即ち,「指導者の養成」こそが急務である,という事態に他なりません.

かく言う私も,個別指導者の一として職責を道義的に考えていく一端で,「先ず早急に指導者を養成すべし」との結論にまでは達し,具体的な「記述式試験対策学習用の教育指導者養成ファシリテーションプログラム」を脳内シミュレーションで設計してみたりしたのですが,どうにも今一つ,明晰な光の差し込むような展望は未だ見えていません.

一応,「指導者養成プログラム」の計画骨子案はあるので,実現可能性(受講者を集められるか,会場運営等の繁雑事務,営業が成り立つ価格設定,等)の目処が立てば,プログラムを開催したい意向はあります.「我こそは日本の将来へ教育を重視すべく,マネージメントに助力したい」と仰って下さる方がもしあれば,ぜひお声掛け頂きたく宜しくお願い申します.

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いじめを隠蔽した私立学校が発覚

【2016.10.30追記】アクセスログの検索キーワードを拝見していると(直近のGoogle上位表示が大きく効いている事かと存じます),当記事のみに辿り着いて一読している方も少なくないようです;が,内容上問題本体の事態は刻々と進展しているに違いない事ですので,せめて当サイトの補足的続論記事(いじめの根源と,対策…のウソ http://wp.me/p6S43T-5P)を合わせて御一読頂きたく,強く要望申します.

―――

どこぞの高校で,いじめ実態の隠蔽とも受け取れる校内放送(校長発言)があったそうで,一見して背筋が凍る思いをしたので,遅ればせながら拙記事でも情報共有に供したく存じます:

https://twitter.com/ts_Oreo/status/676373478992297984
この前学校で「いじめられてた子が裁判を起こし、いじめてた子達を起訴した。裁判は誰でも起こす権利はあるが、いじめなんていう個人の問題でいちいち迷惑かけるのやめて欲しい。双方の言い分が違うので、学校はいじめは無かったとして反論していく。」と放送があって、本当クソみたいな学校だと思った

https://twitter.com/ts_Oreo/status/676421189263200256
@myonalice それで間違いないと思う。放送で学校の品位がどうとか言ってたし

https://twitter.com/ts_Oreo/status/676374224437555200
これ校長が言っててふざけんなって思った。これがテレビで「いじめは確認出来なかった」の実態なんだと思った。

https://twitter.com/ts_Oreo/status/676399221197541376
@yuq1_ ですよね…!とにかく、色んな人に見てもらって、色んな意見を聞きたいと思ってます

 

また,当該事件を取り上げていると見られる報道記事はこちら:
「同級生のいじめで退学」愛知県の元生徒が提訴、高校は「いじめはなかった]と反論
http://www.sankei.com/west/news/151207/wst1512070067-n1.html

愛知県安城市の私立高校「安城学園」で、同級生からいじめを受けたのに学校が適切に対応せず退学を余儀なくされたとして、名古屋市の元女子生徒(16)が元同級生4人と学校に約560万円の損害賠償を求め、名古屋地裁(村野裕二裁判官)に提訴した
(中略)
被告側は「いじめはなかった」として請求棄却を求めた。
(中略)
一方、安城学園は「調査したがいじめは存在しなかった。法廷で事実を徹底的に明らかにしたい」とコメントした。

 

ツイートの「校内放送」に関して,事実関係自体の裏を取った訳ではありませんが,一般論としてもしばしば耳にするような状況(往々にして私学が現場だったりする,との感があります)の一端が垣間見えているようで,「願わくばそんな酷い事実はありませんように」と思っていた私の祈りは水泡と帰したばかりです.

要するに,一言でいえばクズ案件です.案件というか事件ですが.…学校が圧力を掛ける方向で憲法違反を推奨しているという状況は,最悪とさえ言えようレベルの事態に間違いありません.

更に,本件に関しては,元ツイート発言主以外のところから「安城学園」という具体的な学校名もが出てしまっていて,このままではややもすると「安城学園 偏差値」とか「安城学園 部活」で検索しても「安城学園 いじめ 隠蔽」がサジェストされてしまったりしかねない状況ではないかと見受けられますが,大丈夫なのでしょうか.

ちなみに,同学園の公式サイトでは高校長御自らの顕名により「教育理念」が高らかに謳われています.
http://www.angaku.jp/salutation.html
安城学園高等学校 校長 坂田成夫

創立者寺部だい先生が生涯大事にした生き方は真心・努力・奉仕・感謝という4つの言葉に集約され、四大精神として伝えられています。どれも人間の生きる姿勢として大切なものです。
明治45年の創立以来、100年間、安城学園の卒業生がバトンのようにリレーして伝えてきた創立者の精神です。安城学園を流れる空気そのものです。
真心・努力・奉仕・感謝の四大精神はいつの時代でも、どの社会でも、大切にすべき精神です。私たちの役割は四大精神を実践し、地域社会に広げ、次の時代の安城学園生に四大精神をきちんと伝えていくことです。
安城学園はいつまでも創立者の精神に貫かれた「庶民の学校」「優しさにあふれた学校」でありつづけます。

また,「学校法人安城学園 安城学園高等学校いじめ防止基本方針」なるものも設定されており,公式サイトに常時公開されています.
http://www.angaku.jp/ijime.html
今回の学校側対応(上記引用記事中)が,この「方針」にどのような形で沿って結論実施されたのかは未詳ですが,「調査の結果存在しなかった」としながら「事実関係は法廷で明らかにしたい」というのは,一面的には誠に「背水の陣」であるかのようにも見えます.同学園の関係者総員に対し,爾後の無事と益々の御繁栄を祈願しております.
なお,元ツイート主は絵を描いていて(※当事者がペンネームを使用している点には留意頂きたく願います>当記事読者総員),「今回のいじめ問題発言並みに自分の絵が評価されたらずっと嬉しいのに」という旨の発言もしていますので,ひとまず御本人におかれましては,自らの人生を充実されたく願うばかりです.

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フランク王国の遺産?登記(不動産/法人)と共有(民法他)にまつわる話

当研究所の法務部は「登記調査」も担当しているのですが(宣伝),近日ちょっとした縁がありまして,「共有別荘」の権利関係を調べておりました.

現在でも「オーナーズ」などと呼ばれている会員制宿泊施設は珍しくありませんが,その中でも昭和の時代に設立されたものなどにおいては,不動産所有権登記(共有持分)を伴うものがあり,これが時を経て相続に掛かるなどしようものならエライ事になる,という話です.

時の流れが大変な繁雑法務を招く例は,各種の相続手続きを経験した事のある方なら何かと(往々にして重々)御承知かと思いますが,こと「登記」が関係している場合,最悪「座礁」に近い状態に陥ってしまっている事も少なくありません.

今回当方が調べていた例でも,設立時法人が解散していたり(「物件」そのものは事業承継により引き渡されていたものの,元法人が特別清算に掛かるという有様でした),不動産所有権の変動が未登記(※違法ではない)のまま「所在不明」になっている持ち主も相当数居る様子でした.
事業を引き継いだ側も,「解体」へ向けて権利関係の引き取りを図っているものの,10年単位の期間を経て,途中頓挫した子会社=当時の引き取り元責任担当者 を仕切り直してまで進めている「収拾」の手はずが,進捗状況7割に届くかどうか…という状況になっていて,単に関係者の人数規模が大きくなる事が,ここまで後の複雑さを極める結果を招くのか,と背筋が凍る思いをしております(今回の件では,当初「分譲」された所有者は1000人単位).

マイナンバーによる一括管理で,こういった話も「楽」になるのかな?と思いきや,昭和の時代の話(と言うより,登記事項の電算化が完了する以前のデータ)が含まれる案件ですと,結局は「手作業」が避け難くなって参ります.
今回件では傍観者を決め込んでいる私の手元にすら,数千件の「コンピュータ化される以前の登記簿謄本」がうず高く積もって,既に仕事場のスペースを圧迫してきています.

 

「歴史の(負の)遺産」と言えば,日本では従軍慰安婦の問題や,先年には商船会社が中国に船舶を差し押さえられた,といった事件などが印象に上りがちですが,本例のようにほぼ完全な「ドメスティック」の足元においても,斯様な問題は根深くあるという事を,お伝えしたいと思います.

ちなみに,在日米軍基地の底地については調査確認しておりません.論題の規模が手に余るので…

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