唯一にして最悪の「嫌いな教科・科目」が数学だったが為に,結果として大学院へ行ってまで数学を専攻する事となった者の言

以前の記事(後記リンク先の通り)で「私が元々は『現世厨』だった件については,長くなるので一旦割愛する」とだけ言及していた,当該長い話(しかも,私が元来の機能を存分に発揮した結果,所謂「注釈の注釈の注釈」までもが大量に付いて,非常に難読な悪文となりました)から始めます.

既に他所等で述べていた事もあったかもしれませんが,私が大学学部で数学科(※東京大学では所謂「進振り」(往時の通称)により,文理各科類に応じた定数に基づいて,希望する学部学科(更にコース等が細分されている場合もある)に配属する「内部進学」的な制度が存在します)に進学し,更にはその「真上」である大学院数理科学研究科にまで進学した最大の理由は,「数学が嫌い」だったからでした.
此の主な理由は,数学(と物理の一部定性問題以外の多く)だけは,テスト等の例題に解答する際「直感で正答を導く事が中々出来ない」(※往々にして「外した」際に発覚する)からであり,皮肉な事に(※私感の限りでの物言い乍ら),原理的には本来「あくまでも理詰めのみによって構成されている」はずの科目内容が,其の内訳実態として何故か「知らないと解けない」問題をも多分に含んでいる,という構造(あるいは経験則)に際しては,往年苦い思いをしていた限りです.(因みに,此の背景にある本質的事情の一端が,実は私の認知機能特性として「理解」という概念がそもそも原理的に存在しない可能性が医学上知られている事由により考えられ,従って私は単に,授業で出てきた話を「全部丸暗記」していたに過ぎないからである,という懸案もが(一応の可能性として)浮上してきたのは,ずっと後のごく最近の話です.)
そして,上記の事情ゆえに,私は「数学以外の科目は,基本的に『そんな事は当り前に考えてコレ一択だろう』という内容を答えれば正解出来るのに,こと数学においてだけはその解答方法が通用しない」という情況に際して,ずっと苦しめられていました.中学時代は「授業でやった範囲+副教材として配布されていた『ワーク』の,それも試験範囲だけ(※私自身は『勝手に進めて』とっくに先へ行っていた)」からしか出ないので,別段テストで困る事はありませんでしたが(満点も珍しくない程度),高校入試で先ず第1志望だった東京学芸大学附属高校の1次筆記試験において,数学だけは設問解答欄18個中8個しかそもそも解答を書く事が出来ず(2次面接試験まで進んだ上で結果不合格となりましたが,内部在籍経験出身者からの情報によれば「1次の得点で実際上はほぼ決まっている(但,一応は国立大学附属の教育実験校ではあるので,成績下位者からも少数名は入学させる形を採っている…が,あくまでも確率的にはかなり小さい)」との事),例年の合格最低点からすれば「せめて数学であと2問解答出来ていれば,2次最終合格していた可能性が高い」という結論に達する状態でした.在籍する地元公立中学校では,数学では「ノート点」が0(何故ならノートなどそもそも必要無いのでわざわざ作っている教科自体が全然無かったから)ゆえに内申点が10段階評価で中々10にならず,にもかかわらず定期試験では本当に無勉で,全教科とも満点を逃したらその度に机を蹴ったり自分の頭を缶ペンケースでガンガン殴ったりしていた程度で,出願直前の中学3年次1月になるまでは公立トップ校志望も余裕で模試のA判定がとっくにカンストしており,入試本番でも原則満点を狙うのは当り前…程度だったにもかかわらず,中3次12月末の模試で英数満点,5教科総合得点率98%を順当確保して「あまりにもやる事が無くなった」と感じたが故に,直後の年明け早々に担任の自宅へ唐突に電話を掛けて「国立を受けたい」と言い出し,即その担任の命により家族会議が開催され,親も「やれるところまでやってみるという心意気は宜しい」と満額認容してくれたので(※往時の東京学芸大附は「都立との併願で蹴られる」事を防ぐ為に,例年入学希望者出席必須の入学者説明会を都立高校の入試日に被せてきていましたが,私の住所地は都外にあったので,同県内における公立高校の入試日程とズレていた為,要するに「受かってから選べる」という点において何らのデメリットがが無いフリーハンド状態でした),三が日が明けて近隣の大手書店テナントが入っているビルの営業開始日になって初めて,今更ようやく学芸大附の過去問題集を買ってきて,早速解いてみて「地獄を見る」(苦笑)という目に遭っておりました;何しろ,国語がちょっとキツくて70点,他は英・理・社が80点はおおよそ取れるのに,数学だけは平均約50点という,本当に「ボーダーラインに乗るかどうか」という状態であり,5教科500満点で合格必要得点が直近7か年程度中最も低い年でも350点,平均では370点前後と,まさに「数学が単に足を引っ張っている=合格可能性はおおよそ数学に懸かっている」事態が発覚した為に,やむなく再び地元ターミナル駅前の大手書店に赴いて,中学数学参考書棚に有った「最高水準問題集 数学」をパラ見して「これでいこう」と腹を括って,爾後はずっと(過去問は1回分を残しつつも基本的に全部初動で解き倒してしまったので)此の「最高水準問題集」の収録問題を,冒頭から順番に片っ端から解いていく形で,「受験勉強」という名の「試験対策学習」に,人生で初めて着手しました.(※尚,此の「最初から順番に,しかも難易度が各単元とも『基本』と『発展』の2段階に分けて明示されているにもかかわらず,『とりあえず全問解こう』と腹を括った」発想自体が「悪手」であった事は,後の高校進学後に大学入試対策の方法技術を研究していた中で,初めて「今更気付く」事になります….)ちなみに,これまで「試験対策勉強」を一切やってこなかった理由は,「テスト前だけ勉強するというのは原理的にズルい:本来は学習内容の理解度合を測る為の制度なのだから,ありとあらゆる試験は所謂『抜き打ち』だけにして,更に出題傾向を研究されて対策の『攻略』がされてしまう事をも防ぐ為に,試験問題は被験者毎に別個のランダム出題とした上で試験後は即回収して,『答え合わせ』すら出来ないようにすべきである」との持論を頑なに持っていた(※実際,小学校における知能(IQ)検査の際には,上記後段と同様の企図も含めてか『出題冊子ごと即時回収』及び『返却や正答開示等もしない』制度は採用されていました)為であり,更には当然の如く,中学入学当初から此の自論を公言して憚らない,誠に厄介な学年首席の立場にも居座り続けていました.(ついでに,「学校の定期試験は授業でやった事と教科書に書いてある事しか出ないのだから,満点を0点として,不正答の分だけマイナス点で表し,出来るだけ0点に近い方が望ましい,という評価制度にするのが本筋である」とまで豪語していた,今にして思えば往時から既に相当の「原理主義者」だったと述懐するばかりです…/苦笑.)但し,これを逆に解釈すれば,「日頃から常時勉強しているヤツなら,テスト前も当然『普段と同じように』勉強している訳だから,ズルくも何とも無い」という理屈もが導出される訳です.(実は,中学1年次の初回1学期中間テスト前に,5教科の試験勉強計画策定用の図表プリントが全員に配布され,仕方無く「意味分からん」と思いながらも,何となーく「このくらいでそれっぽい…かなぁ?」と5色の蛍光ペンで計画表に書き入れて,予め指示されていた通りに担任へ一旦確認提出したところ,「ここの詳細はどうなっているのか明記せよ」等といった赤入れが複数項目入り,元々がデッチ上げであるゆえに今度こそ本当に何をやったらいいのか分からず,非常に困惑しながら再々提出くらいまでやらされた記憶があります;尚,此の「計画表」に際しては当然の如く,毎日実際に自習がどれだけ進んだか,の内容を書いて提出する段階という代物もが付随していた訳ですが,私は毎日「今日もやってません(0時間0分).斯様(上述の通り)な理由により,一切やるつもりも有りません.そんな時間が有ったら,ゲームをやるか漫画を読む為に充てます」と担任に直接公言して,散々「邪悪な問題児」扱いをしっかり受けていました.…但し,私自身が此の考えに至った背景の一端としては,此の頃までに実母が「テスト前になってから慌てて勉強しているような人は,普段ロクに勉強してないからそんな事をやる羽目に陥るのだ,日頃から勉強していればそもそも特別に『試験対策』専用の勉強なんてわざわざやる必要が生じる事は無いはず」,そして更には「勉強は自分でやるものだ」と,しれっと一言私に日常会話の中で吹き込んでいた(私が中学に入学した前後頃に,それぞれ一度ずつ言っていたと記憶しています)為に,「経験者は語る」として(実際,母は中学(出身地の地元公立)時代「万年2位」で有名であり,一度だけ同学年首席常連の男子を破って単独首位を奪った際に,母の母(私の祖母)が相手生徒の親を煽った模様で,ブチ切れた当該男子が高校受験で筑駒(筑波大学附属駒場高校)へ進学し,そのまま現役で東大へ行った,…という程度までエピソードが既知でした)其の当事者言を満額真に受け,「じゃあ自分は,人生時間をやりたい事に使うから,学校の授業時間以外を使ってまで勉強するヒマは到底無いな」と認識して,爾後は全く自宅学習をしていなかった限りです.(但しその代わりに,「学校で習う内容は全て授業中に理解する」事を当然と考え,更にはまた「教育を受ける権利」が憲法で保障されている事をも念頭に置いて,「もし分からない事が有れば即その場で質問して理解する(当然,もしそれでもなお分からなければ疑義無く理解出来るまで何度でも質問を重ねる)」習慣が身に付き,御陰で全教科とも「ブリザムが居るクラスの進捗範囲が試験範囲になる」という仕様が,高校時代まで続く事となりました.尚,此の体験を通ってきている事もあって,私は未だに「授業や講義中に分からない事が有っても,その場で随時(あるいはたとえ『進行を邪魔しないように』等と考えたとしても,せいぜいその回終了後に担当者へ駆け寄る事までも必要とあれば行う形で)質問出来ない」人が何故存在するのか,という事がずっと本質的に分からないままです.)
斯くして,「あのブリザムが勉強し始めた」という事態は,同じ中学3年間近くを間近で過ごしてきた同期らに対しても,相当なインパクトを与えた模様で,何しろ「アイツが数学の過去問で半分しか取れない」「年明け1月に入ってから余裕の公立トップ校安定合格予定を唐突に志願変更して,受験先は『受かったら言う』として公言していないものの,『早慶なんか本命校と比べたら全然易しい』程度だそうだ」という話が広まり,またそれらの伝聞的な情報に加えて,見て即それと分かる私自身の挙動もが,中3勢の大多数が本格的に卒業後の進路「現物」と直面するタイミングであるところの3学期開幕と共に,突然それまでとは真逆の「常時勉強型」論理を掲げる立場に成り替わっていた訳です.1次試験本番では,数学が出来なかった(上述の通り,普段の過去問演習時よりも出来が悪かった)時点で既に不合格を覚悟していましたが,翌日の合格発表でよもやの「1次合格=2次試験受験有資格者番号一覧」に自分が載り,此の時点で出身中学史上初の「学芸大附2次進出」を果たしたが為に,従前の学年首席は「歴代首席」に成り上がって,教諭陣が総員で応援体制に回る…という,誠に現金な構図もが出来上がっていました.尤も,2次試験の内容自体は面接のみだったので,此の期に及んで出来る事や云々などと考えてみたところで,特段何が有るという訳でも無かった限りですけれども.ちなみに2次面接は,往時情報が無かったのですが,当日行ってみたら「1対3」(受験者1名ずつでの面接に際して,試験官が3名)の形式で,真ん中の偉そうなオッサンが尤もな質問(志望理由等)を主に担っている一方で,向かって右側の席に居た幾分若め(?)の試験官は,なんかおよそ面接で想定していなかったような珍妙な質問を,結構差し込んで掘り下げる事までやってきた記憶があります.(例えば,「好きな事は何ですか?」との質問に対して「Video game,つまり日本語で言うところの所謂テレビゲームをプレイする事が好きです」と回答したところ,「では,その中でも特に好きなゲームのタイトルを3つ答えて下さい」と更に訊かれた,等.尤も,真ん中の「主任と目される」試験官も,志望理由の一環として私が「学区制限が無く,広域範囲からトップレベルの生徒が集まるので,兄弟姉妹が多いので家計的にも出来るだけ国公立の高校の方が望ましい中で,学習環境としては特に良好と考えました」と答えた事に対しては,往時未だ改修より全然前でボロかった校舎の教室天井等にわざわざ目をやる素振りを見せつつ「環境…いい??(苦笑)」と詰めてくる(無論言うまでもなく,此の設問には「此処即ち『字面通りのトップ校』(※往時は共学で東大合格者数2位と確かに最強でした)には,おおよそ勤勉シコシコに人生観を既に全振り済の,全く微妙な言わば凡人秀才が大多数を占める程度に集まって来ていると推定されるが,君は何を思って来たのか」との含意もが,大前提として下敷きに在りました;此の点は私もリアルタイムで…と言うか,そもそも志願を思い至って決意した時点で既に「認識」していました)など,中々恐らく並大抵の高校受験生であれば心折れるのではないか,と思しき突っ込んだ問答は少なからずあったように,今あらためて記憶を辿り返してもなお思います.)
そして,公開プロフィールにも記載している通り,無事2次試験で結果不合格となり,「仕方無く」地元の県立トップ校であった厚木高校(※前年に同県内の湘南高校を入試時の合格ライン偏差値で抜いており,存じる限りで史上唯一,県立厚木が神奈川県における公立トップに立った年次でした)へ進学した後,私は「何が悲しうて,此の程度の奴等(※学芸大附と厚木では,合格最低ラインの模試偏差値にして9程度の差があった)と机を並べて勉強せなならんのか」とばかりに,1学期中同級生とほぼ全く話す事無く,ただひたすらに「先ずは厚高を制覇した上で,リベンジマッチで東大か医学部(※祖父が町医者だったので,その後継ぎとして『ポスト』(言うなればある意味ではさしずめ『ジッツ』 )は既に欲しければ取れる事が見えていた事もあって),もしくは他に行きたい大学が見つかったらどこでも行けるように,とりあえずの学力は確保しておこう」という,後から考えると無茶苦茶な発想で,全科目に対してガリゴリの勤勉力を投入しました.とは言え,高校入試で「敗北」した事の反省は当然色濃く有ったので,放課後は原則として毎日,高校最寄りの駅前大規模書店に直行し,大学受験勉強用参考書の中でも殊に「受験勉強の方法論」について述べた成書がまとめられて並んでいる棚の前に居座って,片っ端から常時,おおよそ閉店時刻近くまで,ずっとその内容を読み比べては,「どの情報を信用すべきか」の吟味を続けていました(往時は然程財源が有る訳でもなかったので,実際に購入する本はせいぜい1冊なり程度にまで絞り込む必要もありました).そして,最終的にある1人の著者が執筆した「此の科目については,此の参考書を此の順番で此の時期にこう使って,此の全国模試で此の偏差値が出る程度の学力を確保する」という詳細な計画,及び市販のメジャーな受験参考書・問題集を比較して其の内容についての是非やどの大学入試に対して適するか,また使用方法はどのように進めて「使い倒す」べきか,といった内容が示されている,2冊シリーズの成書(なお今思い起こせばあらためて驚く事には,此の市販書は往時にして既に,拙著処女作でも喧伝している(そして,上梓した年早々にAmazonの「教育」カテゴリ全体で売上数1位を獲得するに至った一連の次第は,当サイト設立当初から御覧頂いている皆様にとっては御周知の通りです)のと殆ど同じく,1年で偏差値にして「20上」の大学合格を狙うべし,という内容を前面に出していました)を買い込み,これを基にして「受験勉強計画」スケジュールを構築し,学校での授業やテスト勉強とは独立に,全科目とも(とは言え,最初は同書の記載にもあった通り英語・数学・国語から着手しました)「2学年手前」にして受験勉強を始める事となった次第です.
此の結果,1学期最初に行われた「校内実力テスト」では,英語で学年1位(但し同得点3人並立)を無事確保し,全科目総合でも27位で高校受験模試時代の県内順位と同一の数字を確保した為,「まぁ鈍っては居ないかな」という状況を自認しておりました.…が,定期テストの方は凄まじく,数学では往時栄華を極めていた地元の「厚高志望者御用達塾」出身者達が続々と満点を獲得していくのを尻目に,私は酷い時には学年平均点ジャストまで追い込まれ,県立高校入試本番では英数共に満点を確保していたにも拘らず,再び「数学で地獄を見る」事となります.斯くして私は,大学受験対策の自習に際して,殊更数学に注力する方向性を,次第に強化していくに至りました;尤も,実際に数学の「受験勉強レベル参考書」(高校で「推薦」されていた有名な数研出版の「青チャート」と同程度の水準とされる教材でした)に着手したのは,入学から半年近く経った,同年9月19日の事です.ここまで間隔が開いた事情は無論,単に平常学習において数学だけは極端に「出来が悪かった」為,学校の授業を経て定期テスト対策に食らい付いて得点を確保しながら,並行して受験勉強をも進めるという形での対応を採れる段階に到達する事が最も遅れたから,に他なりません.それ以外の教科科目は,授業中に習った内容を教科書を読みつつノート(授業内容を復習して完璧に身に付ける事を企図して,「何もかもを」ノートに書き込んでいました…授業を受ける際に使うノートを用意するという経験自体が初めてだったにも拘らず!)も見返しつつテスト前に軽く一度確認すれば,おおよそ得点にして軽く9割以上はまず以て取れるのに.
斯くして,「最初から大学入試問題レベルへの接続演習内容をも含む受験参考書に取り組む」という,今の受験指導者としての私が聞いたら即座に張り倒してでも「封印」させる程に無茶苦茶な受験勉強に着手した第1志望落ち武者高校生は,そのほぼ13か月後,高校2年次の10月20日過ぎ頃にして,高校数学の全範囲(往時課程の数学III・Cまで,なお数学A/B/Cにおける選択単元も学校の選択指定に拘らず勝手に全部やっていました)を演習問題まで含めて独学で完遂し,ようやく「本業:大学受験生としてのデビュー」の舞台に,追い付いて這い上がる事となります.とは言っても,同期には高校入学当初から既に数学も含めて受験勉強レベルへの直結接続を並行着手開始済だった人や,或いはまたそもそも地元「御用達塾」の各校舎トップが今で言うところの「数強」の実力を持して「理系の厚木」に流入して来ていた事もあって,私自身の数学成績は,最高でもせいぜい学年7位(400人中)でした.(尚其の傍らでは,高2の10月下旬に「数学が終わってしまった」事で暇を持て余した(という気分に一瞬なった)結果,「そうだ,久しぶりに英語の受験勉強に戻ろう」とばかりに,元々の受験勉強計画で予定していた大学入試対策用の英文法基本教材演習に着手したところ,校内実力テストでは初の「英語単独首席」に返り咲き,偏差値は88.1という,英語においては同期でも空前の数値を叩き出すに至っていました.)
一方で,此の高校2年次には,(恐らくは数学の知識をある程度必要とするが故に履修開始時期を後に置く形でカリキュラムが策定されていたと思しき)物理の授業が始まっており,この時の担当教諭が,平野弘之先生という「神」でした.高校を卒業してから大分後になって知った事ですが,平野先生は理論物理学わけても素粒子論を専攻して,山形大学大学院(未だ大学院重点化の制度が導入されるより前の時代,東大や京大,阪大の各大学院理論物理系専攻にトップ層が志願集中して競争が激化し過ぎた結果,大学学部入試で言うところの「旧二期校」的なポジションにあった地方国立大学大学院の中でも,殊に「理系の花形である物理学専攻の中でも更に花形と言うか戦前の旧制時代以来長らく『日本のお家芸』であったところの」素粒子物理学専攻が存在した)で理学博士号を取得していた,正にマジモノの「物理学の神」であり(※当サイトの閲覧者各位にとってはもはや言うまでも無い事でしょうが,そもそも「博士」の定義は「世界史上初の学術成果を挙げた者」に授与される,言わば「学者としての運転免許」に相当する権利証書的な称号です),また大学入試センター試験(当時)に対しても,日本全国の高校物理教育学界における立場から出題内容に「物申す」実効的な力を有していたり,更には我々が在籍していた当時に,厚木高校において文科省の科研費を取って「高校物理教育における研究」までもを実施していた事が判明しています.また往時は更に,同年を以て県立高校の定年を迎える事となった,井上東亜[はるつぐ;但し卒業式を除いては,朝礼や壮行会等で部活の大会における表彰状を授与する際や,その他の機会においても随時「いのうえ とうあ」と自ら発声し,生徒から温かな半笑いを買っていた]校長が,折に触れて(それこそ体育祭の開閉会式に際する「校長挨拶」等の機会に於いてまでも)大学受験に臨む厚高生を「適切に煽る」事に非常な才を発揮されており,特に定年退官時には「厚高生へのはなむけ」の一環として「次のノーベル賞科学分野の日本受賞者は,厚木高校から出ずして一体他に何処から出るというのか」とまで豪語して,我々在校生を大いに煽ってくれていました.尚,此の際に「次のノーベル物理学賞を獲る予定者」として暗黙の内に指し示されていたのは,実は私の事です(後述).
此の頃,平野先生が素研で博士号まで取っている事は未だ知りませんでしたが,「平野先生の物理は間違い無い」という事は,学校中の誰もが知っている程度の事だったので,我々一同は平野物理に全力で取り組む体制を採り,まさに生き馬の目を抜く程の勢いで切磋琢磨を始めていました.加えて,こと私の場合には,当時漫画に飽き足らずライトノベル(という「ジャンル名称」が未だ定着するより前の時代でしたが)にハマっており,散々読み倒して「自分でも作りたい(ラノベ作者に成りたい),と言うか,ラノベの世界で生活したい」という欲望を既に強く有していて(ファンタジーRPGをやり込んできた経歴も少なからず影響していたに違いないでしょうが),その中で「如何に尤もらしい世界を構成した上で,其の中に在って『魔法』の力をも自在に操って,その世界で最強の魔法使いに成るには,先ず果たして一体どのような世界観を作れば良いだろうか」と考えた際に,色々考えてみた挙句の結論として「考え得る限りで最も『それっぽい』フィクションの世界とは,現世における理論物理学そのものである.更に付言するなら,当該現世物理学の論理に基づく『魔法』という概念が意味する内容とは,ファイナルファンタジーII(初代ファミコン版)のカセット付属取扱説明書にも其の『定義』として書いてある通り,即ち物理学の成果こそ黒魔法そのものである;実際に例えば,『ファイア』のように火が出る魔法は,現代なら100円ライターを使えば誰でも簡単に『(操作を)習得して使う』事が出来る訳である」との発想にまで到達した上で,「それなら先ずは理論物理学を究めよう,その為には日本のトップである東京大学に進学して,圧倒的に突出した潤沢な予算という力をも背景に使いつつ,『前人未到の新しい魔法』を作って『史上最強の魔導士』として名を上げ(⇒そして生涯楽しい世界に居る事を叶え)よう」と思って,結果物理学にのめり込む…為にも,先ずはその際に使う「道具」として,大学学部程度以上の水準で数学の知見を有しているべき事は必須の大前提である,との観点から,先行して予め数学の知識を「準備」しておこう,と考えて,旧制中学(設立当初は神奈川県立第三中学校という「ナンバースクール」でした)以来の旧著蔵書も豊富な校内図書館室の奥の方の棚に並べられていた,もはや古書と呼びたくなる他に感想が出てこない程の古めかしい本や,或いはシリーズ全巻が一通り揃っているにも拘らず,誰一人として貸出に供された記録が無い本等々を闇雲に渉猟し始めるに及び,結果として志賀浩二先生(過日訃報が流れたばかりでしたね…合掌)の高等数学教育用成書一式に巡り合って通読し,シリーズ各巻の各章末毎に挙げられている参考文献リストを転記メモにまとめた紙を用意しては随時持ち歩き,流石に大学教科書以上程度の学術書が高価な事は地元大手書店程度の品揃えですら存じていた事もあり「此の本はもし出会ったら読もう」とか「これは恐らくかなり高度だから,大学受験が済んでから段階を追って取り組む事を考えた方が良いかもしれない」とか色々と考えつつ,実は数学や理論物理に留まらず,往時東大駒場の教養学部前期課程で教科書として編纂使用されて世間一般にまでタイトルが知られていた諸々の成書や,或いは最終的に大学学部レベルを超えて,大学院で各分野を専攻する人が読むような学術書(…であったという事をずっと後になってから知る羽目になるところの)にまでも手を出し始めて,まさに濫読する日々を送る事となっていました.
これらの「自主研鑽」の結果,高校内で数学の学力得点自体では学年トップになる事こそついぞありませんでしたが(但,高校3年次に受験したいずれかの予備校の東大模試において,同年の数学で全国的に有名だった開成高校のトップをも抑えて全国2位タイという数値が,自身の大学受験における数学科目の中では最高記録です),数学IIIの教科書に所収されていた積分の例題が,実はカントール集合という零集合の典型であるからルベーグ積分を用いれば面積が0である事は「1行解答」で即求値出来る事や,テイラーの定理の証明において剰余項を導出して表す方法の論拠(これは高3次に廊下を通りすがった際,偶々隣のクラスに在籍していた高1次の同級生から質問を受けて,その場に在った通路壁設置の黒板で式を書きながら証明を解説する羽目になった)や,また当然の如くテイラー展開で表す事が出来ない必要条件を満たす(即ち,テイラーの定理における剰余項がテイラー近似の次数を大きくしていった際に0へ収束しない)例の提示,更には3次方程式の解の公式(所謂カルダノの公式)を導出する為の一般の3次方程式に対するチルンハウゼン変換(及び,此の際にしばしば現れる「不還元の場合」即ち「虚数+虚数が結果として実数になる…筈に間違い無いのだが,にも拘らず両項が共に根号の中に埋まったままで「共役和を取って虚部をキャンセルして実数化を導出する(理物の教科書や演習問題でよく見掛ける『+c.c.(complex conjugate)』と手続としては同じ)」事が出来ない状況)に際するテクニカルな式変形や,此の際に未だ明示的な記号を用いた取り扱いこそ先の話ではありつつも実際上は群論わけてもガロア群の理論に対応する複数回重ねて根号を取る方法の結果が最終的な解の公式における表示に際しても見て取れる形として残る事,或いは有名例(往時既にSEGがさんざん喧伝してくれた御蔭で我が校周辺に至るまで話題が到来して広まっていました…/苦笑)ながら積分が微分の「逆演算」と見做せる(定義として採用出来る)事は数学の歴史的発展の経緯からすれば後付けで発見された「定理」であって,本来はあくまで不定積分を定積分から始めて変化量として拡張した上でその不定積分が原始函数に(積分定数という「同値類」と見る事により実質的に同じものとして取り扱う事が可能となる部分を除いて)合致する事こそがザ・「微積分学の基本定理」という偉大な発見に他ならず,此のインパクトを薄れさせてしまう高校教科書の殆ど全種(往時未だ高校数学検定教科書を制作発行していた三省堂以外は全部)の教示順序方法は其の意味で「教育的に好ましいとは言えない」と評しても決して過言でない事,…等々を,高校在籍中にリアルタイムで理解していて授業でも扱う例題演習の際に即実用出来る状態にまでなっていたのは学年内で私だけだった,という程度には「茹で上がって」おりました.とは言え,実はここまで至っていた事自体が,爾後に大学へ進学してから「結局数学をやるしか選択肢が無くなってしまった」事へも直結する布石だった,という「副作用」も有りまして(今にして思えば「残当」でしょうが/苦笑),1年次の夏休み明け後早々に,たまたま昼休みに会議室前を通った際に職員会議が終わって出てきた東亜校長が,私の顔を憶えていて(職員会議では学年上位20名の名前が出るという情報は存じていましたが,顔写真も同時に回覧されてでも居たのでしょうか…??)「やぁ君キミ(肩をポンポンと掌で叩きながら)」「は,はい」「成績がー,良いねぇ」と直々にお褒めを頂戴するなど,折に触れて「適切に煽って」頂いていて,「いずれはノーベル科学系賞」へとプッシュで期待を掛けて頂いていた事をも,叶えうる途を結局は私の側が自ら断ってしまう方向へシフトして行く「準備を整えていた」事に他ならなかった…というのが,後付けながら今にしてなお思いを馳せるところだったりもします.

という訳で,一連の流れが因縁に因縁を重ねて積もり上がった結果とは言え,数学は私個人にとってはつねに「最強かつ最悪の[どうしても勝てない]敵」に他ならず,実際に大学院へ進学してからも尚,「私は数学が嫌いだから,数学界における日本の頂点(尚,往時は「自然科学分野では世界ランキング7位」とも言われていました)でもある東京大学(※私が入学した頃はまだ,数学オリンピック出場組ほか全国の数学トップ層が,おおよそ総員東大の数学科に集結する状態(小平邦彦先生が随筆成書所載の談話で「日本だとどういう訳かみんな東大に集まっちゃう.(苦笑)」と仰って左団扇で嬉々としていらした通り)が継続していました)で数学科に進学して,更には大学院でも尚数学を専攻するに至ったんです」と公言して,指導教官が泡を吹いてしまった…などの一幕も有り(ちなみに,此の一件があった所為で,私は大学院初年次にして研究室転属を経験し,結果として「数論」と「無限可積分系」という「日本のお家芸」たる分野(※代数幾何学(それこそ,日本人が史上3回のフィールズ賞獲得という「世界最高峰」をも戴いているところの分野です)的視点を経由する事で初学段階からも此の「接続」を筋道立てて辿る事が出来ます;但,「両方を共に創った」のはソ連(現在のウクライナ)出身の数学者であるドリンフェルトです(後者の根幹になる量子群については神保道夫が独立に構成を達成しており,教授陣としては他大学にもそれぞれ散らばって現在に至る東大学部数学科出身者を中心とする日本の研究者達が無限可積分系という学術分野の発展に寄与している事の根元からして一翼を担っているとも評せましょう).)をいずれも大学院段階で経由体験しており,御蔭様で数学の広範な沃土において「あくまでも非常に大雑把な程度」ながらも辛うじて何とか,各大域分野単位規模くらいでなら大まかに「どの方向に近いか」みたいな事くらいは数学が専門外の人から訊かれた際に一言供出しても,プロの先達各位から即ぶっ殺される程に大外れしたような事はやらかさずに済んでおる(現時点ではまだほぼおおよそ…たぶん),程度の素養は摂取させて貰っておりました),自ら教育職を務める立場からなりに世間社会一般に対して「大学・大学院の本分は何たるや」といった論題に際しても自説を展開する事も珍しくない程度に物申すにまで至っておきながら,その実は自身が最も「大学院研究者としての資質を疑われるに相応しい」と取られても何ら文句は言えない程度の有様に他ならなかったりもする次第です.
とは言いながらも,私自身が「好きでもないのに数学専攻で学部も大学院も通った」経験は,結果として数学の「効用」を世間一般に,それも日本語圏内にとどまらず内容的には全世界に通用する意義まで「直結」で含有する形で,言明して伝え広めるための機会を与えてくれました:即ち,数学科・数学専攻特有の「ハイ嘘ー,死ねばいいのに」と”チョークを投げつけ合う”体験(此の物言いも今や古くなったかもしれませんが…?何しろ,私が学部生の頃に往時のボス教授から直接聞いた話の限りでも,彼の更に指導教官だった教授の場合には,ゼミの発表で数学的に内容がハズしていたり詰まったりすると「下駄が飛んで来た」と,素で仰っていた位でしたし/苦笑)を総員が必修で経ておく事は,あくまでも理詰めのみで,要するに情動を排して自身の好き嫌い如何に拘らず論理的な妥当性を追求するという,それこそディベートの方法技術の本来目的である原理等とも同様の「効果」を得る為にも,極めて有効である…との結論こそが,まさにその一端です(昨年冒頭に「土下座記事」として個人レベルでの「物理現世上の実験検証的体験事例」に際する報告http://www.educationbusiness.jp/2023/01/04/%e6%95%b0%e5%ad%a6%e3%81%ae%e4%bd%95%e3%81%8c%e5%bc%b7%e3%81%84%e3%81%8b%ef%bc%8c%e3%81%a8%e3%81%9d%e3%81%ae%e9%99%90%e7%95%8c%e3%81%ab%e3%81%a4%e3%81%84%e3%81%a6%e3%81%ae%e7%a7%81%e8%ab%96%e3%80%90/を公開した際にも既述の通り).つまり,世の中の総員が,原則として(知的能力に際して現にその阻害要因となる重大な医学上の障害を有する場合等を別とすれば)現行公教育制度における日本の大学院程度の水準に相当する数学の教育課程を,必修の学修内容として経由体験しておくべき社会制度設計までもが望まれる,との意です.しかも,現代の科学技術を以てすれば,言明者の理屈に穴を見つけたら即サイバーチョークを投げ付ける事が出来て,食らった側は自身のアバターがチョークで粉まみれになる姿が周囲の誰もから見える構図となりますから,それこそ私が理一に入学した当初から同期達との間で毎週数回は投げ付け合い(※なお実際には,往時の我々は必修演習教室以外でも随時,通りすがりに偶々聞こえてきた話題に対してもし異見を思い付けば即斬り込んで「『チョーク投げ付け』と同様の意味での『殴り合い』」を始める事を日課としており,俗に「駒場(わけても殊に理一)は『辻斬り』アリが原則の世界」と称されておりました)に興じていたように,小中学生から楽しく理詰めゲームに習熟して,長じては社会を構成し設計しつつ,他方では何がしかの事を成すに際しても存分な人材が総員取り揃って各々「自分の天命(business)」に興じながら,必要に応じて需給の流通取引という形での経済を回す事もが素で行われている,文句無しのイイ世界が出来ている算段という訳です.

更に付け加えて述べると,此処で述べていた内容に基くならば,「宗教的対立(甚だしい場合には戦争)」をも,原理的には防ぐ事が出来るはずです;なぜなら,論理的に「ウソだと思っていても導出されてしまう」内容事項(=定理)以外は,本来は理屈としてはその概念が存立する事自体に何らの「必然的理由」は無い事(=公理として独立である(べき⇒従って,もし両立しない場合には,より大きな公理系を採っていずれの公理をも存立出来る公理系を採用する事が当然の如く希求される)旨)が確認出来ますから,要するに神の類はあくまでも,せいぜい個々人が最推しする萌えキャラの類と同列であって,そうしますと宗教戦争も所詮は,「他担・他界隈の方はお断り」という,それこそ一部オタク中学生のSNS上における物言いみたいな(※と言っても実際には,本当にここまで露骨に意思表示をするような人はごく一部の「過激派」に限りますが)程度の代物でしかない事もが,「全員必修」課程の範疇で露わになる以上,その必修義務教育課程で経てきたはずの線を踏み越えてまで社会通念上の道義に反するアホなどというのも,そう中々現れる事は無かろうに,との「理詰め設計」構図であります.勿論その為には,先ず各国家なり文化圏がそれぞれの責任に於いて,幼少の頃から「『ハイ嘘ー死ねばいいのに』のサイバーチョーク投げ合い」をやり果たして,無論それ以前から生きているいい歳の大人世代も,幾ら激情に駆られたとて,万一理詰めの挙動を破ってまで真顔で特攻しようものなら,最寄りの「きちんと」教育を経由済な面々総員からチョークを投げ付けまくられて粉だらけで真っ白になって,それこそコンビニ強盗がカラーボールで蛍光色に塗れて,たとえ洗い続けても向こう数週間は取れなくなるが如く,誰が見ても「あぁアレはマズいやつなんだな」とあからさまに目視されて全方位から回避的パージを食らって社会的に「一回休み」に実質自動的に成り下がってくれる,という状態にまでしっかり出来上がって頂いた段階で,今度は隣の異文化なり異教徒なり異民族なりの他国等と「交流試合」を始めれば,「貴様らの推し(神なり教条なり)はこれこれこういう点がゴ●クズでござる,だが他方で此処の挙動に際しては非常にイイ奴だ」といった形での物言い合いもが素で通る事となり,真っ当な大人のオタク各位が,正に其の語源通り「御宅は?」と訊く=相手が尊重する世界観や人生観に対して,相互に最大の敬意を以て挨拶とする世界が,ごく一般の当り前な標準仕様と成る由です.(※ちなみに,此の「『オタク』はそもそも語源からして敬意の表明である」事を指摘して私にも教示してくれたのは,中学時代に同期生だった学友の一人です.決して私自身の着想ではなく,寧ろ私もが満額呑んで認めた理詰めの論である旨を,此処を以て明記させて頂きます.)
…尤も,実際問題としては,「数学的に斬られて死んだ」ヤツがきちんと「(数学的に)切腹して一度死んできて(=甚大な不備をやらかした事に際して真摯に自身の立ち居振る舞いと向き合った上で,なお爾後『改善』の方策算段をも理詰めで整合完備に至る迄考え尽くした上で社会における言動の場に復帰して万端に再起して元気に更なる活躍をして)くれる」事が大前提としての必要条件であって,斯様な「神など無く死をも恐れない」代物が,本質的にそもそも人類どころか生命の一角を担うに相応しい,などと強弁する事が果たして公正妥当かどうかという点については,もはや此の方法論は何らの回答をも与える事は無い,という課題は尚理屈上も残存しますけれども.(或いは,拙既述の「死ねばいいのに」に際して,当該「死ぬ」とはどういう事か,というそもそもの語義については,生命科学の専門家各位その他の,あくまでも拙試論である今般当記事内容を叩き台として「きちんと叩き得る」程度以上の知見を有する方々をも含めて,尚我々のような理詰め原理主義者組と喧々諤々の「(科学における表記用言語たる数式を用いての)殴り合い乃至は斬り合い」をやり尽くす必要もが,早々に浮上してくるものと予想されます.)

十歳の頃に「此の位の歳までにやりたい事をやり尽くし果たして,そしたら現世はもう『引退』で辞めて,爾後はせいぜい召喚獣にでもなって,後世において尚どうしても私なんぞの力添えが求められる事が有り得た際には,その時だけちょいと起きて呼び出されて,そして呼ばれた理由であった必要な『用件』が一仕事済んだら,再び延々この世のリソースを消費しない何処かで寝ていればいい」と思っていたら,私自身が「その歳」に成り上がった後,丁度その歳を迎える目前で生命として物理的に死んでいった=この世に再び現れる事が永遠に無くなった同期が2人居り(それも訃報が2週間も空かず立て続けに降って来た),以来「立場上迂闊に死ねなくなってしまった」との言い訳を掲げつつ,私は今もなお,現世物理世界にあって生体としてシレッと残存しております.
これまでに在籍経由してきた組織機関等に於いて,おおよそ各々の同門閥内全般にわたって「ブリザム被害者の会」が設立され続けられておる程度にロクでもない代物である事は恐らく間違い無いのでしょうが,斯く申しておる其の私自身は,遥かに若かった人生の序盤に画策した「予想(Conjecture)」に際して,自ら踏み出した挙句数学上の「否定的解決」を得る結末に出合い,数学的のみならずそもそも学術研究者としての公式(official)な立場においてすら,一度死んだ上に未だ生き返って居ない程度の「アカデミックゾンビ」に他ならない有様のままです.
勿論,其の間にも別の方面では相応の業績に当る「日本一」を3回以上オープンインターネット上において記録していますし,それ以外にも私が公式に表明していない内容で,少なくとも日本語圏においては他に研究が行われている事例が見つからない程度の実験結果を,それも幾種類も別々の分野方面において,各々累積蒐集していたりもします.…と言うかそれ以前に,私自身の医学的な特性に関してすら,世界的にも今一つ公開情報が僅少または殆ど涸れている項目が3分野ほど有る訳ですし(当サイト記事でも相当する話題に言及してきた事は幾許か有ります),また更には東と西の帝大で「何がしかの意味で頂点を獲った」事も有り,それも西側では「30年ぶりに現れた程」と評され,対して東の方では「決勝」の相手(即ち「次席」)から「お前の同門は此方(※日本で断トツ最強の輩出期待値を永年にわたり誇っている著名な出自)のよりは上に飛んで居る」と明言頂戴していた程度に「少なくともザコでは無さそう」という事までは,アカデミアの現任者らの評価を以てしても一応判明しているので,敢えて言明するなら(※此処は一応,当該職責に際しての公式サイトでは無いので,それゆえに斯様な際どい語彙をも用いて明細な公言を出来る訳ですが)「平場の凡人を基地外に育て上げる」事を現職の一としている次第であります.「基地外」とは放送自粛語彙の類にして尚且つネットスラングの一ではないか,と思われるかもしれませんが,こと私が用いる際にはおおよそ全くの褒め言葉としての語義で採用している場合が殆どであって,なんとなれば,例として「最初に文字を作った人」を考えてみると,如何に擁護しようとも基地外の範疇には間違い無い筈です(更に推察するならば,当該人物は多分にして恐らく「常人には(往時未だ)見えない代物が何がしか既に『見えている』人」であった可能性も,まず間違い無い程度に極めて濃厚と考えられます:此の論の詳細は別の機会に譲りますが).
更に言えば,同様の認識をもった上でなお私は寡聞にして,およそ基地外に該当する者しか本質的に「世界をつくった」事例を存じないので,当該基地外各位には全く,俗世の雑務に苛まれる事無く「本職」に是非とも専念して頂き,また更に並行して「(たとえ基地外には未だ及ばなくとも相当の)超秀才」各位が,此の基地外連中の「つくってしまった」代物を,世間一般へまで「下ろしていく」実装を担う事で,世界全体に及ぶまでの構成者全部にとって利益をもたらすべく,各位のbusinessを担って頂ければ,と願うばかりでおります.無論,当職(並びに同業者総員)が全世界に於いて現任の職責を「完遂」すれば,総員が基地外となる訳ですから,引き続いて今度は当該基地外同士間での「互換」が主な課題点の一として挙がってくる可能性が考えられますが,然すれば其の際には「互換オタク」たる基地外が現れる事に期待を寄せるまでです.
そして,此の際にも使いうると思料される「universalな(※数学における用語を援用しております)言語」として尚,上記の既公開記事で述べていた「数学の効用」が,殊に特段の「共通了解ライン」を策定する際などには,他にまたと無い威力を発揮する事に期待されるがゆえに,本稿であらためて明記した通り,総員数学の学修を経由して当該「数式を用いたチョークの投げ合いなり斬殺仕合い」をいずこかの機会に体験してさえ居れば,おおよそ初動ないしはせいぜい「二の矢」時点から直ぐにでも「共通了解」の段に立って,より万端な世界構築をも成す事に貢献し得る公算が見通せる,との理由を以て,私は此の「何よりも嫌いな」数学を,絶賛して総員に推奨申し上げます.

無論,数学は此の世が無くしても存立する(現世以外をも全部含めた語義での)世界唯一にして最悪のク●ゲーとして其の威力を発揮する場合も往々にして有りますけれど(※流石に経験者として一言まで!).

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拙著「それでも 大学に行きたい!」が廉価版になりました

「廉価版」と言ってみたものの,内容も装丁も初版と同じです:

お蔭様で現場から数々高評の声を頂きまして,今般「税込み千円以内」で御提供出来る運びとなりました.更に,今般は同時期にAmazon公式の特別セールとも重なったので,最安900円から拙著をお買い求め頂けます.

元々,今著の本文約8万字の内訳は「大学進学を志望する数多のパターンの受験生への対応をなるべく網羅したい」という意向から来ている物ですから,一人ひとりの読者にとってはむしろ「必要な分だけ読めれば足りる」という意味で「その分だけの価格」で御提供する事が望ましい,との構図も当然であり,此の点は刊行当初から課題としては挙がっていたのですが,やはり全体としては比較的大部な「受験勉強方法論」の参考書として出来上がったので,今般の価格改定を以ってようやく“本来の形”に近付いた,とも申せましょうかと存じます. あらためまして,かねてからの御愛顧に感謝を込めつつ,御笑覧のほど何卒宜しくお願い申し上げます.

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