「教育を受ける権利」を,当事者は本当に行使する気があるのか;と,教育立国としての展望への接続

先に拙教育ブログ(http://ameblo.jp/blz-edu/entry-12164240572.html)では「高校数学をマトモにやろうとする人なら」との一言でスルリと穏当な言及にとどめておいたのですが,ある意味でもっと根源的なところからの問題として,「そもそも履修希望者は本当にやる気があるのか」という点についての疑念は,なお否み難いものがあります.

 

以前にずっと高頻度で記事を更新していた上記教育ブログでは,憲法第二十六条「教育を受ける権利」に関して,さんざん論じてきましたが,「本来的にやる気のない人が,外観上『教育を受けたいです』と意思表明してしまう(例えば『高校入学を希望する』)という,社会実態としての状況」に対しては,今一つ「当事者(ら)が助かる処方箋」を提示していなかったように思います.

 

抜本的な言い様として一刀両断してしまうなら,「そもそも嫌な事をわざわざやりにいかなくても」とか「本来は何がしたかったのでしたっけ」といった話からスタートでも良いのでしょうが(コーチング的な文脈で「素朴に」方法論を適用すると,例えばこういった伝え方にもなり得るでしょう),実際問題として,例えば「自身の経歴実績と周囲からの期待とが相俟って『精神的圧力』が積もって辛くなっている優等生」のような典型手詰まりかけコースの事案に際して,上述のような言い方をしてみたところで,周囲どころかややもすれば本人の心にすら,率直には響かないかもしれません(指導者としての経験を含めての見解).

 

そこへきて,私の場合は「学校を辞めた人の心理体験」をもそれなりに有しているので,より個別具体的なアドバイザーとしての役割を果たせる可能性はあります.とはいえ,それでもなお「統計割合的にマイナー」という事からくる(と思われる)「怖さ」を拭い去る事は更に難しく,他の「原理的にも実証例上もうまくいく方法論」の選択肢を提示したところで,最終的にそちらを選ぶ人の割合は,世間一般の数字をそう上回らない程度に過ぎません.

 

他方で,国家制度単位での「教育水準の向上」という大目標を展望する立場においては,「やりたい人だけ来れば良い」などといった宣伝文句は,正面切っては打ち出しにくい気持ちもあります.
私自身は経歴上国公立学校を通ってきているので,「貴方は国税を受けているのだから」と折に触れて言われ慣れてきていますし,また近日には苫米地英人博士もTwitterで「私学の場合」を含めて言及されていましたが(https://twitter.com/DrTomabechi/status/733364276467900416),例えばこういった「公的負担による支援」との題目とセットで当事者へ言及を重ね伝えていく事で,より大枠としても「教育の効果」を高めていく,という目論見に,ひとまずはなるのでしょうか.

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「命をつぎ込んでイイ仕事をする」方向性について,私達はどう考えて臨めばよいのか

最近,こちらで顕名している以外のところで記事を書いていて,そこでは主としてコーチングの理論的観点から,

「本義の通り物理的(医学的)に命を削って注ぎ込んでまで,自らの意思でイイ仕事をしようとする人に関しては,原理的に防ぐ・差し止める算段が思いつかない(社会的害悪に該当しない限り).他方で,本意でない仕事で『心を削る』事には,元来何らの社会正義を見出せない」

と述べていたのですが,その記事が一般に公開されたちょうど直後に,あろうことか,「自ら命を注ぎ込んでまで生産性の高い仕事を続けていた」方の訃報に接する事となりました.

ご当人の直近の活動状況などを拝見すると,まさに「命を削ってでもやる」という意思が包み隠さず見てとれて,先述の私なりの基準からすれば,これは「防げない」タイプの方であった,という事になります.しかし他方では,この方は業界内でも「当初から無茶と思われるスケジュールでさえも多産な仕事をこなし,その仕事の成果に対してコンシューマー層からの評価も高く,市場性としても関係者一同嬉しい」との評をもって,其のお仕事成果を継続的に提出結実させてきており,更には同業・関連業種の職業人が「模範」と見ていた向きさえ,少なからずあった旨も聞き及んでいます.

経験則の限りでは,「産業分野を開拓するのは,一握りの『特化したバケモノ級の存在』である」,という向きも,未だ決して少なくないのではないか,と認識しているのですが,それをめいめい勝手のままに認めると,上述の通り「犠牲者」が出てしまう事も,また構造上避けられないと考えざるを得ません.

「身体・精神とも健康を基盤として,削れ過ぎない事は無論,元気で幸せに生きよう」とは,コーチとしてよりも寧ろヒーラーとしての,職責に根差す私の言明ですが,ひるがえって社会の実情を目の当りにするにつけ,「命も心も削っている」としか思えない人の姿が,大変多く見えてきてしまいます.

勿論,人間ドックのような健康診断・検査も定期的に受診してほしいのですが,「身体(あるいは精神も)に無理を掛けている」自覚のある方は,先ず十分に回復させるだけの機会を確保して頂きたいと,強く願います.
本来は無論,元気になってくれさえすれば方法は何でも良いのですが,例えばかくいう私もヒーラーとしての職務を提供しています:私のヒーリングセッションあまり用語として普及していませんが,より詳しくは「数学的ヒーリング」では,現代数理物理学の知見をも活用する事に加えて,「セッション後もきちんと休んで回復する時間・量を確保して下さいね」という,強いお説教がもれなく付属して,予後の効果を高めています

記事タイトル以下の「イイ仕事をしようと思うと命を削る羽目になりかねない」といった構造的事情に関して,直接に「対策」の算段を持っている訳ではないのですが,せめて「健康回復」の立場からは,マシいや万全を期したく,個人レベルからでも出来るところから随時着手して,貢献していきたい次第です.

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「住民票の性別不記載」風味な公的証明書の発行を受ける方法

マイナンバーカードが「実質的に性別非公開」の形(スリーブ入状態)で使えるようになったので,これはと思って地元自治体の自動交付機で(電子認証の確認実験を兼ねて)住民票を発行してみたところ,しっかり性別が表示されていて,率直に「要らんがな」と思う訳です.

そこで,あらためて窓口へ行って,「性別(あるいは生年月日)を『省略』ないし『非表示』その他これらに準ずる形で,つまり実質的に性別(あるいは生年月日)情報が表示されない形の,住民票発行を請求したい」と,強く行政当局に対して要求しました.

そして得られた回答案内の内容は,おおよそ「住民票では出来ないが,住民票記載事項証明書の方法によるなら,概ね所期の目的(性別ないし生年月日の非表示)に沿う形の公的機関発行証明書を取得する事は可能」という事でした.

 

「住民票記載事項証明書」そのものについての詳細は各自確認頂ければと存じますが,要するに「自分の住民票記載事項のうち,必要なものだけを記載した雛形」を持ち込んで,其処に書かれている内容項目のそれぞれが全部,住民票(即ち本来的には住民基本台帳)の記載内容各項目に一致している事を,自治体に証明してもらう,という書類制度です.

…この「持ち込む雛形」の段階で,そもそも「性別」とか「生年月日」とかの欄自体を作らなければ良い訳です.

実際,私はこの方法そのままで,「性別欄自体が存在しない,住民票記載事項証明書」を取得する事が出来ました.氏名・住所・生年月日,更には世帯主・続柄・本籍といった「元々省略発行可能」な情報もが全部証明記載されているのにもかかわらず,性別は欄自体が無い,という…各項目の意義に思うところある立場で見れば,なかなか壮観なものがあります.
これで,実質的に「住民票とほぼ同じ内容・効力」を持つ公的本人確認書類が取得出来た訳です.

特に,性別の不記載に関しては,性同一性障害や,あるいは性別違和症候群のような”更にマイナーなカテゴリの”セクシュアル・マイノリティ(性的少数者)の方々にとって,当事者主観的に重大な「有用性」を発揮する局面も少なからずあるのではないかと思い,今回参考のため体験資料的記事としました.

ちなみに,今回この手続を「実現」した現場は,神奈川県内のある基礎自治体です.もし当事者として制度を利用したい等,重大な関心のある方は,個別にお問い合わせ頂ければ詳細をお知らせする事も可能です(尤も,当記事の通りに手続を行えば出来るはずなので,実際その必要はあまりないかと思いますが).

 

但し,この記載事項証明書にも,住民票の「完全な代わり」とまではなり得ない欠点が存在します.

記載事項証明書の内容が「世帯全員」の分である,という事の証明は出来ないのです.具体的に個々の記載事項のどれが住民票で省略不可なのかは後述しますが,「住民票に記載が有って,記載事項証明書には有り得ない事項」の最たる(私が地元自治体で比較確認した限りでは唯一の)例はこれです(※恐らく根拠に関連すると思われる法令は:住民基本台帳法施行令第十五条あたりかと…?).尤も,「世帯全員分である」旨の証明がどういう場面で必要になるのか,直ちに思いつかなかった程度ながら.

とは言え,原理原則から言っても,記載事項証明書は「ここに書かれているのは,住民票に記載されている事項(の各々)と同一内容ですよ」と証明してくれているものなので,「住民票が必要」と求められている場合においても,実際その殆どは記載事項証明書で全く足りるはずです.
万一,住民票の代わりに記載事項証明書を提出して「これでは足りない」などと言われた場合には,「何の情報が必要なのですか,その根拠法令は何ですか」と先ず確認した方が良いでしょう(無論本来は,全ての人が「その情報を提供する事が必要な理由」について,毎回確認するべきと言えます:これはコンプライアンスといった括りの論点でもあるかと思います).
尚,「保険」に関しては,こと性別の非公開はまず無理なはずです.制度設計上,性別の区分を前提としているものだからです.生年月日非公開が無理な制度は…更に沢山あるでしょうな….

 

もう一つ,私が窓口で受けた説明(当記事冒頭)の内容を思い起こして,あらためて気になる事があります:
住民票(住民基本台帳の写し)そのものの場合では,どうして性別や生年月日等を「省略」した形での交付は出来ないのでしょうか.

住民票の様式を定めているのは「住民基本台帳法」が原則ですので,少し長いですがあらためて条文を確認してみましょう.

住民基本台帳法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S42/S42HO081.html

(本人等の請求による住民票の写し等の交付)
第十二条  住民基本台帳に記録されている者は、その者が記録されている住民基本台帳を備える市町村の市町村長に対し、自己又は自己と同一の世帯に属する者に係る住民票の写し(第六条第三項の規定により磁気ディスクをもつて住民票を調製している市町村にあつては、当該住民票に記録されている事項を記載した書類。以下同じ。)又は住民票に記載をした事項に関する証明書(以下「住民票記載事項証明書」という。)の交付を請求することができる。
(中略)
5  市町村長は、特別の請求がない限り、第一項に規定する住民票の写しの交付の請求があつたときは、第七条第四号、第五号及び第八号の二から第十四号までに掲げる事項の全部又は一部の記載を省略した写しを交付することができる。

(住民票の記載事項)
第七条  住民票には、次に掲げる事項について記載(前条第三項の規定により磁気ディスクをもつて調製する住民票にあつては、記録。以下同じ。)をする。
一  氏名
二  出生の年月日
三  男女の別
四  世帯主についてはその旨、世帯主でない者については世帯主の氏名及び世帯主との続柄
五  戸籍の表示。ただし、本籍のない者及び本籍の明らかでない者については、その旨
六  住民となつた年月日
七  住所及び一の市町村の区域内において新たに住所を変更した者については、その住所を定めた年月日
八  新たに市町村の区域内に住所を定めた者については、その住所を定めた旨の届出の年月日(職権で住民票の記載をした者については、その年月日)及び従前の住所
八の二  個人番号(行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律 (平成二十五年法律第二十七号。以下「番号利用法」という。)第二条第五項 に規定する個人番号をいう。以下同じ。)
九  選挙人名簿に登録された者については、その旨
十  国民健康保険の被保険者(国民健康保険法 (昭和三十三年法律第百九十二号)第五条 及び第六条 の規定による国民健康保険の被保険者をいう。第二十八条及び第三十一条第三項において同じ。)である者については、その資格に関する事項で政令で定めるもの
十の二  後期高齢者医療の被保険者(高齢者の医療の確保に関する法律 (昭和五十七年法律第八十号)第五十条 及び第五十一条 の規定による後期高齢者医療の被保険者をいう。第二十八条の二及び第三十一条第三項において同じ。)である者については、その資格に関する事項で政令で定めるもの
十の三  介護保険の被保険者(介護保険法 (平成九年法律第百二十三号)第九条 の規定による介護保険の被保険者(同条第二号 に規定する第二号 被保険者を除く。)をいう。第二十八条の三及び第三十一条第三項において同じ。)である者については、その資格に関する事項で政令で定めるもの
十一  国民年金の被保険者(国民年金法 (昭和三十四年法律第百四十一号)第七条 その他政令で定める法令の規定による国民年金の被保険者(同条第一項第二号 に規定する第二号 被保険者及び同項第三号 に規定する第三号 被保険者を除く。)をいう。第二十九条及び第三十一条第三項において同じ。)である者については、その資格に関する事項で政令で定めるもの
十一の二  児童手当の支給を受けている者(児童手当法 (昭和四十六年法律第七十三号)第七条 の規定により認定を受けた受給資格者(同条第二項 に規定する施設等受給資格者にあつては、同項第二号 に掲げる里親に限る。)をいう。第二十九条の二及び第三十一条第三項において同じ。)については、その受給資格に関する事項で政令で定めるもの
十二  米穀の配給を受ける者(主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律 (平成六年法律第百十三号)第四十条第一項 の規定に基づく政令の規定により米穀の配給が実施される場合におけるその配給に基づき米穀の配給を受ける者で政令で定めるものをいう。第三十条及び第三十一条第三項において同じ。)については、その米穀の配給に関する事項で政令で定めるもの
十三  住民票コード(番号、記号その他の符号であつて総務省令で定めるものをいう。以下同じ。)
十四  前各号に掲げる事項のほか、政令で定める事項

即ち,住民基本台帳法第十二条(反対解釈)によれば,交付を請求した住民票に「最低限必須記載される事項」は,第七条のうち下記の通りです:

一  氏名
二  出生の年月日
三  男女の別
六  住民となつた年月日
七  住所及び一の市町村の区域内において新たに住所を変更した者については、その住所を定めた年月日
八  新たに市町村の区域内に住所を定めた者については、その住所を定めた旨の届出の年月日(職権で住民票の記載をした者については、その年月日)及び従前の住所

要するに,この6項目が「住民票交付の際に省略不可能な事項」という事になります.
そして,上述の通り第十二条5項では「市町村長は(中略)省略できる」と法定されている訳ですから,それ以外であるこの6項目については,「省略できる根拠法令が無い」事をもって,それらの各項目を省略した形での「住民票(の写し)」現物は,交付のしようが無い,という事になります.
ですから,例えばどこかの基礎自治体が「性的少数者にもやさしく」などと,良かれと思って,性別欄の記載がない”住民票”を発行しようものなら,その自治体首長は住民基本台帳法に抵触する事になってしまいます.

 

という訳で,これより深く細かな論点に関しては「立法が無い」という事ですので,例えば人権問題として憲法違反などを主張して司法で戦ったとしても,まずもって現実的な意義は期待に乏しいと考えざるを得ないところです.記載事項証明書の交付申請は幾分手間ですが(単に住民票ほど簡便化が進んでいない為),ひとまず「必要分の情報の証明書」は発行されるので,その点では現行制度でも人権に正当な寄与が成されている,といったあたりが,公的機関の立場からの現状認識観点でありましょうか.

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【経過続報】交通政策審議会の首都圏鉄道整備計画に関する公開状況

以前記事で「概ね15年ごとに答申が出されてきたところ,今回は今年に入っても未だ出ていないようです」と述べていた件,「答申」という形よりは進行形の会合資料と思われますが,ひとまず公式情報が出たようですので,続報としてお伝えします:

第20回(2016年4月7日)東京圏における今後の都市鉄道のあり方に関する小委員会 配付資料
http://www.mlit.go.jp/policy/shingikai/tetsudo01_sg_000253.html

情報量が多くて,読みやすいとは言い難いのですが,内容はインパクトある話が結構見て取れます.
首都圏の鉄道整備計画を網羅的に論ずるほどの知見を持ち合わせておりませんので,誠に御手数ながら,先ずは各自図や表を見て,土地勘のある情報に着目などして「これは」とインパクトを感じて頂ければと存じます.

また,民間の立場から解説したサイトも既にあり,概要を知るには便利かと見えます:

都心・臨海部の鉄道計画の評価 -有楽町線豊洲住吉延伸/蒲蒲線が有利か?
http://www.toyosu.cc/archives/163856?utm_content=buffera6139&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer

上述の通り,情報量が多くて私の立場で「まとめる」には複数の意味で手が追い付かないので,ひとまずは「続報」としての公式情報紹介をもって,今回記事の意義としたく存じます.

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適正な対価とは(2)電子出版編

通番的タイトルをつけてみましたが,同カテゴリの前回記事とは殆ど独立で,今回は表題の個別各論について述べます.

 

比較的直近の事ですが,電子出版に関して「仕事上の」お問い合わせを頂戴しました.直接連絡を取ってきた人は,私にとって「身内」もいいところの知人で,おそらく本人に悪気は無いのだろうと思うのですが,それにしても,所属企業(※出版系)から権限を任されて動いている以上,本来はあくまでも「職務関係」を前提とした形で話を進めるべき状況に違いありません.
ところが,今回の連絡相手は「個人的関係」をベースにして多くの仕事内容的な質問を送ってきてくれた挙句,最後まで「今度メシでもおごるよ」といった調子でありました.その相手本人の企業内ポジションと,同企業上層部の意向から察するに,「相応の知見・能力を有する人(私)から『知人の伝手』で有用な話を聞いて,自社プロジェクトに活用したい」といった流れが見え透いているかのようで,さすがにちょっとそれは待ってくれよ,と言いたい訳です.一応,連絡の末尾に「より深い話が必要になる際には,私が御社に出向く事になるでしょうから,その際はスケジュール合わせましょう」と誘導は言い含めておきましたが,こういう意味での企業の意識体質が,この先果たしてどうなります事やら.

 

さて,事のついでながらあらためて自己紹介をしておきますと:
私は昨年11月末に自身初の電子書籍(AmazonKindle対応)を出版し,同著は「教育・学参・受験」のカテゴリでベストセラー(ランキング1位)を獲得しました.また,この他にも当研究所(教育ビジネス研究所)の名義を冠さない,小規模出版希望者に対する電子書籍出版の全面的バックアップ等を行っており,日本語圏を主眼とした刊行物の展開ながら,海外での売り上げもが伸びてきている状況です.

そして,これらの「実績」の背景には勿論,長倉顕太さん・原田翔太さんを始めとする,電子出版業界・マーケティング・プロデュースといった,各方面の専門家による方法技術の粋が込められており,その中で私自身の上記実績も,これらの恩恵を存分に受けている事は確実と言えます.「何の師匠なのか」と一言で形容しにくい(それだけ本質的に分野の裾野が広範である故)事もあって,プロフィール欄の「師事した人」一覧にはお名前を挙げさせて頂いていないのですが,このお二方は間違いなく私の師匠,あるいは先達です.

この「専門家としての教育」を受けた上で,私自身が自らも実験例として電子出版を実行し,そして所期の成果を得た訳です.師匠達から習った方法技術の全てを活かしきるには,まだまだ私の活動範囲が追い付いていませんが,本来は此処にも未だ書いていない「凄まじいインパクト・ポテンシャル」を有し,しかも商業展開としての裾野も非常に広く展望出来る,壮大な企画が成立する沃土が広がっている分野です.

 

だからこそ,「ちょっと知人のよしみで質問」というのは,連絡の導入部分(実質上の挨拶)としてならまだしも,「職責」を含めた私の立場からすれば,「どう考えてもそんなタダみたいな安売りが許される話ではない」というのが偽らざる本音です.
(※なお例外として「私と同種の専門家教育を受けた人」については,「同志」としての関係が 有り得ると考える為,ちょっと特殊扱いです.該当者で当記事読者の方はお気軽にどうぞ.)

私くらいの実績を有する立場でも,当初の段階で「電子出版について相談したい」というお話であれば,「具体的な実現を所期目標として掲げる」事を前提に,初回相談対価として先ず5~10万円程度の支払は求めたい(現実上,問合せを頂いた私は本人共々「走り出す」前提で即始動する為,この程度のコストが最低ラインです).

そして,更に出版後の「著者本人の展望」につなげる話(※本来は出版を考える段階から並行設計しておくべき事)まで含めて,私が著者と共に,言わば著者に「寄り添う」形で責任を果たしていく道筋を展望し,実現していくという事を真摯に考えるならば,それはもはや,「電子出版に関するコンサルティング」から始まって,「著書を上梓した本人のプロデュース」にまで及ぶ,遥かに大きな展望(「壮大な野望」と言った方が嬉しい方はそちらを御採用下さい/笑)を見渡すプロジェクトとなります.
ここまでくると,そもそものフォーカスしていた媒体がもはや「電子出版」に限られず,「本人(企業単位の場合も含む)の行き方」そのものを扱う事になってくるので,その各段階において,私が如何なる職務役割を提供する事が出来るのか,随時確認しながらの仕事関係となるはずでしょう.

また,出版活動をこと「企業」という主体の立場からの位置付けとして考える場合,「企業経営戦略の一環として,出版という媒体をも活用する」という観点からすれば,突き詰めていくと本質的には「経営改善・企業生産性向上」の一環という面に辿り着くはずであって,これは寧ろコンサルティングの主眼とするところです.
其の意味で,私自身の例では一見「電子出版」という形を先行させていましたが,実は「効果・成功度において確実性が高い,コンサルティングに基づく企業戦略の道程」の雛形の一環として,実証実験を行い,所期の成果を得て其の「効果」を確認した,というのが,今更ながらのタネ明かしです.

 

上述の通り,個人におけるプロデュースや企業を中心とするコンサルティングのアプローチにおいて,必要に応じて随時電子媒体による情報発信の活用をも絡めた方法技術という「武器」には,現在(当記事公開時点)においてさえも,まだまだ非常に絶大な効果威力が存在します.これより先は「有償職務」の範疇と認識しておりますので,電子出版ないし経営改善に関心のある方は,上記初回相談料を御用意の上,御自身・御社の意向・展望と,当方への質問事項等を整理して,御連絡下さいませ.

 

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前回記事についての反省

※あくまで反省とその為のまとめなので,聡明な方は読まれなくとも足るかもしれません:予め御了承下さい.

 

前回記事公開後,引用元記事著者御本人をはじめとして(!)識者の方々からあらためて記事等公開の形で御意見を頂戴しましたので,先ずその後の議論の流れを理解しながら整理しつつ,私の立場見解についても反省を進めて,それらの履歴記録を残す形にしたいと思います.

 

先ず,前回記事の「重要な追記」でも述べた通り,私の視点がそもそも「優先順位として筋が悪かった」事は,おおむね確かなようです.(ちなみに私の個人特性としてはどうも,各論を理詰めで掘り下げる能力に比して,それら各論を一目に眺められるよう配置して優先度を考える,といった事は苦手でありまして,今回のように「きちんと叩いて頂ける」事は大変貴重で有難いお話です.)

何よりも,速報レスポンス的な記事で山本さんが,まさに私の前回記事に応える形のタイトルをつけて下さった事は,「今一つ感覚として分かっていない人(典型例が私)への説明」として,誠に丁寧な補足を頂いたものと存じます.

「射幸性」はソシャゲの本質的な問題そのものです
http://lineblog.me/yamamotoichiro/archives/5198079.html

>この中で、いわゆる「高額課金」問題を問うに当たって、業界側の高収益構造を担う最大のポイントは射幸心を煽る告知に関わるノウハウやビジネスの仕組みです。(中略)
>その仕掛けのひとつとして、金券扱いのため返金できないという前提で利用者規約が組まれ、ユーザーが極めて低い確率でしか目当てのカードが排出されないことを知らされないまま「確率アップ」という曖昧な文言で300円を突っ込み続け、爆死していくビジネスの仕方の根幹は、この射幸心の煽り方に課題があるといえます。
(中略)
>ブリザムさんからご指摘のあった内容については、個人的には射幸心を煽ること、そのための仕組み全般が問題だということで私は考えております。ある程度業界全体の認識を持ってもらうことで、問題点を良く認識して善後策を考えてほしいと思うわけでして。

これらの御指摘からもあらためて明白なのは,結局「射幸性」に帰着される因子そのものが,ソシャゲの現状問題の「本丸」であるという事に他なりません.と言うか,私の当初着眼点は「問題の本質」より「ソシャゲの本質」という話をしてしまっていた訳で,そもそも「それが問題かどうか」という事については,殆ど論を積み上げていません.
このあたりの「認識のズレ」についても,上記引用の山本さん記事では的確に指して頂いています:

>この問題については、(中略)当然のことながら消費者問題の中心に位置するべきものです。

>【山本一郎】ソシャゲのガチャで,本当にヤバい問題はどこなのか
http://www.4gamer.net/games/238/G023885/20160216028/

この有識者対談は記事公開当初に読んでいたはずなのですが…当局的温度感に対する私の認識がなおも鈍かった事は先ず反省です.

 

但し,一方で山本さんの現状御見解の中では,幾分色味を別にするかのように見える論点も並べおかれています:

>充分な所得のある人が、個人の趣味と確実な合意の下に年間2,000万円以上の資金をつぎ込んでゲームをしている現状については、問題視する必要は特にないと思います。実際にそういう人がいるからこそ、大多数の人が無課金や微課金でぶら下がっていてもゲームとして成り立つという現状はあります。

この観点もあくまで経営収支的な立場主体と見えますが,現状の問題とされる「大まかなもやっと一塊の雲」の内側に線を引いている所が有る,という意味で,意識の片隅に残しておくべき点ではあろうと思います.

 

さて,ここまで一連の流れを含めて(!)まとめて頂いたサイトが更にありましたので,先ず御紹介:

サイバーエージェントの偉い人はゲームとパチンコで射幸性が異なるとか本気で言ってるの?
http://www.siskw.com/entry/20160405/1459814241

タイトルがあたかも私まで真っ直ぐ刺しに来ているかのようで一瞬竦みましたが(苦笑),拙記事[&山本さんレスポンス]の内容に関しては,後段の「追記」で触れられています.

>インフォメーション・アーキテクチャとして課金システムの射幸性の構造を捉えると、「欲しい」というモチベーションに対してかなり割合の低い偶発性の上で少額を投資するという状況そのものが人間の認識に対して大きな誤解を生ませてしまう構造だと言えるのであり、その構造を成立させるだけの欲望を喚起できる対象であれば手に入れるモノの内容は問わないと言えるんじゃないかと思います。

要するに,拙記事の主張に照らせば「射幸心につけ入る形の商売システムが機能する状況においては,『入口』の方法種類はおおよそ何でも良いのであるから,萌え誘引力に何らの特殊性がある訳ではない」という御話です.
私自身が前記事を書くに至った動機からすれば,こちらの方が余程恐ろしい指摘です.何しろ,「脳ミソの構造的に,萌で釣るというのはエグい針の掛け方なのではないか」と言おうとしているところに,「商売上は,単に釣りやすい(ユーザー数なり売上規模なりが多く取れるスキーム展望がある)名目の一例に過ぎない」との論が上界をおさえている訳ですから,「萌え誘引性は,ソシャゲの問題を考える上では本質的でない要素」と言われているのとほぼ同じで,勿論これこそ真正面から前回記事の拙論に刺さる話でございます.

萌ゆる絵柄はあくまでも「入り口で釣るための方法論(の一)」でしかなく,その先は単なるエグい射幸性商売に直結されていた…という話ですと,その釣り針を美味いと思って食い付いた人達の心を慮るに,哀しみを禁じ得ません.

 

ただそれでもなお,「本当に萌え絵の誘引力には大した意味が無いのか?」という点には疑念を持っておりまして,端的には「じゃあプレイヤーはなんでそのゲームに着手して,そしてプレイを続けているのか」という話です:射幸心が「本体」だというなら,そもそも別にビジュアルが可愛いキャラクターをもってくる必然性は全然無かったんじゃないのでしょうか??と.
言い換えると,たとえ射幸性のように「噴き上がる」原動力の必ずしも直結現物ではなくとも,ゲームシステム(経営的観点含めて)の入口付近では常時「ベース火力」の如く,キャラクターの誘引力が効き続けている構図は,なお有るのではないでしょうか…?という.

 

ちなみに,私自身はソシャゲを殆どプレイしていないのですが,前回記事ではユーザー視点からのコメントを各所で頂いています:その中では「ゲームプレイヤーとしての欲求対象は『キャラが可愛いから』だけではない,それでは説明がつかない」という点の指摘が多く,これは単に前回記事で私が「直感的には」と始めた話をそのまま端的な日本語で説明した事例だけで突っ走ったという,論述の技術的な落ち度に起因するものと存じます.申し訳ありません.
とは言いつつも,それら御指摘の中で挙げられている「ゲームをプレイする他の動機因子」を見ていくと,「それは結局射幸心に帰着されますよね」という代物だらけだったりして,先に補足記事の終盤で「射幸心そのものが悪いと限った話ではない」と言及されている山本さんの慧眼にこそ,寧ろあらためて畏れ入るところであります.

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【重要追記有】「射幸性」は果たしてソシャゲの本質的な問題点そのものなのか

先ず,そもそも「射幸心」の定義として何を基準に参照したらよいのか,という点からして問題となる訳ですが,ひとまずWikipediaの該当記事を確認しておきます(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%84%E5%B9%B8%E5%BF%83):

>人間の心理として「幸運を得たい」と願う感情の事で、その心理的な欲求を抱く状態
>しばしば「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい」という心理状態をも含む。

なるほど,定義はこういう事らしい.

そして更に,次のような議論も既知だそうです:

>射幸心と賭博行為は密接な関係にあり、

こちらは最高裁判例によるとの事.

ここで,当サイト今回記事後段の議論と関連する点としては:こと「萌え産業」自体についての話は,一言も触れられていないと見えます.

 

さて,それではあらためまして,今回本題の参照記事を紹介します:

ゲームにおける「射幸性」は何が問題なのか
山本一郎×日高裕介 ソーシャルゲーム対談(後編)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/279975/040400002/?n_cid=nbpnbo_mlp

当記事では山本さんの言として:

>その中でユーザーさんは、より強い武器やアイテム、キャラクターが欲しいと願い、1回、300円のガチャを回す。このくらい引いたら出るだろうと期待して、頑張って引く。出ませんでした。じゃあ、出るまで頑張ろうとなる。少ない金額でそのアイテムが当たるかもしれないという期待を抱かせる。これが、射幸性なんです。

とありますが,「少ない金額で当たるかもしれないという期待を抱かせる」事と,「じゃあ、出るまで頑張ろうとなる」という事とは,法制度に落としこむ際に結果評価(数理的モデルが出来る場合にはその形状構造をも含む)としてはたとえ同じになるとしても,そもそもユーザーがプレイを始める際の入口の「動機」のメカニズムとしては,一般にその原理メカニズムは必ずしも異なるのではないか?という点が,気に掛かる訳です.
勿論,此の論点の所在自体は今回記事対談内でも承知とは見えて,例えば直後の段落でも:

>まずは出現確率の表示をしなければ射幸性は制限できない。それって最低限の話で、「その確率だったらそもそもやらない」という人がいるかもしれないですし、「それでもやるんだ」という人もいるかもしれないですし。

という形で,一応の言及自体はきちんとされています.但し,その先を深く突き詰める論は,今回引用記事の範囲では見当りません.

 

他方で,私は個人的に,「ソシャゲはそもそも商売として何をやっている事になるのか,それをどう理解すればよいのか」という観点から,関係者らと非公式に会合の機会を得て,意見交換や議論をしてきています.

その中で,暫定結論の一環として:
「カネが懸かっている事」と「萌えゲーという属性」とは,相性こそ悪くないのかもしれないが,一般論としては別の話ではないか
という論題もが出てきている事については,少なからず重要な観点と認識しています.

すなわち,「ギャンブルとしての射幸性」と,「萌え媒体がその本質的特性として有する顧客誘引力」というのは,少なくとも話の発端としては「別の事」なのではないか,と,誠に荒削りな試論ながら一言指摘する次第です.

もう随分前の事ですが,パチンコ・スロット業界が,いわゆる「二次元萌え的媒体」を商売の一角に取り込んだ際,当初は恐らくかなり慎重に「導入」を進めていた,と傍目にも見えます(初期タイトルに「海物語」などが著名かと).
その後,同業界はアニメコンテンツ等の権利を積極的に獲得し市場投入していく道程を造り進めていく訳ですが(このあたりで「純然ギャンブル好き」と「アニメ絵好き」の顧客層は,重なりつつも両方取り込む形になっていたはずです),他方では,更に数年下って,「パチンコ・スロット産業の顧客層がFX(為替証拠金取引)に流れた」との報道も聞き及んでいたところです.後者の報道について,統計調査等の裏取りは確認していないのですが,ごく素朴に考えても,「ギャンブルファンと二次元萌えファンは両立なり共存し得るかもしれないが,純然ギャンブルファンに対して,例えば『二次元の魅力』で顧客として吸着し続ける事は必ずしも成り立っていない」という構図は見て取れます.

そして,この二軸的な観点からすると,モバイルゲームの課金ユーザーのメンタリティというのは,直感的にはあからさまに後者です.即ち,あくまでも先ずは「二次元のキャラクターが可愛いから」お金を払ってでもプレイする(勿論,その背後には「無課金組」も相応割合で存在する)のであって,ギャンブルとか法規制ライン的な意味での「射幸心」とは,人間の精神・脳機能の内訳からして,メカニズムがちょっと少なからず異なるのではないか,と考えられる訳です.

当記事の前段でも一度触れた通り,課金額やその内訳方式といった「結果」として出てくる際には同じ事だとすれば,法規制をはじめとする社会的合意形成ライン策定のための論議において,まず「射幸性」というキーワードから定量化が模索される事自体は当然でしょう.それらに関しては,既に動いていらっしゃる識者の方々等に,ひとまず仕事をお任せしたいところです(私自身が供せる議論はそう多くないでしょう).

しかしながら,上述の理屈がメカニズムとして成り立っているのであれば,たとえ「射幸心」側に十分妥当な規制ラインが引かれようとも,「萌え誘引力」に惹かれるユーザー層の行動源泉の本質に対しては,なお殆ど全くの「青天井」状態がそのまま継続する可能性さえ残ってしまいます.
そしてこの論点は,「射幸性」対策として何らかの規制ラインを策定するに際しても,そのラインの「妥当性」を考える上では,本来は考慮が必要な因子にも違いないのではないか,と思われる訳ですけれども,単に定量化が難しいのか,あるいは憲法・人権レベルの話まで踏み込むのがあまりにも規模の大き過ぎる話だからなのか,…正直,私の目から見えている限りの現状を,どう認識理解して落とし込んだものか,未だはかりかねているところもあります.

 

【重要な追記】
本件で引用した元記事著者のお一人である山本一郎さんが,取り急ぎ追加解説記事(事実上の拙記事への返信を含む)を迅速に公開されました:

「射幸性」はソシャゲの本質的な問題そのものです
http://lineblog.me/yamamotoichiro/archives/5198079.html

先に引用した対談記事では詳細に触れられていなかった話とか,更には参考文献の御紹介まで頂いて,速報的ながら至れり尽くせりの内容と見えます:浅学の典型たる私も,この頂いた端緒情報を元に知見改善に励みたく存じます.

また勿論,拙記事本文に対しては「人間の生物学的構造をハックする仕組み云々より以前に,先ず法制を含めた社会的合意ラインをシロに着地させていく算段の方が,重要度優先度としては高かろう」という,当り前のお説教をあらためて頂戴した感な向きもあるのですが,御蔭様で現状の「事の重大さ」は直感心理レベルでなお一段良く分かりましたので,こちらも「社会との接点におけるバランス・優先順位」という事を含めて,あらためて反省し考えたく存じます.

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顕名と社会的責任の所在と,経済活動生産性について少し

漫画家の種村有菜氏が,いわゆる「二次創作」同人誌の発行予定を中止した事で,関係方面では相当な物議というか炎上案件となっているようです.

容易に推測される状況として,「先に『公式版権下』でイラストを寄稿したタイトルと同作品の二次創作『同人』発行物を出す事が問題になったのではないか」との指摘があります.著作権法云々以前に民事契約違反も充分有り得る局面と言えます.

此の実情の仔細については,種村氏本人名義での直接説明文章も存在しているのですが,これはTwitter鍵付き(非公開)アカウントの内側で述べられていた内容が丸々コピペされている代物だったりして,仁義も何も有ったものではないインターネットの恐ろしさを感じずにはいられません.一応,公開状態になっている情報を以下にリンクだけ御紹介しておきます:
http://tr.twipple.jp/p/13/bff326.html

 

斯様な状況においては凡そ既定路線もいいところな流れとして,「二次創作のモラルを守って活動すべし」といった言説が,関係当事者からきのこたけのこ戦争並みのペースで沸き出てきます.当然の如く,論議に参加する人の大多数は匿名であり,論題そのものの社会的位置付けのグレーさは素人目にも露骨な程度です.
彼等にとって,今回の事案がいかに「外患誘致」的であったかの一端は,以下のまとめサイトでも存分に概観する事が出来ます(各ツイート等の内容については「全くのデタラメ」も含まれるので,情報源としての利用時には各自御留意の上,自己責任で行って下さい):

種村有菜、突然「おそ松さん」の18禁BL同人誌発行中止へ 理由がヤバすぎると話題に
http://matome.naver.jp/odai/2145750429496489201

上記サイトなどを一瞥すると,のっけから「二次創作はそもそもヤバいもの」という意識感覚が共有されていて,心得の無い方にとってはあたかも無法地帯の人外魔境か何かのように思われるかもしれませんが,実際その通りと認めざるを得ない面も当然有る訳でして(詳述は割愛しますが,著作権法親告罪の範疇で済まない事例も少なくない),それこそ「同人作家は本名と顔がバレたら即死」というデスノートのパロディなど,当事者にとっては笑うに笑えない程度の様です.
尚,種村有菜氏は漫画家(いわゆる商業誌作家)・同人作家のいずれとしても,行政登録上の本名で活動しています.

 

さて,現代社会において,日本国内法のみへの留意では足りない事は無論でありまして,例えば著作権法なら「非親告罪化」がTPPで話題になった事もまだ記憶に新しいところです.

此の「(法制に代表される)社会的責任」と,「其の責任の所在としての個人の顕名(実名)」という点については,既に私の師匠でもある苫米地英人氏が以前から指摘している通りです(近日参考:https://twitter.com/DrTomabechi/status/705667667584126976).

…とは言うのですが,一方で,現在ハンドルネームという匿名の下に”隠れている”人々を一挙に顕名化などしたとすれば,彼等の活動は即座に停止します:言わば本当に「即死」してしまう訳です(上掲まとめサイトの様子から窺える通り).

そして,此の「顕名即死」組の人口規模が結構な事になっていて(業界に明るい方には周知の通り),大まかに見積もっても国内の「書(描)き手」だけで5万人以上,受け手(読み手)に至っては数十万~百万人程度が,現在進行形で活動しています.
彼等の多くは,平日日中は「一般社会人」として実名で各々の仕事なりを営みつつも,ひとたび休日を中心に開催されている同人イベントとなれば,札束と薄い本が猛速で飛び交う祭りの燃料そのものと化す事になります.
更に其の傍らでは,そんな彼等の活動の「ほんの一かけら」の成果として,特典ポスターに釣られて献血に行って,首都圏近郊の輸血需要を異常な割合で満たしていたり,朝からすき家で牛丼を5杯ずつ平らげて,ワンオペ店員に悲鳴を上げさせたり,といった「社会現象」が発生している訳です.

 

そうすると,これってもはや,単に「社会的生産性・活動性・経済効果の高い人達」なのではないか,という意見が,さすがに脳裏に浮かんでくる事となります.五百円玉の100枚や200枚を半日で軽く使い切ってしまうような「経済社会的に温度速度の高い人」数十万人を,今刺し殺してしまってどうするの,という話です.

Instagramが今更ながらあらためて持て囃されていたり(広告代理店業界の後押しあっての事とは思いますが),TPP交渉で日本国当局が「コミケ文化」と明言していたり,山本一郎さんの直近記事(http://ironna.jp/article/2922?p=1)でも同人活動者に言及がされていたり,といった社会環境を見渡してみて,そして今回種村氏が「自爆炎上・外患誘致」とばかりに台風の目と祭り上げられている最中で,「顕名即死」の匿名同人関係者各位は,自分達の身の振り方について,果たしてどう考えているのでしょうか.

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国交省「UR団地を医療福祉拠点に」という尤もな政策が目指すもの

交通政策審議会の「首都圏15年整備計画」答申が諮問段階以降未だ出ていない事が,最近特に気になってきております.
http://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk4_000002.html
リンク先でも丁寧に説明されている通り,旧運輸省はおおむね15年ごとに「首都圏の交通整備計画」を目標の骨子として答申の形で明示し,その多くが実現してきました.勿論,鉄道や自動車道路の発展に伴う,宅地や商業地の開発・そして人口動態もが,セットになった話です:これらも結果評価から見て取れます.

 

一方で,「UR団地を医療福祉拠点に」という,これ自体は朗報とも見える政策が打ち出されました.

大型団地 福祉拠点に 国交省、高齢化で地域と連携
「住生活基本計画」原案
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFS18H4E_Y6A110C1EE8000/?n_cid=SPTMG003

直近の「首都圏鉄道が雪で大影響」という状況を目の当りにして,これはこれで相当いかんぞと思ったのですが,さすがに医療福祉のような長期的展望の方が事の重大性としては優先でありましょうか.

少子高齢化(人口動態)で国交省マターといえば,既に昨年以前から大きく取り沙汰されている「空き家」といったキーワードが筆頭に思い浮かびますが,ここで「区分建物(マンション)の建て替え」という,法的にもハードルが高い項目に手がつけられた事は,「着手しやすいところから現実的な対処を考え,実行していく」という政策観点として,肯定的に評価出来るものと思います.

 

昨今でも「タワーマンション」といえば経済的成功者の象徴であるかのような認識が広まっていると見えて,そういう人達には本件例のような「人の高齢化と建物の老朽化を踏まえた上での,大都市圏再開発計画の大局」といった切り口は,今一つ当事者意識をもって響かないのかもしれません.或いは,先日の雪で大幅遅延した都内周辺交通の中で列を成していた方々にとっても,おそらく同様の向きがあるのではないでしょうか.
しかし,そうして日々の通勤・通学に最寄り駅との往復路を歩く中で,駅近の古びた「官設っぽい団地」を目にした事のない人は,実はむしろ少ないはずです.そして,それらの幾つかは30年以上前(1985年)の運輸省答申と関係しています.
斯様に,国策レベルの大局計画とは,時を経てその成果が目に見えるものだとつくづく思います.今回の国土交通省政策にしても,敢えて言うなら,「社会保険制度の設計・試算」みたいなものに比べたって,まだしも意義をイメージしやすい対象には違いないでしょう.「2020年より先」を見据えた展望を明示する今回の提案に,先ずは敬意を表したいと存じます.財源をどうするのかは未だ存じませんが…拙宅の例だと300億円規模のプロジェクトになると試算されたりしておる訳ですが…

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