ゲームで特化した脳が知能発達において勝つる事実

直近申したい話題はイロイロあるのですが,やはりこのニュースが飛び込んできた事に先ず一言申したいと思います:

幼少期にポケモンにはまった人は、脳に「特化した領域」が出来ている:研究結果
https://wired.jp/2019/09/08/brain-region-for-pokemon-characters/

筆者の場合はこの代替(おそらく)がポケモンとは別のRPGで,其の御蔭で数学のグラフィカル理解も暗記ゲーも出来るようになったのだと自認しておるのですが(一時期「RPGゲーマー⇒東大生」という本を書こうと思った事があるほど),ゲームに関連付けて(いわゆるゲーミフィケーションではなく,あくまでも純粋に「趣味としてのゲーム」先行)座学的知識の導入に関連付けて有位を取る算段は,現代では既に「知ってる人なら知ってる」程度に広まっている話かと存じます.
斯く言う筆者の場合には,丁度良く「受験技法 東大合格の極意」(和田秀樹編著)という,まさに「点取りゲームやり込み≒RPG」的方法論が明文化されている書籍と出会えたので,“そのまま”進んで東大生と相成りました.

ちなみに,これから敢えてRPG(もはやジャンルごと古典ですが…)に取り組みたい人には,「現世地図との類似を強く意識されている」という点から,DQ3を推奨申します.現在は任天堂Wii版が復刻されていて(その中でも敢えて「ファミコン版再現版」を選ぶと学びが深いでしょう),また更なる今後近日中のリメイク(多分3DS版)も予定されています.なお筆者は此のソフトで「複素数平面上の回転≒行列による一次変換」の概念を体得しました.東大はゲー研がRPG研究の世界最高峰としても知られているので,端的に申しますと「オタクはヒマなら東大に行きましょう」が結論となります.ちなみに,「#アスペにやさしい東京大学」も草の根で拡散しております.どうぞ宜しくお願い申し上げます.

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#制服(殊に於 #公立学校)に見られる「#経済格差 是正緩和」の企図再考

直近,「メタバースでアバターの衣装を作ってついでに売ったりしてみる立場」に思いを致す機会があるなどしまして,その中でやはり「この(@(公立)学校)授業では,指定外の衣装・パーツは使用不可です」と宣告したりするに至る指導者サイドの依って立つ根拠を思う際に,やはり物理衣装においても「経済格差が反映されてしまうのはイクナイ」という結論はなるほど導出されうるものなのだなぁ…,などと,今更のようにあらためて感じ入ったりして,そして結局「そりゃそうだ罠」論者の末席に割り入って落ち着く羽目になったりしておる次第でございます.
…いや個人的には,中学・高校時代を通じて,私の常装はどう考えても(たとえ合計してすら)制服よりは安かったと思われはする訳ではありますけれども.

 

随分前(未だ前段のブログを立ち上げるより昔)に,識者の知人と「公立学校制服の是非」について論ずる機会があり,私は往時「性別二元論」への異論にひとまず立つあたりから反駁を始めていた憶えがあるのですが,流石に此の時代に至って「外観の多様性すらもが金で解決されてしまう」ところまで世界の形が流れ着く(※これはあくまで結果論であり,此の「ラグランジアン」(最適化函数)のつくりそのものに対する賛否はまた別です)に至って,「あぁそりゃ教育行政上放置はマズいわな」という認識を,身を以て確かめたのでありました.
だってそりゃ,流石に自分が設計実装したアバター衣装を不法コピー使用されたりしたら,(満額とは限らないにしても)「相応の」対価は請求するだろうし,また或いはそもそもの「公式」対価設定に際しても,相場と自分の労力とヤル気を諸睨みしながらの「値決め」になる筈で,例えば一点モノなら権利関係調整を込めてナンボ,量産品前提なら相場感覚をも考慮しつつナンボ,といったいった感じに結局なるのだと思われる由であります.

 

そこへきて,では「自作の衣装」を授業アバターに持ち込んだ児童生徒が居たらどうなるのか,という問題論点が考えられます:これは考え様によっては「能力差異」の問題であり,当該「能力」における差別に関しては,日本国憲法はその差別を認めている(=何ら禁止していない)からです(例えば26条参照;ここではむしろ,露骨に「能力差別」が謳われているとさえ見えます).
他方で,現状例えばメタバースに話を限定し戻したとして,筆者が扱っている「アバター衣装製作ソフト」は無料使用可能ですがPC環境が必須であり,またそのソフトウェア環境だけでも利活用に至るまで知見は果たしてどこから得られたのか?…等々と問うていけば(ちなみに筆者の場合は「学閥込みコネ」という“微妙な運ゲー込みの知人関係”という立ち位置であります…),結局現行の東大推薦入試が既にさんざん煽られている通りの「(要するに大概親の)課金ゲー」状態に回帰していく…であろう,という構図も,(少なくとも大局としては)残当異論見つからず,に結局落着してしまうのではないか,と思われる次第であります.

 

こうなると,某SEG系の数学講師が筆者の受験生時代頃から既に主張していた「体育で50メートルを8秒で走れる子に10秒以内で走らないようになどとは決して指導しないのに,(数学で)大学受験時に高校課程範囲外の知識を使うなと言う向きは何故か」との論も,上述両者の「キワを突いた」論として再燃してきます.
逆に言えば,「(憲法レベルで差別が認められているところの)能力」がひとたび「経済力」に相関する事が,理論と実証を以てあからさまになったあかつきには,「能力差別も『再分配』という名目経由の(?)実質的な是正対象」という事になり,必要なら改憲までしてでも「制限」されうる事にもなる訳です.

 

やはり遠くない将来には,実質義務教育課程及び近隣周辺程度においても「メタバース,アバター」の知識概念教育が実施されるようになり,その際には勿論「公立アバター」が配布される事になって,そして其のコストは税金から民間()業者のn次受けを通して,実質御用達アバター土方(言葉は悪いかもしれませんが)的業者が実質内々で「落札」して,小売費用は今の制服と同様に高値安定;他方で,民間のコスプレイヤーの皆様方におかれましては,たとえお家柄に金はなくとも学校の家庭科なんぞすっ飛ばして衣装製作の技術をフリーソフトで友達人脈経由含めて独習して,そして1条校授業外の民営大手メタバースでコミュニケーション+知見の経験を積み放題,…といった感じで,今に至るク●ゲーの「サイコロ(※親ガチャ込み)の振り直し」が行われるくらいが関の山,という具合に着地するのでしょうか…(´・ω・`)

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