次期学習指導要領は良いが,「文理差別」が強化される上,理想論でもある

少し前の事になってしまいましたが,高等学校次期学習指導要領の話題が報道に上がっていました:

高校の数学に「行列」復活も、国が本腰入れるAI人材教育の詳細が判明
https://tech.nikkeibp.co.jp/atcl/nxt/column/18/00001/02190/

「行列」単元が復活するという話は,大分以前から出ていた通りです.
そして,以前記事でも述べていましたが,現行課程だけが「行列」単元を履修していない「穴」になってしまう…という可哀想な事情には変わりありません(代わりに「複素数平面」でその特別な場合が扱われています).

また,記事の内容を見ると,ベクトルが「数学III・C」へ移行導入される模様です.
この点について,ベクトルを行列と連携して学ぶ事自体は意義のある事ですが(行列を初めからベクトルの変換群として取り扱う事が出来る為),いわゆる「文系範囲」数学IAIIBから外れる事については,当サイトは問題意識というか危機感を持っています.
現行課程で数学IIが「重い」事を考えれば止む無しとも言えるのかもしれませんが,「文系/理系の壁を取り払う」話との整合性は,さて置かれたままのカリキュラムとなっています.

学習指導要領の一部改訂や教科書の一部訂正などの制度
実はこの制度自体は従前からあったものですが(前期指導要領中でも実際に導入されていました),上述の問題点はこれらで補える代物では到底ありません.

そして,「年間25万人」といえば,高校課程で「理系」を選択する“約3割”と言われている人達の大多数です.それらの人々に「ベクトル+行列」を万全に履修習得せよ,と今回提言は述べている訳です.理想論を提示する事は大所高所からの話としては決して悪くはありませんが,果たして当局は実情を見て話をしているのか?という点では大いに疑問が残ります.
個人的には,それよりも先ず「各課程での修了要件の厳格化」をやはり挙げたいと思っています.

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「高校普通科見直し」で数学の脱落者が増える甚大な懸念

前回記事で「大学入学共通テストに付随する英語外部テストの問題点」について指摘しましたが,もっと問題なのはこちらです:

高校の普通科 大学入試重視の見直し提言へ 自民
2019年5月12日 4時06分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190512/k10011912971000.html

どの口が言うか経団連.

提言の案では、今の高校の普通科について、「偏差値で輪切りされ、大学入試に困らない指導をするあまり、生徒の能力や個性を伸ばせず、学習意欲が低下している」と指摘しています。
(中略)
また、文系、理系を横断した教育の充実を図り、それに応じて大学入試の見直しも進めるべきだとしています。

大学進学率が5割を超えている現状,恐らくは単に「数学III(次期学習指導要領では数学III+数学C)を必修とする普通科」が増えまくって,結果脱落者が出まくる…という惨劇がありありと脳裏に浮かびます.

そもそも,「文系/理系」という区分けの有り様自体,就活で求められてきた分類に他なりません(端的な例として:「おたくの学科は文系・理系のどちらですか」と企業から訊かれた…という旨を,明治大学の阿原一志教授が,以前にブログで仰っていたと記憶しています).
そして,それが「文系≒数学が出来ない」という構図にまで陥ったという流れについても,当サイトで再三指摘している通りです.

そこへきて,「文系、理系を横断した教育の充実を図り、それに応じて大学入試の見直しも進めるべき」とは…私どもの仕事は増えるだけですが,高校生・大学受験生の中からは,恐らく相当数の「脱落者」が出る事と予測されます.無論,これまででも「最上位層」の大学進学者は文系でも数学をマトモにやってきていた訳ですが(東大文系,慶應−経済,一橋,…),それを一斉に「大学進学者」まで拡張する(そうすると,ほぼ自動的に「進学校在籍者」i.e.大学進学者以外も含まれる)となると,目も当てられない惨状が思い浮かんで仕方ありません.

高校数学に関して「脱落者を減らして履修を完遂出来る生徒の割合を少しでも増やす」方策が,一刻も早く(遅くとも次期課程開始以前までに)整備される事が望まれます.

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「大学入学共通テスト」英語の民間試験もそれ以外も大丈夫なのか:と,そもそも試験で測れるものとは

東京大学公開オンライン講座「教育のゲーミフィケーション:プレイフル/ゲームフルな学びのデザイン方法論」を受講中のブリザムです.2週目にして既にヘロヘロです.

 

さてそんな最中,「大学入学共通テスト」に際する英語外部試験の評価基準が不明確なのではないかと,疑義が飛び交う報道がなされております:

 

大学入学共通テスト 英語の民間試験 海外の業者による採点も
2019年5月16日 4時52分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190516/k10011917451000.html

 

文法もつづりも間違いでも得点 数々の疑問 英語民間試験
2019年5月16日 19時14分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190516/k10011918481000.html

 

「試験の公正さの何たるか」という観点については,私としては当サイトの前段となるブログ http://wp.me/P6S43T-e の頃から追究してきた課題でありまして,「じゃあマークシート一発試験は果たして公正なのか,記述式を同一採点者複数人チェック体制でやったらどうか,内申点方式(大学受験でもAO・推薦入試で実際に多用されている)はどうなのか」等と言い始めると,「そもそも試験に公正平等は必要なのか」といった憲法第26条論議に至るまで地続きもいいところとなりかねません.

当サイトでも再三手を替え品を替え述べてきている事と存じますが,試験(資格試験ないし競争試験)というものは良くも悪くも「その試験に合格した事」が測れるのみであって,そもそも欲しい「だから合格者は何なのか」に関しての情報を,果たしてどれだけ有意に与えてくれているのか,が其の試験の「精度」という事になる訳ですけれども,そこへきてこう,得点方式試験の採点過程そのものに疑義が生じてしまうというのは,あまりにも誤差ファクターが大き過ぎて話にならない,としか申しようがありません.

と言うか,英語以前にまず日本語(母語)がマトモに出来て頂きたい,というのが当サイトの一貫した主張でもあるのですが(以前記事で述べていた「国語(現代文)の勉強方法」 http://wp.me/P6S43T-e5 の通り),こちらのツッコミは中々声の大きさが上がって来ない様です(英語教育に従事する専門家の多くが「国語(現代文)だとあやしい」水準なのではないかと邪推します;なぜならば「国語教育者ですらも国語(現代文)があやしい」実例を見てきているからです…).大丈夫なのでしょうか.

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大学受験生にとって「高校生」の身分はあくまで副業である

おおたとしまささんのTwitterより:
https://twitter.com/toshimasaota/status/1124163483514261505?s=21

もし“いい大学”に行くことが至上目標であるのなら、いっそのこと学校なんて最初から通わず、大学受験対策に特化した塾や予備校に通い詰めたほうが効率がいい。そこで中高6年間、毎日入試対策ばかりしていれば、大抵の大学には合格できるはず。

御尤も.
筆者も,自身が中学生の頃から個人的には言い続けている内容です.また,更に言えば,当サイトもこの方向性を後押しする内容であると標榜して過言ではありません.

にもかかわらず,筆者自身が(地元公立中学校=義務教育の範疇から)高校へ進学し,結果として3年間満期在学し卒業したのは何故かと言えば,ひとえに「学友を作る」為でした.
途中,(特に高校2年次の中盤以降は)何度も「もう辞めたい」と思いながら,高校3年次は必要出席日数ギリギリまでサボりながら,何とか卒業まで居座りました.
そして,あくまで結果論ですが,其処で得た「学友」達は,今回ゴールデンウィークに会合を持つ(彼等の一部は子連れで来る)ほどに継続しています.

しかしやはり,当サイトや筆者の指導の方向性としては,原則「受験生が本業」という事になります.特に筆者の指導を受けた大学受験生は,初対面時に「今から本業は大学受験生,もし高校生ならあくまでそれは副業」と伝達されます.無論,それは合目的的な指導に他なりません.
更には,「高等学校は学習指導要領の下に設置されているものであって,元来本質的には必ずしも大学受験を目標とするものではない」とたたみかけます(この段階で保護者の方が喜び始めたりする事もあります…).これが筆者の「プロ家庭教師・受験コーチ」としての矜持であり,此の原則論を共有認識出来るクライアントに対してのみ,筆者は仕事を提供します.

そして他方では,自身が「高校生の身分のまま大学受験生を本業としていた」経験が如何に辛かったか(上述の通り)を踏まえて,「副業をやり過ごすには」まで教えます.これもまた,非常に合目的的であると考えます.端的な例としては,「わざわざ高校に通い続けるのなら,友達を大切にして下さい」と伝えたりしています.「それが将来のためになるから」と.其の良し悪しは問題にしていません,なぜなら「職責は果たしている」からです.

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「子供に観せたいYoutube動画」を作る事は可能か

山本一郎さんの記事「子どもが観るYoutubeなどでの不適切ウェブ動画、どうにかならないものだろうか」を読んで,拙ビデオ教材「高等学校数学語」の続きが作りたくてやまないブリザムです.

子どもが観るYoutubeなどでの不適切ウェブ動画、どうにかならないものだろうか
https://news.yahoo.co.jp/byline/yamamotoichiro/20190502-00124538/

高等学校数学語
https://www.youtube.com/channel/UCo7zYs3z7SzMts0n1gCwfhw

そもそも,「高等学校数学語」は,名門進学校ですら脱落者が止まない高校数学に関して,少しでも分かりやすく伝え,そしてその事によって「高校数学が分かる・出来る」高校生(あるいは別にそれ以外の人達でも構いませんが)が少しでも増えれば,と思って作り始めた教材です.
止まっている理由はひとえに,必要となるコンテンツ数が概算で2000に届きそうなどという,膨大な物量に圧倒された筆者が,体力的にも及んでいない故に尽きます.

しかし,たとえ上述の「高校数学を分かりやすく伝える」事が叶ったとして,そもそもそれ自体に積極的に興味を見出す(筆者のような)層がどれほど居るのか.
そもそも,筆者私自身,高校進学以前(というか実際には入学後もしばらく)は数学にさしたる関心もなく,定期試験で満点を取って「御蔭で多少やらかしても誰からも文句を言われない立場を勝ち得た」などと思っていた程度です.それが,高校入試で第1志望の東京学芸大学附属高校に「数学が出来なかった」せいで落ち,また仕方なく進学した地元県立トップ高校でも,往時はまだ「数学・理系の厚木」と呼ばれていた母校で数学の成績が平均点ギリギリまで落ち込むに及んで,危機感を覚えて「数学をやらなければ」と自ら思い立った,というのが正直なところです.そして,当時(今にして思えば)最終課程版だった「寺田の鉄則」を学校推奨教材の青チャートに代わって使い,そこから「大学への数学 1対1対応の演習」等に接続して,結果数学の成績が上がり過ぎてしまった(駿台全国模試=現ハイレベル模試で偏差値75突破,今は亡き研数学館東大模試で数学全国2位=開成のトップを破る)ゆえ,東京大学進学に至らざるを得なくなった,という経緯だったりします.そして学者ルートから零れて現在に至る.

この過程の中で,果たして「自ら数学に向かう動機付け」というものは,果たして本当は一体どこにその源泉が有ったのか,また果たしてそれを自身以外に普遍化する事は可能か,と問うてみると,いずれも激しく疑問に思われるばかりです.

そして,冒頭の通り,「高等学校数学語」などという大仰な名前のコンテンツを端っこだけ作って未だに置いてある次第なのですが,「そもそもそんなものを作ったとて一体大多数の子供(若年者・初学者)にリーチする見込みはあるのか」と問われれば,正直「申し訳ございません」となりかねません.

村山斉先生のような「オタク学者」が各分野とも前面に出て語ってくれればもっと効果は上がるのかもしれませんが,それにしても文科省学習指導要領的網羅性を発揮する事は難しいでしょう.あるいは,私が常日頃言っている「体系性・網羅性」などというものがそもそもどれほど必要なのか,という点から議論を始めるべきなのかもしれませんが,少なくとも高校数学教育における経験の限りでは,両者は必要な事だと感じています.我ながら議論がまとまりません.

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補足:小論文対策に現代文の学習が必要不可欠な事について

先に,「大学受験 小論文の勉強方法(1)」 http://wp.me/p6S43T-dC では,単に「国語(現代文)の勉強方法」(1)〜(5)の課程を通っている読者を前提としています.」とだけ書いていたのですが,説明を全く省略していたので補足します.

補足と言っても,実際に受験勉強をやってみれば,あるいは筆者が当サイトで紹介提案しているカリキュラムを概観するだけでも,その必要性は十分見えてくるのではないかと思います.

要するに:「現代文の基礎学力無くしては,小論文の対策学習は務まらない」のです.そして,その「基礎」に至るまでの道程は意外と長い.…と言うより,本来必要な国語現代文の学力が十分身についていない高校生が多過ぎる,という,根本的には身も蓋も無い話でしかありません.

そして,小論文試験の「出題者」は,そこを見ています.すなわち,「現代文の学習をマトモにやってきたか」プラスアルファの広範な学力(表現力を含む)をテストで測っている訳です.

小論文対策を「付け焼き刃」で済ませようとする事が困難いえ不可能である旨,御承知頂けましたでしょうか.

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令和元年新日も大学受験生は受験勉強に打ち込むべきである

天皇陛下(現上皇)退位による改元が行われ,令和の元年になりましたが,
こと大学受験生は,式典等に興じる事は脇に置いて,「本分」たる受験勉強に打ち込むのが筋である,と考えます.

そもそも,大学(帝国大学)とは富国強兵のための官吏養成であり,さすがに富国はともかく現代において「強兵」はなじまないと一見思われるかもしれませんが,サイバー空間において事実上の「戦争」が常に念頭にある事は,現行憲法下の日本も例外無く直面させられている現状に他なりません.

従って,現に式典を司っている官吏はともかく,これから富国強兵の為の官吏を目指そうという若輩諸氏におかれましては,分業の一として「本分」受験勉強に邁進専念して頂く事が,相応であると思われます.

以上,当サイトからの御挨拶に代えまして,取り急ぎお送り申し上げます.

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