プロトコルが異なる,という事

プロトコルの意味を,原義に従って「外交儀礼」の意味で取って頂いても構わないかと思いますが,ここで言うのはおおよそ「通信プロトコル」の意と受け取って頂ければ宜しいと存じます.
敢えてOSI参照モデル的に述べるならば,さしずめ「物理層」に相当する話が大勢,という事になるのかもしれませんが,ひとまずは「コミュニケーションの方式の規則」くらいの含意で.

勿論これは,当サイトが一貫して掲げている「コミュニケーションの改善・最適化」という看板題目にも合致する話です.

例えば私の場合,「お早う御座います」と挨拶されると,「一体何がどう,何を以て早いのか」と考え始めて,しばしばそのまま混乱に陥る事が未だにあります.そして,本来の目的であったはずの「挨拶」は,タイミングを逃して行いそびれる訳です.
或いは,ISO5218に準拠するなら「性別」の区分は4種類ですが,ある書類の性別欄が二択だったりすると,ISO基準から移行しようとすれば「選択判断不能」になってしまう場合が存在する,という事になります.
…何度バグらせた事か(苦笑)

 

斯様な「異なる」人々の間での差異認識は,しばしば「いじめ」の引き金になっていると考えられ,更に極端な例では「戦乱」のような事態に至るまで,其の背景には往々にして,宗教なり人種なりといった,何らかの因子の「違い」が横たわっているかとさえ見えます.

乙武洋匡さん著「五体不満足」を読むと,小学生達が「違う人」と如何に馴染んでいくか,という様子がありありと描かれています.
しかし,私自身の経験をも含めて評するなら,「五体不満足」に登場するエピソードの幾つかは,多少なり楽観的な描かれ方である感を禁じ得ない向きもあります;即ち,「人間集団には,幾許かの『異物排除』メカニズムもが備わっている」と捉えるのが,経験則としての私の立場です.

 

此の状況を打開改善しようと思えば,何らかの方式で”通訳”が不可欠になるはずです.私は個人としての経験の限りで,「異なる」経験を比較的多く持ってきたと自認しているがゆえに,自らその「通訳」の役割を果たすべく活動しています.
とはいえ,此処現在に至るまでの大前提として「勝って=生き延びてきた」という事実がある点は重大であって,敢えて言うならば「勝てば官軍」的な社会力学構造に頼って根差す”生存戦略”である事は,なお否めません.
「大局的には正しい方向性を見据えている」という信念と,「本当にこれで良いのか」という疑念が,今日も自分の中で渦巻き,また時には突き動かす原動力ともなっている感がします.

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LGBTとマイノリティについて復習してみる

 

“T”がLGBTから除外される?オンラインで数百の署名が集まる
http://life.letibee.com/community/drop-t-petition/

という事で,最近マーケット開拓的な意味でも話題に上ってきていた「LGBT」において,その内訳があらためて問われる,とでも評すべき事情が生じてきている様子なのですが,個人的には「今更そんな話を?」という感が強く,却って疑念というか懸念を呈さざるを得ない論題でもあります.

元々が日本語圏外から来ている(と言うか,多分英語圏由来と見えます)概念なので,日本語文献を当たろうにも限られているかもしれませんが,一応念のため,定義由来を含めて復習確認しておきますと:

Wikipedia:性的少数者
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E7%9A%84%E5%B0%91%E6%95%B0%E8%80%85
今日海外において、LGBTをMinority(少数者)と称することはほとんどなく、特に国際連合等の公文書においては全く用いられない。

この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証し出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2010年5月)

なるほど,国連人権理事会の「ウィーン宣言及び行動計画」なる大局プログラムと関係があるらしい.

Wikipedia:ジョグジャカルタ原則
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%B0%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%82%BF%E5%8E%9F%E5%89%87

その中でも特に,より具体的な規定のある「ジョグジャカルタ原則」においては,「性的少数者」とも「LGBT」とも直接に述べている訳ではなく,あくまでも「性的指向や性自認のいかんに拘わらず」と規定しています.但し,「前文」においてはより個別具体的にも例示言及されています(また,ジョグジャカルタ原則の成立に影響を与えた「モントリオール宣言」では,明確に「Lesbian, Gay, Bisexual and Transgender」と列挙表示しています).

端的に,「マイノリティ(少数者)と自称・他称するのは心証がよろしくないので,LGBTという形で符号化した」結果が込められている事情と察せられます.

私個人としては,つねづね「minorityがinferiorになってしまう事は望ましくない」と主張し,対案を随時述べようとしているのですが,どうも英語のminorityには既にそういう方向での否定的な意味が含められてしまっているようで,客観中立的に人権を論じる際には,呼称として好ましくなさそうだ,という訳です.

さても,「マイナー」というからには「統計的に少数派」である事実には違いないのであって,その論理的(数理的)構造を十分考慮しないままに,”例示列挙した符号”の頭文字を並べたキーワード(LGBTなりLGBTQなり)を構成したところで,いずれ個別的な問題が再燃する事は容易に想像がつく話だったのではないか…とも思うのですが,そこまでして大同団結したい動機があったという事なのでしょうか.
「少数派は大同団結するくらいしか手段が見つからない」などとあっては,「多数決制民主主義が未だ文明の発達不十分の具現化であって,サンデルの政治学のような議論から離陸出来ていない」といった流れを省みて,天を仰ぐばかりですけれども.

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マイナンバーって意外とおもしろい気が今更してきました

 「エージェンシー・スラック」とか「保険化/保険コスト」といったキーワードを切り口に,もう一言くらい記事として述べてみようと思っていたのですが,先にやまもといちろうさんがメルマガ「人間迷路」の最新号(Vol.140)で,遥かに広範網羅的かつ各具体事例にまで言及する記事を書かれていましたので,ここで素人論議を重ねるよりも,先ずやまもとさんのメルマガを推薦させて頂きます(※有料).

 

 夜間飛行メルマガ「人間迷路」

 

 関連話題について,私自身が関わっている範囲においては,「マイナンバーに間に合った」案件もあり,他方では逆に「元来は望ましくなかった事態が動かし難く状況確定的になってしまった」ような事例もあり,また,上述やまもとさんメルマガでも触れられている「情報管理の微妙な案件」に際して,私や極めて近い立場の人が「当事者」として接触する事が避け難くなっている項目などもあったりします.
 個人的には大所高所からの「現状の大局を概観把握した上で,法整備でラインを如何に定めるべきか」といった類の論議も興味深く思うのですが,他方ではあくまでも「当事者一個人」の立場として,其の存在責任の直接の範囲で「如何に立ち居振る舞うべきか」を考える機会も,まず間違いなく眼前にあるはず,と自戒認識しています.

 

 行政が定義した番号ごときで「自分の人生をあらためて考える」などと直接に結び付けるつもりはさらさらありませんが,「行政も現世の一ですよ」という意味合いの説話は,仏教にもキリスト教にも出てきていたかと存じます.

 

 ところで,そんな私は「自分で自分の源泉徴収をする」立場でもありまして,法制度上はややもすると「自分のマイナンバー情報が不適切に自分へ流出しました」 みたいな事態もが起こりかねず,もしそうなったとして民事上は加害者と被害者が同一人ですから「混同により賠償額相当損害はゼロ」とかなりそうなものですが,差し当りそんなテキトウな理解で大丈夫なのでしょうか.
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「改善」に一見反対している立場の方へも,ベネフィットを与えたい

直近の本読みガイド「人々の幸福の実現なしに社会を維持することは不可能 そして貧困の大部分は解決困難」(http://biz-journal.jp/2015/10/post_12027.html)のタイトル後段には,当サイトとしては同意しかねる(したくない)意向なのですが,同記事著者の山本一郎さんの近日ブログ文章を拝読して,末尾の段落におかれていた一般論には,強く感じ入るところありましたので,御紹介します:

http://kirik.tea-nifty.com/diary/2015/10/appbankenish-24.html#more
正義を貫くのに必要なことは、技術でも知識でもなく、勇気なんですよ。うっかり他人様の前でシャブ野郎と罵ってしまいお詫びしたことも、破産したはずの木村某の吉祥寺の自宅登記がおかしいので調査した結果を公表したら名誉毀損ではなく脅迫だと言われて警察沙汰になったことも、あれもこれもすべて経験が私を強くしました。先週、ついに殺害予告まで書かれてしまい、あまりの恐怖に昼も寝られません。皆さんも、尾行がたくさんついて無料で身辺確認サービスが受けられるぐらいに熱量の高い暴露記事を是非次々と書き続けていって欲しいと願っています。

隊長(やまもといちろうさんの旧ハンドルネーム)独特の香りが典型的に強く出ている文章なので,当サイト閲覧者の方には幾分刺激が強いかもしれませんが,その精髄は上記引用中第一文にある通りだと思います.

実はかく言う私自身,これまであまり公の場で述べてきていなかったのですが,企業その他の経済絡みで全くよろしからぬ件,民事では済まない可能性が濃厚な件などについて,複数の案件を情報として持っています.それらの詳細について今回は書きませんが(書いたらマズい…といった事情よりも,単に情報量として膨大になり過ぎるので),中には私自身もが司法手続きに関与する事となったり(もちろん帰責される立場としてではありません:念の為),或いは,どこへもって行ったらよいのか分からず,士業その他の専門家にさんざん相談を重ねた挙句,今なお「塩漬け」状態でのさばらせてしまっている事例などもあります.

決して,必ずしも「マズい事を暴く」のが私の本務だとは思っていませんが,社会に何らかの「改善」を提供しようとした際に,時として「その改善をしたくない」立場の対立者が現れる局面は,より広範に有り得るのも現実だろうと思います.その対立側の立場にとって,本当に「現状のほうが得」なのであれば,まだしも理はあるのかもしれませんが,実際には「改善に反対している人にとってさえも,その現状は決して利にならない」場合も少なくありません.
だからこそ,そこで「改善」と言う事が,文字通りの意味を持ってくる訳です.コミュニケーションの例で言うなら,改善の役割とは「触媒」のようなもの,と喩えられるかもしれません.触媒が私の本務かと言われたらちょっとピンとこない気もしますが,その役割を果たすべき局面も有り得るのかな,とは思って念頭に置いていきたい所存です.

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個々の局面に応じたコミュニケーションの改善,は方法技術として可能である

前回記事で「移民とケンカしない為には」と論題提示だけしていたのですが,これは一応「カネで解決する問題とそれ以外の問題を分けた」事のつもりです.こと「移民」というキーワードで言うなら,ドイツのトルコ人とかベルギーの国内民族対立問題とかアルメニア対アゼルバイジャンのような先例が思い浮かんで,それらはどうも「カネの問題」に起因しているようにも見えるのですが,他方で民族問題には往々にして「宗教」というファクターが付きまとう事も経験的には存じている訳で,広義に捉えるなら「信念の差異に起因する問題」と言えるのではないかと考えられるところです.

と,ここまで考えてみると,いじめの発生構造における「異質排除」の指向性と類似するものが見えてきて(と言うより「本質は同じ」であろうと思いますが),或いは更に,当サイトの題目に掲げる「コミュニケーションの問題を解決する」との展望とも繋がります.

ここであらためて,「『コミュニケーションの改善向上』と大言壮語しているが,実際に果たしてどこまで其の改善とやらを成し得るのか?」と思われる方もあろうかと存じます.勿論,私としては「改善が出来ると分かっているから喧伝している」事には違いなく,それは当サイトの設立動機そのものでもあります.

先ず,大前提として念のため確認しながら述べておきますと:「完璧なコミュニケーション」というものが原理的に存在しない(※)以上,コミュニケーションの解決とは,結局「個々の具体事例に即した対応」を採る事に他なりません.
(※もし,そんなものの存在を信じている,或いは信じたいという人がいたら,いずれ「ゲーデルの不完全性定理」と戦って懲りる事になるでしょう.…かつての私のように.)

そして,必要に応じてその「各具体事例に即した対応を採る」事が出来るようになる為の,汎用的な方法技術が存在するのか?という事になりますが,私自身の経験の限りにおいて,現実の課題解決に資する(より望ましい方向に導く)算段は,凡そ見出し得るものである,と認識しています.
(ちなみに,私の指導者経験を量的に言うと,2014年末までに個別面談だけで累計4000時間超程度です.臨床心理士やカウンセラーの規定実習時間が100弱~数百時間程度ですから,実務家としての経験量は,控え目に言っても中級以上と称して差し支え無い程度でしょうか.またこの他に「集団相手」の場合もありますが,人数規模によって位置付けが異なるといった事情もある為,一律に累計時間などは算出していません.)

更には,そういう「経験則」をよりブラッシュアップしたくて,「苫米地式コンサルティング」という方法論を修得した次第だったりもするのですが(既にライセンス認証を受けている事はプロフィール記載の通りです),この方法論においても「コミュニケーションの改善」という要素は,なお中心的な役割を果たします.詳細を述べるには守秘義務契約を受諾頂く事が必要ですが,御関心の向きは随時御連絡下さい.

なお,若年者・教育者等向けのプログラムとして,PX2(http://bwf.or.jp/what_is_px2)というものもあります,こちらは受講対象の条件を満たす必要がありますが,効果は絶大ですし(私自身もPX2を受講した経験があり,何よりも先ず「スゲーいい体験をした」と感じています),PX2が広く普及していけば,冒頭で述べたような「信念の差異に起因する,集団としての構造問題」への解決に資する事も確かであろうと思いますので,受講資格のある方にはぜひ参加を推奨します.また更に,運営者の指針により,この種のトレーニングとしては圧倒的に安価な費用(ほぼ実費程度)で受講出来る事も,普及を推奨する由の一環であります.

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「地獄の沙汰も金次第」は一体どこまで通用するのか

「国立大学の文系学部再編」問題で進捗の報道があったので,こと「教員養成」分野をピックアップして,あらためて教育の観点から記事を書いてみようと準備を進めていたのですが,冷静に考えてみると,国家単位での大局的な「需給バランスの先読み」といった論だけでは済まない話であって,医師同様に地域間の分布格差もが生じている事に起因する問題との複合事情な訳ですから,それこそ木下斉先生に代表される「地方創生」の一般論まで含めて考える事が必定である…と気付いたあたりで,「2050年に人口1億人維持」とか移民受け入れの是非とかオリンピック景気とか土建事業とか国債くらいまで思い浮かんで頭を抱えているところです.

上で羅列してみた限りでも,幾つかの項目は既に「カネの問題」に落とし込める話であって,ひとたびカネで解決出来る方向性まで分かれば,苫米地英人氏の主張によるところの「個々人の生産性が向上すれば,経済的な面においては何らの問題も解決する」という事になる訳ですが,僻地医療なども果たして「カネを積めば解決」する話なのでしょうか…秋田県上小阿仁村の事例などを眺めている限りでは,どちらかと言うと「移民とケンカしない為には」の類の問題ではないかという気もするのですが.

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「見えないもの」をどうやって評価するか

報道を見ていても結局は殆どが「信頼」といった言葉が出てきたあたりで追及がストップ(思考停止)してしまっているように思われますが,これって根本的にはエージェンシー・スラックの難しさが現れている典型例なのではないでしょうかね?

三井不動産レジデンシャルも調査 国交省
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151020/k10010275771000.html

個人的には,「プリンシパル-エージェント理論を深く考えていこうとすれば,数理経済学わけても保険数理の知見が必須だ」と思って多少勉強に着手してみた(損保とか生保の国家資格を持っているのはこの為です)ところ,「それより根底に計算複雑性理論があって,先ずそっちの方が重大ではないか」と思い直して最近も初学段階から始めてきている最中に,今回のような具体的問題(「建設」は正に具体物を扱う事の典型と思います)にさえ,全く対処出来ていない現状=敢えて大仰に言うなら”人類の知見の限界”を見てしまって,途方に暮れている只今であります.

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「教育とコミュニケーションの改善・向上」というテーマに込める意識

新サイト設立の動機と,目標とする方向性について,更に説明します.

まず一つには,「教育」の範疇をより広く認識理解する事の必要性を,私自身が(実は大分以前から)感じてきていた,という事情があります.
端的には「大人向けの教育」ないし「社会教育」とでも言いましょうか.「学校で教わる事だけが教育,じゃないんですよ」という主張は,従前から外部ブログでも繰り返し述べてきた通りですが,ここでは更に,広く「教育」の一環と認識すべき事柄・局面が,社会一般で如何に多くあるか,という観点も含めて,随時スポットを当てて取り上げていきたい次第です.

また他方では,比較的以前から「何屋さんなの?」と訊かれる事も少なからずあり,私自身が社会に提供出来る役割を,(やりたい事・興味を持っている事等とも合わせて)もっと随時発信していく必要性をも認識するようになってきた,という事情もあります.と言うより,ウェブ上における情報発信の内容を,活動実態に追いつく形へ合わせるべく,と形容した方が率直かもしれませんけれど.

サイト表題下の概説で「コミュニケーション」と銘打っていますが,これは本来英語でcommunicationと書くべきものです.「通信」とも訳しうる意味合いですが,流石に「通信の改善向上」だと,人間同士の意思疎通といった場面は思い浮かべてもらえないだろう,と思い,そのまま書く事にしました.

「サイト運営者プロフィール」のページには「教育ビジネスコンサルタント」との肩書きで述べてありますが,まさにこの「コミュニケーションの改善・向上」こそ,私が社会に提供出来る機能を,端的にキーワードで表現したものです.
社会一般のボトルネック・或いはコンフリクト(衝突・障害)を生じている状況事例の多くに,実はコミュニケーションの問題が内在していると考えられます.そして,其の解決を導く事こそ,私が長年注力してきた「教育」というテーマの,まさに本丸である(冒頭で述べた通り)とあらためて認識し,より積極的に関与・言及し,もって社会に貢献していく事を,当初の目的としています.

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「教育ビジネス研究所」サイトを設立しました

という訳で,全く表題の通り,新規にサイトを設立しました.

動機としては,従前から教育ブログ(http://ameblo.jp/blz-edu)やFacebookの個人ページ(https://www.facebook.com/ktnlime.blizzam)に随時思うところを書き連ねていくうちに,幾分方向性が拡散してきたように思えた事,また他方では,私自身が活動の基盤と考えて旨とする,言わば軸となるべき方向性をも見定めつつ進めていきたい,と感じ始めた事,といった背景があります.

表題に関して一言しておくとすれば,教育とは人類の進化・更には世界の発展への布石そのものです.そして,其のキーワードを切り口として,社会における様々な事象を読み解き,時に提言し,更に出来る事なら関与していく…といった事が,私自身の人生における展望(或いは壮大な野望?)の一としてあります.

新たな事を学ぶのは好きなので,WordPressも全く触った事さえ無いところから即日立ち上げてしまいました.今後とも,自らが「学び続ける姿勢」の見本・ロールモデルとなる事をも目論み兼ねつつ,活動を進めていきたい所存です.

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