暫定報:「2020年教育改革」について/後期入試対策講座募集(若干名)

2020年公教育改革(特に大学入試制度改正)に関して,「どうなるんですか」「いかがお考えですか」といった御質問を,特にオフラインで直接お会いした方からしばしば受けますので,一応「現時点での私の見解」まで示しておこうと思います.

一言でいうと,「ソリューションが未だ見えない」のです.それゆえ,「solution無きproblemを指摘言及する事は善でない」と教え込まれている私は,其の職責に沿って,これまで言及を避けてきました.
しかし他方では,当該公教育制度改正に「バラ色の未来(※死語…?)」を抱いているかのような言説も多く見受けられ,懸念は日増しに積もっていきます;…必ずしもそんな,諸手を挙げて喜べるほどオメデタイ話にまで無事着地出来るかは,現時点までの情報の限りでは「未だ不確定」ですよ,と.

更に踏み込んで言うなら,「根底からの・かつ本質的なソリューション」という代物も,一応考える事は出来ます.…が,ここへ本格的に手を突っ込んでしまうと,「ソリューション…なの??」と言わざるを得ない程の大変な事態まで着火即炎上一直線であって,此の意味でやはり「安全なソリューション」とは到底申し難いところ否めません.

結局のところ,制度の変わり目に「最初の1ターン」程度の混乱が生じる事などは一般論で織り込み済の範疇であって,其の制度を利用する[乗っかる]立場の最善手としては「制度ルールを上手く使いきる」取り組みをもって臨む事,という結論に至るのみなのですが,とはいえ,それら公教育システムを「上手く使う」技術というのも一応「教授可能な方法論・知識体系」の範疇ではありますので,彼ら意欲者[それも比較的にして特に高い]へ幾許かでも助力なり救済なりを提供したく,職務としての提供を検討中です.

 

<関連別件>
なお,並行して「大学入試(国公立大学等)後期日程直前対策」指導を,通常の個別指導受験対策の範疇として承ります(指導2時間につき5万円,他交通費等実費).但し,実効性(合格という成果)を得るためには,国公立大学2次試験前期日程より前の時点から「準備」に着手する必要があります(遅くとも2/23(木)開始必須).

こちらの指導プログラムを希望される方は,eメールにて
タイトルを「大学入試後期日程直前対策指導希望」とした上,本文に
(1)お名前
(2)ご住所
(3)電話番号(日中緊急連絡先)
(4)後期試験受験予定大学・学部・学科等/その入試日
(5)過去問題・模試問題集(特化したものがある場合)等が手元にあるかどうか
を記載して,nlimeblizzam【at】hotmail.comまで御連絡下さい.
<お申込後の流れ>
●折り返し当方より,代金振込先等の案内を返信します.
●入金が確認出来た(迅速の為,振込完了画面のスクリーンショット等も可能なら御用意下さい)時点で,メールor電話にて「前期試験終了後ただちに受験者本人が取り組むべき内容」を,指導本編当日より先行してお伝えします.
●指導日程については,生徒と指導者当方の相互調整で決定します.現時点での対応可能最速日程は2/28(火)です.

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健康保険証の表面性別欄は随時「不記載・非公開」とする事が可能である

先日,健康保険被保険者証の再交付を申請したのですが,その際に「性別欄につき非表示を求める」旨の意思表示をあわせて申請書を提出したところ,当該保険証の表面記載性別欄が「裏面参照」のみの表示となり,実質的に「保険証の表面に性別を明記しない」形が実現した事となりました.

この取り扱い自体は,2012年9月21日厚生労働省「被保険者証の性別表記について」(http://kouseikyoku.mhlw.go.jp/kyushu/gyomu/gyomu/hoken_kikan/tsuchi/documents/tsuchi_376.pdf)以降,「被保険者から被保険者証の表面に戸籍上の性別を記載してほしくない旨の申し出があり,やむを得ない理由があると保険者が判断した場合には,被保険者証の表面ではなく裏面に戸籍上の性別を記載できるようにする」という形で,既に実現しているものです.

しかし今回は,必ずしも 「やむを得ない理由」でなくとも,正当な理由として認められれば上記の通り「裏面参照」の取り扱いを受ける事は可能である(特に,例えば「性同一性障害のため」といった具体的事情の疎明を必要としない)と認識される実例でしたので,先ずその旨の御報告を兼ねて今回記事で紹介します.

 

今回私が提出していたのは「健康保険被保険者証再交付申請書」なのですが(理由は単に従前の保険証を紛失した為),新規交付申請時においても原則は同様であろうと思われます.

上記申請手続において,性別欄に関し留意した点は次の通りです:

●「再交付が必要な方」の記載欄「氏名/生年月日/性別/再交付の理由」の4項目の内,「性別」欄のチェックボックス「□男 □女」のいずれにも記入をせず,空欄のまま提出.

●書面下部の「備考」欄に,次の通り,性別を公表しない旨の意思表示を明記:

性別欄につき非表示を求めます.
根拠:国際連合人権理事会「性的指向並びに性同一性に関連した国際人権法の適用上のジョグジャカルタ原則」(2007年),日本国憲法第98条2項

ちなみに,健康保険証(再)交付申請の窓口においては,申請書に「性別欄表面不記載を求める理由」の記載を要望する旨の案内がなされていたところ,私は「理由というものに該当するかは分からないが,根拠法令は有るので当該条文を記載する事は出来る」と口頭で説明し,その通り記入提出して受理された,という流れでした.

 

上述の厚生労働省回答に基づく取り扱いでは「やむを得ない理由があると保険者が判断した場合」となっていますが,私の場合は「確立した国際法規であって,日本国も憲法に基づき遵守すべきもの」を主張(意思表示)の根拠として提示したのみであり,性別欄を非公開とすべき旨を求める「理由」自体については,それすら表明していない,という認識です.

果たして私の今回事例が,厚生労働省なり,保険者である全国健康保険協会(協会けんぽ)なり同協会都道府県支部なりにおいて「やむを得ない」と認められたのかは不明ですが,他の事例における法制の経験感覚に比する限りでは,そこまで厳しい判断を経ている感はあまり見受けられません.存じる限りで,「やむを得ない事由」というのは比較的厳しい判断基準であって(例:氏の変更,戸籍法第107条),今回の手続における私の意思表示は,どちらかと言うとせいぜい「正当な事由」(例:名の変更,戸籍法第107条2項)程度の堅さに近いのではないか,という気がします.

 

ジョグジャカルタ原則においては「法の下に承認される権利(第3原則)」が明記され,そこには

国家は、
(中略)
(c)国家の発給する出生証明書や旅券も含めた個人の性別を表記するあらゆる身分証明書や文書に、個人の自己規定された性同一性が反映されるようあらゆる立法的、行政的措置を講じる。

と述べられています.
今回の行政対応事例は,立法的措置の裏付けを十分伴っているかはともかく,実際上の取り扱いとして「個人の自己規定された性同一性が反映されるよう」との要求に,一定の肯定的な答を出した形である,と認識されます.

という訳で,ジョグジャカルタ原則に述べられている通り,「当事者本人が性別欄の非表示を求めれば,その個人意思が尊重される形で公的書面が作成される」事は,こと健康保険証においては相応に確保されている事が分かりましたよ,という御報告でした.

 

特に当事者の方など,もし「実例(先例)」として参照したい,等の必要がありましたら,より詳細な事情は個別にお問い合わせ頂ければ可能な限り御対応したい所存です.素朴な主観本音では「保険証現物の写真画像を示して紹介」したい程度には喜ばしい事例かと思っておるのですが(笑),さすがに公的書面の取り扱いに際してはひとまず一旦留意を払っておく次第です.

 

ジョグジャカルタ原則(英語原文)
https://www.icj.org/yogyakarta-principles/

見やすい日本語訳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%B0%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%BF%E5%8E%9F%E5%89%87

日本国憲法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html

第九十八条  この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
○2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

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日記:長生きをすべきかどうか

[日頃考えている問題意識を共有に供するべく記事の一として書き付け.]

ここ最近,「真っ直ぐな」人(私から見える限りで)と多くお目に掛かる機会を経て,私が進んできて・進もうとしている先には「道なんて無い」のではないか,とあらためて思うようになりました.
いや別に,あるいはそもそも原理的に誰しも(特に「将来へ向かった既定の」)道なんて無いのかもしれませんが,こと私自身の場合には,「進もうとしたら道が無かった」記憶も数有るな,と思い出しつつ.

「道が無かったからつくる」まではよくある…というかごく一般論の範疇と思うのですが,ではその「わざわざ道をつくった事」に一体何の意味があるのか,と確認してみようとすると,今一つ分からなくなったりもします.
私自身が爾後再度通るような道ならいいのですが,実際には私そのものは「先へ進んでいる」がゆえに二度と通らない道もあったりする訳でして,そうすると「後の誰かが使うのか」or「空前絶後」なのではないか,という展望が浮かびます.自分で嬉しいかどうかもさる事ながら,それは果たして世界の合計値をより豊富(better)にしているのか??という課題設問が続きます.

 

他方で,私の計算コスト(往々にして「道をつくる」際にも費消される)は結構甚大で,現代最先端の人類の文明の知見成果の上にあって初めて成り立つ代物であろう事も,まず間違いありません.米を作るどころか炊く事さえコンビニに置いとくまでやらせた方が早いと思いますし(物流トレーラーを2両連結にする法改正を経てまでなお),近くを通りかかった人に「代わりにトイレ行ってきておいてくれませんか」と頼んでしまう程度には,自分の身体に関してすら認識が「外側のどっか」感否めない有様です.

「単騎」で使う代物ではない,という事くらいまでは,おおよそ分かっている認識です.それこそ小学生の頃から「他の人がやっている事はやらない,なぜなら自分がやるまでもなく誰かがやるから」と意識していて,当然のバーターとして「だからこそ,凡人並みの事をやっている世界中の他者各位に対しては,本質的に依存しているという意味で頭が上がらない」も金科玉条として当時から明確に有りました.当時ってもはや人生時間の前半ですが,今なおその原則は本質的に大差無い程度で進んでいるような気もします.

ただ,その際に「コスト分配」をどうすべきか,については,未だマトモな解答を見ていないように思われます.これも往時から気に留まっていた事ではあって,「世界人類文明は野良ブリザムをどう生かすのか」とつねづね不思議に思っていたのですが,率直に言って今も不思議です.比較的近年に複数回の開腹手術・臓器摘出を受けてなお今生き延びている(しかもこんな文章書いたり出来てる)なんて流石に人生の予定に無かった話ですし,あるいは高校時代の同期から「ブリザムは最初に死ぬか,さもなくば最後まで生き延びる人だろうね」と言われていた事もあったのですが,残念ながら最初に死んだのは私ではなかったので,最後まで生き延びる…の?? と言うか最後までって一体どのくらいですか,150年とかになったりしませんか…そんな長生きした奴ってリーマン予想くらいしか例を存じないのですけれども.

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今さら「逆転合格」とか言っている人へ

センター試験が終わってから自己採点結果や予備校発表の予想平均点をにらみつつ此処を閲覧している人を想定して書いておきます.どうせ終了後まで仕事で居ない可能性あるので(苦笑)

 

拙著をはじめとする筆者の教育経歴の中でも「逆転合格」というキーワードは頻繁に(かつ意図的に)出てきているのは御承知の通りですが,ことセンター試験という「本番の一つ」が終わって結果が出た段階で,今更のように「逆転」と言い始める人に対しては,従前の認識覚悟のほどをあらためたく物申したい.

特に,センター試験が終わった自己採点までやって(あるいは試験開始以降,全日程終了時点までに)初めて「予期していた点数に足りない」と思った人などは,先ず直ちにそのヌルさというか中途半端さを反省する事を強くオススメします.そうでもないと「この先」がますます危なくなるからです.

どういう事かと言うと,センター試験で「欲しかった得点」に実際の自己採点結果が足りない,という事は,余程その得点目標計画自体が画餅であったか,さもなくば得点を万全に確保する為の事前対策が不足していた事を意味するからです.どちらにしても,得点で測定される大学入試という「相当地に足の着いた」制度に乗って取り組む立場としては,意識の霞み具合として問題外な程度です.

 

また,センター試験の事前・事後にかかわらず,そもそも「逆転合格」という事自体が決して順風満帆な行き方でない事も,試験に取り組む当事者及び関係者の総員が,元来理解しておくべき事です.
なぜなら,「逆転」という成果を挙げる為には,大まかに2通りしか算段がなく:「紙一重のところで『勝つ』側に回る」か,「入試本番でだけ得点が『暴騰』する」か,のいずれかだからです.

そして,今しがたセンター試験が終わって,「紙一重」で勝つ筋が見えなくなった人へ(この記事の読者の多数割合を占めると思われますので):

あなたは今から「残る本番回で暴騰」を目指そうとしている訳ですが,その前段として「人が変わる」覚悟は出来ていますでしょうか?

筆者の教え子でも,センター試験後に「逆転合格」の形で所期の目標成果を得た受験生は多数居ますが,その成果を出した人達は全員が「人格的に根底から変わった」と指導者視点からさえ見える程度です.

 

「人格を変えるべきかどうか」自体については職責上敢えてpushでは申しませんが,こと此のタイミングから逆転合格を望む場合,技術的に必要となる水準が「人格変革」をも求められる程度に及ぶ,という旨は,職務経験を含めた知見の限りで申し伝えておきます.

なお,今お手元にある青チャートやネクステが其の技術的水準に適するかはケースバイケースですが,センター試験でハズして逆転とか言い始める人の大半は,そんなものをマトモに使いこなす学力状態にすら達していないと思われます.先ず「自己採点7割台だった科目でコンスタント9割を目指すには何が足りなかったのか」あたりから再検討するのが適正ではないでしょうか.

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「頭がよくなる」目論見の読者を釣って,日本の教育を根底から激変させる深慮遠謀(個人感想)

師匠・苫米地英人博士の近著「苫米地式 聴くだけで頭がよくなるCDブック」 (https://www.amazon.co.jp/dp/4781614930 )の内容が,「教育」について簡潔に触れていながら言及内容の意義は誠に豊富なので,先ず教育関係者の方へは推奨申します(※当記事筆者が念頭に置いている知識水準に,もし読者の知識が不足する場合には,各自補って下さい).既に「著者名」ベースで購入した方の中には「楽曲」側が概ね高評のようですが,成書としての本編内容も相当の「使い倒しよう意義」は有ると存じますので,念の為御指摘.

さて,上記紹介書の中で「全く素晴らしい部分」は満額字面通り丁寧に読んで頂くとして,こと「日本の大学入試制度」に関する言及に際しては,異論…と言うよりは「別の観点立場からの異見」として,申しておきたい事が幾つか有ります.
一応私自身,「大学系研究機関在籍経験者」かつ「受験産業で『攻略』側の指導者」という立場として、十数年来のキャリアを有するプロではあるので,その見識を踏まえての話です.

端的には,「現行制度もよりマシな使い方は可能」と「今(特に公的セクターで)考え進められている『制度改善』の算段にも,抜け穴と言うかクラックの余地は有る」という事なのですが,大局的観点として整合した意見を述べるには元々の論題規模が大きい事と,グローバルネット上で無制限に公言するには厳しいかと思われる内容もが多々有ります故,現在これらの情報を必要な方へお届けする算段を含めて思案設計中です.追って告知予定ですので,続報に御期待下さいませ.

 

なお御待機頂いている皆さまには,先に苫米地博士の近日御意見を紹介します:正座して読むに不足は無い内容存分と思います.

https://twitter.com/DrTomabechi/status/807007008461189120
>日本の課程博士は微妙だけど

…誠に申し訳ございません.
およそ「教育」に関係する方の全てに,此の御一言から立ち返って,現在の御自分の身の振りと申しますか,立場職務からミッションからゴールに至るまで,あらためて考えるきっかけの一助として頂ければ幸いです.

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自然言語に内在する性差別

英語の「単数形they」に未だ馴染めないブリザムです.”They is…”とかどうにも気持ち悪くて使えずにおりますところ,納得いく説明の出来る方があれば是非御教示頂きたい.

過日も,超優秀な通訳さん(光栄な事に知り合い)に「she」と訳されて「頼むからitにしてくれよ」と反射的にキレそうになった程度には相変わらず大人気無かったのですが(日本語がほぼ通じない主賓に国連人権理事会の論題を伝える余力は無いと踏んでギリギリ黙った分だけ成長したとも言えるのかもしれませんが),ドイツ語の猫が「原則暫定女性」扱い(die Katze)である事と並べて見て「猫並みの待遇を受けた」と思うと,それはそれで中々悪くない気もします:猫は図書館のセキュリティを担ってきた文化史もあるそうなので,其の意味では合っていると言えなくもないので(笑).

そのドイツ語には「敬体としての二人称Sie」(三人称複数形と同じ形)という御苦労様な方法技術が確立されているので,まだしも「頑張れ」という気になれようものですが,他方で実は,当サイトでも使っている日本語だって,全く以て対岸の火事ではありません.

…既に思い当たる方もあるかもしれませんが,日本語の場合はむしろ「一人称」が問題になる事の方が頻発です.
これは「第三者」の話題を介さない,「自分と相手(You & I)だけ」の会話場面でも発生する事情であるゆえに,深刻さの度合としても一段以上重大と思われる由です.勿論,一度でも「経験」した事のある方なら,まず異論は無いかと存じます.

私が知る限りで,日本語一人称で情報伝達上最速なのは「俺(オレ)」です.これはおそらく発音の問題で,文字数(音数)的に同じである「僕(ボク)」よりも大抵の人は速く喋れます.無論,「わたし」は5割増なので最初から枠外です(ちなみに「私」の読み方は「わたくし」が正式のはずですが,発音の長さ云々以前に「堅過ぎて怖い」という理由から,通常の会話ではほぼ忌避されていると思われます).
そして御承知の通り,「俺」や「僕」はおおよそ男性用の位置付けとなっています.一昔前には,地方語で「オラ」が女性でも使える事になっていたという談も聞き及んでいますが,口語でも「標準語」の地位にまでは及ばなかったので,実質望み薄でしょう.あるいはより近年で,元来女性用の「ウチ」が全国区に広まってきた経緯もありますが,こちらも公な標準語の地位を得るには遠い気がします.…と言うか,微妙に「オレ」より遅いので,結局は敢えて選ぶ有難味に欠けます.

此の事情は,「女性(あるいは『男性以外』)にのみ口語一人称のコストが毎回5割増で乗る」事を意味します.それが証拠に,男性で平常時に「私」や「僕」を使っている人を,酒の卓で重要な話題(従って情報伝達速度の最適化需要が生じる)に乗せると,殆どの場合に一人称が「俺」に変化します.
換言すれば,こういうタイプの反応を見せる人は「内部処理上の一人称」が「俺」になっている,という事です.

内部処理(脳内計算速度)においても「5割増のコスト」が乗っているという事になると,特に脳内処理で音声形態を使っている人の場合,単位時間当りに扱える情報量自体もが,実は不利になっている可能性が高まります.
ちなみに私は個人的経験として,初めて英語に触れた際「一人称が”I”一択」であると知って「なんて便利な言語なんだ」と驚嘆した事を,今でも憶えています.と言うか,往時私の「内部一人称」は「オレ」だったはず…なのですが,そこを正直にいったら小学校で散々な目に遭ったので,以来久しく「利害が重大に絡む酒の卓」ですら使っていません.「男装かつ一人称俺」or「女装かつ一人称私」の二択は無理だった,という事です.今にして言える説明ながら.

「性差別が自己主張時(一人称)に乗る」日本語と,「当事者外の場面(三人称)で差別を受ける」印欧語とで,いずれがマシなのか? 私は今なお図りかねています.近年(おおよそ前世紀末頃から,でしょうか)では,匿名掲示板やネットワークゲーム等を介してきたと見られる「総員が一人称は原則『俺』に固定される(標準仕様)」流儀を,オフライン環境に言わば「持ち帰る」形で使い始めた女性に出会う事も珍しくない程度に経験していますが,それにしても「大っぴらな」状況で使うにはなお無理がある感を禁じ得ません.

余談ながら,日本語の二人称(常体)で最速なのは多分「君(キミ)」で,使用経験の限りでは「御前(オマエ)」を上回ります.「おまえ」が「あなた」より速い事を知っている人は少なくないかと存じますが(殊に女性),一応御参考までに.しかし敬体は「貴兄」が男性用なので(「貴殿」は丁寧語ではあるかもしれないが敬体ではないと思われます),性別不問の「汎用化」は模索中であります.

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やっぱりよくわからない代物

「プロトコル」を気にしていく内にピクトグラムに行き着きまして(今更ながら),そうするとピクトグラムの”元サンプル”を探して,人の集まる場所に行って眺めてみたりもする訳でして,勿論ランダムサンプルを採る気はない(さすがに統計収集に任せる)ので,一応は「何がしかの御題目」をもって集まった人々を見る事になるのですが,

パターンが多過ぎてよく分からない…

おそらく此の状況は昔(遅くとも5歳とかそのくらい)からそうでして,「相手の属性」が不明だからずっと観測データを取り続けて「辞書通読暗記」状態になって,そして当該「暗記」がそろそろいいかな,と思ったあたりで話し掛けると相手が計算コストで吹っ飛ぶ…といった顚末を,幾度も経験してきたような気がします.

「御挨拶的な日常会話を一切しない,本題から入ってずっと本題の話だけし続ける子」と指摘されていたのもそのくらい若い頃以来だったかと存じますが,近年だいぶいい歳になってからあらためて他者間の話を聞いていると,「自分の事しか言ってない」のはむしろ大半であって=多分仕様と見えて,そうすると「特段意味の無い御挨拶」が成立しうる理由がそもそもよく分からないのですが….

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スコトーマ


生殖(生物学的Reproduction:特定分野学術用語)に寄与しないのであれば,性別とかどうでもいい因子でしたね.

どうでもいいって事は,好みでテキトウに随時ラベルを貼ったり(勿論貼らなかったり)しても,一向に構わない訳ですよね.
(「社会制度設計上は困る」と思う人がいるかもしれませんが,そもそもなんででしたっけ?と考えてみて頂ければ.)

中学生の頃(※)にここまで明示的に気付きたかった…PX2(今日から復習自習してます)の効力をあらためて思い知った…

※往時から自分が生殖機能を有しない事は分かっていて,だから「次世代の教育に資する」事までは企図して,以来教育(職業としては高校在籍中以来)に携わって既に人生の過半に達しています.

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女性初産20歳は偏差値68.9相当(男性版もあります)

拙著の元となった記事を書いていた頃からずっと構想していて手を付けていなかった統計比較計算を,今更ながらやってみました.

 

計算の根拠となる統計資料のソースは,人口動態調査(厚生労働省)の「嫡出出生数,父の年齢(各歳)・母の年齢(各歳)・出生順位別」です:

人口動態調査サイト
http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html

データ(総務省e-Stat:中巻8)
http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/List.do?lid=000001157965

今回参照しているこのデータは嫡出子に限るのですが,2015年の第1子(母親基準)出生数478081人のうち嫡出子が464379人で97.1%を占めているので,後述の目的(「特定項目においてより詳細なデータが欲しい」)もあって,ひとまずこの統計基礎資料を使う事にします.また同様の理由で,出産と出生の区別についても後者を採っています.

 

●さて,それでは早速,母の初産年齢(※上述の通り,厳密には「第1子出生」)およびその出産年齢が「若い方から数えてどのくらいの割合か」一覧ドン!

嫡出出生数
第1子

母の年齢    出生数
総 数    464379    若い側累積分布確率
15歳    3    0.000006
16歳    160    0.000351
17歳    731    0.001925
18歳    1954    0.006133
19歳    4223    0.015227
20歳    6721    0.029700
21歳    8554    0.048120
22歳    9908    0.069456
23歳    12366    0.096085
24歳    15550    0.129571
25歳    20209    0.173089
26歳    25430    0.227851
27歳    31284    0.295218
28歳    35847    0.372411
29歳    37968    0.454172
30歳    37213    0.534307
31歳    34615    0.608848
32歳    30425    0.674365
33歳    26933    0.732363
34歳    24153    0.784374
35歳    22164    0.832103
36歳    19012    0.873043
37歳    15907    0.907298
38歳    12592    0.934413
39歳    10052    0.956060
40歳    8190    0.973696
41歳    5603    0.985762
42歳    3354    0.992984
43歳    1834    0.996934
44歳    837    0.998736
45歳    359    0.999509
46歳    103    0.999731
47歳    64    0.999869
48歳    18    0.999907
49歳    15    0.999940
50歳    10    0.999961
51歳    8    0.999978
52歳    1    0.999981
53歳    2    0.999985
54歳    3    0.999991
55歳~    4    1.000000
不 詳    –

ちなみに,第1子出生時の母の平均年齢(という更に雑な数値)は30.7歳です:こちらは報道等でより広く知られている通りかと存じます.

「10代で出産」経験者は1.5%程度ですが,そこからほぼ10年で「初産の平均年齢」に至る事が分かります.「98%以上の人は未体験」から「出産経験の平均タイミング」までのスパンが約10年という訳です.

 

●ではあらためて,当サイトの読者諸氏にもより分かりやすいであろう「偏差値」で表示してみましょう:

嫡出出生数
第1子

母の年齢    出生数
総 数    464379    累積分布確率    若い側偏差値
15歳    3    0.000006    93.6
16歳    160    0.000351    83.9
17歳    731    0.001925    78.9
18歳    1954    0.006133    75
19歳    4223    0.015227    71.6
20歳    6721    0.029700    68.9
21歳    8554    0.048120    66.6
22歳    9908    0.069456    64.8
23歳    12366    0.096085    63.1
24歳    15550    0.129571    61.3
25歳    20209    0.173089    59.4
26歳    25430    0.227851    57.5
27歳    31284    0.295218    55.4
28歳    35847    0.372411    53.3
29歳    37968    0.454172    51.2
30歳    37213    0.534307    49.1
31歳    34615    0.608848    47.2
32歳    30425    0.674365    45.5
33歳    26933    0.732363    43.7
34歳    24153    0.784374    42.1
35歳    22164    0.832103    40.4
36歳    19012    0.873043    38.6
37歳    15907    0.907298    36.8
38歳    12592    0.934413    34.9
39歳    10052    0.956060    32.9
40歳    8190    0.973696    30.6
41歳    5603    0.985762    28.1
42歳    3354    0.992984    25.4
43歳    1834    0.996934    22.5
44歳    837    0.998736    19.8
45歳    359    0.999509    17
46歳    103    0.999731    15.4
47歳    64    0.999869    13.5
48歳    18    0.999907    12.6
49歳    15    0.999940    11.5
50歳    10    0.999961    10.5
51歳    8    0.999978    9.1
52歳    1    0.999981    8.8
53歳    2    0.999985    8.3
54歳    3    0.999991    7.1
55歳~    4    1.000000
不 詳    –

いかがでしょうか?

女性で「初産年齢の若さで偏差値70」を挙げようと思ったら,10代のうちに出産を迎える事が必要となります.現役で東大に合格した時点で出産未経験だったら「即準備着手」しなければ間に合いません.そんな皆さんが受験勉強にいそしんでいる間に,同年齢の偏差値75以上は既に占められているのです.
ここでなお「大手予備校調査によると文一は偏差値69だから…」とか言う人には,「同年齢で大学受験市場に乗っていない人達が45%ほど居る」事を,念のため注意指摘して差し上げましょう.このあたりの計算の詳細は既に上記拙著でも述べていた通りです.昔から巷で言われている「東大生=偏差値80」といった雑なラベリングが,素朴に遠くない形容である事を確認するのは難しくありません.

なお言うまでも無い事ですが,ここで「偏差値」と言っているのは単純に統計分布上のレアリティの意味に過ぎず,座標の向き(年齢数値大小のどちら側を大きく取るか)すら特段の必然性は有りません.とはいえ,大学入試あたりだと「現役合格の方が良い」という風潮と思われたので,とりあえずその方向に倣ってみました.

そして,22歳時点で偏差値だと64.8相当となります.大学入試で偏差値65をマークした事のある人達にとって,65未満の世界は「凡人枠」という感覚だったりしないでしょうか.21歳まで(大学学部在学中)に難関資格合格というのは「たまに居るけど結構凄い」水準だろうと思いますが,出産年齢の若さ順で偏差値65以上に乗るリミットも,生命物理時間(年数)制限としては同程度の数値という訳です.

初産偏差値60以上のボーダーは24歳です.10段階評価で8以上相当の下限ですが,これは院卒修士の標準修業年齢最短でもあります.大学以降で専攻分野の能力意義が認められるのは修士以上だとすると,「リケジョは在学中までに出産か,少なくとも妊娠していなければ10段階で7以下」という,激しい人生の選択が見えてきます.中山敬一先生が「君たちに伝えたい3つのこと」で述べている「女性研究者にとって結婚は△,出産は×」を正直に引用したら大変な社会的制裁を浴びた大学教授が居て,当時報道で挙がった際には「ご災難様です」と思ったものですが,あらためて統計数値を見ながら現場感覚と並立してみたとき,実はかなりシビアな「選択」になっていた…という事情が体感されます.

以下こまごまと読者各位なりの「ボーダーライン」は上記一覧表から随所に見て取れる事と存じますが,平均付近でも年齢1歳ごとに偏差値が2程度飛んでいたり,同年齢帯で最大8%の「新たな出産経験者」が発生していたりと,「年齢(1年単位)ベースの統計というものがいかに粗っぽいか」と思わざるを得ないと共に,他方ではこと生殖に関して「いかにタイミングがシビアか」という事もが,今更ながらあらためて突き付けられてくるかのようです.

その中でも,特筆的インパクトが有ると個人的に思ったのは,「5歳毎の主観心理的(あるいは更にその集合総体としての社会的)ボーダーライン」が,偏差値的数字と照合しても相応の関連を見出せる(少なくとも言い張れる)程度の話だったという事です.いずれの統計基礎数値も,どう考えても「十進法の落し子」に過ぎないはずなのですが,端的に「偏差値40のボーダーラインは35歳,偏差値30で40歳」と言われると,たとえ元々の言い草が素朴な経験的直感の積み重ねの成果だったとしても,その見識や侮り難かった,と今一度正座直面検算せざるを得ません.十進法や正規分布を整備してきた先人達は,人類の生物学的特性を暦年単位と照合する事までも織り込んできていた,という話でしょうか…??

また,先にも「当然の事」として述べた通り,偏差値の座標軸(符号)の向きに特段の根拠は無く,その意味でとり方は任意です.従って,例えば「私は偏差値70相当の高齢出産を目指す」と言うなら,41歳以降に初産を迎えればその数値は達成出来ます.更には44歳で偏差値80,51歳で偏差値90を突破します.…遺伝子異常等のリスク因子については,既出の識者各位の論に委ねたく,またそれで十分かと存じます.

 

●と,ここまでの話を眺めて「対岸の火事」を決め込んでいる男性がうっかり居ると申し訳ないので,ちゃんと御用意してあります:一挙に偏差値含めてドン!

嫡出出生数
第1子

父の年齢    出生数
総 数    464379    累積分布確率    若い側偏差値
17歳    17    0.000037    89.6
18歳    1049    0.002296    78.3
19歳    2636    0.007972    74.1
20歳    4142    0.016891    71.2
21歳    5740    0.029252    68.9
22歳    6741    0.043768    67.1
23歳    8615    0.062320    65.4
24歳    11000    0.086008    63.7
25歳    14529    0.117295    61.9
26歳    19628    0.159562    60
27歳    25234    0.213901    57.9
28歳    30086    0.278689    55.9
29歳    32778    0.349274    53.9
30歳    34027    0.422548    52
31歳    33122    0.493874    50.2
32歳    30648    0.559871    48.5
33歳    27684    0.619487    47
34歳    25395    0.674173    45.5
35歳    23551    0.724888    44
36歳    21294    0.770743    42.6
37歳    18496    0.810572    41.2
38歳    16154    0.845359    39.8
39歳    14041    0.875595    38.5
40歳    12306    0.902095    37.1
41歳    10427    0.924549    35.6
42歳    8365    0.942562    34.2
43歳    6607    0.956790    32.9
44歳    4931    0.967408    31.6
45歳    3718    0.975414    30.3
46歳    2943    0.981752    29.1
47歳    2197    0.986483    27.9
48歳    1548    0.989816    26.8
49歳    1063    0.992106    25.8
50歳    892    0.994026    24.9
51歳    707    0.995549    23.8
52歳    487    0.996598    22.9
53歳    337    0.997323    22.1
54歳    269    0.997903    21.3
55歳    227    0.998391    20.5
56歳    152    0.998719    19.8
57歳    112    0.998960    19.2
58歳    92    0.999158    18.7
59歳    82    0.999335    17.9
60歳    58    0.999459    17.3
61歳    49    0.999565    16.7
62歳    42    0.999655    16.1
63歳    30    0.999720    15.5
64歳    26    0.999776    14.9
65歳    37    0.999856    13.7
66歳    20    0.999899    12.9
67歳    17    0.999935    11.7
68歳    10    0.999957    10.7
69歳    3    0.999963    10.4
70歳    5    0.999974    9.5
71歳    3    0.999981    8.8
72歳    2    0.999985    8.3
73歳    4    0.999994    6.2
74歳    1    0.999996    5.3
75歳~    2    1.000000
不 詳    1

第1子出生時の「父の平均年齢」は32.7歳です.この女性との「ほぼ2年差」は若い側ではある程度近い値ですが,加齢とともに差は大きくなっていきます.言うまでもなく医学的(生物学的)構造機能特性の違いによっている事と存じますが,統計表作成時点で設けられている年齢数値欄を見ても歴然です.70代で第1子が昨年内に十数例ですよ!

さて,あらためて表に戻りまして:先ず,男性の場合には第1子出生時点の年齢において「偏差値90台」という世界が存在しません.どうでもいいような話と思われるかもしれませんが,東大生や中学受験最高峰(殊に男子)の経験者の中には,筆記試験の科目別で偏差値90台を出した事のある人は少なからず居るはずです…なので,敢えて言及しました.ちなみに私の最高記録は偏差値88です(大学入試英語),生殖能力は有りませんが.
無論,此の結果は統計の取り方に依っている代物に違いないのですが,換言すれば「男性が第1子出生時点年齢若さ偏差値で90台を叩き出そうと思ったら,法的裏付け(婚姻なり認知)の制度が存在しない範囲で事を進める必要がある」という論も有り得る訳で,これを機に,婚姻可能年齢を男性も16歳まで引き下げて両性平等な法制にして,少子化対策にも貢献…とは,流石になりそうな気はしませんけれども.

そして,男性の場合は20歳まで偏差値70台のチャンスが有ります.それでも東大入試の対同年齢全人口比からすればレアリティは低い訳なので,東大合格者は(たとえ現役でさえも)その時点までに子供がいる同年齢の人を見掛けたら,対等以上の敬意をもって接すればまず間違い無い,と言えましょうか.
偏差値65ボーダーは23歳,偏差値60は26歳となっています.大学院修士課程修了までに仕込めば「凡人の上位側」くらいには相当する,といったところでしょうか.私が個人的に直接存じている限りでは,大学院進学者でこの「偏差値60」を達成した人は数人居るのですが(いずれも男性),当初「えっ!?」と思った感覚が,そういうレベルの話(筆記試験学力偏差値と生物学的生殖年齢偏差値の両立成果)だった,という事を,今回計算してあらためて認識しているところです.

他方で,中央付近までの「タイミングのシビア感」は,女性の場合と意外なほど大差無く見えます.偏差値45(10段階評価で以上5=5段階評価で3以上)ボーダーは34歳,偏差値40(10段階で4)ボーダーは37歳となっています.父母の組み合わせや職種その他の環境についての考察は今回割愛しますが(元の人口動態調査では並行して詳述されています),ごく素朴な直感として「カップルの年齢はそれほど離れていない場合が多い」といった事の裏付けは,一応見て取れると言えましょうか.

また,これと表裏を成す事なのかもしれませんが,男性の場合はその後の”ロングテール”も興味深く読めます:偏差値35ボーダーラインが41歳,偏差値30が45歳まであります.前述の論と同様に,「高齢で第1子出生」のレアリティを狙うなら,46歳以上で偏差値70,更に50歳以上なら偏差値75の「格」が得られます.尤も,偏差値70なり75というのは同年齢人口比で2%なり0.5%といった「特殊値」ですから,社会的な意味でのバックアップ体制が追いついているかどうかは,流石に懸念を禁じ得ませんけれども.

 

以上の論題は婚姻ないし認知(嫡出)といった法制に基づく統計調査の結果ですが,本来的構造から言えば「生殖の結果評価であって,社会制度(法律)の裏付けをも有するもの」と解すべき事と思います.
一般論の限りで,婚姻届が受理される事よりも生殖に成功する事の方が,選択の余地としては「難しい(可能性が高い)」と考えられます由.

同性婚法制とかどうするのでしょうか.人工生殖に関してはたまに「突っ走ってでもやった例」が物議に挙がる一方,法制に関してはだいぶ「触りづらい」と見える感もあり,そのあたりはコウノトリなりキャベツ畑なりに丸投げで任せてきた人類史にあらためて思いを馳せる面でもあろうかと存じますが,換言すれば「当事者の意志でどうにもならない」度合がより大きい,という意味でもある訳で,「人口1億人維持」がたとえ画餅であっても社会保障制度設計は現物にまで降りてくる話ですから,そこを丸投げとは流石に言えないはずです.フランスの法制なども聞き及んで眺めて初学しておりますが,部分的に真似出来るような代物な気も今一つしません.

 

今回使用の統計資料作成中に,不妊手術済みの猫にモバイル充電ケーブルを喰われましたが,私は今日もそこそこ元気でおります.

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社会的生存の権利

これですね.

長谷川豊さんの「患者自己責任論」発言とMXバラいろダンディ降板に思うこと-ドクター苫米地ブログ
http://www.tomabechi.jp/archives/51533907.html

昨日公開された上記参照記事の内容は膨大な論点を含んでいますが,今回私が特に着目したい方向性は当記事タイトルの通りです.

更にもう少し私なりの言葉でスペクトルを絞るなら,
近日拙著記事のタイトル,あるいは「広げ過ぎた風呂敷」の範疇で,記事本文では触れるところまでいってなかった論題(=言いたかった事の「本体」)と申しましょうか:

「一代限り」の人権をどこまで主張・保護すべきか
http://wp.me/p6S43T-5J

冒頭の参照記事を読むと早々に,苫米地英人博士が,広く世の中一般に対して(顕名して)いかに「注意深く喋る」所作をずっと続けてきたか,という事もが,重大な関心を引く点として見てとれます.

他方,私が自身の活動においても心得ているのは,せいぜい「言葉の選び方」の範疇であって,「そもそも論題の選び方自体がマルくない」といった可能性に関しては,意に介さないというか,エラそうに言っても「先ず言及する=喚起して知らしめる」事を優先しています.

私の持論では、世の中には経済の論理に入れていいものと、入れてはいけないものがある。医療と教育は経済の論理に入れてはいけないものの代表だ。だから、国家医療制度は憲法第11条の基本的人権を守るのに当然必要であり、26条の教育を受ける権利で学校制度がある。

国民の憲法で保証された当然の権利であるのであって、医療を受けるのに理由は関係ない。だから自己責任か否かはどうでもいい。これが話題に上ること自体が、いつの間にか経済効率の論理が全てに優先する社会になっているということであり、私には相当の違和感がある。また、医師の中にもそういう考え方の人がいるのは大変残念である。

(冒頭引用Dr.苫米地記事より)

一般論としては同意というか,私自身は単により大局の意見を持ち合わせていない程度ですが,逆にひとたび「では個別の具体的状況においていかに実装まで落とし込むのか」と言い始めると,「果たしてどのラインまでを,国家レベルから含めた社会制度設計(及び運用)の範疇で助けるか」の問題に直面します.これは予算の問題に限った話にとどまらず(現状「金の多寡」が効いてしまう面も否めませんが…),どちらかというと「教育」の課題ではないかという気もします:経験の限りでは.

字面を建前の通りに読んで,「憲法レベルで規定合意されている[事になっているはずの]保護堅持すべき人権」と声明を上げる事までは,相応に座学的知識を持っていれば可能です.更に,合意納得しない”アタマのワルい”相手に対しても,「学歴武器」をもって上から叩き潰せば,相手の人格ごと支配下に置いてしまう形でなら,荒っぽいですが「所期の目的成果」=「社会において攻撃被害を受けない程度の立ち位置を確保する事」は一応達成出来てしまいます(当サイト前記事「いじめの根源と,対策…のウソ」http://wp.me/p6S43T-5P参照).

但し,そこまでやってさえもなお,「直感本音として納得されている」状態に至る事は,なかなか容易ではありません.これは,人道的に本来はより望ましいところの,といった話以前に,当事者自身の側の実利においても重大です:それこそ,私の十年来の知人が,「トイレが二択の建物で行われる会合に呼ばれると,数時間以内には体調を削りつつうろうろする羽目に陥る」同志が混じっている事にさえ想像が及ばなかったように.

その上,実際には更に,「より積極的な攻撃の企図」としか形容しようが無い,他者(当事者に対する他の人格主体)もが存在します.大変残念ながら.
近日も,とある「社会的には統計上マイノリティ(しかも,ある意味で「知的能力が高過ぎる」がゆえに)であるはずの人達」の会合に参加していたのですが,その中で「特定の属性」の人々が再びさんざんな扱いを受けている有様を目の当りにして,「あぁ,宗教戦争って全然終わっていないのだな」と思わざるを得なかったばかりでした.私が「直接乗り込んで対処しに行く」事をやってきた経歴の中でも,当該環境(未公開)は東大と並ぶ二大巨頭と言って過大でない程度と思いますが,日本(差し当り「おおむね日本語圏」くらいの意味で)が世界をリードするような分野で,その日本の最高峰を集めたような人達が「そんな有様」という現状は,うっかりすると「人類は設計不備だったのではないか」といった結論に陥りかねない程度に,夢も希望も見え難い光景だった事は否めません.

いえ,私の知見の限りでは,人類は「情報学習という手段を含めて,教育をもって成長出来る」がゆえに,物理ハードウェア依存の構造に「多分な余地」を残している仕組み…になっているはずではなかったでしたっけ? と思う訳ですが,そのくらいは中学校課程くらいまで履修していればおよそ理解出来る事じゃないかと認識しているのですが,公教育システムは一体何をやっているのでしょうか…??

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