スコトーマ


生殖(生物学的Reproduction:特定分野学術用語)に寄与しないのであれば,性別とかどうでもいい因子でしたね.

どうでもいいって事は,好みでテキトウに随時ラベルを貼ったり(勿論貼らなかったり)しても,一向に構わない訳ですよね.
(「社会制度設計上は困る」と思う人がいるかもしれませんが,そもそもなんででしたっけ?と考えてみて頂ければ.)

中学生の頃(※)にここまで明示的に気付きたかった…PX2(今日から復習自習してます)の効力をあらためて思い知った…

※往時から自分が生殖機能を有しない事は分かっていて,だから「次世代の教育に資する」事までは企図して,以来教育(職業としては高校在籍中以来)に携わって既に人生の過半に達しています.

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女性初産20歳は偏差値68.9相当(男性版もあります)

拙著の元となった記事を書いていた頃からずっと構想していて手を付けていなかった統計比較計算を,今更ながらやってみました.

 

計算の根拠となる統計資料のソースは,人口動態調査(厚生労働省)の「嫡出出生数,父の年齢(各歳)・母の年齢(各歳)・出生順位別」です:

人口動態調査サイト
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html

データ(総務省e-Stat:中巻8)
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001157965

今回参照しているこのデータは嫡出子に限るのですが,2015年の第1子(母親基準)出生数478081人のうち嫡出子が464379人で97.1%を占めているので,後述の目的(「特定項目においてより詳細なデータが欲しい」)もあって,ひとまずこの統計基礎資料を使う事にします.また同様の理由で,出産と出生の区別についても後者を採っています.

 

●さて,それでは早速,母の初産年齢(※上述の通り,厳密には「第1子出生」)およびその出産年齢が「若い方から数えてどのくらいの割合か」一覧ドン!

嫡出出生数
第1子

母の年齢    出生数
総 数    464379    若い側累積分布確率
15歳    3    0.000006
16歳    160    0.000351
17歳    731    0.001925
18歳    1954    0.006133
19歳    4223    0.015227
20歳    6721    0.029700
21歳    8554    0.048120
22歳    9908    0.069456
23歳    12366    0.096085
24歳    15550    0.129571
25歳    20209    0.173089
26歳    25430    0.227851
27歳    31284    0.295218
28歳    35847    0.372411
29歳    37968    0.454172
30歳    37213    0.534307
31歳    34615    0.608848
32歳    30425    0.674365
33歳    26933    0.732363
34歳    24153    0.784374
35歳    22164    0.832103
36歳    19012    0.873043
37歳    15907    0.907298
38歳    12592    0.934413
39歳    10052    0.956060
40歳    8190    0.973696
41歳    5603    0.985762
42歳    3354    0.992984
43歳    1834    0.996934
44歳    837    0.998736
45歳    359    0.999509
46歳    103    0.999731
47歳    64    0.999869
48歳    18    0.999907
49歳    15    0.999940
50歳    10    0.999961
51歳    8    0.999978
52歳    1    0.999981
53歳    2    0.999985
54歳    3    0.999991
55歳~    4    1.000000
不 詳    –

ちなみに,第1子出生時の母の平均年齢(という更に雑な数値)は30.7歳です:こちらは報道等でより広く知られている通りかと存じます.

「10代で出産」経験者は1.5%程度ですが,そこからほぼ10年で「初産の平均年齢」に至る事が分かります.「98%以上の人は未体験」から「出産経験の平均タイミング」までのスパンが約10年という訳です.

 

●ではあらためて,当サイトの読者諸氏にもより分かりやすいであろう「偏差値」で表示してみましょう:

嫡出出生数
第1子

母の年齢    出生数
総 数    464379    累積分布確率    若い側偏差値
15歳    3    0.000006    93.6
16歳    160    0.000351    83.9
17歳    731    0.001925    78.9
18歳    1954    0.006133    75
19歳    4223    0.015227    71.6
20歳    6721    0.029700    68.9
21歳    8554    0.048120    66.6
22歳    9908    0.069456    64.8
23歳    12366    0.096085    63.1
24歳    15550    0.129571    61.3
25歳    20209    0.173089    59.4
26歳    25430    0.227851    57.5
27歳    31284    0.295218    55.4
28歳    35847    0.372411    53.3
29歳    37968    0.454172    51.2
30歳    37213    0.534307    49.1
31歳    34615    0.608848    47.2
32歳    30425    0.674365    45.5
33歳    26933    0.732363    43.7
34歳    24153    0.784374    42.1
35歳    22164    0.832103    40.4
36歳    19012    0.873043    38.6
37歳    15907    0.907298    36.8
38歳    12592    0.934413    34.9
39歳    10052    0.956060    32.9
40歳    8190    0.973696    30.6
41歳    5603    0.985762    28.1
42歳    3354    0.992984    25.4
43歳    1834    0.996934    22.5
44歳    837    0.998736    19.8
45歳    359    0.999509    17
46歳    103    0.999731    15.4
47歳    64    0.999869    13.5
48歳    18    0.999907    12.6
49歳    15    0.999940    11.5
50歳    10    0.999961    10.5
51歳    8    0.999978    9.1
52歳    1    0.999981    8.8
53歳    2    0.999985    8.3
54歳    3    0.999991    7.1
55歳~    4    1.000000
不 詳    –

いかがでしょうか?

女性で「初産年齢の若さで偏差値70」を挙げようと思ったら,10代のうちに出産を迎える事が必要となります.現役で東大に合格した時点で出産未経験だったら「即準備着手」しなければ間に合いません.そんな皆さんが受験勉強にいそしんでいる間に,同年齢の偏差値75以上は既に占められているのです.
ここでなお「大手予備校調査によると文一は偏差値69だから…」とか言う人には,「同年齢で大学受験市場に乗っていない人達が45%ほど居る」事を,念のため注意指摘して差し上げましょう.このあたりの計算の詳細は既に上記拙著でも述べていた通りです.昔から巷で言われている「東大生=偏差値80」といった雑なラベリングが,素朴に遠くない形容である事を確認するのは難しくありません.

なお言うまでも無い事ですが,ここで「偏差値」と言っているのは単純に統計分布上のレアリティの意味に過ぎず,座標の向き(年齢数値大小のどちら側を大きく取るか)すら特段の必然性は有りません.とはいえ,大学入試あたりだと「現役合格の方が良い」という風潮と思われたので,とりあえずその方向に倣ってみました.

そして,22歳時点で偏差値だと64.8相当となります.大学入試で偏差値65をマークした事のある人達にとって,65未満の世界は「凡人枠」という感覚だったりしないでしょうか.21歳まで(大学学部在学中)に難関資格合格というのは「たまに居るけど結構凄い」水準だろうと思いますが,出産年齢の若さ順で偏差値65以上に乗るリミットも,生命物理時間(年数)制限としては同程度の数値という訳です.

初産偏差値60以上のボーダーは24歳です.10段階評価で8以上相当の下限ですが,これは院卒修士の標準修業年齢最短でもあります.大学以降で専攻分野の能力意義が認められるのは修士以上だとすると,「リケジョは在学中までに出産か,少なくとも妊娠していなければ10段階で7以下」という,激しい人生の選択が見えてきます.中山敬一先生が「君たちに伝えたい3つのこと」で述べている「女性研究者にとって結婚は△,出産は×」を正直に引用したら大変な社会的制裁を浴びた大学教授が居て,当時報道で挙がった際には「ご災難様です」と思ったものですが,あらためて統計数値を見ながら現場感覚と並立してみたとき,実はかなりシビアな「選択」になっていた…という事情が体感されます.

以下こまごまと読者各位なりの「ボーダーライン」は上記一覧表から随所に見て取れる事と存じますが,平均付近でも年齢1歳ごとに偏差値が2程度飛んでいたり,同年齢帯で最大8%の「新たな出産経験者」が発生していたりと,「年齢(1年単位)ベースの統計というものがいかに粗っぽいか」と思わざるを得ないと共に,他方ではこと生殖に関して「いかにタイミングがシビアか」という事もが,今更ながらあらためて突き付けられてくるかのようです.

その中でも,特筆的インパクトが有ると個人的に思ったのは,「5歳毎の主観心理的(あるいは更にその集合総体としての社会的)ボーダーライン」が,偏差値的数字と照合しても相応の関連を見出せる(少なくとも言い張れる)程度の話だったという事です.いずれの統計基礎数値も,どう考えても「十進法の落し子」に過ぎないはずなのですが,端的に「偏差値40のボーダーラインは35歳,偏差値30で40歳」と言われると,たとえ元々の言い草が素朴な経験的直感の積み重ねの成果だったとしても,その見識や侮り難かった,と今一度正座直面検算せざるを得ません.十進法や正規分布を整備してきた先人達は,人類の生物学的特性を暦年単位と照合する事までも織り込んできていた,という話でしょうか…??

また,先にも「当然の事」として述べた通り,偏差値の座標軸(符号)の向きに特段の根拠は無く,その意味でとり方は任意です.従って,例えば「私は偏差値70相当の高齢出産を目指す」と言うなら,41歳以降に初産を迎えればその数値は達成出来ます.更には44歳で偏差値80,51歳で偏差値90を突破します.…遺伝子異常等のリスク因子については,既出の識者各位の論に委ねたく,またそれで十分かと存じます.

 

●と,ここまでの話を眺めて「対岸の火事」を決め込んでいる男性がうっかり居ると申し訳ないので,ちゃんと御用意してあります:一挙に偏差値含めてドン!

嫡出出生数
第1子

父の年齢    出生数
総 数    464379    累積分布確率    若い側偏差値
17歳    17    0.000037    89.6
18歳    1049    0.002296    78.3
19歳    2636    0.007972    74.1
20歳    4142    0.016891    71.2
21歳    5740    0.029252    68.9
22歳    6741    0.043768    67.1
23歳    8615    0.062320    65.4
24歳    11000    0.086008    63.7
25歳    14529    0.117295    61.9
26歳    19628    0.159562    60
27歳    25234    0.213901    57.9
28歳    30086    0.278689    55.9
29歳    32778    0.349274    53.9
30歳    34027    0.422548    52
31歳    33122    0.493874    50.2
32歳    30648    0.559871    48.5
33歳    27684    0.619487    47
34歳    25395    0.674173    45.5
35歳    23551    0.724888    44
36歳    21294    0.770743    42.6
37歳    18496    0.810572    41.2
38歳    16154    0.845359    39.8
39歳    14041    0.875595    38.5
40歳    12306    0.902095    37.1
41歳    10427    0.924549    35.6
42歳    8365    0.942562    34.2
43歳    6607    0.956790    32.9
44歳    4931    0.967408    31.6
45歳    3718    0.975414    30.3
46歳    2943    0.981752    29.1
47歳    2197    0.986483    27.9
48歳    1548    0.989816    26.8
49歳    1063    0.992106    25.8
50歳    892    0.994026    24.9
51歳    707    0.995549    23.8
52歳    487    0.996598    22.9
53歳    337    0.997323    22.1
54歳    269    0.997903    21.3
55歳    227    0.998391    20.5
56歳    152    0.998719    19.8
57歳    112    0.998960    19.2
58歳    92    0.999158    18.7
59歳    82    0.999335    17.9
60歳    58    0.999459    17.3
61歳    49    0.999565    16.7
62歳    42    0.999655    16.1
63歳    30    0.999720    15.5
64歳    26    0.999776    14.9
65歳    37    0.999856    13.7
66歳    20    0.999899    12.9
67歳    17    0.999935    11.7
68歳    10    0.999957    10.7
69歳    3    0.999963    10.4
70歳    5    0.999974    9.5
71歳    3    0.999981    8.8
72歳    2    0.999985    8.3
73歳    4    0.999994    6.2
74歳    1    0.999996    5.3
75歳~    2    1.000000
不 詳    1

第1子出生時の「父の平均年齢」は32.7歳です.この女性との「ほぼ2年差」は若い側ではある程度近い値ですが,加齢とともに差は大きくなっていきます.言うまでもなく医学的(生物学的)構造機能特性の違いによっている事と存じますが,統計表作成時点で設けられている年齢数値欄を見ても歴然です.70代で第1子が昨年内に十数例ですよ!

さて,あらためて表に戻りまして:先ず,男性の場合には第1子出生時点の年齢において「偏差値90台」という世界が存在しません.どうでもいいような話と思われるかもしれませんが,東大生や中学受験最高峰(殊に男子)の経験者の中には,筆記試験の科目別で偏差値90台を出した事のある人は少なからず居るはずです…なので,敢えて言及しました.ちなみに私の最高記録は偏差値88です(大学入試英語),生殖能力は有りませんが.
無論,此の結果は統計の取り方に依っている代物に違いないのですが,換言すれば「男性が第1子出生時点年齢若さ偏差値で90台を叩き出そうと思ったら,法的裏付け(婚姻なり認知)の制度が存在しない範囲で事を進める必要がある」という論も有り得る訳で,これを機に,婚姻可能年齢を男性も16歳まで引き下げて両性平等な法制にして,少子化対策にも貢献…とは,流石になりそうな気はしませんけれども.

そして,男性の場合は20歳まで偏差値70台のチャンスが有ります.それでも東大入試の対同年齢全人口比からすればレアリティは低い訳なので,東大合格者は(たとえ現役でさえも)その時点までに子供がいる同年齢の人を見掛けたら,対等以上の敬意をもって接すればまず間違い無い,と言えましょうか.
偏差値65ボーダーは23歳,偏差値60は26歳となっています.大学院修士課程修了までに仕込めば「凡人の上位側」くらいには相当する,といったところでしょうか.私が個人的に直接存じている限りでは,大学院進学者でこの「偏差値60」を達成した人は数人居るのですが(いずれも男性),当初「えっ!?」と思った感覚が,そういうレベルの話(筆記試験学力偏差値と生物学的生殖年齢偏差値の両立成果)だった,という事を,今回計算してあらためて認識しているところです.

他方で,中央付近までの「タイミングのシビア感」は,女性の場合と意外なほど大差無く見えます.偏差値45(10段階評価で以上5=5段階評価で3以上)ボーダーは34歳,偏差値40(10段階で4)ボーダーは37歳となっています.父母の組み合わせや職種その他の環境についての考察は今回割愛しますが(元の人口動態調査では並行して詳述されています),ごく素朴な直感として「カップルの年齢はそれほど離れていない場合が多い」といった事の裏付けは,一応見て取れると言えましょうか.

また,これと表裏を成す事なのかもしれませんが,男性の場合はその後の”ロングテール”も興味深く読めます:偏差値35ボーダーラインが41歳,偏差値30が45歳まであります.前述の論と同様に,「高齢で第1子出生」のレアリティを狙うなら,46歳以上で偏差値70,更に50歳以上なら偏差値75の「格」が得られます.尤も,偏差値70なり75というのは同年齢人口比で2%なり0.5%といった「特殊値」ですから,社会的な意味でのバックアップ体制が追いついているかどうかは,流石に懸念を禁じ得ませんけれども.

 

以上の論題は婚姻ないし認知(嫡出)といった法制に基づく統計調査の結果ですが,本来的構造から言えば「生殖の結果評価であって,社会制度(法律)の裏付けをも有するもの」と解すべき事と思います.
一般論の限りで,婚姻届が受理される事よりも生殖に成功する事の方が,選択の余地としては「難しい(可能性が高い)」と考えられます由.

同性婚法制とかどうするのでしょうか.人工生殖に関してはたまに「突っ走ってでもやった例」が物議に挙がる一方,法制に関してはだいぶ「触りづらい」と見える感もあり,そのあたりはコウノトリなりキャベツ畑なりに丸投げで任せてきた人類史にあらためて思いを馳せる面でもあろうかと存じますが,換言すれば「当事者の意志でどうにもならない」度合がより大きい,という意味でもある訳で,「人口1億人維持」がたとえ画餅であっても社会保障制度設計は現物にまで降りてくる話ですから,そこを丸投げとは流石に言えないはずです.フランスの法制なども聞き及んで眺めて初学しておりますが,部分的に真似出来るような代物な気も今一つしません.

 

今回使用の統計資料作成中に,不妊手術済みの猫にモバイル充電ケーブルを喰われましたが,私は今日もそこそこ元気でおります.

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社会的生存の権利

これですね.

長谷川豊さんの「患者自己責任論」発言とMXバラいろダンディ降板に思うこと-ドクター苫米地ブログ
http://www.tomabechi.jp/archives/51533907.html

昨日公開された上記参照記事の内容は膨大な論点を含んでいますが,今回私が特に着目したい方向性は当記事タイトルの通りです.

更にもう少し私なりの言葉でスペクトルを絞るなら,
近日拙著記事のタイトル,あるいは「広げ過ぎた風呂敷」の範疇で,記事本文では触れるところまでいってなかった論題(=言いたかった事の「本体」)と申しましょうか:

「一代限り」の人権をどこまで主張・保護すべきか
http://wp.me/p6S43T-5J

冒頭の参照記事を読むと早々に,苫米地英人博士が,広く世の中一般に対して(顕名して)いかに「注意深く喋る」所作をずっと続けてきたか,という事もが,重大な関心を引く点として見てとれます.

他方,私が自身の活動においても心得ているのは,せいぜい「言葉の選び方」の範疇であって,「そもそも論題の選び方自体がマルくない」といった可能性に関しては,意に介さないというか,エラそうに言っても「先ず言及する=喚起して知らしめる」事を優先しています.

私の持論では、世の中には経済の論理に入れていいものと、入れてはいけないものがある。医療と教育は経済の論理に入れてはいけないものの代表だ。だから、国家医療制度は憲法第11条の基本的人権を守るのに当然必要であり、26条の教育を受ける権利で学校制度がある。

国民の憲法で保証された当然の権利であるのであって、医療を受けるのに理由は関係ない。だから自己責任か否かはどうでもいい。これが話題に上ること自体が、いつの間にか経済効率の論理が全てに優先する社会になっているということであり、私には相当の違和感がある。また、医師の中にもそういう考え方の人がいるのは大変残念である。

(冒頭引用Dr.苫米地記事より)

一般論としては同意というか,私自身は単により大局の意見を持ち合わせていない程度ですが,逆にひとたび「では個別の具体的状況においていかに実装まで落とし込むのか」と言い始めると,「果たしてどのラインまでを,国家レベルから含めた社会制度設計(及び運用)の範疇で助けるか」の問題に直面します.これは予算の問題に限った話にとどまらず(現状「金の多寡」が効いてしまう面も否めませんが…),どちらかというと「教育」の課題ではないかという気もします:経験の限りでは.

字面を建前の通りに読んで,「憲法レベルで規定合意されている[事になっているはずの]保護堅持すべき人権」と声明を上げる事までは,相応に座学的知識を持っていれば可能です.更に,合意納得しない”アタマのワルい”相手に対しても,「学歴武器」をもって上から叩き潰せば,相手の人格ごと支配下に置いてしまう形でなら,荒っぽいですが「所期の目的成果」=「社会において攻撃被害を受けない程度の立ち位置を確保する事」は一応達成出来てしまいます(当サイト前記事「いじめの根源と,対策…のウソ」http://wp.me/p6S43T-5P参照).

但し,そこまでやってさえもなお,「直感本音として納得されている」状態に至る事は,なかなか容易ではありません.これは,人道的に本来はより望ましいところの,といった話以前に,当事者自身の側の実利においても重大です:それこそ,私の十年来の知人が,「トイレが二択の建物で行われる会合に呼ばれると,数時間以内には体調を削りつつうろうろする羽目に陥る」同志が混じっている事にさえ想像が及ばなかったように.

その上,実際には更に,「より積極的な攻撃の企図」としか形容しようが無い,他者(当事者に対する他の人格主体)もが存在します.大変残念ながら.
近日も,とある「社会的には統計上マイノリティ(しかも,ある意味で「知的能力が高過ぎる」がゆえに)であるはずの人達」の会合に参加していたのですが,その中で「特定の属性」の人々が再びさんざんな扱いを受けている有様を目の当りにして,「あぁ,宗教戦争って全然終わっていないのだな」と思わざるを得なかったばかりでした.私が「直接乗り込んで対処しに行く」事をやってきた経歴の中でも,当該環境(未公開)は東大と並ぶ二大巨頭と言って過大でない程度と思いますが,日本(差し当り「おおむね日本語圏」くらいの意味で)が世界をリードするような分野で,その日本の最高峰を集めたような人達が「そんな有様」という現状は,うっかりすると「人類は設計不備だったのではないか」といった結論に陥りかねない程度に,夢も希望も見え難い光景だった事は否めません.

いえ,私の知見の限りでは,人類は「情報学習という手段を含めて,教育をもって成長出来る」がゆえに,物理ハードウェア依存の構造に「多分な余地」を残している仕組み…になっているはずではなかったでしたっけ? と思う訳ですが,そのくらいは中学校課程くらいまで履修していればおよそ理解出来る事じゃないかと認識しているのですが,公教育システムは一体何をやっているのでしょうか…??

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いじめの根源と,対策…のウソ

最近も幾分古い記事(※おそらく其処で採り上げた事象がその後社会情勢的にも動いているはずなので)にしばしばアクセスを頂くなぁと思っていたら,「いじめ 私立」でGoogle検索ランキング15位くらいになっていたのですね.…キーワードの需要的には全く以て喜べない内容ですが.

で,需要がある様なので一つ指摘しておきますが:私学であっても別段「いじめ」が消える(可能性に期待出来る)訳ではありませんよ,原理的には.
そういう意味で「金を積んでフィルタリング」を掛けようと思うなら,そもそも通学(学校に在籍)という選択肢を採らない事で安全性をより高めて,本来の狙いである学修効果自体は自習ベース+プロ家庭教師が補う形でも良いのではないでしょうか(少なくとも高卒認定試験あるいは大学受験程度までは).毎週2時間なら私などでも私立高校(諸経費込)やフリースクールよりは安いと思いますよ?

 

経験の限りで(※当事者でした:今でも腕などに物理外傷痕残ってます),いじめが発生する構造的原因の一端は,加害者側が「なんとなく不安」と「自己責任の欠如」を抱えている事,と言えようかと存じます.未成年者に「自己責任」を求める事には社会制度上の限界もありますが,概念として当事者認識を全員に持っていてもらう事自体は,相応に可能でしょう(知的能力に成年と未成年との「段差」がある訳ではないので).

そして,後者の責任の所在を訴訟で片っ端から刺していくと,結局は前者の「なんとなく不安」が本質的な問題要因として残ります.が,こちらも知識で対処可能なので,そうすると最終的に「無知が悪い」という結論にまで落ち着きます.かく言う私も毎日のように「正座」して識者の記事を拝読しておるところ,Facebookタイムラインを御覧の方には承知の通りです.

なお敢えて付言しておきますが,「私立ならいじめが無い(少ない)」という可能性に懸けてそんなキーワードで検索してくるような人は,それ自体がいじめっ子(加害者)の思考と同列です:不安と無知と偏見と無責任といった意味で.自分が検索した学校名で直接的な「事件記事」がヒットしなくて一安心している(?)そこの閲覧者の皆さんは,其の中途半端な逃げ腰をもうちょっと何がしか落ち着けるべし,という旨は,上述した通りです.

 

実用的には,初めからほぼ「絡まれない」方法武器というものは知られています:それは,腕力あるいは金(財力)を持っている事です.なお,ビジュアル(モテ度)はどこまで使えるか微妙です.
ただし,こと日本の現状環境においては,更に「学力数値」という武器があって,順当に使うとカネよりも腕力よりも強い威力を発揮する事が可能です.だから私は,「使える物は使え,そこまでしてでも生き延びろ」と半ばプッシュで煽ってまで言及しているのですが(詳細は別サイトの教育ブログ各記事参照),しかしこの方法技術はあくまで「現時点まで通用している」に過ぎない事であって,そのメカニズムも実は「カネをチラつかせて不安で煽っている」向きと大差有りません.実際,私の「学歴」に平伏した面々を見ていても,「怖いから従っておく」が先ず筆頭で,次点でニコヤカな表情に嘘が無い相手ならその大半は「金目」です.逆に言うと,現状の本質はおそらく未だ「世の中はカネとガタイを持ち合わせていれば常勝で渡れる」だけの事であって,島国日本特注仕様の学歴システムは,それを肩代りした仕組みに過ぎない,と述べてさえ過言ではないでしょう.

…いやそんな社会システム,今世紀後半どころか10年後5年後にすら残したくないのですが,既に教育産業(受験産業)が「2020年に向けて」などと言って煽っているのを見ても,もはや牽制球を投げる気さえ起こらない程度の呆れぶりな次第ですが,ハロウィン決め台詞の如く「図書館通読 or 切腹?」と辻斬って回る私の仕事は,今しばらく続けていても良いものでしょうか.

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Security Online Day 2016に参加します

お知らせが直前になってしまいましたが,表題のイベントに参加します:

http://event.shoeisha.jp/ezday/20160927/

情報セキュリティに興味関心のある素人から一体どれほど浅学が向上したのか,と言えば,当該分野直接において売りになるほどのものは用意していない程度ではありますが,
他方「では私自身が何に興味を持っていて,何が出来るのか」という事については,直近も折に触れて考え,名刺をアップデートして,オンラインでは書きにくいようなキーワードまで入れていたりもしますので,当日お目に掛かる皆様には,是非宜しくお願い致したく存じます.
プラチナ席に頻出する予定ですので,同志(たぶん多くは先達)各位におかれましては,情報的交流を深める機会の一環と出来れば大変幸いでございます.

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「一代限り」の人権をどこまで主張・保護すべきか

って,わざわざここまで堅い御題目にするほどの事でもなくて,単に直近も含めた個人経験の積み重ねの限りなのですが:

端的に言えば,一体私の性別はどう認識されているのかと(笑)

御蔭様で「相当深い関係」にある(そして今に続いてきてくれている)はずの相手でさえ,ややもするとすっかり忘れていてくれてたりすると見えるあたり,矢張り「性別二択」という前提は,おそらくは人類の生物学的種の保存レベルからの,大変根源的な”偏見の最たるもの”なのかな,とあらためて思います.何度体験してもあらためて.

十数年来の知人が,結婚式の招待をくれた際に,二次会(当然の如く幹事も共通知人)のエントリィで性別項目二択の設定を送ってきてくれた時には,正直どうしようかと思いました.
結局,この時は直接個別連絡して,「あぁ,お前さんの事すっかり忘れてた」とか言われて,一同(各立場それぞれ)呆れ返ったまましばし時が止まる,という事象に至った次第でしたが,その後も同様の事情は「毎度?」というくらい生じています.当たる相手が比較的説明好きな私で良かったですねと言うべきかどうか(ただし,同時に「法的ライン前後に至るまでほぼ全力」でもあるので,ややもすると戦う立場になった際にはさぞかし大変だろうなぁと思いますが).

そして,現在もお問い合わせ中だったり棚上げ(?)だったりする各方面担当者様々におかれましては誠に御苦労様でございますが,国際基準(ジョグジャカルタ原則なりISO5218なり)的には「そこまでやるべし」という事になっているはずなので,まぁ,その,合意形成及び実装は頑張りましょう,と.なお,JIS X0303(※二択だった)は廃止済みであります.

ちなみに,私が個人的に性別欄を「非表示」にしている最大の理由(多分一番本質的だと思われる)は,「自分でも固定が出来ていない」からです.近年は住民票記載に寄せる方向の社会的仮装すらも飽きてきていたりしまして,だから真顔というか素で行政当局に「この欄要らないんですが」と言ってしまう訳ですけれども.
住民票の性別欄をISO5218準拠にしようと思ったらデータ項目が2億5千万件も増えたりして,本当に御苦労様でございますが,自民党(現国政与党)も「憲法14条の解釈には性的少数者の人権も含まれる」と確認している事ですし,国内世論も一応筋は通しているんじゃないかな,と認識されるところですので.

そして表題の通り,こういう規模感の論題は決して性別に限らない訳ですが,流石に私も全分野の専門家などではないので,ひとまず今回記事の風呂敷の大きさは自家薬籠の範疇でお送りしたく存じます.
別に専門家になりたい訳でもないのですが,当事者として何かあった度に「地ならし」に取り組む事を続けていたら,「公的書類の性別欄(の非表示なり廃止)」についての参照サイトとしては幾分知られるようになっていた模様なので(検索キーワードの動向等),今後とも必要に応じて好きこのんで調べつつ,また並行関連各分野の知見にも随時接し深めていけたら,とは思っています.

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たとえ財源を確保しても,それに「見合う」教育の改善にはなお大分途が長い気がするのですが,どこから議論に着手したものでしょうか

 

学力には敏感に反応しても教育環境については無視する日本政府http://bylines.news.yahoo.co.jp/maeyatsuyoshi/20160920-00062365/

あぁ環境ってそういう話か…私は一瞬タイトルだけ見て別の事を考えた(∴誤解しそうになった)ので,先ず元記事本文はぜひ御一読頂きたく供覧.

で,其の本編内容に関しての私見は:「元来教育は『つぎ込もうと思えば多分ほぼ青天井』なのだが(含経験則),それを制度担保する方法論が今一つ見えない」事が懸案の一因ではないかと見えて,それゆえ「たとえ財源を増やしたとしても『激務or手抜き丸儲け』の構図は,根底の本質側が変わらない限り,改善に早々限度が見えてくるのではないか」といったところです.
金を掛けてもマシにこそなれ,日本国内だと「学費最高峰」でのシステムが運用実態上ザンネン半端になっている例なども存じているゆえに,これほどの懸念を敢えて先ず表明しておく次第です.

考えうるソリューションの1つは,「教育に人生を注ぎ込む気の有る人が担う」実状をシステマタイズ含めて行き渡らせきる事ですが,そこでまた結局「個体差」が派手に発動して「命削った歴史的存在の偉業vsその他(統計的多数派)の凡人の使えなさ」といった,どうにも着地の見え難い社会一般の課題に包含される形の懸案に行き着く訳で,そこまで見通した上で「先ず金の問題(財源の寡少自体は確かだとして),そしてかつ成果に対して再分配もが適切に成される事」を論題設定とするなら,まだしも今回紹介元記事のような議論(※先例は往々にして筋が悪いor着地が見えない)をあらためて湧き起こす事にも,壮大な意義は有ろうと言えましょうか.

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「良い子」の語義を自分なりに確認する

「コーチングサミット2016」に参加しているのですが,

来場者層の「良い子」感…世の中ってそういうものなのでしょうか??

私の仕事は,この世の「より危なげの有るところ」になお存在するのかな,とあらためて思いました.
別に強いてまで「斬り合い」をやらせる必要は無いかもしれませんが,「良い子の縮小再生産」的な構造って個人的には好きでもないし,社会的将来展望としても,必ずしも望ましくなかろうと言うか,志の高さとして中途半端感が否めないとでも申しましょうか.

そんな訳で,特に「良い子業」が辛くなってきた方などには,私が提供出来る事は沢山有るかと存じます.別に最初から「良い子が嫌い」な方でも構いませんが,私自身がいずれの系譜に属するのかはさておくとしまして.
荒っぽい人とかはちょっと怖い気もしますけれども,猫に咬まれるのは慣れてるので,多分それでも大丈夫でしょう.

ちなみに,会場には硬そうな服を着ている人も多く居て,「いつ見ても動きづらそうだよなぁ」と思う訳ですが,かく言う私もたいてい礼装なので(※緊急時対策は日常的に準備しています),慣れたら平気なのかもしれません…? 私自身は延々慣れなかったので,今でも「硬い服は着ない」条項を職務に入れていたりする程度ながら.

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エロ媒体ってどのくらい必要ですか?

元ネタはデマであると判明したそうですが,ちょうどたまたま私の問題意識に合致したので,敢えて採り上げて触れたいと思います:

【高畑裕太容疑者】「彼女もいたしお金もあったし…」コメントはデマ、SNSで誤解生む
https://www.buzzfeed.com/keigoisashi/takahata-comment?utm_term=.paOY461mKn#.opX7o3BPrd

俳優の高畑裕太容疑者が、ビジネスホテルの従業員の女性に性的暴行を加えケガをさせたとして、8月23日、強姦致傷の疑いで逮捕された。

「彼女もいたしお金もあったしそういう欲求は満たそうと思えば満たすことができたんですが、襲うということの欲求は襲うことでしか満たせないと思いこのような事態になってしまいました」

逮捕報道後、高畑容疑者のコメントだとする、こんな文章がTwitterなどに出回っているが、これは何者かによる創作である可能性が高い。

…だそうで.
デマとは言われつつも,このネタが相応の関心を引いたのは,やはりその内容に「納得共感されうる面もがある」からではないでしょうか? というのが,今回の私の問題意識です:そして表題の通り,「社会システムはそのためのコストをどこまで払うべきか」という論題に挙げる次第です.

 

先ず,私の存じる限りで医学的(生物学的)知見を復習しつつまとめてみますと:

人間(性的二形である)の場合,受精卵の温床(着床から新生児となる=出産に至るまで)を準備するコストを女性側のハードウェア的仕組みに押し付けていて,もし本来の発動(生殖)に寄与しなかった場合でも,「毎周」1か月程度が準備及び後片付けに費やされます.更に,この女性の周期は各個体(個人)毎に小さからぬズレもが存在します(此の「理由」についてはあまり詳細を存じないのですが,「意味付け」については例えば竹内久美子氏の各著を参照:ちょっと古いですが).

そして,その受精卵を養育するための構造の「バーター」として,男性側には「随時」生殖への貢献を発動出来る機能が求められる事となります.
…そうすると,男性側の機能がしばしば「余る」事態が発生します.そこで,機能が余ってしまったその男性においては,何らかの方法で「空撃ち」をする必要もが生じる事となります.それが本来の物理生殖に近い形(生殖準備は整っていないけれども「行為」自体は果たせる物理構造となっているところの,女性の身体をそのまま使う)であるか,その他の(敢えて言えば「より抽象的な」)方法を使うか,の二択が先ず一段階と考えられます.

 

ここで,「後者」はおそらく人間の知能が及ぶ限り,おおよそ「青天井」のはずです.いわゆるアダルトビデオですら「視聴者が出演者の現物身体そのものをリアルタイム使っている訳ではない」という意味ではヴァーチャルです.あるいは,そもそも現行日本法下では「本番」営業が認められていないので,「物理接触」でやる性風俗産業にしたところで,その身体とは生殖行為用の現物「以外」のナニカでやる事になります(これが果たしてどこまで合法下で認められるのかの詳細については,識者の知見に委ねさせて頂きます).

となると,男性側の「余った分の空撃ち」は,実際上の割合としても「ほぼヴァーチャル」で行われる事になるでしょう.これは上述の通り,生殖用の医学的物理システムの結果の一端な訳ですから,当然「人類システムの維持」という文脈から,保護や便宜供与が必要に応じて求められる事となります:人によっては「人権」といった切り口を登用したいと思う向きもあるかもしれません.
随分昔に,雑誌広告でオナホールが「男性用生理用品」と銘打って売られていたのを見て感心した事がありますが,ずっとごく近年になって,今回記事タイトルのような問題意識をより明確に持ち始めるようになってから,あらためて「エライ話だったのではないか」と思っておる次第です.

此の「ヴァーチャル」の青天井さの度合いは,私の存じる限り未だとどまるところを知りません.「ファミコンのドット絵を使いました」程度の話では驚くに足らない程度です.そりゃ当然と言えば当然で,元々のゲームなりに対して感情移入して意味を理解したり操作したりといった事が出来る人が,こと性的な(自分の)身体構造との関連方面だけを「除外」する必然性は何もありません(個体差としての存在可能性はさておくとして).
つい過日も,リオオリンピック閉会式で安倍晋三首相がマリオのコスプレをして登場し,「あれは『少なくとも向こう4年,クールジャパンが一丸となって此の方向で行きます』との強いメッセージ発信である」との旨はおおよそ共通了解と見られますが(不服の声はともかく「解釈」自体についての異論はあまり目にしていません),当然の如く「生物学的処理用途のバーチャル側寄り」の媒体の一つとしても,斯様なコンテンツは今後とも使われうるのですよ,という事を,あらためて指摘して世論に提示しておきたく思う由です.
閉会式の中継を見ていて,安倍晋三のコスプレをしたマリオが登場した瞬間に,当時日本語圏で既に物議となっていた「AV出演強制」等といった論題と彼もが「地続き」である,と直感した事は,今後5年以内程度の展望を考えるに際しても,随時忘れ得ないでしょうから.

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「匿名世界」側で棲み分けた結果として,彼等匿名者の生活の有り様は如何なるのか

以前の拙記事( http://www.educationbusiness.jp/2016/03/10/顕名と社会的責任の所在と,経済活動生産性につ/ )に関連する論題として,直近に苫米地英人博士があらためてTwitterで指摘されていました(御本人は「既述の論」とされていますが,今回の述べられ方が端的にも分かりやすい説明になっていると見えたので紹介します):

ここで,苫米地博士は「棲み分けるべき」としていて,あくまでも匿名活動者を「焼き払う」ような含意はひとまず無いと見えます.此の点,冒頭リンクの以前拙記事で述べた私見の方向性とは,少なくとも直ちに対立する論点内容では無く,何らかの「共通の指向性」を見据えた大局論は成立しうるものと思っています.

しかし他方で,同じく指摘されている「責任」の存在については,これも以前拙記事で触れていた通り,現状の「匿名活動」には何ら「責任の所在を確保し明らかにしておく算段」の目処が立っていないと見受けられる旨もまたなお否み難く,もっと言えば「本気で社会的責任を自身が引き受ける意思を有するのかどうか」といった点にさえ,疑念を隠しきれません.

個人的には,匿名世界の「住人」達が,実名世界から切り離された「棲み分け先」(苫米地博士の提言通りに社会的「実装」が成された段階での意)において,果たしてどのような「生活」を送る事になるのか? という点は気になっております.

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