【報告】トライグループ様の提供する契約の適法性に関して意見を表明しお伝えしました

【三行概説】

・トライグループの業務委託契約に際して,筆者が適法性に疑義を持った

・当該契約成文の内容や諸法令及び所轄省庁通達・判例等を精査した上,確認及び必要に応じた改善提案をお伝えした

・トライグループ側としては真摯に御対応頂くとの回答を得た(イマココ)

 

【本編】

なんか中学入試対応が成業した事もあってか(?),筆者の所にも中学受験生指導のオファーが増えてきた訳です.

で,その中でも元々業界大手のトライグループ様ともご縁が有り,つきましては「形式的に研修を受けて下さい」という話になりまして:ちなみに,学生アルバイト向けではなく大人向け講師用です.

…と,その中で,「適性検査」と題したテストの設問中に,「指導時間中の休憩時間は給与計算に含めない。」という正誤判定項目がありまして;こんなもん,もし“正答”がその通りだったら労基法違反ですから,即本部に御確認直電です.

ところが,そうしますと担当者様は「確かにそれが正答と本部は判断認識しております.」との御回答.いやどう転んでもマズいだろ.

 

そこで,あらためて同社本丸の専門部署に繋いで頂いた結果,審議折り返し御連絡の回答としては「同様」との事で,そうしますと此方(筆者)は,既に調べ上げていた先例や当局通達,もとより法令条文,判例等に至るまで,リアルタイムで出来る限りの「設計やり直し」を手元に置いて「御提案」の僭越ターン着手開始となります.

上述のトライグループ様公式見解としては,「業務委託は労働契約ではないので『休憩』概念がそもそも存在しない」という立て付けです.そこで,コレが果たして本当に大丈夫なのか,という観点から話を進めます.

先ず有名周知の通り,そもそも「業務委託」という契約方式は,民法を始めとする諸法規の典型契約には存在しません.近そうなところで探してみると,せいぜい「請負」か「準委任」あたりが何とか使えそうです.そこで先ず,この2類型の原則から復習してみる.

「請負契約」とは,当該契約内容の「完成」を以って職務提供の完遂とする契約です.そうしますと,この場合そもそも例えば「毎週1回90分指導」のような指定は出来ない.なぜなら,そもそも「完成」すべき職務の目的が明示されていない上に,請負は元々当該「完成」(そしてその完成成果物の引き渡し)さえすれば良いのですから,それまでの間の方法手段は問わない訳です.勿論,その完成の為なら各分野の更なる特殊専門家に再請負させる事だって出来ますし,指導時間も回数も請け負った側が「完成」の為に計画策定して提供すれば良く,極端に言えばコネ入試を取り付けて合格内定を得ても完全勝利と言える訳です.

と,こう見てくると,「業務委託契約」の含意として「請負」は今一つ使いにくい気がします.そこで,今度は他方の「準委任」について考えてみましょう.

元々,民法に規定されている典型契約の題目は「委任」ですが,これはあくまで「法律行為を代理させる契約」の事です.通常の民事職務提供一般は,法的な意味での「法律行為」には該当しない場合の方が多い(それこそ例えば「教育職務提供」などは別段法律行為にまず該当しない)ので,民法原文に直接は無いものの,事実上確立している「準委任」契約を考える事となります.

この「(準)委任」が請負と決定的に異なるのは,「契約で定めた職務提供の完遂」を以って当該準委任契約の履行が満足されたと認められる点にあります.即ち,例えば「週1回90分指導」の準委任契約なら,当該「指導」の実態さえ提供していれば受任者は契約を履行完遂した事になる訳です.

…つまり,その指導の結果として成績が上がるかどうか,しかるべき入試に合格するかどうか,またそれどころか「そもそも指導を受けた生徒がその内容を理解したかどうか」さえも,本来的には何ら問われません.いやしかし,それってこと教育職においては,一体何の意味があるのでしょうか??

 

ここまで考えてくると,殊に教育業界に典型される人材紹介業において広汎に利用されている「業務委託契約」という代物が,いかにあやふやな存在であるか,と痛感されるのではないかと存じます.

それこそ,当該業務委託契約の受託者は,そもそもの基本契約書面を交わす前に,「これは請負ですか準委任ですか?いずれも不適当とお考えであればいっそ労働契約の方が使いやすいのではないかとも思料されますが,御社の公式御見解を遅滞なく御回答お願いします」と毎回確認した方が良いと思われます.

しかし少なくとも,筆者が存じる限りの各企業は,例えば「業務遂行の為の交通に際する安全は受託者の責任で行うこと」などと明記しており,これだと労働契約に該当する事は有り得ません.そうしますと結局,“結果さえ出せば経過は問答無用で手段を択ばない”「請負」か,“受任した契約の文言通り遂行するけど結果責任は問われない”「準委任」か,という話に出戻りとなります.ちなみに,本稿では詳述しませんでしたが,「派遣」契約の場合にはそもそもに「労働」契約が前提として付随します.

「業務委託」を発注している各企業総員におかれましては,「結果は出すけど何でもアリ」の請負または「文言通りに仕事はするが結果責任の保証は無い」準委任で果たしていいのか,もしくは労働契約として締結して保険等労働諸法規上の責任リスクコストを企業サイドで負う事とするのか,明確に定めて頂きたく求めるばかりであります.

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千葉県大網白里市の土地を売ります

身内で空き土地が出ましたので,自己物件として売り出します.概要は下記の通りです:

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所在・地番  千葉県大網白里市上谷新田

地 目      雑種地1(≒税務取扱上「宅地」に原則同じ)/登記上「山林」

現 況      更地

土地面積    190.00平方メートル(分譲時点公簿測量面積)

権利関係    所有権(単独名義所有)

価 額      100万円(即決)/固定資産税評価額以下/指値応相談

その他      本人取引の為手数料不要,登記手続も行いますので司法書士代も不要

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ご連絡・お問い合わせは,

nlimeblizzam[at]gmail.com

まで,タイトルを「千葉県大網白里市の土地について」としてお送り下さい.

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コグニティブリーダーシップの世界初専門家認証を受けました

詳細はリンク先の通りです:

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=693748509426086&id=100063728302315

ルー・タイス並びに永年パートナー指名者苫米地英人博士署名.

またあわせて,今般当方は世界初の指導者資格をも認証されております旨,取り急ぎお知らせ申し上げます.

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同期空前の天才の成書が出ていました

フルゴーリヒデヒコ

この地球のどこかでいつかまた VOL.1: 今を生きる全ての人に捧げる愛と笑いとちょっとの涙 – 異国の旅のものがたり –

これです.少し前の話になりますが.

 

彼はマジで史上空前の人物であり,同期で「天才」と言ったら彼の事でした.出身中学校において,小学校が異なる中で傑出した存在として爾後に判明しているのも彼だけです.更に,この中学同期から旧帝国大学に進学したのは彼と私の2人限りです(ちなみに小学校同期では,後の防衛大首席=世界代表の他にも早慶6人までは輩出しましたが旧帝には届かず,筑波と横国が現役1人ずつ居るにとどまっています).なお私は「天災」の方です.GeniusとDisaster程度の違いがあります.

中学校在籍当時,私は彼を「母校体育祭文化を破壊する道を切り拓いた」として猛烈に批判していましたが,しかし往時それより上が居たかと言えば,今にして思うと恐らく居なかった.応援合戦で彼が率いた赤連合は3隊中3位でしたが,それでも合計1500点を分け合う結果評点(教員投票)では400点台半ばに達し,2位の生徒会長率いる白連合は500点台につけており,首位を獲った(お陰で逆転優勝を果たした)我らが青連合も何とか550点未満とかそのくらいだったはずです.「史上最も差が付かなかった応援合戦ではないか」とその時に言われていました.綱引きと棒倒しも全勝でしたしね.今でも一体どうやって赤連合をdefeatしたのか分からん.白連合に僅差で勝った理由は分析されてましたが.

 

それで同じ高校に進学して(まぁ私が第一志望落ちたからな…)最初のクラスで同中学から唯一私と同じクラスになって,「爆弾を引いた」として周囲からさんざん言われるのみならず本人も頭を抱えていましたが(ただし「ファーストネームで呼んでも許される特権を持っている」として高校同期からは畏れられた模様:知人各位は御存知の通り,私は指定呼称に従わなければ原則「初動斬殺」しますので),その後東北大へ行ったと聞いていたら4年後に国際学会発表までしておきながら(検索してみたところ学部時点で名前が出てきました)大学院には進学しなかった事を翌月の地元電車内で偶然会って知り,

そこからまた●十年経って今年初めに会ったら「バイクで世界一周(ただし実際には途中でCOVID-19流行の影響で一時帰国させられたとの事)してきた」という.一体どうやったらそんなん思いつくの.

ゲーマー各分野全国ランカー達や中学の理科首席をも輩出していたあの家族みたいな規模の小学校(彼の出身校の方)もたいがい謎でしたが,全力疾走を続けている鬼神という意味ではそれでも彼くらいだと思います.

 

こういう事もあるから「地元公立中学校」は恐ろしいとつくづく思います.私は職責を経て現行教育課程を研究した上で「中高一貫でないと勝ち目は無い」と見て中学受験肯定論者になっておりますが,それにしたってこんなのは灘とか筑駒とかでもなければそうそう居ない.小学校同期のトップは桜蔭でしたが東大入試で負けて慶應義塾(それも文学部)に流れており,一方で私は理一の変人(無論優秀は大前提)頂点と戦って決勝で筑駒のトップを倒しましたが,その相手曰く「キミの出身高校はうち(筑駒)の同期よりはトンドル」と評されたところ,「えっ,私の高校は中学よりは大人しかったと言われてましたけど」という話で,何でかって言ったらそりゃ中学の同期にはそんなのも居たからですよ.

本当によく生き残れたな私.ゾンビですけど.

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だから国語と算数マトモにやってくれと何度でも言う

灘・井上教諭 受験勉強に慣れ過ぎた頭を解きほぐす一冊

https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/082900123/040900010/?fbclid=IwAR1xzBD6a9jk_wuk-xx2o_e3wVox1AGVIuCimRsUKXP7-YRUoUo2iZu3Soo

そりゃ灘だから出来る向きも;実際問題として,より多くの日本人は先ず大学受験勉強で「『次の文章を読んで、』後の問いに答えよ。」と言う形で,「本文が正しい前提」で理詰めの読解演習を通らないと使い物にならない罠.

尤も本来は「そんなのもっと早々にやり尽くしとけよ」とは思いますけれども…

;本音は,先ず上述の現行大学入試レベル相当までを早々に勘づいした上で,更にその上で「いやこの文章内容自体がそもそも間違ってるのでは」に取り組む段階の学修をも経なければ,現代人としてはまず話にならない.

ですが,実際にはそんな「どうしようもない人」が未だ相当世間にすっ転がっているので,仕方ないから「先ず読解で足切りを掛けた上で,更に記述と口頭試問で適性すくい上げ」をやっておる訳です.それこそ,参政権要件に「長文読解+小論文試験合格」くらい掛けた方がいいのかもしれませんが.

 

何度でも言いますが,だから先ず「読み書き算盤」をマトモに出来るように成りなさいと.無論,体育とか音楽とか美術とか理科とか社会(小学校初年級生活科)の素養とか家庭科とか並行していつやるのか,って話にはなるでしょうが,それにしたって現行課程ですらなお「全然足りてないやんけ」が目につく経験には事欠かず,そんなんだったらそれこそ筆者が文部科学省を乗っ取って教育課程を作り直す事に手出しする羽目に陥る懸念も決して否めません.

が,実際にもし筆者が文部科学大臣になったら,同時に並行して先ず小学2年までにDQ3(最後の最後で行列の一次変換=複素数平面上の積による回転が出てくる),小学4年までにFF3(最後の最後でディラックの海が出てくる)を即必修とします.

…そんなヌルい事でいいの?それですら全然足りてないんじゃないですか???

って,筆者はこの話を高校生になった頃には既に始めていたはずなのですが,どうにも未だそれよりマシな状況になっているとは見受けられません.

コレがあるから,旧課程(現高卒〜)が出来る際に高校数学から「行列」が押し出される事になった際,筆者も文科省の担当官を呼び出した日本数学会総会の末席に駆け付けてボロクソに異議を唱えておったのですが(結局現課程で戻されましたが,まさに字面通り「10年が失われ」ました…),しかし更にその手前(2006年高校卒業=2003年入学生:大学入試初動が第一次安倍内閣の頃=制度を決めたのは小渕内閣時の遠山プランより前くらいかと)で一旦は史上最強になっていたはずの高1「集合と論理」はヌルく戻された(=筆者の現役時)まま,未だに復活していません.

あんなの知らなきゃ自分で気付くとかおよそ無理ですよ…憲法26条「教育を受ける権利」は国が保障しているんですよね!?東大で数学指導してた程度のやつ(筆者)の実感としてコレですよ??

 

日本国民の皆さんは,どうかくれぐれも私みたいな元RPG世界ランカー如きにうっかり文部科学行政を触らせる必要がない内に,もっとマシな仕事をして頂きたく,重ねて強くお願い申し上げます.

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4月18日 #Facebook 配信「#Tsunoiチャンネル」に出演します(#YouTube アーカイブ有) #コーチング #拡散希望 #視聴者特典有

同門の角井コーチによりお膳立て頂戴しまして,表題の通り,4/18(火)20時からFacebookにてリアルタイム配信が行われる「Tsunoiチャンネル」に対談ゲストとして参加させて頂く事となりました:

当日の詳細はシェア元 https://www.facebook.com/masako.tsunoi.5/posts/pfbid0TNjNJguSjvSCXAUKS2taYeqwGyiijWTsrCeCbqKAjMuJUTwr1FWPH7u599C2vfvwl の角井コーチのタイムラインで御案内頂きますので,ぜひ御視聴頂ければ幸いです.(ちなみに,リアルタイム以外でもYouTubeアーカイブにおいて「視聴者特典」が一部or全部?有効となります.)

また,「視聴者限定特典」も提供致しますので,実はしれっと大変美味しい内容となっています…!!

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そのうち都内某所に私塾が出来るかもしれないそうですよ

元記事はこちら:
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=630139979120273&id=100063728302315
 

【今日のスコトーマ】

親族の住んでいた家が空き家になった.
都内でそこそこのターミナル駅近立地なので,せっかくだから私塾でも作ってやろうかと思ったが,現地自体はおおよそ住宅街みたいなもんなので,果たして一体誰がどこからクライアントとして来るのか.
最寄駅の反対側には,知る人ぞ知る名門校が立地しているが.そちらは駅から更に徒歩15分も向こう側だ.
看板だけ出しても開店休業状態だったりしたら,別に自分が「留守番」している意味もない.

 

…そう思っていたところ,実はほんの3軒隣に学校が建っている,という事を唐突に思い出した.
当宅に駅から歩いて来る際に毎度真横を通って見ているはずなのに,その存在すら失念していた.
ここの生徒に,何がしか提供してあげれば,それだけで何百人もがクライアントの対象になる.そうなったら到底,一軒家に入るような人数規模ではない.付近一帯の土地を買収して「道場」形式にでもしようか.

 

こちらが「提供」する内容は単純明快だ.「将来」ならなんでも提供する.受験勉強でもいいし,彼氏の選び方でもいい.なんなら,親が老人ホームに入った後の自分の生活の話だって相談に乗れる.

 

そんな訳で,そのうち都内某所で個人塾が開くと思う.ちなみに,渋谷まで15分という好アクセスでもあるので,色々と「連携」した活動なども可能性としては期待出来る.
次の「20年」は,そんな使い方をもしてみてもいいかな,とふと思った次第である.

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#内山流棒手裏剣 二代目当主を継承しました(2023/01/23付法定相続発生,同1/28付継承声明発表.)

内山流棒手裏剣
内山流棒手裏剣(※写真上側の「二重棒手裏剣」が筆者,他方は従兄弟による).

表題の通り,先代(=宗家)召天に際し,内山流棒手裏剣の二代目当主を,従兄弟と並立双方代表として継承致しました(既に拙公式Twitter @KazmiBlizzam にて公表済の通りです).

つきましては下記リンク先の通り,当方の公式プロフィールにおきましても,当該内容を追記しました(「師事した人」項目の末尾に記載):

http://wp.me/P6S43T-2

 

以上,遅蒔きながらあらためてこちらでも声明致します.

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数学の何が強いか,とその限界についての私論【※後段にブリザムの重大発表告知有り:⇒数学者と物理学者各位は総員必読願います】

実は,拙実母が宗教を本気で信じておる模様でして,「これはダメだ」と思って必死の思いで差し当たり脱洗脳(※「本業」の一です;これまで公にはあまり言って来なかったのですが…)試行を頑張っておったところ,妹から「貴兄は理詰め教を採るのならそうかもしれないけれども」などと仲裁(?)が入ったので,念のためあらためて言明しておきます:

 

数学(あるいは「論理」)は,唯一の「何も信じなくても,原理に則って(つまり『矛盾を生じないように』との限りで)それこそ自由に動かしていく限りでは,なぜかしらんけど結果として何がしかの『塔』が立つ」方法技術です.コレを実際にやった事がある経験者が果たしてどれだけ居るかあやしいので,敢えて是非試してみて欲しいのですが,数学の証明問題(論証)は「ウソだと思っていても結果が成り立ってしまう」のです.(これを「実験」する為には,高校数学の入門程度か,あるいは少なくとも中学数学課程の中から「それ相応に意味がある程度の例題」をもってくる必要があるかと思われます.)

典型例としては「√2が無理数である事の証明」あたりが有名で,コレを一見「完遂出来る」(論述して試験で満点が貰える程度に)高校生でも,その内訳を「一体何なのか体得している」人は,恐らくむしろ少ない程度なのではないでしょうか.

 

斯様な構図は「理学部は役に立たないvs工学部は頭悪い」という往年の戦史(苦笑)にもバッチリ現れていて(もし知らない人は,高校物理教科書を見て,太字で「電場(電界)」と書いてあるあたりでイロイロと察して(‘A`)してみて下さい),およそ物理空間で実装(implementation)をするには「どっかの段階で納得して爾後『もういい』事にする」段階を経ないと,まず無理な訳です;

しかしそこを「俺は納得いかない」として踏み止まって,毎ターン(いわゆる「一行一言一字一句」に至るまで)「コレは本当か?」と疑ってかかり続けると,要は結局「いつまで経っても終わらない」事になります.

ちなみに,この話を,医師であった亡祖父の健勝中(開業時代)に「医者とかエンジニアというのは,『ある意味で』バカでないと成れない」と筆者が大学院生時代に言ってみたところ,「なるほどそうか,学者の観点ではそういう事になるのか(?)」と一旦呑まれた後,数週間後に再び祖父の元を訪れた際に「君がこの間言っていた事を俺なりに考えてみたが,なるほど確かに医者はバカでないと務まらん,と俺なりに思った」と唐突に返されてきて,「あぁコイツ(祖父)はマジで頭いいな(※彼は大学卒業時に成績7位で,院進研究者ルートを教授から薦められたが,入学金30万円が払えないからと断って開業医になった,と伝え聞いております)」と思った事を憶えております.私は「世継ぎ」として育てられたはずだったのですが,この一言を以て「医院継承コースを蹴って学者ルートを選んだ」事を許された,と今でも思っておる次第です.

 

ところが,コイツ(「理詰め」の鬼であるザ・理学部「本当に何の役にも立たない」クォリティ)が何より恐ろしいのは,マジで「信じていなくても成り立ってしまう」謎の事例がざくざく出てくる点にこそあります.

それこそ例えば,小平邦彦先生の随筆(文庫版2冊…のどこか)でも典型が述べられている通り,「試しに具体的な数字を取って計算してみたら,直感に反してなぜかどれもこれも成り立ってしまった.そこで一般論としての『証明』をやってみたら,これがまた不思議な事に,一般に等式が成り立つという定理が,よもやまさか遂に証明されてしまった」などという話もあって,当時世界で史上最強の数学者(※フィールズ賞受賞)が「そんなバカな」と言っていた以上に,数学はおよそ「そんなバカな」ですら「結果」は出てしまう,という事例が,実際本当にそこら辺じゅうでざっくざっく出てきてしまうのです.高校数学を大学受験勉強レベルまでマトモにやった事のある方であれば,経験的にも御存知でしょう.

 

そして,数学者は斯様な「直感に反する命題をウソだと思って全力で一壁一壁ボッコボッコに殴り倒して更地にしていって,結果『謎の』定理を掘り出してしまう」という仕事を,人生丸ごとぶっ込んで常にやっておる訳です.

実際例えば,河東泰之先生のホームページにも書かれている通り,大学院生(以降)は数学のセミナーに出席したら,どんな屁理屈でもいいから何がしか必ずデッチ上げてでも「質問」をしなければなりません.同席していても発言が何も無いのなら,そもそも存在する意味が無いからです:うっかり黙っていたりすると,「キミ,次回から来なくていいよ∵要らないから」と通告されて,爾後同門総員から存在(在籍)自体がゴミクズ(物理的に空間を占有侵襲している分だけ「邪魔」すなわち「害悪」となってしまう訳なので…)扱いとなって,まさに文字通り「箒で払われて」終わりです.

しかも,ここで言っている「質問」の意味もまた極めてシビアであり,セミナーの発表者は当該定理を「既に先行してさんざん更地になるまで理詰めの疑義をぶつけ続け尽くした挙句に証明してしまった」上で持ってきて発表している以上,そこへ「質問」の形で疑義(※「同意賛成」だったらそもそも何も言わなくていい訳ですから…そして自分は居る意味が無い事になります:上述)をぶつけるというのは,要するに「ハイ嘘ー,お前は死ねばいいのに」と全身全霊で斬り込む事に他なりません.

ここで,一見してもし「後段はさすがにエグ過ぎるのでは」と思った外野素人様方各位におかれましては,せめて高校の算数からやり直して頂く事を,心の底から強く推奨申し上げます:∵「論理(理詰め)がどこかしら間違っている」という事は,当該「定理(=何がしか理詰めの結果)」とは全くのウソであり,即ち存在自体に意味が無いというかゴミクズである事に他ならないからです.従いましては,後進がうっかりつまづいたりして時間をムダにしない為にも,丁重に「殺し切って更地に戻しておいてあげる」までもが,数学者の「本務」の範疇である,という帰結(これ自体もまたあくまで「理詰め」の結果論!)になります.

そしてつまり,数学における発表者の「勝利条件」というのは,結局「未来永劫いずこからも刺し殺されない」ように,予め自分で慎重に慎重を重ねて「どこか間違ってないかどこか間違ってないか」と,まさに字面通り必死で「一行一言一字一句」を理詰めで「石橋を叩き壊し続けた」挙句の果てに,結論として「何がしか残った」代物を,ようやく「持っていく」という形になる訳です.尚,ここで「なぜだか分からないのだが成り立つ(成り立ってしまう)」事は全然構わない,というのは前述の通りです.

 

そして,この期に及んで数学者にとって「最後の敵」となるのが「物理学」です.理論物理学(理物)というのは,
「『この世』の存在だけは信じている」(※少なくとも『追加で最低1個』の要件を加えた形として.
ちなみに,理物はしばしば斯様な事を『公理を1個加える』といった説明で言います;なお当該『公理(系)』という言葉自体は,別段「宗教」に限らないので,数学とも一般論としては共通用語で通用します)
という点において,本当に最後の一線(=存在:existence)を死守している,という意味で「究極の宗教」であります.数学はそもそも別段,この世の存在なんぞを仮定しなくとも「成り立ってしまう」ザ・ワールド(「世界」)を完全に「理詰め」だけで構築し切っているので,各位どうぞ御自身で一行一言一字一句論理的に矛盾が無い事を確認(=疑う事)してもらった上で,それでもなお「死なずに生き残った」定理は,未来永劫どころかこの世ですらなくとも,結果が変わる事はありません:「成り立ってしまう」のです.

ですから数学と理物は,もっと外野さん方からすれば「理学部枠」で括られて一緒くたにされていたりもして,実際一緒に共同研究をして成果を出して発表したりもしているのですが,「根底」のところで本当に仲が悪い.「この世の存在」なる代物を信用しているとか言う時点で,もう既に宗教な訳です.

かく言う筆者も,理物組を「現世厨」などと指差して,本名(自分から先ず全裸になって全世界公開⊃責任明示先行)vs本名(現世厨…の中でも特にデキるやつ)を勝手に上げつらって名指しして見下して,大学学部在籍時代以来,さんざん理物と戦って火柱で斬り殺し合ってきております.

 

ところが,今般,実は重大な事実問題が(今更)発見されました;…というか,平常用語で言うならさしずめ「今更気付きました」.

どういう事かと申しますと,筆者は一応数学(あくまで「純粋に」論理)のつもりで「計算」を続けてきていたのですが,昨年末日(西暦2022/12/31)夜~今年元旦朝09時頃まで,実は「寒過ぎて計算が捗らない」状態が続いていたのです:∴要するに「エネルギー切れ」です…実は,計算に際しては「エネルギーコスト(※物理)が掛かる」という事だったのです.

そんな事情でしたので,筆者は数学者として直近「物理(学的理由)に敗北」しました.
∴ですから,今回当記事は,実は,筆者ブリザム(Blizzam:Kazmi BLIZZAM-Takebe,武部一美ブリザム)の「公開土下座」全世界公開プレスリリース,という事になります:今ようやく公言申しました.土下座.m[_ _]m ←※固ーく土下座申しております><★☆

更にもう一言「分かる人には分かる」申し草で付言しておきますと,要は「筆者ブリザムは『現世厨』に戻りますよ」との意であります.
「戻る」ってなんぞ,と思われる方も少なからずあるかもしれませんが,実は筆者は元々本来は理論物理学者として人生世界を丸ごと全部捧げる覚悟からスタートしていました(高校時代以来).
この話は長くなるので今般は一旦具体詳細については全部割愛申しますけれども,これを言い始めると,前述の「(後に筆者が『数学』サイドのポジションを採って以来)斬りまくった理物屋どもの相手総員」に対して,「すいませんでした(私が間違ってました)」と言う事になる訳です.

 

…という訳で,本件は一見してあくまで「個人の一体験例」の話と映るのではないかと思料されますが,実は「『純粋数学』なる理念信条(?)は,こと『現世』においては『純粋単品』では保ちませんでしたよ」,との「実験結果報告」でございます.長年にわたり,本当に申し訳ございませんでした.

※なお,これは別段「数学者を辞めて理物に『改宗』した」という程の話でもなく,むしろ(少なくとも当面の見込みとしては)必要に応じて数学と理物の界隈をうろうろしている感じになるのかな,などと思っております.
…と言いながら,実際にやろうとしている事は「現世宇宙生命物質理論科学(<⊂更に風呂敷としては『ペンローズ図⊃ホワイトホール』あたりまで見ております;現段階では理詰めの精度が未だ妄想レベルの分野方面ではありますが…)」だったりする次第ですけれども(未発表;爾後随時書き上げていきたい意向です.ちなみに「大局観(ある意味Abstruct的な)」については,既に差し当たりFacebookやTwitterや個別DMあたりに書き付けたり,あるいは『寒くて指すら動かない』間の分に関しては『音声録音』記録なども保存してあります⇒いずれ出来るだけ早く文書化する意向で).

 

以上,「[前]数学者」であったブリザムは,理論物理学に帰ってまいりました.取り急ぎ御報告までに.
尚,もし出来れば是非,世界広汎に至るまで回覧拡散にも御協力頂けましたら,更に幸いでございます.誠に恐れ入ります.

■(「証終」風味;一応今般の「最後」に,数学者であった匂いを残しておきたく候―笑.)

 

ブリザム
【連絡先】
nlimeblizzam[at]gmail.com
他,Facebook(含Messenger),Twitter,フォートトーク(※推奨),等の「公式」アカウント各随時.

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日本の高校課程と数学と物理学と学位と教養と座学と体験,及びそれらに基づく「世界を認識する事」についての雑感

その昔,未だ「ライトノベル」という言葉が出来るより前(前世紀終盤頃〜)にラノベを数百冊ほど読んでいた事があるのですが,その中で(自分でも書いてみたりしておりました…★)結局「妄想世界を作るに際して,『それっぽい』整合性を保ちながらいかに大きな世界観を構成出来るか」と考えていくと,結局理論物理学という「現物」に辿り着く,という事を認識して,理物志望を始めた思い出があります(ちなみにこの論は,後に同期の物理専攻者と話して「見解の一致」を得ています).

そして,実際には結局数学へ進んだ訳ですが(理物の準備知識としての数学が必要と思って始めたらやり込み過ぎて,他のルートに行きようがなくなってしまった,という一面もありまして…苦笑),結果的に得られた知見として,「数学なら『この世の物理とは異なる宇宙』をも理詰めで作れる」という事が分かり,「両方やって良かった」と思いました.
それゆえ,後になって師匠・苫米地英人博士の成書に「先ず数学と物理は全員必修」と述べられていたのを読んだ際には,自身の体験をふまえて即「満額同意」と直観し,かつ「あぁやはり自分の考えは(少なくとも大局方向性としては)合っていたんだ」と,いわゆる「答え合わせ」が出来て嬉しく思ったものです.

先に拙Twitterアカウント@KazmiBlizzam上でも触れていましたが,斯様に「日本の高校課程の内容を全部マスターすれば,それだけでも相当な事が出来る」という事にはおよそ間違い無いと存じます(従前から持論として度々主張してきた通りですが).
但し一方では,こと現代の世界において,高校レベルを遥かに超える「リテラシー」の必要性を全方位的に考えていくと,やはりこれも師匠言の通り「結局,現代人の素養としては先ず博士程度の学修は必要」との結論に合流する感もまた必然的です.
筆者は幸いにして,旧教養部(1991年に当時文部省が「解体」を指示)が敢えて残されていた数少ない国内大学に進学しており,更に言えば,同期共がおよそ大学に入ってまで「点取り合戦」(大義名分としては一応「進路選択の優先順位を得る為」ですが,実際には恐らくまず以て「受験勉強の癖の延長という『現状維持』」に他ならないでしょう…現代の後輩達においてすら尚.)に明け暮れているさまを横目に,自分の進路志望(大学入学時点では既に「数学」と決めていました)とは一見特段関係の無い各分野の成書を,片っ端から渉猟していました.それこそ全盛期には,「月間20冊,年間200冊超え完読」(完読以外の一部読んだ本も含めればその倍くらい)を約8年間ほど続けていたと記憶しています.御蔭で,専門特化も度合としてはイマイチな人材に仕上がりましたが(※尤も「未だ世に出ていない独自の構想」も実は今なお複数持っています;更に,その一部は敢えて「実験」として別名義で成書を市販までしていたりもします…),他方では「ザ・教養」の水準としては,少なくとも然程頻繁に文句をつけられる事のない程度には届いておるものと自認しております.…尤も,あくまで「生涯学習」は世界の進展に伴って必要でしょうし,また何せ座学を多くやってきたので「次は体感」という向きはまだまだ尽きないですけれども.

 

斯くも「この世に在る事」とは先ず「世界を認識する事」なのかなぁ,と今にして思います.私感としてはまだまだ「一里塚」すら見えていないという向きもありますけれども(しかし,コーチング理論の原則からすれば「ゴールを達成したら死んでしまう」ので,当該一里塚が見えたら即二里塚を求める事になりますが!),そろそろ一度は「世界が観えてきた」感覚を持ってみたくなります;そして無論,その瞬間に「次の一歩」を踏み出して「不安を感じる」事を目指す訳です(成書「オーセンティック・コーチング」参照.…なお,いわゆる「ダニング・クルーガー効果」にも注意).実は直近,別途の某〆切が気になって不安を感じておるのですが(それは意味が違う!!笑),他方ではまた偶然の幸いにして,私自身が今までやってこなかった「ほとんど全くの異分野」において,活動の中枢の一角を担う役割を頂いていたりもします(現時点では具体的内容は未公開).正直,不安云々以前に「そもそも自分に一体何が務まるのか」としか未だ思わない有様なのですが,ここで何がしかやったら,それこそ「バランスホイールの本数が増える」世界が見える事と思料されるので,その意味では大変楽しみでもあります.

 

非常にざっくり言えば,筆者は先ず約20年間を「ゲーマー」として進んできて,また約20年間(実際は今年で「職務」としては25年目となります)を「教育」につぎ込んできました.そうすると,これから先もおおよそ20年間毎に新たな分野に人生を使っていくとするなら,例えば生涯120年と思うと,6分野くらいは「相応の達成」に至る事が出来る皮算用になります.
更に,脳・神経系統以外を「フルサイボーグ」に換えられるなら,現在の科学知見においては「おおよそ200年程度までは生きられる」とされている訳ですから,それこそ“Google(「データベース+計算マシーン」)に魂を売り渡して生涯を閉じる”までには,10個くらいは何がしかを「成す」事になるはずです.

日本で現在大学学部生相当程度の人たちは,サイボーグになるまでもなく22世紀を見る事になる可能性が高いでしょう.私もせめてその頃くらいまでは世界を見たいと思っています.
22世紀になって,「教育」はどうなっているのか,直近着手を始めた新分野(上述)とは何として位置付けられるのか,あるいは今抱えている「独自の構想(妄想)」(※複数あります)は果たしてどのような進展を遂げていくのか.野望は尽きる事がありません.
もしかすると,読者諸氏には一見「強欲」と感じられるかもしれませんが,そもそも生命は「生きる事」に対してはおよそ全面的に強欲なものです.そうしますと,我々はわざわざ無理に欲望を煽らなくとも,勝手に強欲が湧き続けてきます.そして,その「自分の強欲」が世界を覆い尽くしたとき,そこから「自我」を引っこ抜いてみると,初めて本当の意味で「世界の姿」が観えてくるはずです.皆さんももしよろしければ,22世紀の世界を観る際にご一緒しませんか.

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