エロ媒体ってどのくらい必要ですか?

元ネタはデマであると判明したそうですが,ちょうどたまたま私の問題意識に合致したので,敢えて採り上げて触れたいと思います:

【高畑裕太容疑者】「彼女もいたしお金もあったし…」コメントはデマ、SNSで誤解生む
https://www.buzzfeed.com/keigoisashi/takahata-comment?utm_term=.paOY461mKn#.opX7o3BPrd

俳優の高畑裕太容疑者が、ビジネスホテルの従業員の女性に性的暴行を加えケガをさせたとして、8月23日、強姦致傷の疑いで逮捕された。

「彼女もいたしお金もあったしそういう欲求は満たそうと思えば満たすことができたんですが、襲うということの欲求は襲うことでしか満たせないと思いこのような事態になってしまいました」

逮捕報道後、高畑容疑者のコメントだとする、こんな文章がTwitterなどに出回っているが、これは何者かによる創作である可能性が高い。

…だそうで.
デマとは言われつつも,このネタが相応の関心を引いたのは,やはりその内容に「納得共感されうる面もがある」からではないでしょうか? というのが,今回の私の問題意識です:そして表題の通り,「社会システムはそのためのコストをどこまで払うべきか」という論題に挙げる次第です.

 

先ず,私の存じる限りで医学的(生物学的)知見を復習しつつまとめてみますと:

人間(性的二形である)の場合,受精卵の温床(着床から新生児となる=出産に至るまで)を準備するコストを女性側のハードウェア的仕組みに押し付けていて,もし本来の発動(生殖)に寄与しなかった場合でも,「毎周」1か月程度が準備及び後片付けに費やされます.更に,この女性の周期は各個体(個人)毎に小さからぬズレもが存在します(此の「理由」についてはあまり詳細を存じないのですが,「意味付け」については例えば竹内久美子氏の各著を参照:ちょっと古いですが).

そして,その受精卵を養育するための構造の「バーター」として,男性側には「随時」生殖への貢献を発動出来る機能が求められる事となります.
…そうすると,男性側の機能がしばしば「余る」事態が発生します.そこで,機能が余ってしまったその男性においては,何らかの方法で「空撃ち」をする必要もが生じる事となります.それが本来の物理生殖に近い形(生殖準備は整っていないけれども「行為」自体は果たせる物理構造となっているところの,女性の身体をそのまま使う)であるか,その他の(敢えて言えば「より抽象的な」)方法を使うか,の二択が先ず一段階と考えられます.

 

ここで,「後者」はおそらく人間の知能が及ぶ限り,おおよそ「青天井」のはずです.いわゆるアダルトビデオですら「視聴者が出演者の現物身体そのものをリアルタイム使っている訳ではない」という意味ではヴァーチャルです.あるいは,そもそも現行日本法下では「本番」営業が認められていないので,「物理接触」でやる性風俗産業にしたところで,その身体とは生殖行為用の現物「以外」のナニカでやる事になります(これが果たしてどこまで合法下で認められるのかの詳細については,識者の知見に委ねさせて頂きます).

となると,男性側の「余った分の空撃ち」は,実際上の割合としても「ほぼヴァーチャル」で行われる事になるでしょう.これは上述の通り,生殖用の医学的物理システムの結果の一端な訳ですから,当然「人類システムの維持」という文脈から,保護や便宜供与が必要に応じて求められる事となります:人によっては「人権」といった切り口を登用したいと思う向きもあるかもしれません.
随分昔に,雑誌広告でオナホールが「男性用生理用品」と銘打って売られていたのを見て感心した事がありますが,ずっとごく近年になって,今回記事タイトルのような問題意識をより明確に持ち始めるようになってから,あらためて「エライ話だったのではないか」と思っておる次第です.

此の「ヴァーチャル」の青天井さの度合いは,私の存じる限り未だとどまるところを知りません.「ファミコンのドット絵を使いました」程度の話では驚くに足らない程度です.そりゃ当然と言えば当然で,元々のゲームなりに対して感情移入して意味を理解したり操作したりといった事が出来る人が,こと性的な(自分の)身体構造との関連方面だけを「除外」する必然性は何もありません(個体差としての存在可能性はさておくとして).
つい過日も,リオオリンピック閉会式で安倍晋三首相がマリオのコスプレをして登場し,「あれは『少なくとも向こう4年,クールジャパンが一丸となって此の方向で行きます』との強いメッセージ発信である」との旨はおおよそ共通了解と見られますが(不服の声はともかく「解釈」自体についての異論はあまり目にしていません),当然の如く「生物学的処理用途のバーチャル側寄り」の媒体の一つとしても,斯様なコンテンツは今後とも使われうるのですよ,という事を,あらためて指摘して世論に提示しておきたく思う由です.
閉会式の中継を見ていて,安倍晋三のコスプレをしたマリオが登場した瞬間に,当時日本語圏で既に物議となっていた「AV出演強制」等といった論題と彼もが「地続き」である,と直感した事は,今後5年以内程度の展望を考えるに際しても,随時忘れ得ないでしょうから.

Share

コメントを残す