「教育を受ける権利」を,当事者は本当に行使する気があるのか;と,教育立国としての展望への接続

先に拙教育ブログ(http://ameblo.jp/blz-edu/entry-12164240572.html)では「高校数学をマトモにやろうとする人なら」との一言でスルリと穏当な言及にとどめておいたのですが,ある意味でもっと根源的なところからの問題として,「そもそも履修希望者は本当にやる気があるのか」という点についての疑念は,なお否み難いものがあります.

 

以前にずっと高頻度で記事を更新していた上記教育ブログでは,憲法第二十六条「教育を受ける権利」に関して,さんざん論じてきましたが,「本来的にやる気のない人が,外観上『教育を受けたいです』と意思表明してしまう(例えば『高校入学を希望する』)という,社会実態としての状況」に対しては,今一つ「当事者(ら)が助かる処方箋」を提示していなかったように思います.

 

抜本的な言い様として一刀両断してしまうなら,「そもそも嫌な事をわざわざやりにいかなくても」とか「本来は何がしたかったのでしたっけ」といった話からスタートでも良いのでしょうが(コーチング的な文脈で「素朴に」方法論を適用すると,例えばこういった伝え方にもなり得るでしょう),実際問題として,例えば「自身の経歴実績と周囲からの期待とが相俟って『精神的圧力』が積もって辛くなっている優等生」のような典型手詰まりかけコースの事案に際して,上述のような言い方をしてみたところで,周囲どころかややもすれば本人の心にすら,率直には響かないかもしれません(指導者としての経験を含めての見解).

 

そこへきて,私の場合は「学校を辞めた人の心理体験」をもそれなりに有しているので,より個別具体的なアドバイザーとしての役割を果たせる可能性はあります.とはいえ,それでもなお「統計割合的にマイナー」という事からくる(と思われる)「怖さ」を拭い去る事は更に難しく,他の「原理的にも実証例上もうまくいく方法論」の選択肢を提示したところで,最終的にそちらを選ぶ人の割合は,世間一般の数字をそう上回らない程度に過ぎません.

 

他方で,国家制度単位での「教育水準の向上」という大目標を展望する立場においては,「やりたい人だけ来れば良い」などといった宣伝文句は,正面切っては打ち出しにくい気持ちもあります.
私自身は経歴上国公立学校を通ってきているので,「貴方は国税を受けているのだから」と折に触れて言われ慣れてきていますし,また近日には苫米地英人博士もTwitterで「私学の場合」を含めて言及されていましたが(https://twitter.com/DrTomabechi/status/733364276467900416),例えばこういった「公的負担による支援」との題目とセットで当事者へ言及を重ね伝えていく事で,より大枠としても「教育の効果」を高めていく,という目論見に,ひとまずはなるのでしょうか.

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「命をつぎ込んでイイ仕事をする」方向性について,私達はどう考えて臨めばよいのか

最近,こちらで顕名している以外のところで記事を書いていて,そこでは主としてコーチングの理論的観点から,

「本義の通り物理的(医学的)に命を削って注ぎ込んでまで,自らの意思でイイ仕事をしようとする人に関しては,原理的に防ぐ・差し止める算段が思いつかない(社会的害悪に該当しない限り).他方で,本意でない仕事で『心を削る』事には,元来何らの社会正義を見出せない」

と述べていたのですが,その記事が一般に公開されたちょうど直後に,あろうことか,「自ら命を注ぎ込んでまで生産性の高い仕事を続けていた」方の訃報に接する事となりました.

ご当人の直近の活動状況などを拝見すると,まさに「命を削ってでもやる」という意思が包み隠さず見てとれて,先述の私なりの基準からすれば,これは「防げない」タイプの方であった,という事になります.しかし他方では,この方は業界内でも「当初から無茶と思われるスケジュールでさえも多産な仕事をこなし,その仕事の成果に対してコンシューマー層からの評価も高く,市場性としても関係者一同嬉しい」との評をもって,其のお仕事成果を継続的に提出結実させてきており,更には同業・関連業種の職業人が「模範」と見ていた向きさえ,少なからずあった旨も聞き及んでいます.

経験則の限りでは,「産業分野を開拓するのは,一握りの『特化したバケモノ級の存在』である」,という向きも,未だ決して少なくないのではないか,と認識しているのですが,それをめいめい勝手のままに認めると,上述の通り「犠牲者」が出てしまう事も,また構造上避けられないと考えざるを得ません.

「身体・精神とも健康を基盤として,削れ過ぎない事は無論,元気で幸せに生きよう」とは,コーチとしてよりも寧ろヒーラーとしての,職責に根差す私の言明ですが,ひるがえって社会の実情を目の当りにするにつけ,「命も心も削っている」としか思えない人の姿が,大変多く見えてきてしまいます.

勿論,人間ドックのような健康診断・検査も定期的に受診してほしいのですが,「身体(あるいは精神も)に無理を掛けている」自覚のある方は,先ず十分に回復させるだけの機会を確保して頂きたいと,強く願います.
本来は無論,元気になってくれさえすれば方法は何でも良いのですが,例えばかくいう私もヒーラーとしての職務を提供しています:私のヒーリングセッションあまり用語として普及していませんが,より詳しくは「数学的ヒーリング」では,現代数理物理学の知見をも活用する事に加えて,「セッション後もきちんと休んで回復する時間・量を確保して下さいね」という,強いお説教がもれなく付属して,予後の効果を高めています

記事タイトル以下の「イイ仕事をしようと思うと命を削る羽目になりかねない」といった構造的事情に関して,直接に「対策」の算段を持っている訳ではないのですが,せめて「健康回復」の立場からは,マシいや万全を期したく,個人レベルからでも出来るところから随時着手して,貢献していきたい次第です.

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