「良い子」の語義を自分なりに確認する

「コーチングサミット2016」に参加しているのですが,

来場者層の「良い子」感…世の中ってそういうものなのでしょうか??

私の仕事は,この世の「より危なげの有るところ」になお存在するのかな,とあらためて思いました.
別に強いてまで「斬り合い」をやらせる必要は無いかもしれませんが,「良い子の縮小再生産」的な構造って個人的には好きでもないし,社会的将来展望としても,必ずしも望ましくなかろうと言うか,志の高さとして中途半端感が否めないとでも申しましょうか.

そんな訳で,特に「良い子業」が辛くなってきた方などには,私が提供出来る事は沢山有るかと存じます.別に最初から「良い子が嫌い」な方でも構いませんが,私自身がいずれの系譜に属するのかはさておくとしまして.
荒っぽい人とかはちょっと怖い気もしますけれども,猫に咬まれるのは慣れてるので,多分それでも大丈夫でしょう.

ちなみに,会場には硬そうな服を着ている人も多く居て,「いつ見ても動きづらそうだよなぁ」と思う訳ですが,かく言う私もたいてい礼装なので(※緊急時対策は日常的に準備しています),慣れたら平気なのかもしれません…? 私自身は延々慣れなかったので,今でも「硬い服は着ない」条項を職務に入れていたりする程度ながら.

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エロ媒体ってどのくらい必要ですか?

 元ネタはデマであると判明したそうですが,ちょうどたまたま私の問題意識に合致したので,敢えて採り上げて触れたいと思います:

【高畑裕太容疑者】「彼女もいたしお金もあったし…」コメントはデマ、SNSで誤解生む
https://www.buzzfeed.com/keigoisashi/takahata-comment?utm_term=.paOY461mKn#.opX7o3BPrd

俳優の高畑裕太容疑者が、ビジネスホテルの従業員の女性に性的暴行を加えケガをさせたとして、8月23日、強姦致傷の疑いで逮捕された。

「彼女もいたしお金もあったしそういう欲求は満たそうと思えば満たすことができたんですが、襲うということの欲求は襲うことでしか満たせないと思いこのような事態になってしまいました」

逮捕報道後、高畑容疑者のコメントだとする、こんな文章がTwitterなどに出回っているが、これは何者かによる創作である可能性が高い。

 …だそうで.
 デマとは言われつつも,このネタが相応の関心を引いたのは,やはりその内容に「納得共感されうる面もがある」からではないでしょうか? というのが,今回の私の問題意識です:そして表題の通り,「社会システムはそのためのコストをどこまで払うべきか」という論題に挙げる次第です.

 

 先ず,私の存じる限りで医学的(生物学的)知見を復習しつつまとめてみますと:

 人間(性的二形である)の場合,受精卵の温床(着床から新生児となる=出産に至るまで)を準備するコストを女性側のハードウェア的仕組みに押し付けていて,もし本来の発動(生殖)に寄与しなかった場合でも,「毎周」1か月程度が準備及び後片付けに費やされます.更に,この女性の周期は各個体(個人)毎に小さからぬズレもが存在します(此の「理由」についてはあまり詳細を存じないのですが,「意味付け」については例えば竹内久美子氏の各著を参照:ちょっと古いですが).

 そして,その受精卵を養育するための構造の「バーター」として,男性側には「随時」生殖への貢献を発動出来る機能が求められる事となります.
 …そうすると,男性側の機能がしばしば「余る」事態が発生します.そこで,機能が余ってしまったその男性においては,何らかの方法で「空撃ち」をする必要もが生じる事となります.それが本来の物理生殖に近い形(生殖準備は整っていないけれども「行為」自体は果たせる物理構造となっているところの,女性の身体をそのまま使う)であるか,その他の(敢えて言えば「より抽象的な」)方法を使うか,の二択が先ず一段階と考えられます.

 

 ここで,「後者」はおそらく人間の知能が及ぶ限り,おおよそ「青天井」のはずです.いわゆるアダルトビデオですら「視聴者が出演者の現物身体そのものをリアルタイム使っている訳ではない」という意味ではヴァーチャルです.あるいは,そもそも現行日本法下では「本番」営業が認められていないので,「物理接触」でやる性風俗産業にしたところで,その身体とは生殖行為用の現物「以外」のナニカでやる事になります(これが果たしてどこまで合法下で認められるのかの詳細については,識者の知見に委ねさせて頂きます).

 となると,男性側の「余った分の空撃ち」は,実際上の割合としても「ほぼヴァーチャル」で行われる事になるでしょう.これは上述の通り,生殖用の医学的物理システムの結果の一端な訳ですから,当然「人類システムの維持」という文脈から,保護や便宜供与が必要に応じて求められる事となります:人によっては「人権」といった切り口を登用したいと思う向きもあるかもしれません.
 随分昔に,雑誌広告でオナホールが「男性用生理用品」と銘打って売られていたのを見て感心した事がありますが,ずっとごく近年になって,今回記事タイトルのような問題意識をより明確に持ち始めるようになってから,あらためて「エライ話だったのではないか」と思っておる次第です.

 此の「ヴァーチャル」の青天井さの度合いは,私の存じる限り未だとどまるところを知りません.「ファミコンのドット絵を使いました」程度の話では驚くに足らない程度です.そりゃ当然と言えば当然で,元々のゲームなりに対して感情移入して意味を理解したり操作したりといった事が出来る人が,こと性的な(自分の)身体構造との関連方面だけを「除外」する必然性は何もありません(個体差としての存在可能性はさておくとして).
 つい過日も,リオオリンピック閉会式で安倍晋三首相がマリオのコスプレをして登場し,「あれは『少なくとも向こう4年,クールジャパンが一丸となって此の方向で行きます』との強いメッセージ発信である」との旨はおおよそ共通了解と見られますが(不服の声はともかく「解釈」自体についての異論はあまり目にしていません),当然の如く「生物学的処理用途のバーチャル側寄り」の媒体の一つとしても,斯様なコンテンツは今後とも使われうるのですよ,という事を,あらためて指摘して世論に提示しておきたく思う由です.
 閉会式の中継を見ていて,安倍晋三のコスプレをしたマリオが登場した瞬間に,当時日本語圏で既に物議となっていた「AV出演強制」等といった論題と彼もが「地続き」である,と直感した事は,今後5年以内程度の展望を考えるに際しても,随時忘れ得ないでしょうから.

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「匿名世界」側で棲み分けた結果として,彼等匿名者の生活の有り様は如何なるのか

以前の拙記事( http://www.educationbusiness.jp/2016/03/10/顕名と社会的責任の所在と,経済活動生産性につ/ )に関連する論題として,直近に苫米地英人博士があらためてTwitterで指摘されていました(御本人は「既述の論」とされていますが,今回の述べられ方が端的にも分かりやすい説明になっていると見えたので紹介します):

ここで,苫米地博士は「棲み分けるべき」としていて,あくまでも匿名活動者を「焼き払う」ような含意はひとまず無いと見えます.此の点,冒頭リンクの以前拙記事で述べた私見の方向性とは,少なくとも直ちに対立する論点内容では無く,何らかの「共通の指向性」を見据えた大局論は成立しうるものと思っています.

しかし他方で,同じく指摘されている「責任」の存在については,これも以前拙記事で触れていた通り,現状の「匿名活動」には何ら「責任の所在を確保し明らかにしておく算段」の目処が立っていないと見受けられる旨もまたなお否み難く,もっと言えば「本気で社会的責任を自身が引き受ける意思を有するのかどうか」といった点にさえ,疑念を隠しきれません.

個人的には,匿名世界の「住人」達が,実名世界から切り離された「棲み分け先」(苫米地博士の提言通りに社会的「実装」が成された段階での意)において,果たしてどのような「生活」を送る事になるのか? という点は気になっております.

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日本語の言葉の選び方に気を遣って欲しい場面

過日,妹が結婚しまして彼の配偶者と母と同席しまして,その際に今更ながら,配偶者氏(姻族)に「私の位置付け」を確認する訳です.先に目の前の妹に「どういう『設定』になってるの?」とオタク用語風味で確認をとってみたのですが,明示の意向が無いようだったので,あらためて配偶者氏の方に「何扱いになってますか」と訊いてみた次第です.

すると,「お姉さん…もしくはお兄さん? 一応お姉さん寄りかな」という答えを頂きまして.
主観的にもわりとマシな部類の反応で気に入ったので,テンプレート通りに「お好みでどうぞ」と返しておいたのですが,それにしても,差し当り「2択かつ一旦判断後は固定」としたい意向認識はあるらしい,と見えます.私としては「どのみちその概念(世界観認識)自体が間違っている」としか言い様が無いのですが,そういう概念を「知らない」相手に理解を求めようとすると,一般知的水準の要求期待値が「東大生の平均を超える」程度になってしまう,という実情が経験の限りで見えているので,面倒な上に報われるかどうかさえも確実でないコストは削減する方向です,現時点では.

そこで代案の一として,予め狙って仕込んでおいた通りに,「英語にはsiblingっていう便利な概念があるんだけどね,日本語圏にも有れば,私ももっと冠婚葬祭に出席とかしやすくなると思う訳ですが」と,知見をひけらかしつつ釘を刺しておくところまでもテンプレです.

が,ここで意外な反応がありまして:

「え,そんな理由だったの」と母が一言.

え,って,こっちの台詞ですがな…貴方はさんざん知ってるはずですよね!? 中学高校で公立学校なのに制服指定があったので仕方無く「2種類両方買ってよ」と言った時,「金掛かるからヤダ」と断られたので結局制服着なかった,という一連の流れは,目の前どころか当事者だったじゃないですか…そんなの流石に忘れないと思うのですが.

 

と,此の通り一応半分ネタっぽい述べようが出来る程度の状況だったので,今回敢えて記事に書き起こして晒しておく訳ですけれども,もっと本質的に鋭い話として念の為触れておくと,今回の個人経験エピソードも「親族の無理解の典型」例には違いないと思います由.
別に親族だから特別云々という話でもないのですが(実際問題としては「近く」に理解者が居るかどうか,がおそらく最重要),ここまで近いところから「(結果的に)刺さる」認識を表示されると,やはり削れる向きは否み難いものがあります.

尤も,単に「知らないとそういうもの」という面も一般論としては大いにあるかと思うので,せめて「直接会った人」程度に対しては,随時普及啓発を図っていく意向は一応持っています.
ただ前述の通り,やはり「コストフルな上に,それにしてもなお期待値が低い」難題には違いないので,結果的には「ぶつかった時に発動」するくらいしか実効タイミングが見当らない状況でもありますけれども.

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映像講義「高等学校数学語」公開のお知らせ

先に外部拙教育サイトで公開告知(http://ameblo.jp/blz-edu/entry-12177843602.html)しました通り,YouTubeチャンネル「高等学校数学語」にて,数学語の解説動画を提供開始しました.
対象は一応「高校課程程度の数学」で,今後とも随時作成・公開を継続していく予定です.

本来はほぼ教育サイト側の範疇のコンテンツではありますが,当サイトの方がインデックスページ等の準備がしやすい形式であるといった事情もあり,トップページ左側(PC表示時)の固定ページの一に「高等学校数学語」チャンネル各動画へのリンクインデックスを用意する所存です(※更新:当サイト内インデックスページを作成しました:http://wp.me/P6S43T-56).

既に高校数学程度を既習の方にとっては,内容からして「釈迦に説法」もいいところかと存じますが,次世代を含めた教育に資していきたい私自身の意向には変わりありませんので,どうぞ宜しくお願いします.

また,動画自体は当然の如く無料で視聴出来ますので,該当分野の教育プログラムを受講したい方へ向けては,ぜひ推奨の情報拡散に御協力頂ければなお幸いです.

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「みんなと一緒に卒業したい」は学歴詐取ではないのか

京都府立朱雀高校で,妊娠中の高校3年生が体育の成績評価の結果として履修認定(単位取得)を得られず,卒業が出来なくなる見込みとの事で,世論が過熱するのみならず各行政当局がコメントを出す事態となっています.

状況が詳述されている新聞記事の写真(直下画像,https://pbs.twimg.com/media/Ck-WSzNWgAMIZWk.jpg:large)がTwitterに上がっていたのですが,出典が不明なので,やむを得ず写真を添付した元ツイートのアドレス(https://twitter.com/kuro_yua/status/742977752425435137)と共に紹介します:なお,当該ツイートの意見内容自体に関しては当サイト記事では差し当り言及しません.
新聞記事紹介写真ツイート

 

各報道記事を概観すると,高校現場の教員の対応・言及内容にも中々問題が有ったようで,人道的な観点から論じられる向きも大きいと見えます.
http://www.sankei.com/west/news/160615/wst1606150040-n1.html
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160615000155
http://www.huffingtonpost.jp/2016/06/15/kyoto-pregnant-jk_n_10471830.html
ですが,妊娠出産等に係る人権保護の観点と,高等学校という公教育制度における履修認定=「公的ラベルの授与」の基準判断とが,混同して論じられているように見受けられる現状に対しては,率直に違和感を禁じ得ません.

報道によれば,本件では高校が「生徒本人の意向を無視して休学を勧めた」事が槍玉に上げられている模様ですが,そもそも休学を択ばずとも,当該生徒は成績評価に基づいて卒業要件を満たせず,退学等をしなければ「留年(原級留置)」が事実上確定していた状況のはずです.ここで,もし”配慮”によって卒業を認めてしまったとすれば,「本来は卒業基準を満たしていない生徒に,高等学校卒業の認定を与える」という事になる訳で,公教育(1条校)の制度とは何だったのか,との疑念に対しては,何らの正当性も説明されていません.

 

妊娠・出産ないし前後の過程(”コスト”)に際して,当事者に医学的あるいは経済的支援を提供するという事なら,まだしも意義は分かりますし,実際社会制度上もその算段は設けられています.ですが,「公教育課程の履修歴ラベルに関して『無いものを与える』」事に,果たして社会的正当性は認められうるのでしょうか.

 

本件の妊娠者は順当にいけば数か月後にも「親」になる訳で,それ自体は当事者・周囲関係者の方々を応援したく思いますが,当記事の表題で述べたように,敢えて厳しく言えば「学歴詐取の企図」とも受け取れかねない意向を表明している人が,親という「次世代の教育に深く関与する立場」になろうとしている状況に対しては,非常な懸念を覚えます.

 

あるいは,もっと根源的なところまで踏み込むなら,そもそも「みんなと一緒に」などと言う必要性が生じる”世間の空気”こそが問題の本質なのかもしれませんが,その方向性を護ろうとしたところで,どう足掻いても「泥船」の未来しか思い浮かびません.現在の親世代(本件の妊娠中生徒を含む)が「みんなと一緒に卒業出来る,配慮の行き届いた公教育制度」を守り勝ち得た結果として,その次世代にまでも「みんなと一緒」の空気を守るべき社会的精神圧力が継承されてしまう事になるとすれば,それは未来に対する責任の持ち方として,大分罪深い話なのではないでしょうか.
更に端的な言い方を重ねるなら,妊娠・出産においては「みんなと一緒」な事の方がむしろ少ないくらいの筈ですが(妊娠・出産の経験を持たない私ですら,体感的に納得出来る程度の話です:勿論,経験者達から直接の話を聞いている知識は含めています),当事者はその点をどう思っていて,同世代・歳上の世代・そして何よりも次世代に対して,その認識をどう伝えていくつもりなのでしょうか.

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興味はあるけど専門家になるつもりのない初学者は,どういう立場をとればいいのか

高木浩光先生のブログを目前にして正座してみたものの,先ず情報の物量に呆然としているブリザムです.サイバーテクノロジーと法制の両方に関心を持っている中途半端な初学者で,別段技術的に専門家になるつもりは今のところまず無いのですが,さりとて「何も知らないままやり過ごす訳にはいかないだろう」と感じながらここ何年か経っていて,積んでいる本も目の前だけで数十冊程度はあります.
先日,そんな本の山を眺めながら読書リストを確認して,年間通読冊数がだいぶ減っていて「やっぱり」と思った…のですが,その後で冷静になって電磁的文書の読字数を概算してみたら,日々の通読量合計はむしろ増えており,逆の意味で頭を抱えました;道理でしょっちゅう画面を見ながら「乗り物酔い」の状態を感じる訳です.

ここで,苫米地英人博士なら「専門家が読んできた(であろう)文献を全部読んでしまえ」と言うところでしょうが(既刊所載意見の通り),それを額面通りにやってみて,乗り物酔いを越えたところで往々にして「寝落ち」するのが半ば常態化していたところ,寝落ちを前提に生活を組み立てていた金子勇さんが早世された事を反省材料として,ようやく身体健康とのバランス感覚にまで意識が向きつつある…というのが,ごく最近の私の有様です.

勿論,これは学者としては満額の答えというか,ごく当たり前の大前提であって,「そうでない人が声を出す事はそもそも間違っていて,世界にノイズを提供しているに過ぎない」との原則認識くらいは分かります.かく言う私自身,「既出の議論を何度も説明し直すのはダルい」と思うから拙著や当サイト記事を書き貯めて公開している訳で,学歴のような知識到達水準で相手に「足切り」を掛ける判断なども,理論的には何ら間違っていないと思います.

他方で,実際現世的にはおおよそ「浅学無知を全く悪いと思わない,『鈍感力』に長けたノイズ発生器」の方が,まずもって優位である事も否めません.単純に「早いから有利」という事なのかもしれませんが,それをあらためて「不正確だけど早い」と言い直してみると,「幾ら何でもそりゃウソだろう」と直感的に思う訳です.

 

で,「それでは何を選択するのか」という問題意識が立つ事になります.こういう素朴な疑問を「なんとか話が通じる相手」のところへもっていくと,「あらゆる分野の専門家というのは居ない」と,これまたほぼ満額と思われる回答を頂いたりして,大抵は正座しながら挨拶してその日は終わるのですが,「では,あらゆる分野には専門家orノイズしか居ないのか,その『あいだ』にはどうやって歩み進めればよいのか」ともう一度食い下がると,往々にして方法論が見当らないといった状況に陥ります.
ちなみに,私が「専門」の看板を掲げている”教育”分野というのは,あくまでも正答(および満点)が存在しているが故に「やり込み」が有効であるに過ぎず,換言すれば「時間座標的には何も進んでいない」事に相違ありません(だからこそ,私の職務提供においては「若年者優遇」との大義名分の下に「未来時間期待値による足切り」を掛けている訳です).

 

「積んだ本を読むより積み増すスピードの方が速い」事を示す雑な試算モデルを作って大変萎ゆる思いをしたのは,もう大分昔だった気もするのですが,毎晩検索結果一覧から開いたタブを百ページくらい読んでいる内にブラウザがクラッシュして,ふと「我ながら本音は未だ懲りてないな」と思ったりもする次第です.
同期の計算機科学者から「お前さんはフレーム問題と戦っているのか」と言われたのもその大分前だったはずですが,そういえば最近は,横断歩道の渡り方とか電車の乗り方とかが,段々分からなくなってきた感もあります;5歳くらいの頃はむしろ「横断歩道の渡り方を学んで教える」事などをやっていた記憶があるのですけれども…「学習の効果で判断が鈍くなりました」なんて,額面通りには信じたくない話ですが??

 

見渡す限りの博士達も,さすがにそこまで「爆死」はしていないんじゃないか…と思うより前に,「どうやって相互認識しているのか」が気になって,共通了解とか呼ばれるプロトコルの成り立ちを模索し始めて今に至るのですが,つい直近も2択のトイレに阻まれて「壁を蹴っても仕方無いしなぁ」と佇んでいる中で,他の人達がおおよそそこで迷わない(らしい)様子を眺めて,理由が謎で不可解な気持ちになりました.もっとも,同じトイレの前で「50人分」もずっと見張っていた事はないので,確率的に出くわしていないだけかもしれませんけれど.

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性別欄が「2択」だと困る人は2%も居る(?)

昨年4月に電通の調査で「LGBT該当者は7.6%」という結果が出て,今更ながらに「やっぱり何度見ても『LGBT』って雑な括りだよなぁ」と思っていたのですが,直近の博報堂グループによる調査結果では,セクシュアルマイノリティの更に「内訳」までもが詳述されています:

博報堂DYグループの株式会社LGBT総合研究所、6月1日からのサービス開始にあたり LGBTをはじめとするセクシャルマイノリティの意識調査を実施
http://www.hakuhodo.co.jp/archives/newsrelease/27983
http://www.hakuhodo.co.jp/uploads/2016/05/HDYnews0601.pdf

 

報告書本文の解説では「その他のセクシャルマイノリティに該当する人は約2.1%」と述べられていますが,この数値の内にはAセクシャル(0.73%)が含まれており,Aセクシャルの定義は性的指向上の分類に基づくものですから,「性自認(自身の性別認識)が”マイナー”≒2択だと困る」状態の人とは必ずしも同義ではありません.

そして,Aセクシャルに端的に該当する人以外の「その他のセクシャルマイノリティ」は,今回調査においても一括りなので,果たしてその全員が「性自認に特殊性を有する」などと結論して良いのかは,正直に言えば不明です.

ですが,ひとまずは「何がしかの統計数値」を出しておきたいので,ここでは大まかに,残りの上述「その他」1.40%の人々を,「性別に何らかの課題を自認している人」と見なしてみる事にしましょう.

 

他方で,今回調査では,トランスジェンダーが「0.47%」と,先年電通調査よりも明確に「”T”の実態」が見える形となっています.期待値で言うと「中学校の同学年200人の内に1人」程度,という事になります.個人的には経験を踏まえて「直感よりも若干少ない」気もするのですが,日本国内法及びそれに関連する医学上の定義に基づく「性同一性障害(GID)」に該当する(or該当可能性がある)人の割合,という意味で理解すれば,まぁ尤もらしい数値ではあろうかと思える程度です.

これと対比して,上述の「(トランスジェンダー以外で)性別に何らかの課題を自認している人」1.40%は,中学校の同学年200人に期待値で3人近く居る訳です.
(あるいは,トランスジェンダー・性同一性障害者を含めて「性別に何らかの課題を自認している人」全体が200人中4人で,その内GIDに該当するのは1人,他の3人は「それ以外」と換言してみると,より直感的に分かる方もあるでしょうか.)

 

…なんだ,意外と多いじゃないですか.

 

「同学年人口比2%」というのは,おおよそ「偏差値70以上」に相当する訳で(別に何の測定数値が「上位」って話でもありませんが),その程度なら「学年内の成績優秀者」と存在遭遇確率は同じです.小中学校の同期で「成績優秀者」って,目立つ事こそあるでしょうが,別にそこまで「珍しい」とまでは感じられないのではないでしょうか(「2%」という数値のレアリティからすれば,本来は逆に「それほど頻出でもない」と一言注意併記しておくべきでしょうけれど).
…それと同程度の割合で,「性自認において突出している」人もが同学年に居る(はず:期待値としては)のです.わりとだいぶ「珍しくない」気がしてきませんか??

 

尤も,こと「性自認」に関する当事者の認識は,往々にして外観上は判断のつきようが無い場合もあります.理由として「わざわざ表明する機会・方法が無い」とか「社会的差別や”制裁”が怖い」等のいずれのファクターがどれだけ効いているのかは未知ですが,例えばそれこそ私のように「公立学校で制服が性別込みで指定されているのは違憲だと思うので着ません」などとロコツに”戦う”人の割合は,さすがに2%も居ないように思われます(私自身が小学校~高校に在籍していたのは大分昔の事ではありますが,おそらく現代でもそう簡単に「ハードルが下がった」訳ではないでしょう).
より仔細な数字を一応述べれば:高校の同学年400人中では私以外に見当たらず,1つ下の学年でも1人見掛けた限りでした(高校在籍当時は名簿と顔写真を日々チェックして暗記していたので,少なくとも網羅精度に限れば「ひとまずマシな資料」ではあるはずです).そうすると確率的には0.25%で,上述した今回博報堂調査から導出される数値と比較すれば,「残りの当事者の内で9割近くは隠れている」と見る事も出来ます.
存在比0.25%だと「偏差値78」相当になる訳でして,これではまぁ「およそ出会わない」と言われても致し方無いかな,という数値です.但し其の背景事情として,「当事者の8~9割は潜んでいる」(と,統計数値の概算から見て取れる:上述)という「色眼鏡」が,傍目から認識し難いところで既に掛かっている,という状況は,今一歩広く認識されたいものだと思います.

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「教育を受ける権利」を,当事者は本当に行使する気があるのか;と,教育立国としての展望への接続

先に拙教育ブログ(http://ameblo.jp/blz-edu/entry-12164240572.html)では「高校数学をマトモにやろうとする人なら」との一言でスルリと穏当な言及にとどめておいたのですが,ある意味でもっと根源的なところからの問題として,「そもそも履修希望者は本当にやる気があるのか」という点についての疑念は,なお否み難いものがあります.

 

以前にずっと高頻度で記事を更新していた上記教育ブログでは,憲法第二十六条「教育を受ける権利」に関して,さんざん論じてきましたが,「本来的にやる気のない人が,外観上『教育を受けたいです』と意思表明してしまう(例えば『高校入学を希望する』)という,社会実態としての状況」に対しては,今一つ「当事者(ら)が助かる処方箋」を提示していなかったように思います.

 

抜本的な言い様として一刀両断してしまうなら,「そもそも嫌な事をわざわざやりにいかなくても」とか「本来は何がしたかったのでしたっけ」といった話からスタートでも良いのでしょうが(コーチング的な文脈で「素朴に」方法論を適用すると,例えばこういった伝え方にもなり得るでしょう),実際問題として,例えば「自身の経歴実績と周囲からの期待とが相俟って『精神的圧力』が積もって辛くなっている優等生」のような典型手詰まりかけコースの事案に際して,上述のような言い方をしてみたところで,周囲どころかややもすれば本人の心にすら,率直には響かないかもしれません(指導者としての経験を含めての見解).

 

そこへきて,私の場合は「学校を辞めた人の心理体験」をもそれなりに有しているので,より個別具体的なアドバイザーとしての役割を果たせる可能性はあります.とはいえ,それでもなお「統計割合的にマイナー」という事からくる(と思われる)「怖さ」を拭い去る事は更に難しく,他の「原理的にも実証例上もうまくいく方法論」の選択肢を提示したところで,最終的にそちらを選ぶ人の割合は,世間一般の数字をそう上回らない程度に過ぎません.

 

他方で,国家制度単位での「教育水準の向上」という大目標を展望する立場においては,「やりたい人だけ来れば良い」などといった宣伝文句は,正面切っては打ち出しにくい気持ちもあります.
私自身は経歴上国公立学校を通ってきているので,「貴方は国税を受けているのだから」と折に触れて言われ慣れてきていますし,また近日には苫米地英人博士もTwitterで「私学の場合」を含めて言及されていましたが(https://twitter.com/DrTomabechi/status/733364276467900416),例えばこういった「公的負担による支援」との題目とセットで当事者へ言及を重ね伝えていく事で,より大枠としても「教育の効果」を高めていく,という目論見に,ひとまずはなるのでしょうか.

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「命をつぎ込んでイイ仕事をする」方向性について,私達はどう考えて臨めばよいのか

最近,こちらで顕名している以外のところで記事を書いていて,そこでは主としてコーチングの理論的観点から,

「本義の通り物理的(医学的)に命を削って注ぎ込んでまで,自らの意思でイイ仕事をしようとする人に関しては,原理的に防ぐ・差し止める算段が思いつかない(社会的害悪に該当しない限り).他方で,本意でない仕事で『心を削る』事には,元来何らの社会正義を見出せない」

と述べていたのですが,その記事が一般に公開されたちょうど直後に,あろうことか,「自ら命を注ぎ込んでまで生産性の高い仕事を続けていた」方の訃報に接する事となりました.

ご当人の直近の活動状況などを拝見すると,まさに「命を削ってでもやる」という意思が包み隠さず見てとれて,先述の私なりの基準からすれば,これは「防げない」タイプの方であった,という事になります.しかし他方では,この方は業界内でも「当初から無茶と思われるスケジュールでさえも多産な仕事をこなし,その仕事の成果に対してコンシューマー層からの評価も高く,市場性としても関係者一同嬉しい」との評をもって,其のお仕事成果を継続的に提出結実させてきており,更には同業・関連業種の職業人が「模範」と見ていた向きさえ,少なからずあった旨も聞き及んでいます.

経験則の限りでは,「産業分野を開拓するのは,一握りの『特化したバケモノ級の存在』である」,という向きも,未だ決して少なくないのではないか,と認識しているのですが,それをめいめい勝手のままに認めると,上述の通り「犠牲者」が出てしまう事も,また構造上避けられないと考えざるを得ません.

「身体・精神とも健康を基盤として,削れ過ぎない事は無論,元気で幸せに生きよう」とは,コーチとしてよりも寧ろヒーラーとしての,職責に根差す私の言明ですが,ひるがえって社会の実情を目の当りにするにつけ,「命も心も削っている」としか思えない人の姿が,大変多く見えてきてしまいます.

勿論,人間ドックのような健康診断・検査も定期的に受診してほしいのですが,「身体(あるいは精神も)に無理を掛けている」自覚のある方は,先ず十分に回復させるだけの機会を確保して頂きたいと,強く願います.
本来は無論,元気になってくれさえすれば方法は何でも良いのですが,例えばかくいう私もヒーラーとしての職務を提供しています:私のヒーリングセッションあまり用語として普及していませんが,より詳しくは「数学的ヒーリング」では,現代数理物理学の知見をも活用する事に加えて,「セッション後もきちんと休んで回復する時間・量を確保して下さいね」という,強いお説教がもれなく付属して,予後の効果を高めています

記事タイトル以下の「イイ仕事をしようと思うと命を削る羽目になりかねない」といった構造的事情に関して,直接に「対策」の算段を持っている訳ではないのですが,せめて「健康回復」の立場からは,マシいや万全を期したく,個人レベルからでも出来るところから随時着手して,貢献していきたい次第です.

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