線維筋痛症は何しろ「原因がよく分かっていない」ので,治療に際しても対症療法が中心的とならざるを得ません.これは薬物投与においても基本的に同様です.
ところが,ここで問題になるのが「身体が痛みを憶えてしまっている」という事です.一旦薬剤を含む治療を開始して,本来改善の目処が見られるはずの状況に至っても,意識ないし意識下の記憶が「従前この時痛かった」と記憶していると,その記憶が再生されてしまって,無用な痛みが増強される・或いは痛むのが怖くて動けなくなる,といった事態が往々にして発生し得ます.
かく言う私自身も,未だこの「束縛」から抜けきれていない面があるように思われます.
とはいえ,「痛くない状態」をイメージしてそれを目標にする…というのは,簡単な事ではない,と言うよりあまり現実的ではありません.なぜなら,そもそも「痛くない状態」とは何か・知覚し得るのか,という難題があるからです(否定的見解).
そうすると,痛い以外の「他の状態」に記憶をすげ替える,という事が必要になってきます.勿論,実際的には「動かしてみて,ほら痛くないでしょ」と順番にやっていく側面も大きいのですが,目指すところは何であるのか,というのは,線維筋痛症の治療に限らず,より広く一般に重要課題であるのだなぁと,あらためて思い知らされます.
何だか話題の方向性がコーチングプリンシプルっぽくなってきた気もしますが,使えるものは使う.そんな意向であります.