「世界トップクラス」なはずの日本の高校数学・理科は,果たしてどれだけ実になっているのか

前回記事では,あたかも「大学受験産業は今後とも生き延びる途が見えている事請け合いである」とでも言っているかのような論を展開していましたが,実はその「裏面」とでも呼ぶべき状況の方こそ,もしあるとすれば遥かな懸念材料ではないかと案じています:

それは即ち,「大学入試対策なりの為に,今までのような『ガリガリ座学』をやる必要が無くなった場合」の展望如何,という事です.

そして,その中でも特に具体的な懸案は,日本の高校教育課程相当の「数学・理科」の修得到達度について,です:要は「高校数学・理科をマトモに使える水準に達している人材が,果たして今後どれだけ育ってくれるか」という重大懸念です.
無論,此の論点はほぼそのまま「大学初年級程度」の各科目修得到達者数・率にも直結します.また,こと「物理」に関しては当サイトの以前記事でも触れた通りです.

 

筆者の存じる限り,日本の若年者が各分野の学習に取り組む際のインセンティブとして,大学入試制度という「なんとなくスタンダード」社会的枠組みの存在が相当効いている,という事は,相応に確かであろうと思われます(功罪共ありつつ).東大入学前から名前が挙がるような英才は別かもしれませんが,少なくとも筆者程度の水準(物理は大学入試ほぼ満点,数学は東大模試で最高全国2位・駿台偏差値75超,東大大学院進学時点でも「成績上位6分の1以内」が判明)の学習者の経験では,高校時代に「相応の(相当の)記述答案作成的座学」を含む受験勉強を通った結果として,ようやく当該学術分野(教科・科目)内容を「相応に理解」する段階に辿り着いた,というのが正直な実感です.

 

この「ガリガリ演習」の効果は識者の公論においても認められており,例えば河東泰之教授の米国留学中体験記では大変インパクトのある実例が多く述べられています.あるいは,苫米地英人博士も複数の著書中で,「日本の高校生の数学学習は工学的用途に偏り過ぎていると見える」旨を指摘される一方で,「理学のアメリカと工学の日本」という切り口では,かかる「工学」が日本の生産性基盤を支えてきた事を是認されています.更には「大学進学志望者への試験では数学と物理を必修にすべし」との提言もあり,各学術分野の課程内訳はともかく,大局としての体系知識心得が必要,という意味においては合意可能であるものと思われます.

 

…そこへきて,もし現行大学入試のような競争選抜試験の形をしている「ガリガリ座学に勤しむ為の動機として機能する目標」が見え難くなったとき,日本の高校生(若年学習者)の中に果たして,どれほどの「なお走る」=そして相応に成業する人が,残るでしょうか.かく言う筆者は,つい先日の記事でも「高校進学以降までRPGに勤しんでいた」と露呈開示しておったばかりですが,実際そこで培ったのは「暗記とやり込みにかける気合」である事もおおよそ間違い無く,尚且つその直後に大学入試対策受験勉強へ向けて使い始めた「気合」とは,まさに従前長らく続けてきたRPG経験の中で培ったものに他なりません.RPGタイトル複数をカンストまでやり込んだ気合は単純に趣味だったかもしれませんが,受験勉強(&そこから続く大学以降の学術分野知識習得)に対しては,「その気合が活かせる」と認識していなければ,まずもって着手する主観的機会すら無かったのではないか,と今なお思います.

「塞翁が馬」と俯瞰されれば上述いずれもそれまでの範疇になるのかもしれませんが,さてもなお,「結果」の形となった事象に恩恵を被る立場の我々は,それこそ競争選抜試験に典型される如く,「結果が見える目標」の雛形を,社会システムの中に見えやすい形で置いておく程度には,具体的に踏み込んでもよいのではないでしょうか.

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大学受験コンサルの思う事

そろそろ多少は考えがまとまった気分になってきたので,現時点で見えるところを書き付けておきます.

 

●入学者選抜(大学入試)が客観評価として何らかのスコアリング(数値化)基準をもって行われる限り,「合格点」≒目標得点,といった概念は今後とも残存しうるものと思われる.

●にもかかわらず,現行試験制度においてすら,当事者本人として「目標」を何ら意識しないままに,いわゆる「受験勉強」への取り組みを進めている受験生・高校生等は,相当多数割合に上るのではないかと危惧される.

●また,大学入学志望者の資質選抜において,「知識が少ない方が良い」という基準が優位となる事は,今後ともまず無いと思われる.即ち,この意味で「不勉強」な志願者が大学入学許可を得る際に有利となる事は無い.

●上述の「知識」を各個人が得るに際して,その全てないし大半を「実体験」によって得る,という事は,実際的でないし,のみならず,なおも「不足」が残る可能性が高い.この不足する部分とは,ごく素朴な古典的術語では「汎化」と称される概念の範疇に相当するのだろうけれども,この際には例えば読書のような座学的方法技術の導入もが(現行の方法論とおおよそ同様に)不可欠と思われる.

 

そんな訳で,すっかり色めき立っている(今でも??)大学進学希望者選抜試験方式改正…要するにいわゆる「2020年大学入試改革」の事ですが,筆者は「目標スコア取得達成ゲームのルールが変わるだけ」に過ぎない,程度の認識でおります.かつての当事者として,また教育職においての経験を含めて,展望見える限りで.

もちろん,「選抜する側(≒出題者)の意図」すなわち「大学が求める入学者像」という典型論点もある訳ですが,「それ」に対して実際の試験制度が如何になっているか,という事情は,現行の状況においても露呈している通りです.
端的には,「生き残りを懸けた再編」こそあっても,「上位層の集中による選抜激化」の構図の方は,より既存の状況に近く映るのではないか,と.

 

つい先日も,ある有名難関大学入試への合格を万全としたい,と仰る受験生御本人に,

●入試本番の大学個別学力試験(いわゆる2次試験)で,合計何点=各科目何点ずつ欲しいんですか,またセンター試験で何点欲しいですか

←●その為に必要な学習取り組みをどのようにしますか,教材は何を使用しますか・それは手元にありますか,その学習の量を時間で見積もるとおおよそ累計何時間・何週間・週当たり何時間ですか,またあなたの志望する入試で課される科目全体への配分の中で,個々の科目に掛ける学習量の位置付け・タイミングスケジュールはどのようになっていますか

←●今から入試本番まで「受験勉強」に使える学習時間・量はおおよそどのくらいですか,また現時点であなたの学力を目標とする入試の得点で測ると,まぐれ当たりでない点数はいくらですか

と訊いてみたところ,どれ一つとしてマトモな応えが返って来なくて唖然とした限りなのですが,敢えて厳しく指摘言及するなら,「目的が不明確なまま勉強には取り組む従順なよいこ」が「ロコツな数値目標をクリアする為に正面から入試ゲーム攻略に臨む(セミ)プロ受験生」よりマシと評しうる基準は,今一つ思い浮かびません.

 

実際には,私どものような職業専門家が上記のような「打算」計画を立案して提供する務めを担っている訳ですけれども,その計画の内訳である学習内容を「実施」するのは,あくまで学習者本人です.

これもよく訊く試問(苦笑)なのですが,「全方位的に勤勉」たろうとする(?)生徒は,大学受験に際して「家庭科」や「ドイツ語」も満点ないし高得点を目指して勤勉に取り組むのでしょうか??と.個人的には,入試に無いような科目も知識体系として(の捉え方に限って)すら有益なので,高校平常学習程度でマトモに取り組んでおく事は元来良いとも思っていますけれども.
とはいえ,それが「入試本番の得点に貢献するか」については,職責として実際別途の言及もしています.にもかかわらず,上述の論は理解出来る受験生(及び,さらには保護者層)の中に「まんべんなく高得点率で安定合格」を目標に設定しようとする例が,枚挙に暇無く後を絶たないのは,彼等の教育水準の高さに比しても相当不可思議です.その背景や一体,縋り宗教の類か何かなのでしょうか.

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教育において「財源が有れば出来る事」は果たしてどの程度か

最近も幾つかの文教系会合で末席にしれっと入っておおよそ正座しておったのですが,「相変わらず文科省系統は予算もってくる力が乏しいっす」と「現場教員は激務過ぎて死んじゃいます」との現状認識二大巨頭が従前知識を大幅アップデートな感じで見て取れまして,国政レベルで随時上がってくる報道タイムライン(主に最近のよろしくない方面話題)への留意と視線を分散させながら,頭だか腹だかよく分からないけどなんか段々痛くなってくる気分で,素人意見表明のタイミングさえ全部スルーした有様でした.
それ自体は単に「論題の箇条を作ろうとするベースとして採ってくる現場事例が筋悪下手過ぎるだろう」という斬り方でも済んでしまう程度の談かもしれませんが,こと「じゃあ『逆』は果たしてどれほどアリなのか」と思い起こしてみたときに,やはり「金を掛けたらイイ教育は出来るのか?」との一行設問にまで挙げると,一言でキレイに応える事は中々…いや到底難しいように思われる,と申さざるを得ません.

なるほど「金が無いと厳しい」は有るかもしれませんが,こと教育において,相応の「結果」に何よりも直結するのは,学習当事者(=教育の「享受者」)本人の「意欲」ではないか,と,私個人なりの職務経験の限り見えるところで,やはり思う次第です.(ところで全く余談ですが,今年で私の教育職経験がさる大台に乗っていた事に書きながら気付きました…)

 

そして,この「意欲」を支える重要な因子として「環境」もが効いているのではないか,という試論が,匿名ながら近日上がっていました(下記リンク記事).個人の人生遍歴譚なので安直な一般化は到底困難な内容も多く見えますが,他方では思い当るところある「構図」も垣間見えるかと存じますので,ひとまず御紹介:

高専・奨学金でなんとか高学歴?になって、感じた・思ったこととか
http://anond.hatelabo.jp/20170609081119

…ナルホド,「金が無くて厳しい」の一例はこういう当事者感覚か,とも見て取れます.

 

他方で,最近は教育分野でも御自身の経験(まさに真っ最中)を含めて記事を多数書かれまた大いに参照されている,山本一郎さんの論の中には,こんな一幕もあります:

子供の「好き」を未来の糧にする大学入試改革のこと
http://kodomomirai.com/column/education/1217.html

そうなると、子供の教育、コントロールというのはとっても大事になってくるように思うわけです。とりわけ、何に興味を持たせるか、あるいは持たせないかってその子の将来を左右するといっても過言ではない。というのも、例えば長男が「つくば宇宙センターに行きたい」というので子供三人連れて筑波エキスプレスに乗って宇宙観光にいくじゃないですか。こっちは宇宙の図鑑持って、ネットで太陽系を調べながらわくわくで向かう途中に、似た年頃の子供を抱えた一家が戦隊モノの資料を一生懸命見ながら時間を潰している。もちろん、好きなコンテンツに熱心になるのは悪いことじゃないですよ。でも、子供の教育と将来の生産性を考えたら、戦隊モノやアニメに時間を費やすことが子供の将来に良い影響を与えるんだろうか、と悩んでしまうわけです。目の肥えた良い消費者になることはあっても、そういう戦隊ものを参考にできるようなコンテンツ制作者にならない限り子供のころから培った目利きの能力が社会で役に立つ能力になるはずもない。

拙宅山本家だって、親が仕事で忙しいとiPad渡して好きな動画を見せてるときがあって、そうなると三人でドラえもん観てたりします。長男も次男も一時期は妖怪ウォッチにハマって、メダル集めてました。そういうものも好きで良い。ただ、未来に対して生産的になるであろう興味関心と、単に子供の消費者として時間をつぶすだけの代物とのバランスをどうとるのがいいのか、凄く、凄く悩みます。喉のところまで、そんなもの観てないで算数でもやれといいたくなる、それをグッと堪えて「ねえ、ドラえもんの映画はどうだったの」とにこやかに訊いたりします。次男が「タイムマシンを作れるようになりたい」と言われたら、すかさず地球の歴史は38億年あってね、みたいな話に振りながら三兄弟が「宇宙って神秘的だね、凄いね」って言い出す流れにもっていくという涙ぐましい努力が必要なんですよ。

同著者の他の記事を併せて読むと,大局としてはさすがに相当マトモな事を仰っていますし,親の務めの一として「期待値を上げる」企図にも臆面なく言及されているあたりには,世の中における当事者ポジション論客としての誠実さやバランス感覚をも感じます.

 

とはいえ,何度でも言いますけれど(こと「教育」分野において言及するに際しては),小学生当時に同級生から煽られて始めた某RPGがなければ,今の私は絶対に無い訳です.その後私が高校進学以降までRPGに人生時間の多くを投入する事になる傍らで,小学校生活半ばから塾通いを始めた級友の多くは,果たして所期の目的に比してそれ相応の成業に至ったのでしょうか.少なくともこと「進学実績」的基準に照らしてみた限り,私以外に同程度の教育水準まで辿り着いた同期は,通塾組の中にこそ殆ど見当りません.尤も,同様の構図は進学した先の地元公立高校同期を見ても指摘出来る事であり,そうすると「教育って何だっけ,一体何を出来るのか」といった,それこそ筋悪アホ過ぎる展開に陥るのかもしれませんけれども.

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虹色旗を掲げた事がない立場から反省を再開する旨

性別欄「二択以外」(ISO5218でいうところの「9」)のなお多様さと言うか,従前の私自身の認識が如何に甘かったかを思い知る機会を直近頂戴していたので,いずれもうちょっと深掘りして記事を書きたいと思いますが,取り急ぎ上述の旨御一報申し上げます.

 

端的な例としてはこのあたり(一連ツイート):

個別各論の中には合意出来る内容もしばしば有るのですが,わりと根本的なところで「一人称身体感覚」がおそらく彼と私とでは大分「別種」な気がします.

当サイトでは2か月ほど前から折に触れて上記引用の元発言者である青木志貴さんを槍玉に挙げておった訳ですが(各記事参照),その後に謎の御招待イベントが発生して末席にあずかったり別途の事情で仁義御挨拶を通していたりする中で,御当人の姿にも直接お目に掛かる事となりまして,率直に「どうなってるのか」気になって見せて頂こうとする訳です.

 

…何というのでしょうか,この,大雑把には「自分と同じ括り」に一旦入れておく(そのくらいしか方針を思いつかない)扱いになるものの,手元知識で持っているラインナップの範疇に見当たらない程度の「別種」感.

 

性別コード「9」も安直に大同団結って話で片付ける事じゃ済まないんだろうな,と直感せざるを得ない経験でありました.反省.

 

なおこの点で「ジョグジャカルタ原則」はずっとマトモな定義を述べていますが,こちらは「性別の理論値が無限通り存在する」事を認めているので,計算実装が原理的に追い付かないという難があります.

近日も「職場のトイレを法令に則って2択着実にすべし」との論題が挙がっており(参考:http://news.livedoor.com/article/detail/13036859/https://news.yahoo.co.jp/pickup/6239109),個人的には「むしろカンベンして頂きたい」とさえ思う次第なのですが,当然の流れとして「所望如何」と周囲の数学者からも訊かれるところでありまして,まぁ「ISO5218で言うところの9」くらいが関の山かな,と応えてきております.
痴漢冤罪関連の件は別稿http://wp.me/p6S43T-5zでも触れたので今回はそこまで風呂敷広げない.

AP通信が「単数形they」を認めたそうですが(下述リンク記事参照),想定通りbe動詞のあたりで英語圏各位は誠に御苦労様であります.その点日本語は「彼」で済むから楽なのであって,「彼女[あのおんな]」は蔑称含みではないか,との激論は是非シラス台地が出来る位にまで盛り上がって頂ければと存じます.

theyの三人称単数OK 性的少数者に配慮
https://mainichi.jp/articles/20170519/k00/00m/040/025000c

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人類の生物学的存続と競合する可能性のある「人権」は,果たしてどこまで認めうるのでしょうか

表題を見るからにややこしそうな記事が出ていたので参照します:

青木志貴の魔王式随想:「友人」という存在と「女子の輪」
https://mantan-web.jp/2017/04/16/20170416dog00m200011000c.html

当サイトは基本的に「芸能」方面へはあまり興味がないのですが,上記引用記事中で述べられている生育歴・特に学校環境関係のあたりで,私自身の経験に照らしても「思い当たるフシがあり過ぎる」と直感した由,今回言及させて頂く事としました.

ちなみに,私の場合「いじめ」から逃れる事が出来た理由(おそらく唯一最大の)は,「中学校進学時に受験組が一斉に抜けてくれた御蔭で,進学先の地元公立中学校で私が学年首席を獲れた」という事情であって,此れは「人生クジ」を何度引き直したとしても2度目は引けないだろう,と思うピンポイントエピソードの最たるものです.

 

さて,引用記事の内容に戻りますと:内容を順に追ってお読み頂ければ見える通り,本件は「文科省事案」込みな訳です.と敢えて強調しておきたい.
かく言う私個人の経験の限りでも,社会的に「性別非公開」を徹底しようとした際に,こと「学校的な環境」のぶち当たり堅さはやはり一段キツいように感じられる場面が珍しくありません.

実際には,例えば性同一性障害に対応した小学校の例などは随分前から報道にも挙がっていますし,またより近年では「性的少数者について現職教員が座学で学んでいる」といった話も聞き及んでいたりしますが(直感的には「本当に大丈夫なのかそれは」と逆の意味で震え上がる向きも否みがたくありつつ…),
『例外的対応』をどこまで出来るのか」と,「そもそもどこまで対応すべきなのか」という,少なくとも二本立てというか二律背反に近い命題が,端的に本件人権の錦の御旗を支える柱になっている構図ではないか…とも考えうるあたりで,明確な「処方箋」を提示する事が難しくなってくるように感じられます.

 

勿論,大義名分としては「国連レベルからの人権」(ジョグジャカルタ原則なり)という訳で,これはこれで有史以来人類の叡智の一つの結晶と言えます.しかし他方では,かかる「人権」を認める事が出来る論の前提として「世界人口は保たれている(実際上は未だ増え続けている)」という,算数上の母集団規模に,全く依存している話である事にも相違ありません.

前回の拙記事では,山本一郎さんの提示した「ロールモデル」案に異見を唱える立場から御紹介しましたが,これがより窮極的に「人権擁護の合議結論が人類の存亡と競合する」ような状況となった場合に,果たしてどこまで個々人の人権を主張しますか,たとえ自分が当事者だとしても,という段になると,「お前の其の何気ない言い草が人命を奪っているのだ」は甚大なブーメランとして返って来る事になりかねません.

 

もしくは,総体として「人類が偏見を強めたがっている」方向性が顕わになった時,果たして其処に異見を持って旗印を振れる根拠は如何に求め得るのか? とも換言出来ましょうか.

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「見てから走る」出来合いロールモデル採用,という方針の限界について

山本一郎さんの物議記事(※内容は至って真っ当です:御一読推奨)「不幸の連鎖、男性の3人に1人「生涯未婚」時代」( http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/022700044/032900003/ )で広範に触れられている各論についての異見と,こだまさんの話題書「夫のちんぽが入らない」( http://www.fusosha.co.jp/special/kodama/ )の背景に透けて見える重大な社会構造的問題との,「間」を埋めるべく持論を展開したいと思っているのですが,solutionと言い張れる程度の着地点が論として未だ今一つ見えた気がしないので,端的に箇条書き風味キーワードだけ提示します:

 

それは,「ステレオタイプ的ロールモデル」がとっくに限界を迎えている(そして其の瓦解しつつある様が見え始めている)のではないか,という事です.

 

数学的に言ってしまえばそりゃ当り前で,既知の定型化された「目標」に向かって人生を注いで走ったとしても,運ゲーとしてさえ決して分が良いとは言えない部類ですし,逆にもしそんな事が成り立つのなら「イノベーション」は発生し得ないという事になってしまいます.
或いは,此の中間で「三十年逃げ延びれば自分の現世は勝つる」と踏んで,手堅い国家資格者のようなプレイロールに賭ける,といった”選択”判断も有るのかもしれませんが,それこそ「国家百年単位の未来先食い」への加担助長どころか戦犯本丸に他ならないのではないでしょうか.

職務上近しい分野から例を採れば,今年も東京大学合格者数ランキングは盛況の模様ですし,おおたとしまささんの近著「習い事狂騒曲」( http://toyokeizai.net/articles/-/161822 )も,直近の時勢需要によくマッチした切り口と存じます(かく言う私は発売前予約で購入しながら未だ積んでおります…目次周辺と,上記紹介リンクの東洋経済記事だけ概観しました).
その最中では勿論,私自身も「逆転合格」の御旗の下で,一見して勝ち組エリートコースへの道程を提供している…かのように見せかける商売を担っている訳ですが,実際には密かに「その前提が壊れた場合に耐えうる教育」をもプログラムの一環として織り込んでいます.なお此の指針原則は,恩師平野弘之先生から学んだ事そのものです.

 

「100年先の未来へつながる展望が見えない事にアクセルを踏む気には到底成れない」などと言うと,「其の手前の50年の国家単位システムが財政の一面でさえ危ういと指摘して居るのに,御前は何故足元浮かんでおるのじゃ」と斬り返される事鮮やか必定残当かもしれませんけれども,本邦の先人達(典型例が官僚にも多く見られます)は実際に「100年単位」の計画を作り進めて結果事を成してきた向きも多分に有る訳でして,往時の「見通しの難しさ」や「リソース面での厳しさ」等々を推察するに,現代後輩の我々が論議に挙げている題など些細に見えかねない程度の桁違い感ではないか,と素朴に思う次第です.

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「性別規定」なる代物は,一体何だったんでしたっけ

青木志貴さんが百合舞台キャストと聞いてなかなか日本語の理解が追いついていないブリザムです.ごきげんよう.

 

ところで,日本女子大学が「脳自認ベースでの女性」を受け入れるかどうかを検討の俎上に載せたとの事で,まとまった報道記事になっています:

「体は男、心は女性」入学可能に? 日本女子大が検討へ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170319-00000070-asahi-soci

幾分長めの記事本文から読み取れる「世論向けを意識したと思しき温度感」に,どこからツッコんでいいやら迷いまくるに事欠かない論題(一連の)ではあるのですが,先に今回記事で深くは触れない項目を2点挙げておきますと:

●そもそも「性別が二択の前提で制約的性別条項を設ける」事自体が,当事者(今回の場合学校)自ら地雷を引き当ててしまっている状況の元凶には違いありません.ネットスラングで言うところの「乙」としか申しようも無い程度です.なぜなら,学校制度みたいな教育においては,性別とか関係無くないすか.

●また,「女子大は存在自体が憲法違反ではないか」との論については,既に随分前から苫米地英人博士が著書で複数回にわたって言及してきているので,原則はそこで足りていると思います∴各著参照.

 

さて,その上でこと私が気になるのは,むしろ斯様な「制約的性別条項」を設けていない,いわゆる”共学”的な組織制度(より一般には「社会システム」各方面)の数々です.

かく言う私自身は,小学校ではトイレ選択に際して制約が無く(2種類有りましたがその時々でテキトウに使ってました),中学高校では制服規定を「違憲」の一言で更地にして私服通学を徹底し,大学は旧制男子校(東京帝大)なので選択必須の性別欄は無く(今では人道的理由で「改善」されているかもしれませんが,学部入学当時は「女子はチェック」という項目があるのみでした),大学院は旧制女高師でこれまた書類に性別記入欄が無い,と,現行日本国憲法制定以来一度も改正されていない条文を単にそのまま使うだけで「事実上ほぼ困らない」環境を享受してきた経験を持っているので,「同じようにやればいいのでは」と思う訳です.

が,その私の出身小学校にも,「二択のトイレ」自体は確かに有った訳です.

ましてや,当サイトでさんざん既述の通り(一例:http://wp.me/p6S43T-4l),「脳ミソ意識自認ベース側に寄せた結果,解剖学的医学特性とは『逆寄せ』になる」という意味で「二択」自体は足りている人なら,まだしも今回報道のような措置で「救済」を得る可能性がありますけれども,他方では「そもそも二択以外」の場合に該当する人(統計調査上1%前後存在が判明しています:上記リンク先拙記事参照.)への「対応」は,未だ議論の俎上に挙がっている様子が見受けられません.

 

つい先日も,数理科学の心得を有する方面から「二値定数函数だと思っていたパラメータ(性別)を変数に一般化された時点で,人間の大多数の理解計算がふっ飛ぶor意識が落ちるのはやむなかろう」と指摘を頂いて,「へぇ~そうなんだ」と襟を正す素振りを見せてその場は過ごしたのですが,存じる限りでも公教育関係者各位は,この「二択以上のマイナーな性別(を有する人)」という概念の取り扱いについて,概して相当逡巡する動きとなっており,暫定「棚上げ」結論としてから数年来そのままな話も聞き及ぶところです.

 

勿論,最近では上述のように大規模統計調査の成果も広く知られるようになってきており,(セクシュアルマイノリティに限らず,より一般に)統計割合的少数者なるものが「母集団の大きさが相応に有って初めて直視可能になる」という構造も,あらためてエビデンスの下支えを得つつ,何とか認識出来る形に進んできています.

そんな中で,「今に始まった話でも何でもなく,昔から『結果的に生殖に寄与しない』層というのは居たし知られている事な訳で,彼らの各人その人の人生としてのロールモデルには一般に『性別』因子って必須ではないよね」と思う素朴な当事者意見をも,当サイトでは既に折に触れて述べてきている通りです.

こういう事を言うと,国家政策レベルで「人」の統計動向を見ていらっしゃる識者の立場,それこそ例えばやまもといちろうさん(http://yakan-hiko.com/BN6170)あたりからは,別の観点から厳しい御異見を頂戴しそうですが,

こと個々人が「自分の人生」において,社会的合議の下で定まった「二択の性別」に,必ずしも合致するとは,一般には限らないのではないでしょうか?? という,当たり前の事を述べたいだけなのですけれども.

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高校物理を修得している人材の稀少さ

過日,民間の国内大手企業の技術者らと話をする機会を得たのですが,「高校物理で習う閉回路図もマトモに描ける人材が中々居ない」という半ば泣き言に近いボヤキ合いの席にそのまま居合わせる事となりまして,教育関係者の一として「そういえば,高校で物理の履修率って1割台とかじゃなかったっけ」と一言挟んだら場の空気が驚天動地間近と見えたので,あらためて公式統計情報を確認してみた次第です:

文部科学省 教育課程部会 理科ワーキンググループ
理科に関する資料
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/060/siryo/__icsFiles/afieldfile/2016/05/12/1370460_8.pdf
p.6 現行学習指導要領における理科の改善等

物理基礎     物理

普通科等     65.6%    22.8%

職業教育を主と  41.3%    1.7%
する専門学科

総合学科     28.2%    5.9%

合計       56.7%    16.2%

なるほど…「普通科等」に何とか限っても2割がいいところ,という現状はやはり確かなようです.

 

とは言え,履修した「事になっている」人が必ずしも当該科目の内容をマトモに修得しているか?と更に疑問を立てても,当サイトの読者各位にはもはや「大義名分」を振りかざして怒るような方は無いでしょう.

という訳で,本邦最大の統一国家試験の結果成績から,物理という高等学校科目の修得状況を,より実態に近いと思われる形で参照してみる事にします:

平成29年度大学入試センター試験実施結果の概要
http://www.dnc.ac.jp/albums/abm.php?f=abm00009105.pdf&n=%E5%88%A5%E6%B7%BB%EF%BC%92%EF%BC%9A%E3%80%90%E4%BF%AE%E6%AD%A3%E3%83%BB%E8%A9%A6%E9%A8%93%E6%83%85%E5%A0%B1%E3%80%91%E5%B9%B3%E6%88%9029%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%85%A5%E8%A9%A6%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E8%A9%A6%E9%A8%93%E5%AE%9F%E6%96%BD%E7%B5%90%E6%9E%9C%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81%2B%2B-%2B%E3%82%B3%E3%83%94%E3%83%BC.pdf

p.2 平成29年度大学入試センター試験(本試験)

総受験者数547591人

物理 受験者156719人(28.6%) 平均62.88点 満点100 標準偏差22.45

配点(満点)に比して標準偏差が比較的大きいので「基準」の定め方に一寸迷うところですが,例えば「センター試験の物理で8割を切るようでは使い物にならん」という事で「高校物理がマトモに出来る層」を抽出してみますと:

80-62.88=17.12
17.12/22.45=0.7626

正規分布表はいつもの先達にお世話になる事としまして,
https://staff.aist.go.jp/t.ihara/normsdist.html
有効数字は元データの時点でブレが有るので適宜それっぽく計算すれば:

∴80点=偏差値57.6
=同科目受験者中上位22.4%
=35042人(センター本試験総受験者中6.40%)

センター物理80点以上は同学年中3万5千人,だそうで.

 

ちなみに,「80点程度ではヌルい,少なくとも偏差値60(86点/満点100)を割るようでは科目内容修得は疑わしい」と更に厳しく見る事にした場合には:

86-62.88=23.12
23.12/22.45=1.030
∴86点=偏差値60.3
=同科目受験者中上位15.2%
=23742人(センター本試験総受験者中4.34%)

高校物理の「マトモな人」は2万4千人足らずという事になってしまいました.

 

上記以外に,センター試験を通っていなくて「高校物理がマトモに身についている人」が果たしてどの程度居るのか,人数割合を量的に測る事は難しそうですが,一つの「大口」集団としては,高等専門学校(高専)出身者という括りが考えられます.高専は事実上大半が理工系学科に特化しているので,とりあえず高専卒業者の人数を確認してみましょう:

高等専門学校の現状について
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/koutou/067/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2015/06/24/1358990_03.pdf

上記データは数年前のものながら,p.4を参照すると「10580人」との事です.
なお,直近の調査ではもうちょっと少なく,1万人を下回っているようです(例えば文部科学省「学校基本調査」).

この高専経由者「1万人」の全員が物理(高等学校科目相当内容)をマトモに修得して使えるようになっている…などと期待するのは,統計割合としてはさすがに高望みに過ぎるかとしても,
実際問題として,上述の2万4千人なり3万5千人なりにこの1万人を足したところで,学年あたり「高校程度物理をマトモに学修した人」はせいぜい4万人前後,という事にしかなりません.

冒頭の話で言うと,「閉回路図を描ける人材」を採ってこようと思ったら,各年度この「4万人」の中から争奪戦に勝つ事が求められる…という事になりましょうか.

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「段差」を解消する意識のありよう

ふと気づいてみると,Google検索キーワード「住民票 性別」で当サイト記事(http://wp.me/p6S43T-3E)が1位になっていたのですね.もう1年近く前に書いたこの記事は,私自身の”失敗談”反省をも含めて,法制度の振り返りと「手続き的実用」の方法技術御紹介を合わせた内容でして,端的に言えば「社会制度を(必要なら論議も含めつつ)適確に活用して,各個人当事者本人が主観レベルでも納得いく形で,不満不足無く活動していく事が出来る為の一助となれれば」と思って公開したものです.

ちなみに,検索キーワード「健康保険証 性別」だと未だなかなか拙記事は出てこないのですが,上述記事の「健康保険証バージョン」も実践的成果報告&方法論(=「使い方」)込みで本年1月に公開しています(http://wp.me/p6S43T-6t).こちらの記事では特に,従前の厚生労働省見解にあった「やむを得ない場合」という点に切り込んで,制度利用者の立場からは「より強い」主張もが認められうる旨を,私自身の実例をふまえて紹介している事が特徴かと存じます.

 

私自身の立場としては,次のように行政対応が「当初」時点から,性別欄を言わば「特記事項」的な扱いとしてくれれば,当事者としてなお「楽」になるのではないか,と思っているところですけれども:

申請書・証明書等の性別記入欄および性別記載を廃止しました
http://www.city.iruma.saitama.jp/todokede/tetsuduki/seibetsukisai.html

 

さて,斯様に当サイトは「教育」を看板に掲げつつも,実際には活動の相当割合を「性別欄の不記載,ないしは欄自体の抹消」といった方向に割いてきている訳ですが,此の本来目的は何だったか,とあらためて考えてみますと:

一言でいえば,「無用な『段差』の解消」という事になるのではないか,と思います.

性別欄を非公開なり廃止としたい人の大多数は,本来別に人権活動家(Activist)などになりたい訳でも何でもなくて,単に何がしか自分が(特に社会的に)活動したい際に,ともすれば「障壁」となりうる性別欄の存在を,そのタイミングで出て来ずに済むようになっていて欲しい,と思っているだけ…なはずではないでしょうか.

性別欄の存在やその内訳(例えば「2択」)に,何ら違和感をおぼえず,用意された欄のままに記載に倣う事に異論無い人達(統計割合上の大多数…参考拙記事:http://wp.me/p6S43T-4l)にとっては,本当に「何でもない事」なのかもしれませんけれども,こと統計上少数の「思い当るところがある」当事者においては,このちょっとした「段差」が,自らの社会的生存を脅かしかねない因子として,立ちはだかる構図とさえ見える状況が,しばしば発生存在している訳です.

 

自他共に「人格に比して医学特性に恵まれている」との評を享受しつつ,「性別認識は人類最大の偏見ではないか」などと公言してやまない私ではありますが,今回もあらためて述べているところの「本来何がしたいのか」という意味では,必ずしも常日頃から男装なり女装なりといったコスプレをしている状態を続けたい訳でもありません(と言うより,今現在は男装も女装もあまりやる気ありません:無論,社会的立ち居振る舞いの意味も含めて).

今更ながら,「心のバリアフリー」といったキーワードをも「私自身一人称視点での意味」として捉えた上で,本来やりたい事を見据えて,そのために必要なら社会的活動をも随時行っていきたいと思っています.

…とりあえず,「色のついてない車椅子マークのトイレ」の扉に「健常者の使用禁止」と貼り出していた某公共施設は許さんですが.

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暫定報:「2020年教育改革」について/後期入試対策講座募集(若干名)

2020年公教育改革(特に大学入試制度改正)に関して,「どうなるんですか」「いかがお考えですか」といった御質問を,特にオフラインで直接お会いした方からしばしば受けますので,一応「現時点での私の見解」まで示しておこうと思います.

一言でいうと,「ソリューションが未だ見えない」のです.それゆえ,「solution無きproblemを指摘言及する事は善でない」と教え込まれている私は,其の職責に沿って,これまで言及を避けてきました.
しかし他方では,当該公教育制度改正に「バラ色の未来(※死語…?)」を抱いているかのような言説も多く見受けられ,懸念は日増しに積もっていきます;…必ずしもそんな,諸手を挙げて喜べるほどオメデタイ話にまで無事着地出来るかは,現時点までの情報の限りでは「未だ不確定」ですよ,と.

更に踏み込んで言うなら,「根底からの・かつ本質的なソリューション」という代物も,一応考える事は出来ます.…が,ここへ本格的に手を突っ込んでしまうと,「ソリューション…なの??」と言わざるを得ない程の大変な事態まで着火即炎上一直線であって,此の意味でやはり「安全なソリューション」とは到底申し難いところ否めません.

結局のところ,制度の変わり目に「最初の1ターン」程度の混乱が生じる事などは一般論で織り込み済の範疇であって,其の制度を利用する[乗っかる]立場の最善手としては「制度ルールを上手く使いきる」取り組みをもって臨む事,という結論に至るのみなのですが,とはいえ,それら公教育システムを「上手く使う」技術というのも一応「教授可能な方法論・知識体系」の範疇ではありますので,彼ら意欲者[それも比較的にして特に高い]へ幾許かでも助力なり救済なりを提供したく,職務としての提供を検討中です.

 

<関連別件>
なお,並行して「大学入試(国公立大学等)後期日程直前対策」指導を,通常の個別指導受験対策の範疇として承ります(指導2時間につき5万円,他交通費等実費).但し,実効性(合格という成果)を得るためには,国公立大学2次試験前期日程より前の時点から「準備」に着手する必要があります(遅くとも2/23(木)開始必須).

こちらの指導プログラムを希望される方は,eメールにて
タイトルを「大学入試後期日程直前対策指導希望」とした上,本文に
(1)お名前
(2)ご住所
(3)電話番号(日中緊急連絡先)
(4)後期試験受験予定大学・学部・学科等/その入試日
(5)過去問題・模試問題集(特化したものがある場合)等が手元にあるかどうか
を記載して,nlimeblizzam【at】hotmail.comまで御連絡下さい.
<お申込後の流れ>
●折り返し当方より,代金振込先等の案内を返信します.
●入金が確認出来た(迅速の為,振込完了画面のスクリーンショット等も可能なら御用意下さい)時点で,メールor電話にて「前期試験終了後ただちに受験者本人が取り組むべき内容」を,指導本編当日より先行してお伝えします.
●指導日程については,生徒と指導者当方の相互調整で決定します.現時点での対応可能最速日程は2/28(火)です.

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