女性初産20歳は偏差値68.9相当(男性版もあります)

拙著の元となった記事を書いていた頃からずっと構想していて手を付けていなかった統計比較計算を,今更ながらやってみました.

 

計算の根拠となる統計資料のソースは,人口動態調査(厚生労働省)の「嫡出出生数,父の年齢(各歳)・母の年齢(各歳)・出生順位別」です:

人口動態調査サイト
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html

データ(総務省e-Stat:中巻8)
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001157965

今回参照しているこのデータは嫡出子に限るのですが,2015年の第1子(母親基準)出生数478081人のうち嫡出子が464379人で97.1%を占めているので,後述の目的(「特定項目においてより詳細なデータが欲しい」)もあって,ひとまずこの統計基礎資料を使う事にします.また同様の理由で,出産と出生の区別についても後者を採っています.

 

●さて,それでは早速,母の初産年齢(※上述の通り,厳密には「第1子出生」)およびその出産年齢が「若い方から数えてどのくらいの割合か」一覧ドン!

嫡出出生数
第1子

母の年齢    出生数
総 数    464379    若い側累積分布確率
15歳    3    0.000006
16歳    160    0.000351
17歳    731    0.001925
18歳    1954    0.006133
19歳    4223    0.015227
20歳    6721    0.029700
21歳    8554    0.048120
22歳    9908    0.069456
23歳    12366    0.096085
24歳    15550    0.129571
25歳    20209    0.173089
26歳    25430    0.227851
27歳    31284    0.295218
28歳    35847    0.372411
29歳    37968    0.454172
30歳    37213    0.534307
31歳    34615    0.608848
32歳    30425    0.674365
33歳    26933    0.732363
34歳    24153    0.784374
35歳    22164    0.832103
36歳    19012    0.873043
37歳    15907    0.907298
38歳    12592    0.934413
39歳    10052    0.956060
40歳    8190    0.973696
41歳    5603    0.985762
42歳    3354    0.992984
43歳    1834    0.996934
44歳    837    0.998736
45歳    359    0.999509
46歳    103    0.999731
47歳    64    0.999869
48歳    18    0.999907
49歳    15    0.999940
50歳    10    0.999961
51歳    8    0.999978
52歳    1    0.999981
53歳    2    0.999985
54歳    3    0.999991
55歳~    4    1.000000
不 詳    –

ちなみに,第1子出生時の母の平均年齢(という更に雑な数値)は30.7歳です:こちらは報道等でより広く知られている通りかと存じます.

「10代で出産」経験者は1.5%程度ですが,そこからほぼ10年で「初産の平均年齢」に至る事が分かります.「98%以上の人は未体験」から「出産経験の平均タイミング」までのスパンが約10年という訳です.

 

●ではあらためて,当サイトの読者諸氏にもより分かりやすいであろう「偏差値」で表示してみましょう:

嫡出出生数
第1子

母の年齢    出生数
総 数    464379    累積分布確率    若い側偏差値
15歳    3    0.000006    93.6
16歳    160    0.000351    83.9
17歳    731    0.001925    78.9
18歳    1954    0.006133    75
19歳    4223    0.015227    71.6
20歳    6721    0.029700    68.9
21歳    8554    0.048120    66.6
22歳    9908    0.069456    64.8
23歳    12366    0.096085    63.1
24歳    15550    0.129571    61.3
25歳    20209    0.173089    59.4
26歳    25430    0.227851    57.5
27歳    31284    0.295218    55.4
28歳    35847    0.372411    53.3
29歳    37968    0.454172    51.2
30歳    37213    0.534307    49.1
31歳    34615    0.608848    47.2
32歳    30425    0.674365    45.5
33歳    26933    0.732363    43.7
34歳    24153    0.784374    42.1
35歳    22164    0.832103    40.4
36歳    19012    0.873043    38.6
37歳    15907    0.907298    36.8
38歳    12592    0.934413    34.9
39歳    10052    0.956060    32.9
40歳    8190    0.973696    30.6
41歳    5603    0.985762    28.1
42歳    3354    0.992984    25.4
43歳    1834    0.996934    22.5
44歳    837    0.998736    19.8
45歳    359    0.999509    17
46歳    103    0.999731    15.4
47歳    64    0.999869    13.5
48歳    18    0.999907    12.6
49歳    15    0.999940    11.5
50歳    10    0.999961    10.5
51歳    8    0.999978    9.1
52歳    1    0.999981    8.8
53歳    2    0.999985    8.3
54歳    3    0.999991    7.1
55歳~    4    1.000000
不 詳    –

いかがでしょうか?

女性で「初産年齢の若さで偏差値70」を挙げようと思ったら,10代のうちに出産を迎える事が必要となります.現役で東大に合格した時点で出産未経験だったら「即準備着手」しなければ間に合いません.そんな皆さんが受験勉強にいそしんでいる間に,同年齢の偏差値75以上は既に占められているのです.
ここでなお「大手予備校調査によると文一は偏差値69だから…」とか言う人には,「同年齢で大学受験市場に乗っていない人達が45%ほど居る」事を,念のため注意指摘して差し上げましょう.このあたりの計算の詳細は既に上記拙著でも述べていた通りです.昔から巷で言われている「東大生=偏差値80」といった雑なラベリングが,素朴に遠くない形容である事を確認するのは難しくありません.

なお言うまでも無い事ですが,ここで「偏差値」と言っているのは単純に統計分布上のレアリティの意味に過ぎず,座標の向き(年齢数値大小のどちら側を大きく取るか)すら特段の必然性は有りません.とはいえ,大学入試あたりだと「現役合格の方が良い」という風潮と思われたので,とりあえずその方向に倣ってみました.

そして,22歳時点で偏差値だと64.8相当となります.大学入試で偏差値65をマークした事のある人達にとって,65未満の世界は「凡人枠」という感覚だったりしないでしょうか.21歳まで(大学学部在学中)に難関資格合格というのは「たまに居るけど結構凄い」水準だろうと思いますが,出産年齢の若さ順で偏差値65以上に乗るリミットも,生命物理時間(年数)制限としては同程度の数値という訳です.

初産偏差値60以上のボーダーは24歳です.10段階評価で8以上相当の下限ですが,これは院卒修士の標準修業年齢最短でもあります.大学以降で専攻分野の能力意義が認められるのは修士以上だとすると,「リケジョは在学中までに出産か,少なくとも妊娠していなければ10段階で7以下」という,激しい人生の選択が見えてきます.中山敬一先生が「君たちに伝えたい3つのこと」で述べている「女性研究者にとって結婚は△,出産は×」を正直に引用したら大変な社会的制裁を浴びた大学教授が居て,当時報道で挙がった際には「ご災難様です」と思ったものですが,あらためて統計数値を見ながら現場感覚と並立してみたとき,実はかなりシビアな「選択」になっていた…という事情が体感されます.

以下こまごまと読者各位なりの「ボーダーライン」は上記一覧表から随所に見て取れる事と存じますが,平均付近でも年齢1歳ごとに偏差値が2程度飛んでいたり,同年齢帯で最大8%の「新たな出産経験者」が発生していたりと,「年齢(1年単位)ベースの統計というものがいかに粗っぽいか」と思わざるを得ないと共に,他方ではこと生殖に関して「いかにタイミングがシビアか」という事もが,今更ながらあらためて突き付けられてくるかのようです.

その中でも,特筆的インパクトが有ると個人的に思ったのは,「5歳毎の主観心理的(あるいは更にその集合総体としての社会的)ボーダーライン」が,偏差値的数字と照合しても相応の関連を見出せる(少なくとも言い張れる)程度の話だったという事です.いずれの統計基礎数値も,どう考えても「十進法の落し子」に過ぎないはずなのですが,端的に「偏差値40のボーダーラインは35歳,偏差値30で40歳」と言われると,たとえ元々の言い草が素朴な経験的直感の積み重ねの成果だったとしても,その見識や侮り難かった,と今一度正座直面検算せざるを得ません.十進法や正規分布を整備してきた先人達は,人類の生物学的特性を暦年単位と照合する事までも織り込んできていた,という話でしょうか…??

また,先にも「当然の事」として述べた通り,偏差値の座標軸(符号)の向きに特段の根拠は無く,その意味でとり方は任意です.従って,例えば「私は偏差値70相当の高齢出産を目指す」と言うなら,41歳以降に初産を迎えればその数値は達成出来ます.更には44歳で偏差値80,51歳で偏差値90を突破します.…遺伝子異常等のリスク因子については,既出の識者各位の論に委ねたく,またそれで十分かと存じます.

 

●と,ここまでの話を眺めて「対岸の火事」を決め込んでいる男性がうっかり居ると申し訳ないので,ちゃんと御用意してあります:一挙に偏差値含めてドン!

嫡出出生数
第1子

父の年齢    出生数
総 数    464379    累積分布確率    若い側偏差値
17歳    17    0.000037    89.6
18歳    1049    0.002296    78.3
19歳    2636    0.007972    74.1
20歳    4142    0.016891    71.2
21歳    5740    0.029252    68.9
22歳    6741    0.043768    67.1
23歳    8615    0.062320    65.4
24歳    11000    0.086008    63.7
25歳    14529    0.117295    61.9
26歳    19628    0.159562    60
27歳    25234    0.213901    57.9
28歳    30086    0.278689    55.9
29歳    32778    0.349274    53.9
30歳    34027    0.422548    52
31歳    33122    0.493874    50.2
32歳    30648    0.559871    48.5
33歳    27684    0.619487    47
34歳    25395    0.674173    45.5
35歳    23551    0.724888    44
36歳    21294    0.770743    42.6
37歳    18496    0.810572    41.2
38歳    16154    0.845359    39.8
39歳    14041    0.875595    38.5
40歳    12306    0.902095    37.1
41歳    10427    0.924549    35.6
42歳    8365    0.942562    34.2
43歳    6607    0.956790    32.9
44歳    4931    0.967408    31.6
45歳    3718    0.975414    30.3
46歳    2943    0.981752    29.1
47歳    2197    0.986483    27.9
48歳    1548    0.989816    26.8
49歳    1063    0.992106    25.8
50歳    892    0.994026    24.9
51歳    707    0.995549    23.8
52歳    487    0.996598    22.9
53歳    337    0.997323    22.1
54歳    269    0.997903    21.3
55歳    227    0.998391    20.5
56歳    152    0.998719    19.8
57歳    112    0.998960    19.2
58歳    92    0.999158    18.7
59歳    82    0.999335    17.9
60歳    58    0.999459    17.3
61歳    49    0.999565    16.7
62歳    42    0.999655    16.1
63歳    30    0.999720    15.5
64歳    26    0.999776    14.9
65歳    37    0.999856    13.7
66歳    20    0.999899    12.9
67歳    17    0.999935    11.7
68歳    10    0.999957    10.7
69歳    3    0.999963    10.4
70歳    5    0.999974    9.5
71歳    3    0.999981    8.8
72歳    2    0.999985    8.3
73歳    4    0.999994    6.2
74歳    1    0.999996    5.3
75歳~    2    1.000000
不 詳    1

第1子出生時の「父の平均年齢」は32.7歳です.この女性との「ほぼ2年差」は若い側ではある程度近い値ですが,加齢とともに差は大きくなっていきます.言うまでもなく医学的(生物学的)構造機能特性の違いによっている事と存じますが,統計表作成時点で設けられている年齢数値欄を見ても歴然です.70代で第1子が昨年内に十数例ですよ!

さて,あらためて表に戻りまして:先ず,男性の場合には第1子出生時点の年齢において「偏差値90台」という世界が存在しません.どうでもいいような話と思われるかもしれませんが,東大生や中学受験最高峰(殊に男子)の経験者の中には,筆記試験の科目別で偏差値90台を出した事のある人は少なからず居るはずです…なので,敢えて言及しました.ちなみに私の最高記録は偏差値88です(大学入試英語),生殖能力は有りませんが.
無論,此の結果は統計の取り方に依っている代物に違いないのですが,換言すれば「男性が第1子出生時点年齢若さ偏差値で90台を叩き出そうと思ったら,法的裏付け(婚姻なり認知)の制度が存在しない範囲で事を進める必要がある」という論も有り得る訳で,これを機に,婚姻可能年齢を男性も16歳まで引き下げて両性平等な法制にして,少子化対策にも貢献…とは,流石になりそうな気はしませんけれども.

そして,男性の場合は20歳まで偏差値70台のチャンスが有ります.それでも東大入試の対同年齢全人口比からすればレアリティは低い訳なので,東大合格者は(たとえ現役でさえも)その時点までに子供がいる同年齢の人を見掛けたら,対等以上の敬意をもって接すればまず間違い無い,と言えましょうか.
偏差値65ボーダーは23歳,偏差値60は26歳となっています.大学院修士課程修了までに仕込めば「凡人の上位側」くらいには相当する,といったところでしょうか.私が個人的に直接存じている限りでは,大学院進学者でこの「偏差値60」を達成した人は数人居るのですが(いずれも男性),当初「えっ!?」と思った感覚が,そういうレベルの話(筆記試験学力偏差値と生物学的生殖年齢偏差値の両立成果)だった,という事を,今回計算してあらためて認識しているところです.

他方で,中央付近までの「タイミングのシビア感」は,女性の場合と意外なほど大差無く見えます.偏差値45(10段階評価で以上5=5段階評価で3以上)ボーダーは34歳,偏差値40(10段階で4)ボーダーは37歳となっています.父母の組み合わせや職種その他の環境についての考察は今回割愛しますが(元の人口動態調査では並行して詳述されています),ごく素朴な直感として「カップルの年齢はそれほど離れていない場合が多い」といった事の裏付けは,一応見て取れると言えましょうか.

また,これと表裏を成す事なのかもしれませんが,男性の場合はその後の”ロングテール”も興味深く読めます:偏差値35ボーダーラインが41歳,偏差値30が45歳まであります.前述の論と同様に,「高齢で第1子出生」のレアリティを狙うなら,46歳以上で偏差値70,更に50歳以上なら偏差値75の「格」が得られます.尤も,偏差値70なり75というのは同年齢人口比で2%なり0.5%といった「特殊値」ですから,社会的な意味でのバックアップ体制が追いついているかどうかは,流石に懸念を禁じ得ませんけれども.

 

以上の論題は婚姻ないし認知(嫡出)といった法制に基づく統計調査の結果ですが,本来的構造から言えば「生殖の結果評価であって,社会制度(法律)の裏付けをも有するもの」と解すべき事と思います.
一般論の限りで,婚姻届が受理される事よりも生殖に成功する事の方が,選択の余地としては「難しい(可能性が高い)」と考えられます由.

同性婚法制とかどうするのでしょうか.人工生殖に関してはたまに「突っ走ってでもやった例」が物議に挙がる一方,法制に関してはだいぶ「触りづらい」と見える感もあり,そのあたりはコウノトリなりキャベツ畑なりに丸投げで任せてきた人類史にあらためて思いを馳せる面でもあろうかと存じますが,換言すれば「当事者の意志でどうにもならない」度合がより大きい,という意味でもある訳で,「人口1億人維持」がたとえ画餅であっても社会保障制度設計は現物にまで降りてくる話ですから,そこを丸投げとは流石に言えないはずです.フランスの法制なども聞き及んで眺めて初学しておりますが,部分的に真似出来るような代物な気も今一つしません.

 

今回使用の統計資料作成中に,不妊手術済みの猫にモバイル充電ケーブルを喰われましたが,私は今日もそこそこ元気でおります.

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社会的生存の権利

これですね.

長谷川豊さんの「患者自己責任論」発言とMXバラいろダンディ降板に思うこと-ドクター苫米地ブログ
http://www.tomabechi.jp/archives/51533907.html

昨日公開された上記参照記事の内容は膨大な論点を含んでいますが,今回私が特に着目したい方向性は当記事タイトルの通りです.

更にもう少し私なりの言葉でスペクトルを絞るなら,
近日拙著記事のタイトル,あるいは「広げ過ぎた風呂敷」の範疇で,記事本文では触れるところまでいってなかった論題(=言いたかった事の「本体」)と申しましょうか:

「一代限り」の人権をどこまで主張・保護すべきか
http://wp.me/p6S43T-5J

冒頭の参照記事を読むと早々に,苫米地英人博士が,広く世の中一般に対して(顕名して)いかに「注意深く喋る」所作をずっと続けてきたか,という事もが,重大な関心を引く点として見てとれます.

他方,私が自身の活動においても心得ているのは,せいぜい「言葉の選び方」の範疇であって,「そもそも論題の選び方自体がマルくない」といった可能性に関しては,意に介さないというか,エラそうに言っても「先ず言及する=喚起して知らしめる」事を優先しています.

私の持論では、世の中には経済の論理に入れていいものと、入れてはいけないものがある。医療と教育は経済の論理に入れてはいけないものの代表だ。だから、国家医療制度は憲法第11条の基本的人権を守るのに当然必要であり、26条の教育を受ける権利で学校制度がある。

国民の憲法で保証された当然の権利であるのであって、医療を受けるのに理由は関係ない。だから自己責任か否かはどうでもいい。これが話題に上ること自体が、いつの間にか経済効率の論理が全てに優先する社会になっているということであり、私には相当の違和感がある。また、医師の中にもそういう考え方の人がいるのは大変残念である。

(冒頭引用Dr.苫米地記事より)

一般論としては同意というか,私自身は単により大局の意見を持ち合わせていない程度ですが,逆にひとたび「では個別の具体的状況においていかに実装まで落とし込むのか」と言い始めると,「果たしてどのラインまでを,国家レベルから含めた社会制度設計(及び運用)の範疇で助けるか」の問題に直面します.これは予算の問題に限った話にとどまらず(現状「金の多寡」が効いてしまう面も否めませんが…),どちらかというと「教育」の課題ではないかという気もします:経験の限りでは.

字面を建前の通りに読んで,「憲法レベルで規定合意されている[事になっているはずの]保護堅持すべき人権」と声明を上げる事までは,相応に座学的知識を持っていれば可能です.更に,合意納得しない”アタマのワルい”相手に対しても,「学歴武器」をもって上から叩き潰せば,相手の人格ごと支配下に置いてしまう形でなら,荒っぽいですが「所期の目的成果」=「社会において攻撃被害を受けない程度の立ち位置を確保する事」は一応達成出来てしまいます(当サイト前記事「いじめの根源と,対策…のウソ」http://wp.me/p6S43T-5P参照).

但し,そこまでやってさえもなお,「直感本音として納得されている」状態に至る事は,なかなか容易ではありません.これは,人道的に本来はより望ましいところの,といった話以前に,当事者自身の側の実利においても重大です:それこそ,私の十年来の知人が,「トイレが二択の建物で行われる会合に呼ばれると,数時間以内には体調を削りつつうろうろする羽目に陥る」同志が混じっている事にさえ想像が及ばなかったように.

その上,実際には更に,「より積極的な攻撃の企図」としか形容しようが無い,他者(当事者に対する他の人格主体)もが存在します.大変残念ながら.
近日も,とある「社会的には統計上マイノリティ(しかも,ある意味で「知的能力が高過ぎる」がゆえに)であるはずの人達」の会合に参加していたのですが,その中で「特定の属性」の人々が再びさんざんな扱いを受けている有様を目の当りにして,「あぁ,宗教戦争って全然終わっていないのだな」と思わざるを得なかったばかりでした.私が「直接乗り込んで対処しに行く」事をやってきた経歴の中でも,当該環境(未公開)は東大と並ぶ二大巨頭と言って過大でない程度と思いますが,日本(差し当り「おおむね日本語圏」くらいの意味で)が世界をリードするような分野で,その日本の最高峰を集めたような人達が「そんな有様」という現状は,うっかりすると「人類は設計不備だったのではないか」といった結論に陥りかねない程度に,夢も希望も見え難い光景だった事は否めません.

いえ,私の知見の限りでは,人類は「情報学習という手段を含めて,教育をもって成長出来る」がゆえに,物理ハードウェア依存の構造に「多分な余地」を残している仕組み…になっているはずではなかったでしたっけ? と思う訳ですが,そのくらいは中学校課程くらいまで履修していればおよそ理解出来る事じゃないかと認識しているのですが,公教育システムは一体何をやっているのでしょうか…??

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