受験生の精神的プレッシャーの一因となっている「周囲」の立場は果たして幸せか(募集告知有・下記)

前回記事http://wp.me/p6S43T-8hでは,受験生のメンタル面に過大な負荷が掛かる構造の一因として,

多くの事例では,一見して,受験生(学習者)本人の主体的な意向に必ずしもとどまらず,家庭・学校環境からの影響もが,相当な「精神的圧力」として効いてしまっている

と,あっさり言及だけしていました.

ここで「アレ?」とお気付きの読者も少なくなかったのではないかと思いますが,決して筆者は藪蛇だから此の論に深入りを避けた訳ではなく,詳述すると長くなるので,一旦稿を分けた,というのが本音です.

「周囲の環境からの影響が,受験生当事者にとって精神的に過負荷を与える原因となっている」などと言うと,あたかもその周囲外部環境=それを構成している親族や学校等の構成員が悪い(帰責すべき),と述べているかの如く思われるかもしれません.

#実際「あぁ居るよね,そういう周囲の『本当の敵』って生徒本人のすぐ近くに…」などと思い当る同業者は,今一瞬その認識を飲み込んで,反省を込めて以下もお読み頂ければと存じます.

 

ところが,実はその「外部環境」側の人自体も,必ずしも精神的に楽そうではない…と言うより,むしろ保護者の方らも精神的に追い詰められている状況が,珍しくない程度にしばしば見受けられます.

比較的単純な構図としては,例えば「父方が医者の家柄で,生徒の母親が義実家への面目を気にしながら生徒本人に当たっている」といったケースなどで,率直に言えばこういう場合は全然マシな方です;なぜなら,この場合には生徒がその目先の大学入試なりに合格しさえすれば「万事解決」に至る事が出来てしまうからです.

これがもし,それこそ「自分は東大に行けなかった親なり教師なりが,名門進学校から医師や弁護士ルートを目指して(させて)鼓舞する」などという状態に陥っていると,遥かに厄介な「因縁の事案」と見て取らざるを得ません:
これも前回記事であっさり書いておいた,「貴方の人生は一体何のためにあるのですか」という指導者のセリフは,実際には斯様な場面で登場を迎える事となります.

以下説明は割愛しますが,こうした(本来は不要な)現象・観測事象から「地続き」の方向性の一極として,コーチング用語で言うところの「ドリームキラー」が思い起こされます.PX2は生徒本人もさる事ながら,保護者・教育者(学校教諭,他)へ向けてはなお早急な必修化が望まれるのではないか,とさえ思います.

 

◆以下募集告知◆

そんな訳で,筆者の問題意識に対する「解決」算段の展望は,教育関係当事者一同がPX2を受講されれば果たされる向きも大いにあるかとは思うのですが,以下に保護者等「受験生徒本人以外」の近縁者向けメンタルサポートプログラム提供を告知します:

■「受験生・学習者の『周囲関係者』メンタルサポートプログラム」要項
●対象とするクライアントは受験生本人以外の方で,本人に近い保護者・親族の方,教育指導者(学校,塾担当講師,等).
なお,受験生本人をクライアントとする場合については,前回記事http://wp.me/p6S43T-8hを御覧下さい.
●対価は1回10万円,面談等本編について標準2時間以内.またこの際,もし付随して生徒本人への対応が必要になった場合,当方は提供職務の責任範囲内でその生徒本人への対応をも行う事が出来ます.

こちらは,受験生(若年学習者)向けとは幾分異なって,本当に字面通り「メンタルサポート」が主体となります.理由は単に,受験勉強のような「露骨で直結的な技術で解決する」側面が薄いからです.

とは言え,元来パーソナルコーチングは「マインド(脳と心)の使い方の技術」を習得する体系ですから,その意味では今回告知のプログラムも「技術的に解決出来る」事の一環,と述べる事は出来るかと存じます.
また,本件は主として若年者向けの教育プログラムとして,価額その他の職務提供要件を大幅に優遇していますので,御依頼の際には「関係者」としての立場を明記して頂く事を求めます.どうぞ御承知下さいませ.

 

御依頼・お問い合わせは:
●お名前
●ご住所(郵便が届くもの)
●教育関係者としての身分・立場(学校・教育機関名・生徒学年等,出来る限り具体的に)
●当方に希望する相談等の内容(現時点で書ける事があれば)
を明記の上,eメールにて nlimeblizzam【at】hotmail.com までお送り下さい.

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受験生向けメンタルサポートを提供します(告知下記)

ふと教育関連の検索キーワードから大学受験市場界隈を眺めていたら,「受験 精神的にきつい」「受験 メンタル 弱い」「受験生 精神崩壊」といったサジェストが並んでいて,あらためて「ホントに21世紀サイバーテクノロジー全盛の今現在ですか」と思わずには居られませんでした.
…斯様に,教育業界には(根源的にはおそらく公教育からして)遅々としている感を否めない側面があると思っておるのですが,今回は「実践的な対策」に特化して述べたく存じます.

上述のような実態がある一方で,近年では「メンタルトレーナー」と称される類の職種も結構確立してきていると見えて,多くの業界著名人やシステム・カリキュラムが盛況の模様です.
とはいえ,こちらの対象クライアントは(一見して御察しの通り?)主にアスリートのような「いかにも」な属性の人達が主眼となっており,「難関受験生対応」を謳っている事例・実績も珍しくないものの,紹介されている体験記を観ると,司法試験や公務員試験がしばしば混ざっていたりします.良く言えば「汎用性の有る技術」と主張したい訳でしょうか.

 

と,以上の通り,既存の産業を概観してみたのですが,こと大学入試(〜あるいは大学院)までの課程においては,試験対策として,本来はもっとテクニカル(技術的)な対策が有効となるはずではないか,と思われます.なぜなら,推薦入試やAO入試の割合が相当増大した現在でさえ,「受験勉強」の多くが本来目標とする対象の多くはいわゆる「座学」,筆記試験であって(この論は例えば,調査書の評定・内申点に直結する学校の定期テスト等をも含めて通用するものと考えます),即ち換言すれば,大学受験生や高校受験生が取り組んでいる事の大半は,あくまで「知識的技術の精度を選抜形式において競う」代物に他ならないからです.

…「技術の精度」を高める主体的な取り組みにおいて,メンタル面でそこまできついとか,精神崩壊などといったキーワードが見えてくる,というのは,一体どういう状況でしょう??

 

しかし他方で,実践現場上の結果においては,筆者の歴代の教え子の中にさえ,大まかに言って「入試本番まで精神がもたなかった」と見られる事例は複数あります.
典型的な流れとしては:目標としている入試本番直前〜開幕後(大学入試なら受験年度の1月以降)までは定例の指導対応を行っていて,2月に入ってから日程キャンセルや更には応答返信連絡が来なくなったりと「異常事態」が発生し,大抵はそのまま連絡が途絶える事となります(未払金等が有る場合には保護者の方経由で後日振込等対応が行われる形になる場合が多い).
筆者の場合,事前段階から「受験者本人の精神内面的リスク」をも目測しつつ,出来るだけカバー安全策をも含めた指導を提供している事もあって,さすがに斯様な「事態」が指導者の所為(のみ)とは思い難いものがあります.
また,受験産業の識者やエージェント等の各方面とも連絡を取り合い情報交換してみている限りでも,「確かにそういう実際例は有る」けれども,なお更に「抜本的な解決策が奏功するとは限らない」程度である,との旨は,やはり結局共通認識として挙がってきます.

 

「原因」の一端は,実はおおよそ察せられています:多くの事例では,一見して,受験生(学習者)本人の主体的な意向(※上述)に必ずしもとどまらず,家庭・学校環境からの影響もが,相当な「精神的圧力」として効いてしまっている…という構図です.

とは言え,これすらも受験者にとっては「本来不要な因子」に他なりません.
筆者は教育職歴において長らく一貫して,「大逆転」の成果を挙げる秘策とは「先ず8割の不要な取り組みをやめさせる事だ」と公言してきていますが,本件のような精神的プレッシャー・メンタルダメージの類に至っては「取り組み」ですら無く,素人相手ですらも「貴方の人生は何のためにあるのですか」と確認質問をしてしまいかねない程です.

 

◆告知◆

以上の事情をもふまえて:受験生(主に大学入試・高校入試を想定)・またその他の若年学習者向けに,従前からの学習指導に加えて「メンタルサポート・ケア」を提供します.

「受験メンタルサポーター」と称して,あくまで「トレーナー」と言わないのは,筆者がここで特に,「メンタル(心)『鍛える』という事に意義をおかない」認識を強調して表明し,またクライアントにもその点を承知しておいて頂きたいからです.

対価は通常の学習指導(参考:http://wp.me/P6S43T-2R)と同様,1単位5万円で指導対応時間本編は2時間以内,初回相談も同様,とします.
ただし,クライアントの目的と必要に応じて,当人以外の重要な関係者・環境についても職務提供の範疇に含む事となる場合があります.

要するに,受験指導その他の学習指導の際に「メンタルサポートを重視して下さい」と御依頼頂いた場合と結果的には同様なのですが,記事冒頭の通り,殊に需要があると見えましたので,新たに記事を書き起こさせて頂きました.

また,「直前期で追い込みが辛い」等の御相談もお受けします.「無茶を成業させる」仕事は多く引き受けてきましたので,御連絡の際「希望する指導内容」に出来るだけロコツに書いて頂ければ(対応しやすくなるので)幸いです.

 

御依頼・お問い合わせは:
●お名前
●ご住所(郵便が届くもの)
●当方に希望する指導等の内容(受験生の場合は志望校や,悩み・相談事・その他最近〜今現在の状況等諸々,自由記載)
を明記の上,eメールにて nlimeblizzam【at】hotmail.com までお送り下さい.

 

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生産性を「人口・物量」が支えている,というのは一体どこまで本当か

過日,さる過去オリンピック開催地を視察する機会を得まして,何も知らない視点からすれば廃墟かと一瞬見紛いかねない建造物が通電稼働している風景を一目見て,まさに「つわものどもが夢の跡」感に落涙を禁じ得なかった次第であります.

此の道程では更に,敢えて「現場」と触れる機会もが織り込まれてあったので,現地の方と話し込んで(という素振りをしつつ8割以上一方的にお話をうかがって)ちょっと親しくなって,ついには「景気はどうですか」とお訊きするところまで踏み込ませて頂きました:

すると,「五輪が終わった後はもう右肩下がりには違いないんだけど,盛況ぶりとしては五輪の時よりもバブル期の方が全然すごかった,一番良かった」という,どうみても正直な談話が出てきまして.地元金融機関とか公的セクターの名前が挙がってくるあたりに生々しさを感じるばかりですが,浅学な筆者はうっかり目の表情でバレないよう必死ながらも,そこで「ホンマカイナ」と思った訳です.

 

この話が大筋として実態を反映している通りだとすると,生産性(上述例では超端的に「売上」基準のみですが)に貢献するのは,「財源投入(先行投資)」よりも単純に「人口(アタマ数)の多さ」との正相関による要素が大きい,という事になります.
当サイトの記事を読まれる方々の中には,「そりゃそうだろ」と「そんなバカな」の両面の意見を持たれる方がそれぞれにいらっしゃるのではないかと存じますが,斯様な論立ての根幹ドグマたる「ミもフタもない物量戦なのである」との言説は,果たして一体どれほどの正当性を持ちうるものなのでしょうか?

…と,そんな現状のまさに「渦中」に居る人々の中でも,少なからず同様類似の疑念が温度高くなってきたと思われるところへ,少し前に山本一郎さんがド真ん中な記事を公論に供していらっしゃいました:

日本人は休むのが下手で、頑張ればうまくいくと思い込み過ぎなのではないか
http://bunshun.jp/articles/-/3923

周知の通り,山本一郎さんといえば「人口動態と社会保障」をキーワード的切り口として種々の社会問題について調査研究発表を重ねてこられている,論客というよりもはや実学者の立場でいらっしゃる訳で,そのポジションから「こんな言い回し」(上記リンク記事)が直球で射出されるに至っている事自体が,現状の深刻さを如実に表しているかのようで,恐ろしくて身体が硬直する程です.読者の中には恐れをなすより溜飲を下げた人の方が多いかもしれませんが(?).

 

かく言う筆者は,つい先日も公式Twitter@KazmiBlizzam等で「よく寝ます.死にたくないので…健康で幸せに生きたいので」などと放言していたばかりですが,他方では直近に職務で3時間ほど文書を作成し続けて,なんか身体が痛くなって「さすがにちょっとやり過ぎたかな」と反省してみたりと,誠によく転がっております.随分前に「激務で身体を壊した」時ですら,作業活動量は「週30コマの講義(と,移動時を中心に進めていた執筆)」程度でありまして,年間2000時間なんて一体どこの世界の話か,と思う限りです(上述「激務」は結局1年もちませんでした).

なお,「その努力は何の意味があるんですか」に未だ疑問を持つ経験を出来ていない方へは特に,安宅和人著「イシューからはじめよ―知的生産の『シンプルな本質』」(https://www.amazon.co.jp/dp/4862760856)を推薦します.大分前に世に出た成書ですが,現在でもなお「使える」内容は豊富にある良書と存じます.

 

本音としては,CCCP(コグニティブコーポレートコーチングプログラム;筆者も講師を務めています)を推奨すれば「一足飛び」に改善向上が可能なのですが,今回記事で書くには文量が多くなり過ぎるのと(別立て記事として書きたいと思います),一度くらい「方法論で走り込んで自主練泥仕合で懲りてみる」機会を通っておく目的用途としても,上述紹介成書は悪くないかな,と思う次第です.

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コーチ・ブリザムは何がしたかったのか

あぁそういえば,かく言う私自身が一体どういう経緯でコーチングを受けて,そしてプロフェッショナルコーチとして認証を得て活動するに至ったのか,付記的ながら(※前記事参照)述べておきます:

一言でいうと,要するに,
幸せになりたかったんですよ.

 

これは私が自分から言い出した話なので,職責NDAに抵触するような事は無いはずなので述べますけれども:
最初(一連の複数回コーチングセッションの初回,個別機会としては初対面)にコーチ・Dr.苫米地に面会した際,私は「いいかげんそろそろ幸せになってもいいかな,と思いまして」と,今にして思えば控え目な切り出し方で,自己紹介兼挨拶を始めたのでした.

 

あくまで経験則の限りですが,コーチングを受ける事を希望して来るクライアントが当初に掲げて(抱いて)いる目標は,「活動生産性の向上・改善」といった方向周辺にある事が多い…と思われます.もっと露骨に言えば,「コーチングを受けると稼げる,儲かるようになる」というのが一つのステレオタイプになるでしょうか.

無論,コーチングの「本来的趣旨」は,必ずしも生産性向上に限られるものではありません(詳述は既存教材に譲りますが,クライアントを「ゴール達成に導く」事であり,「マインドの使い方を上手になってもらう」事であり,…).
とは言いつつも,実際「金に換算出来る話」がやはり重要度として上位に現れる傾向は否むべくもあらず,引き続いては「健康」「恋愛・人間関係」…といった括りが,今や広告宣伝売り文句に混在するかの如き程度にまで広く知られるに至っています;どうやら人間の求めるものが本質的に斯様な幾つかの題目に束ねられうる傾向はやはりあるのかと見えて,こと此の面から切り口を見る限りでは,あたかも「占い」などと区別付き難くさえ思われかねません.
…いや,占いと混同されたら科学者はまずもって激怒するんじゃないかと思いますけれども(あるいは逆に占い師へも失礼のおそれ甚大ではないでしょうか).

 

さて,そんな「幸せになりたかった数学者」ブリザムが,コーチングを受けてどうなったかと申しますと:

幸せになりましたよ?先ずは.

…但し,それと同等以上に「不満も増えた」という事も,敢えて併記明示しておきます.

理由はおそらく比較的単純で,「願望を達成する事自体は最速で成立出来るようになるが,それ以上に『欲望が増大するペース』も速くなるから」ではないか,というのが,本人主観視点での感覚です.
従前から私は,自らの経験・更には教育指導者としての実績をふまえて,「強欲は原則として是」なる旨を,隠さず職責立場上も明言してきましたが,まさに「それ丸ごとが加速した」感もがあります.

教育者としての経験信念であった「結局,強欲こそが成業の重大要素である」という文言が,果たしてコーチングの理論に基づく文脈においてもなお正当なものとして述べうるかは,未だ検証を重ねる必要のある事かなと思いますけれども,より個人主観的評価として言うならば,強欲な人は大体幸せそうだし,また魅力を持っている気がします.

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で,「数学・物理の教育水準を普く向上させ保つ」算段をどう作るか

以前から当サイト各記事で「教育」の内容について度々言及してきている話題の続論展望です.

その中でも今回,こと問題として採り上げたいのは:
(既に記事で触れてきたような)高等学校程度以下の学習途上受益段階にある若年者の皆様はともかく,
「現に世の中で活動している(割合的にも)多くの人々に対して,いかに『知って・学んでもらう』方向性(インセンティヴ)を,仕組み設計施策を含めて提供するか」
という事です.

 

安直な物言いとしては,例えば「日本で言う『文系』とは『数学出来ません』の言い訳用語に他ならないのであるから,即刻廃止すべき」などとつい申しがちに思われますし,実際あるいは筆者も以前に大意同様の言を発していたかもしれませんが,
しかしここで今一度踏みとどまって考え直してみるに,返す刀いや諸刃の剣で,
既に文科系の経歴を辿ってきて表舞台の肩書きに載せている面々をdisって敵対するなどという事は,何ら本意でないし,また実益にも乏しい事は言うまでもありません.

 

実利・実現可能性の打算から考えるなら,展望の一路は「コーチング」の範疇に有り得るのではないか,と筆者は思っています.なぜならば,コーチングを受けたクライアントにおいては,結果として「今まで唯の一度も気に留めなかったような事が,気になる=興味関心の対象に続々と入り始める」という現象が,しばしば発生するからです.
別に必ずしも,コーチングの本来目的なり定義が「知識を増やす事」という訳ではありませんし,かく言う筆者自身もそんな意向をもってコーチングを受けたり更にはコーチになったりしてきた訳ではないのですが,当事者の主観感想として「結果的に知識も増えました」と言う事は,確信を持って正当に出来ます.

何より,筆者が数学(元々の専攻=実質的に高校生前半以来ずっと)について話すなり発信する姿は,どうやら傍目素人からも余程「楽しそう」と見えるようで,英文科出身の母が「数学って楽しそう.私も高校時代もっと本気で取り組んでおけばよかった」などと言い始めた位です.
…そんなので広く世間に数理科学への興味関心知識を提供展開していけるというのなら,筆者は喉と腕(板書)の限界まで解説発信を続ける事さえやぶさかではありませんよ??

 

とは言え,その筆者自身は最近,他の興味対象(音楽や演劇鑑賞)に向かってむしろ走り込んでいる有様だったりしております.尤もこれらに関してはいずれも「受け手」一方なので,他の人へ向けて話題を提供する際には,その内容はやはり数学・物理学周辺に寄っている可能性が高いのではないかと思われますけれども.

 

あるいは,「他の(世に在る多くの)人々にも数学・物理学へ興味関心をもって知識習得をしてもらう為には,先ず自ら人に興味を持とう」などとスローガンを掲げてみても,恐らくほんの数年前の[数学以外眼中に無かった]筆者には,まず通じなかった事でしょう.

今でも,特定分野の専門家が集う会合などに混じって参加していると,「あぁこの人達は本当にそれ以外見えてないのかな」と感じられる局面が珍しくない程度に有ったりしますが,他方では彼らが「それゆえに研ぎ澄まされて今の形を成している」構造も否定し難く思われて,一体何を以て良しとすべきか,未だまことに迷うばかりであります.

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多様な選択肢としての「やり込みゲーム」を残しておく事は必要だが,其の意義付けにも慎重を期すべき

医学検査の最中にふと独法化と財源の話題が挙がって微妙な立ち位置を確保しつつ受け応えるブリザムです.ストレステストか何かでしょうか(??).

ところで,少し前に拙Twitterでもメモだけ書いておいたのですが,こと日本の公教育システム(に対する社会的受容の実態)において,教育の「成果」はあまりにも低く評価されていると思う訳です:
https://twitter.com/kazmiblizzam/status/904748395448885248

【練ってない雑感メモ】何度考えてみても,日本の公教育は先ず「形式的に卒業・修了した事にしてしまう」のを即刻やめるべき(さもなくば地盤沈下崩落する)に違いない…と思うのですが,此の理念を実装完備するには「年齢差別」を全廃する前提が必須と見えて,なお難関の絶壁さ感を禁じ得ません.

ちなみに,此の問題意識の先にある展望は何かと言うと,その教育水準(知識・教育成果の到達程度段階,「知的水準」)を上げていく当事者の立場にとっての,あまりにも「報われない」「割に合わない」感の度合い,といったところです.

かく言う筆者は,「気になる」「納得いかない,だから調べる」に始まって,地図・図鑑通読→各種取扱説明書通読→辞書通読→複数自然言語辞書暗記[→…→]化学→薬学→医学生理学[→…→]物理学→数学→数論[→…→]可積分系[→…→]数学基礎論→論理代数系→計算複雑性,くらいまで辿ってきています.
この間,出来合いの教育プログラムに乗って演習カリキュラムで地獄を見るような思いをした局面も度々あった気もしますが(苦笑),基本的には「そこで得た知識・知見は,おおよそ『今に活きている』と言える」ものと認識しています.

とは言え,ではひとたび,「その内容が『割に合っている』ものか?」という形で問いを立ててみると,返答に窮さざるを得ない事の方が多い気もします.というか,「自分の疑問を解決出来た」事以外に使い途の分からない知識が殆どではないか,くらいの感さえあります(苦笑).

 

「AIに仕事を奪われない人材になるための教育(カリキュラム)とは」などという言説が最近もまことしやかに各方面で挙がっている模様ですが,そもそも「教育の実利」って何でしたっけ,という,ごく出発点近傍の論点から,今一度マトモに考えてみる必要があるのではないか,と案じます.

「今ここで頑張って勉強しておけば後でいい事あるよ」的な言い草は,古く科挙の時代から知られていたようですが(宮崎市定先生著参照),それってホントなのでしょうか,との注意を,少なくとも「その実利はホントですか」と「そういう釣り方はそもそもアリなのか」の各面から確認しておく事は,理詰めとして必須と思う次第です.

 

タイトルに詳述が文量追い付かなくて釣り記事かの如くなっておりますが,裾野の広い汎論のとっかかりを提供申す程度の感覚で,ひとまずお送り致します.

なお,こと「報われない」の根幹原因を探っていくにあたり,「そもそも知らない人の方が割合として多過ぎる」旨に関しましては,先の拙記事「高校物理を修得している人材の稀少さ」(http://wp.me/p6S43T-6Z)も御参考のほど.

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拙著魔導書「黒魔法入門『魔法使いになりたい』」の使い方について(参考)

https://www.amazon.co.jp/dp/B073W48ZHZ/
発売後早速反響を呼んで頂いている模様でして,誠にありがとうございます.(なお出版認証直後に校正すべき点を発見しまして微修正版と差し替えましたが,読者皆様のお手元に渡る時点以前に影響は解消されているはずです…)

 

さて,「使い方」といっても無論当然,書物を利活用する方法とは,原則として読み手の側に委ねられている訳でありまして,著者が「企図と異なる読まれ方をされた」などと主張する事は,原理原則からしても本質的実効性に鑑みても,殆ど意味はありません.(勿論この点は,当サイト記事のようなある程度まとまった量の文章も同じでしょう.)

とはいえ,今著は「演習方法を実際に提供する」「養成講座」と銘打っている以上,「その目的に合意した読者のために,著者の責任範疇でオススメと考える使い方」というものは有り得ます.そこで,今回はその中でも特に「初学者=本来の想定読者層近辺」を対象として,最初期にお伝えしたい事を簡単に補足申しておきたいと思います.

 

先ず,上でも述べた通り,本書は「実際の技術を提供する演習書」です.…と言う事は,一応のたてつけとして「使って[黒魔法を]上手くなってもらう」事が目標です:ですから,著者(私)が述べている此の「目標」と,読者が目標にしている事=何らかの当事者展望との間で,ある程度方向性の一致なり「合意」が出来ている事が,望ましいと言えます.
そりゃ当たり前と言えば当たり前の話で,「学校に入学を志願しようとする人は,その学校の設立理念なり実際の教育提供内容に,合意する事を確認した上で志願しているはずである」というのと全く同じです.(ちなみに余談ですが,「本意でないのに学校へ入学在籍するとどうなるか」については,今回拙著の巻末に少しだけ触れてあります.)

という訳で,著者企図「その1」としては,出来れば本書内容の「演習」を行って,黒魔法が上手くなって,黒魔導士になってほしいのです.もし独習が難しくても,「周りの大人」の誰に訊いてみればいいのか,分かるように道筋までは書中に示してあります(後者の役割の方がむしろ,本書の「特筆的な点」としては際立っているのではないか,とさえ思います…それ自体は必ずしも望ましい事とは限らないながら).

 

そして,もう一つの著者企図(その2)は,「まほうつかいになりたい」当事者以外で関心を持ってくれた読者へ向けての,なかばお願い含みです:もし周囲でそのような,あるいは類似しているかもしれない志願展望を抱いている人を見掛けた場合に,「こういう方法論もが知られているようだよ」といった形で,「提示」の役割を担ってくれたら,と思う次第です.
この場合,あくまで情報提供者は「提示」の役割であって,教育的立場としての責任配慮をもぜひ合わせてお願いしたい限りですが(本人以外の立場から「魔導士になる事をオススメする」方向性についての是非を留保する言及),それでもなお,「知りたい情報が見つからない」立場の人(=当事者)へ広く届けたい,という事は本書の念頭にもある通りですので,ぜひ「相応に心得のある世の中の大人」の皆様におかれましても,それぞれの立場から御協力頂ければ幸いでございます.

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拙著「現代科学に基づく黒魔法入門:『魔法使いになりたい』すべての人のための魔導士養成講座」(魔法科学研究所・刊)が発売されました

https://www.amazon.co.jp/dp/B073W48ZHZ/

という訳で,「数学者としての,クラークの第三法則に基づく魔導士」たる仕事を公刊提供しました(※刊行名義等の微調整は今しばらく随時反映する予定です).無論,「魔導書」の能書き通り,いずこかで「まほうつかい」の概念を知って興味を持った方をも読者対象として,不足無きよう著述しております.更に,本書前書きでも触れている「より若年者向けの丁寧な対応」に関しては,今後重ねて補遺を提供していきたいと考えています.その為にも,読者皆様からの忌憚なき御意見御要望を是非頂戴出来ましたら幸いです.

 

また今回合わせて,Twitter公式アカウント@KazmiBlizzamを開設(稼働開始)しました.基本的には,当サイトその他における筆者アクティビティの告知の他,興味関心に応じた活動のために適宜利用していく意向です.なお,当該アカウントにおける「顕名責任」について,少なくとも私自身側の立場は,苫米地英人博士が提示している「実名明記」に倣う形を採用しています.

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代議制に思う事

過日ご承知の通り東京都議選が行われまして,「あんなに面白そうな祭だったら私も予め都民権を取得しておけばよかった」と毎度の如く思う立場です.公職選挙が祭ポジションでいいのか,という論は以下で触れますが,其の「面白さ」の最たるは矢張り直接民主制ではないかと思いつつ言及します.

 

さて,その選挙戦の中でも,例えば公明党のポスターには「議員報酬2割削減」といの一番に大きく書かれてありまして,まさに「うちがやりました!」と正面から言っています.

で,実際公明党(候補者)に投票するかはともかく,此の端的な政策内容について,選挙権を持つ都民が身内に居たので訊いてみたところ,「税金減るのはいいねえ」との回答を得ました.

ここからが私の試論です.

その同じ人に,「ではあなたは,やおやさんの店頭で150円のリンゴを120円まで値切れますか?」と重ねて訊いてみたところ,「うーん…それはまず難しいと思う」との答えでした.

 

公明党の政策提言(そして可決に至らしめた都議会総体の働き)本来自体については,筆者は特段精査していないのですが,こと「やりました!」の報告ポスター文面を見る限りでは,「先ず代議士の(余計な)仕事を2割カットする」といった言及内容は矢面に立っておらず,あくまでも「報酬を2割減らした」という結果が主眼と位置付けられています.

…対価が2割減ったら,相対的に仕事が25%増えたのと同じ事ではないでしょうか??
あるいは先の例で言えば,4個600円のリンゴを2割値切れば,同じ600円でリンゴが5個買える計算になります.

 

これは大変イヤな予感がします.

当サイトでは,折に触れて「エージェンシー・スラック」「共有地の悲劇」「公正妥当な対価とは如何」といった,先人の知見により相応に確立されてきている概念をも参照しながら,斯様に「社会の形のあり方」について考えてきたつもりなのですが,こと代議士システム(間接民主制,公職選挙)に至って,「面と向かって値切れない相手にでさえも,『紙に名前を書く』(投票)だけなら特段の逡巡も無く出来てしまう」という事情が見えてしまったゆえ(上述エピソード),今更ながら空恐ろしさを感じ,頭を抱えるのみであります.

かかる事情は恐らく,俗に昔から「政治家の能力平均が有権者の能力平均を超える事はない」などと称される構造では済まないのではないか,と思われる由です:どちらかと言うと,アイヒマン実験の類の現象なのか,もしくはNIMBYみたいな括りでしょうか.
いずれにしても,「殆ど何ら『分かってない』立場から,公職選挙権を行使して代議士なり公務員をこき使う」との構図に一部なりとも該当しうる限りは,当サイトの問題意識の一つとして頭書から掲げてきている「正当な対価」の問題の,悪い意味での典型例に違いないと見えます.

 

もっとも,これは必ずしも有権者側が一方的に悪いという問題には恐らくとどまらず,代議士を志す立場もたいがいであろうと思われます.

今回都議選でも安泰の如く当選された,おときた駿氏(北区選出)の「選挙アドレナリン」という言い表しようが,まさにそれを端的に分かりやすく物語っています:即ち「政治家は選挙が本番」感覚認識,という.
もはや何が悪いではなく,構造上の限界的問題ではないかという気もしますけれども.

なぜ選挙期間中は、12時間もほぼ休みなく動き回れたのだろうか…【ほぼ雑談】
http://otokitashun.com/blog/daily/15584/

 

近日も「ベビーカー or 公用車」といったフレーズで論議が一部方面ながら大分盛り上がっていた模様ですが(論議喚起は原則諸手賛成です:筆者方針),かく言う私自身は,電車で優先席に座って周囲の状況を確認してから通信機器の使用如何を判断決定する程度には,社会コスト分配を受ける立場でもあります.「音が聞こえ過ぎると意識安定性が揺らいで削られていくので,耳栓を装備した上で読字に集中してしのぐ」「股関節周囲の筋肉系があまり強くない(内臓手術の後遺影響もあると思われる)為,長時間立位は自律意識に影響する神経系統へも負荷が大きい」あたりが主な事情ですが,シルバーリボンが知られている確率はヘルプマークよりなお低い模様です…;急性症状の致命リスク等が相対的に低い事には違いないかもしれませんが,別段無い訳でもなく.

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「世界トップクラス」なはずの日本の高校数学・理科は,果たしてどれだけ実になっているのか

前回記事では,あたかも「大学受験産業は今後とも生き延びる途が見えている事請け合いである」とでも言っているかのような論を展開していましたが,実はその「裏面」とでも呼ぶべき状況の方こそ,もしあるとすれば遥かな懸念材料ではないかと案じています:

それは即ち,「大学入試対策なりの為に,今までのような『ガリガリ座学』をやる必要が無くなった場合」の展望如何,という事です.

そして,その中でも特に具体的な懸案は,日本の高校教育課程相当の「数学・理科」の修得到達度について,です:要は「高校数学・理科をマトモに使える水準に達している人材が,果たして今後どれだけ育ってくれるか」という重大懸念です.
無論,此の論点はほぼそのまま「大学初年級程度」の各科目修得到達者数・率にも直結します.また,こと「物理」に関しては当サイトの以前記事でも触れた通りです.

 

筆者の存じる限り,日本の若年者が各分野の学習に取り組む際のインセンティブとして,大学入試制度という「なんとなくスタンダード」社会的枠組みの存在が相当効いている,という事は,相応に確かであろうと思われます(功罪共ありつつ).東大入学前から名前が挙がるような英才は別かもしれませんが,少なくとも筆者程度の水準(物理は大学入試ほぼ満点,数学は東大模試で最高全国2位・駿台偏差値75超,東大大学院進学時点でも「成績上位6分の1以内」が判明)の学習者の経験では,高校時代に「相応の(相当の)記述答案作成的座学」を含む受験勉強を通った結果として,ようやく当該学術分野(教科・科目)内容を「相応に理解」する段階に辿り着いた,というのが正直な実感です.

 

この「ガリガリ演習」の効果は識者の公論においても認められており,例えば河東泰之教授の米国留学中体験記では大変インパクトのある実例が多く述べられています.あるいは,苫米地英人博士も複数の著書中で,「日本の高校生の数学学習は工学的用途に偏り過ぎていると見える」旨を指摘される一方で,「理学のアメリカと工学の日本」という切り口では,かかる「工学」が日本の生産性基盤を支えてきた事を是認されています.更には「大学進学志望者への試験では数学と物理を必修にすべし」との提言もあり,各学術分野の課程内訳はともかく,大局としての体系知識心得が必要,という意味においては合意可能であるものと思われます.

 

…そこへきて,もし現行大学入試のような競争選抜試験の形をしている「ガリガリ座学に勤しむ為の動機として機能する目標」が見え難くなったとき,日本の高校生(若年学習者)の中に果たして,どれほどの「なお走る」=そして相応に成業する人が,残るでしょうか.かく言う筆者は,つい先日の記事でも「高校進学以降までRPGに勤しんでいた」と露呈開示しておったばかりですが,実際そこで培ったのは「暗記とやり込みにかける気合」である事もおおよそ間違い無く,尚且つその直後に大学入試対策受験勉強へ向けて使い始めた「気合」とは,まさに従前長らく続けてきたRPG経験の中で培ったものに他なりません.RPGタイトル複数をカンストまでやり込んだ気合は単純に趣味だったかもしれませんが,受験勉強(&そこから続く大学以降の学術分野知識習得)に対しては,「その気合が活かせる」と認識していなければ,まずもって着手する主観的機会すら無かったのではないか,と今なお思います.

「塞翁が馬」と俯瞰されれば上述いずれもそれまでの範疇になるのかもしれませんが,さてもなお,「結果」の形となった事象に恩恵を被る立場の我々は,それこそ競争選抜試験に典型される如く,「結果が見える目標」の雛形を,社会システムの中に見えやすい形で置いておく程度には,具体的に踏み込んでもよいのではないでしょうか.

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