いじめの根源と,対策…のウソ

最近も幾分古い記事(※おそらく其処で採り上げた事象がその後社会情勢的にも動いているはずなので)にしばしばアクセスを頂くなぁと思っていたら,「いじめ 私立」でGoogle検索ランキング15位くらいになっていたのですね.…キーワードの需要的には全く以て喜べない内容ですが.

で,需要がある様なので一つ指摘しておきますが:私学であっても別段「いじめ」が消える(可能性に期待出来る)訳ではありませんよ,原理的には.
そういう意味で「金を積んでフィルタリング」を掛けようと思うなら,そもそも通学(学校に在籍)という選択肢を採らない事で安全性をより高めて,本来の狙いである学修効果自体は自習ベース+プロ家庭教師が補う形でも良いのではないでしょうか(少なくとも高卒認定試験あるいは大学受験程度までは).毎週2時間なら私などでも私立高校(諸経費込)やフリースクールよりは安いと思いますよ?

 

経験の限りで(※当事者でした:今でも腕などに物理外傷痕残ってます),いじめが発生する構造的原因の一端は,加害者側が「なんとなく不安」と「自己責任の欠如」を抱えている事,と言えようかと存じます.未成年者に「自己責任」を求める事には社会制度上の限界もありますが,概念として当事者認識を全員に持っていてもらう事自体は,相応に可能でしょう(知的能力に成年と未成年との「段差」がある訳ではないので).

そして,後者の責任の所在を訴訟で片っ端から刺していくと,結局は前者の「なんとなく不安」が本質的な問題要因として残ります.が,こちらも知識で対処可能なので,そうすると最終的に「無知が悪い」という結論にまで落ち着きます.かく言う私も毎日のように「正座」して識者の記事を拝読しておるところ,Facebookタイムラインを御覧の方には承知の通りです.

なお敢えて付言しておきますが,「私立ならいじめが無い(少ない)」という可能性に懸けてそんなキーワードで検索してくるような人は,それ自体がいじめっ子(加害者)の思考と同列です:不安と無知と偏見と無責任といった意味で.自分が検索した学校名で直接的な「事件記事」がヒットしなくて一安心している(?)そこの閲覧者の皆さんは,其の中途半端な逃げ腰をもうちょっと何がしか落ち着けるべし,という旨は,上述した通りです.

 

実用的には,初めからほぼ「絡まれない」方法武器というものは知られています:それは,腕力あるいは金(財力)を持っている事です.なお,ビジュアル(モテ度)はどこまで使えるか微妙です.
ただし,こと日本の現状環境においては,更に「学力数値」という武器があって,順当に使うとカネよりも腕力よりも強い威力を発揮する事が可能です.だから私は,「使える物は使え,そこまでしてでも生き延びろ」と半ばプッシュで煽ってまで言及しているのですが(詳細は別サイトの教育ブログ各記事参照),しかしこの方法技術はあくまで「現時点まで通用している」に過ぎない事であって,そのメカニズムも実は「カネをチラつかせて不安で煽っている」向きと大差有りません.実際,私の「学歴」に平伏した面々を見ていても,「怖いから従っておく」が先ず筆頭で,次点でニコヤカな表情に嘘が無い相手ならその大半は「金目」です.逆に言うと,現状の本質はおそらく未だ「世の中はカネとガタイを持ち合わせていれば常勝で渡れる」だけの事であって,島国日本特注仕様の学歴システムは,それを肩代りした仕組みに過ぎない,と述べてさえ過言ではないでしょう.

…いやそんな社会システム,今世紀後半どころか10年後5年後にすら残したくないのですが,既に教育産業(受験産業)が「2020年に向けて」などと言って煽っているのを見ても,もはや牽制球を投げる気さえ起こらない程度の呆れぶりな次第ですが,ハロウィン決め台詞の如く「図書館通読 or 切腹?」と辻斬って回る私の仕事は,今しばらく続けていても良いものでしょうか.

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「一代限り」の人権をどこまで主張・保護すべきか

って,わざわざここまで堅い御題目にするほどの事でもなくて,単に直近も含めた個人経験の積み重ねの限りなのですが:

端的に言えば,一体私の性別はどう認識されているのかと(笑)

御蔭様で「相当深い関係」にある(そして今に続いてきてくれている)はずの相手でさえ,ややもするとすっかり忘れていてくれてたりすると見えるあたり,矢張り「性別二択」という前提は,おそらくは人類の生物学的種の保存レベルからの,大変根源的な”偏見の最たるもの”なのかな,とあらためて思います.何度体験してもあらためて.

十数年来の知人が,結婚式の招待をくれた際に,二次会(当然の如く幹事も共通知人)のエントリィで性別項目二択の設定を送ってきてくれた時には,正直どうしようかと思いました.
結局,この時は直接個別連絡して,「あぁ,お前さんの事すっかり忘れてた」とか言われて,一同(各立場それぞれ)呆れ返ったまましばし時が止まる,という事象に至った次第でしたが,その後も同様の事情は「毎度?」というくらい生じています.当たる相手が比較的説明好きな私で良かったですねと言うべきかどうか(ただし,同時に「法的ライン前後に至るまでほぼ全力」でもあるので,ややもすると戦う立場になった際にはさぞかし大変だろうなぁと思いますが).

そして,現在もお問い合わせ中だったり棚上げ(?)だったりする各方面担当者様々におかれましては誠に御苦労様でございますが,国際基準(ジョグジャカルタ原則なりISO5218なり)的には「そこまでやるべし」という事になっているはずなので,まぁ,その,合意形成及び実装は頑張りましょう,と.なお,JIS X0303(※二択だった)は廃止済みであります.

ちなみに,私が個人的に性別欄を「非表示」にしている最大の理由(多分一番本質的だと思われる)は,「自分でも固定が出来ていない」からです.近年は住民票記載に寄せる方向の社会的仮装すらも飽きてきていたりしまして,だから真顔というか素で行政当局に「この欄要らないんですが」と言ってしまう訳ですけれども.
住民票の性別欄をISO5218準拠にしようと思ったらデータ項目が2億5千万件も増えたりして,本当に御苦労様でございますが,自民党(現国政与党)も「憲法14条の解釈には性的少数者の人権も含まれる」と確認している事ですし,国内世論も一応筋は通しているんじゃないかな,と認識されるところですので.

そして表題の通り,こういう規模感の論題は決して性別に限らない訳ですが,流石に私も全分野の専門家などではないので,ひとまず今回記事の風呂敷の大きさは自家薬籠の範疇でお送りしたく存じます.
別に専門家になりたい訳でもないのですが,当事者として何かあった度に「地ならし」に取り組む事を続けていたら,「公的書類の性別欄(の非表示なり廃止)」についての参照サイトとしては幾分知られるようになっていた模様なので(検索キーワードの動向等),今後とも必要に応じて好きこのんで調べつつ,また並行関連各分野の知見にも随時接し深めていけたら,とは思っています.

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たとえ財源を確保しても,それに「見合う」教育の改善にはなお大分途が長い気がするのですが,どこから議論に着手したものでしょうか

 

学力には敏感に反応しても教育環境については無視する日本政府http://bylines.news.yahoo.co.jp/maeyatsuyoshi/20160920-00062365/

あぁ環境ってそういう話か…私は一瞬タイトルだけ見て別の事を考えた(∴誤解しそうになった)ので,先ず元記事本文はぜひ御一読頂きたく供覧.

で,其の本編内容に関しての私見は:「元来教育は『つぎ込もうと思えば多分ほぼ青天井』なのだが(含経験則),それを制度担保する方法論が今一つ見えない」事が懸案の一因ではないかと見えて,それゆえ「たとえ財源を増やしたとしても『激務or手抜き丸儲け』の構図は,根底の本質側が変わらない限り,改善に早々限度が見えてくるのではないか」といったところです.
金を掛けてもマシにこそなれ,日本国内だと「学費最高峰」でのシステムが運用実態上ザンネン半端になっている例なども存じているゆえに,これほどの懸念を敢えて先ず表明しておく次第です.

考えうるソリューションの1つは,「教育に人生を注ぎ込む気の有る人が担う」実状をシステマタイズ含めて行き渡らせきる事ですが,そこでまた結局「個体差」が派手に発動して「命削った歴史的存在の偉業vsその他(統計的多数派)の凡人の使えなさ」といった,どうにも着地の見え難い社会一般の課題に包含される形の懸案に行き着く訳で,そこまで見通した上で「先ず金の問題(財源の寡少自体は確かだとして),そしてかつ成果に対して再分配もが適切に成される事」を論題設定とするなら,まだしも今回紹介元記事のような議論(※先例は往々にして筋が悪いor着地が見えない)をあらためて湧き起こす事にも,壮大な意義は有ろうと言えましょうか.

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「良い子」の語義を自分なりに確認する

「コーチングサミット2016」に参加しているのですが,

来場者層の「良い子」感…世の中ってそういうものなのでしょうか??

私の仕事は,この世の「より危なげの有るところ」になお存在するのかな,とあらためて思いました.
別に強いてまで「斬り合い」をやらせる必要は無いかもしれませんが,「良い子の縮小再生産」的な構造って個人的には好きでもないし,社会的将来展望としても,必ずしも望ましくなかろうと言うか,志の高さとして中途半端感が否めないとでも申しましょうか.

そんな訳で,特に「良い子業」が辛くなってきた方などには,私が提供出来る事は沢山有るかと存じます.別に最初から「良い子が嫌い」な方でも構いませんが,私自身がいずれの系譜に属するのかはさておくとしまして.
荒っぽい人とかはちょっと怖い気もしますけれども,猫に咬まれるのは慣れてるので,多分それでも大丈夫でしょう.

ちなみに,会場には硬そうな服を着ている人も多く居て,「いつ見ても動きづらそうだよなぁ」と思う訳ですが,かく言う私もたいてい礼装なので(※緊急時対策は日常的に準備しています),慣れたら平気なのかもしれません…? 私自身は延々慣れなかったので,今でも「硬い服は着ない」条項を職務に入れていたりする程度ながら.

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エロ媒体ってどのくらい必要ですか?

 元ネタはデマであると判明したそうですが,ちょうどたまたま私の問題意識に合致したので,敢えて採り上げて触れたいと思います:

【高畑裕太容疑者】「彼女もいたしお金もあったし…」コメントはデマ、SNSで誤解生む
https://www.buzzfeed.com/keigoisashi/takahata-comment?utm_term=.paOY461mKn#.opX7o3BPrd

俳優の高畑裕太容疑者が、ビジネスホテルの従業員の女性に性的暴行を加えケガをさせたとして、8月23日、強姦致傷の疑いで逮捕された。

「彼女もいたしお金もあったしそういう欲求は満たそうと思えば満たすことができたんですが、襲うということの欲求は襲うことでしか満たせないと思いこのような事態になってしまいました」

逮捕報道後、高畑容疑者のコメントだとする、こんな文章がTwitterなどに出回っているが、これは何者かによる創作である可能性が高い。

 …だそうで.
 デマとは言われつつも,このネタが相応の関心を引いたのは,やはりその内容に「納得共感されうる面もがある」からではないでしょうか? というのが,今回の私の問題意識です:そして表題の通り,「社会システムはそのためのコストをどこまで払うべきか」という論題に挙げる次第です.

 

 先ず,私の存じる限りで医学的(生物学的)知見を復習しつつまとめてみますと:

 人間(性的二形である)の場合,受精卵の温床(着床から新生児となる=出産に至るまで)を準備するコストを女性側のハードウェア的仕組みに押し付けていて,もし本来の発動(生殖)に寄与しなかった場合でも,「毎周」1か月程度が準備及び後片付けに費やされます.更に,この女性の周期は各個体(個人)毎に小さからぬズレもが存在します(此の「理由」についてはあまり詳細を存じないのですが,「意味付け」については例えば竹内久美子氏の各著を参照:ちょっと古いですが).

 そして,その受精卵を養育するための構造の「バーター」として,男性側には「随時」生殖への貢献を発動出来る機能が求められる事となります.
 …そうすると,男性側の機能がしばしば「余る」事態が発生します.そこで,機能が余ってしまったその男性においては,何らかの方法で「空撃ち」をする必要もが生じる事となります.それが本来の物理生殖に近い形(生殖準備は整っていないけれども「行為」自体は果たせる物理構造となっているところの,女性の身体をそのまま使う)であるか,その他の(敢えて言えば「より抽象的な」)方法を使うか,の二択が先ず一段階と考えられます.

 

 ここで,「後者」はおそらく人間の知能が及ぶ限り,おおよそ「青天井」のはずです.いわゆるアダルトビデオですら「視聴者が出演者の現物身体そのものをリアルタイム使っている訳ではない」という意味ではヴァーチャルです.あるいは,そもそも現行日本法下では「本番」営業が認められていないので,「物理接触」でやる性風俗産業にしたところで,その身体とは生殖行為用の現物「以外」のナニカでやる事になります(これが果たしてどこまで合法下で認められるのかの詳細については,識者の知見に委ねさせて頂きます).

 となると,男性側の「余った分の空撃ち」は,実際上の割合としても「ほぼヴァーチャル」で行われる事になるでしょう.これは上述の通り,生殖用の医学的物理システムの結果の一端な訳ですから,当然「人類システムの維持」という文脈から,保護や便宜供与が必要に応じて求められる事となります:人によっては「人権」といった切り口を登用したいと思う向きもあるかもしれません.
 随分昔に,雑誌広告でオナホールが「男性用生理用品」と銘打って売られていたのを見て感心した事がありますが,ずっとごく近年になって,今回記事タイトルのような問題意識をより明確に持ち始めるようになってから,あらためて「エライ話だったのではないか」と思っておる次第です.

 此の「ヴァーチャル」の青天井さの度合いは,私の存じる限り未だとどまるところを知りません.「ファミコンのドット絵を使いました」程度の話では驚くに足らない程度です.そりゃ当然と言えば当然で,元々のゲームなりに対して感情移入して意味を理解したり操作したりといった事が出来る人が,こと性的な(自分の)身体構造との関連方面だけを「除外」する必然性は何もありません(個体差としての存在可能性はさておくとして).
 つい過日も,リオオリンピック閉会式で安倍晋三首相がマリオのコスプレをして登場し,「あれは『少なくとも向こう4年,クールジャパンが一丸となって此の方向で行きます』との強いメッセージ発信である」との旨はおおよそ共通了解と見られますが(不服の声はともかく「解釈」自体についての異論はあまり目にしていません),当然の如く「生物学的処理用途のバーチャル側寄り」の媒体の一つとしても,斯様なコンテンツは今後とも使われうるのですよ,という事を,あらためて指摘して世論に提示しておきたく思う由です.
 閉会式の中継を見ていて,安倍晋三のコスプレをしたマリオが登場した瞬間に,当時日本語圏で既に物議となっていた「AV出演強制」等といった論題と彼もが「地続き」である,と直感した事は,今後5年以内程度の展望を考えるに際しても,随時忘れ得ないでしょうから.

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