「駿台青パック」と「駿台パックV」の活用方法について

最近,当サイトの「駿台青パック」関連の記事(それも旧セ試課程向け!)に直リンクアクセスが多くなってきている様子なのですが,何かあったのでしょうか??

それらの各記事でも述べている取り,駿台青パックはあまり早い時期に使うべきものではありません.高校や予備校のカリキュラムの一環として使われてしまったならそれは仕方のない事ですが,その場合には復習活用を徹底する形で使いこなして下さい.但し,数学や物理に典型される「駿台特有の解法」解説には注意が必要です.ある程度の復習で割り切るか,駿台在籍の同級生等に訊くなどしましょう.

Z会「緑パック」や河合塾「桃パック」が幅を利かせてきた事で,以前ほど駿台青パックの「難しさ」が評価の対象となる機会は少なくなったのかもしれませんが,筆者の経験では「この難易度での総合点」は本番に比較的近い結果を返してくる可能性があります(これも既述).気を抜かずに復習はしっかりやりましょう.

 

それから,事のついでに「駿台パックV」についても述べておきますと:
正直,この教材は使い方が難しいです.分野別に区切って時間も測って得点力向上に資するべく…という理念は分からなくもないのですが,現実はあくまで「入試は総合点」なので,個々の科目単位での時間配分への反映方法が分からなくなりがちです.

従って,駿台パックVをマトモに使いこなす(共通テスト本番の得点力に貢献する)為には,よほど優れた指導者が傍に必要と考えます.無論,パックVは高校専用教材ですので,ここで言う「指導者」とは学校の先生か,駿台予備校のチューターという事になります.

殊に,共テ向けの各教材(他の模試復讐等)の学習が立て込んでパックVの出番が最終盤になってしまうと,共テ本番の時間感覚が狂ってしまう恐れもありますので,くれぐれも留意して下さい.

Share

出来早速3位!ありがとうございます

当サイト主宰の新刊(前述)がAmazonカテゴリ別で3位/4位となりました!!
「不動産投資」ジャンルはKindle内でのランキングですが,「住宅ローン」ジャンルで「紙の本」込みで4位というのは特段大きな成果です.本当にありがとうございます.

Share

拙超小著「不動産は買ってはいけない」が発売となりました

Kindle「不動産は買ってはいけない」
https://www.amazon.co.jp/dp/B09GRMMMBC/

浅井佐知子先生には申し訳ないのですが,筆者の知人が「家を買いたい」とか言い出したので,自身が不動産に関する成書を100冊以上読んで学んだ限りの情報から「ちょっと待て」と言う為に,僅か15ページの本を99円(Kindle最低価格)で頒布する事と致しました.
浅井先生,南部貞雄先生,山本一郎先生,他諸先生方の御知見には大変お世話になっております.かく言う筆者自身は,少額の不動産を所有している立場ながら,今回の「一言結論」とさせて頂きました.今後とも石を投げつけられない程度にどうぞ宜しくお願い申し上げます.

Share

「撤退戦の最フロンティア@日本」の意味が違ったでござる,の巻

今世紀後半にも世界人口が減少に転じようとしていると聞いてガン萎えなブリザムです.

成長神話の先に待つものは 「人口と世界」まとめ読み
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB127PU0S1A710C2000000/

人類史、迫る初の人口減少 繁栄の方程式問い直す
人口と世界 成長神話の先に(1)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA021H00S1A600C2000000/

経済成長・高齢化・移民… チャートで見る人口減の世界
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB20E3K0Q1A520C2000000/

 

これまで,少なくとも私は,「日本の人口が減っても世界人口が増え続けている間はそっちに乗っておけばいいじゃん」的なポジションから,経済を中心とする社会の仕組みについて考え,ときに論じてきました.

そしてその上で,宇宙船地球号の持続可能性とかSDGsとかエコロジカル・フットプリントが地球何周分とか,ごてごてと素人並みに言ってきた訳です.

ところが,その前提となる「成長する社会」が,上掲リンク先にあるグラフの通り,「マイナス成長」に転じてしまうタイミングが,実は相当早そうだ,という事が分かってきてしまいました.
こうなるとまさに,先進国一同を超えて遥かにグローバルなレベルで,「撤退戦」の最フロンティアに日本国本邦が立っている,という文脈になる訳で,話のインパクトが全く違ってきます.
(そんなもんちょっと考えりゃわかるだろ,という方には私の話はレベルが低過ぎるかもしれません.しかし愚鈍な私は,そんな事に思い当たりすらしていなかったのです.)

2060年代というと,順当にいけば私は未だ生き延びているかもしれません.そしてその中で,「縮小に向かう世界」の容を目の当りにする事になる訳です.直感的には,本邦内の話として「1.29ショック」の爆風を顔の素肌で受けた時以来のイメージです.

この期に及んで我儘な事を申しますが,正直言って私は「撤退戦」などやりたくない.単に「宇宙船地球号の乗車率に余裕が残っている」状態での持続可能性とかを論じるくらいに,せめてしておきたいと思います.その為には例えば,向こう50年以内に完全人工生殖(技術的には出来たとして)を認める,といった「算段」なども含まれるでしょう.

幸か不幸か,今私は「フロンティア」日本国に身を置いています.その立場から,「未来ある」形での展望をしていきたい.ごく素朴に,そう思ったのでした.

Share

#少女漫画 雑誌 #ちゃお に #セクシュアルマイノリティ 取扱作品が登場

発売中の少女漫画雑誌「ちゃお 7月号」内の連載作品「こっちむいて!みぃ子」で,今月号所載分からセクシュアル・マイノリティの当事者にド直球で触れている作品があるとの情報を得て,実際に拝読したところ良作と見えたので,こちらに御紹介拡散申します.

なお,「ちゃお」はKindle版で購入する事も出来ます:
https://www.amazon.co.jp/dp/B0954CSZF8/

Share

遺産分割において不動産を共有とするのは愚策である

久しぶりに不動産相続登記方面の話を少し.

 

表題にもある遺産分割における不動産の分割ですが,個別の不動産を分割して「共有」状態とする事は,誠にお奨め致しかねます.一般論としては,もはや「予後が悪い」とまで言っても過言ではない程度の話です.

即ち、不動産は原則として一件あたり相続人一人の所有として遺産分割を行い,不動産を相続しなかった他の相続人(ら)にはその分をキャッシュや金融資産等で相続してもらう,というのが,推奨される原則となります.

ですから,資産家は何よりも,相続後の遺産分割に備えてキャッシュを貯めておく事です.

また,それでも足りなければ,言わば「不動産ローン」の形にして代償分割とするのが善後策でしょう.

 

実は,この後には更に,「不動産を相続した人に固定資産税が満額掛かる」という問題もが生じるのですが,そこは従前の「先代がキャッシュを作った方法」を利用する事が出来れば幸いでしょう.
また,そのビジネス方法が丸ごと他の相続人に引き継がれる事になってしまった場合には,別途不動産の固定資産税・都市計画税を調達する算段を考える事になりますが,もし当該不動産が自宅でなければ賃料で埋め合わせてもいいし,何なら思い切って売却を考える,という手もあります.

 

ちなみに,今更ながら筆者は宅建士かつ国家資格FPですので,この方面の御相談に応じる事が出来ます.筆者の他の職務に比して格安な金額で御提供できますので,もし何かお困りの際は遠慮なくnlimeblizzam[at]hotmail.comまで御連絡下さいませ.

Share

#クライシスサイコロジー 対応を #着手金 #20万円 に改める事としました #拡散希望

当方の職務における改正項目は表題の通りです.

こうする事で,各自治体の社協(社会福祉協議会)から最大20万円の緊急貸付を受けて使えるようになる為です.

本来はクライシスサイコロジー対応こそ無償で提供したいものですが,時間もコストも膨大に掛かるので,ギリギリの落とし所(今回の改正でいささか持ち出しですが)として対価を定めたい次第です.どうぞ宜しくお願いします.

Share

#アスペにやさしい東京大学 への途【後編】

前記事の続きです.引き続き,筆者の「社会的所属」歴を復習しておきます:

●幼稚園(2年保育)
 年中:女子
 年長:女子

●小学校
 1年生:女子
 2年生:女子→追放
 3年生:男子
 4年生:男子
 5年生:人外
 6年生:人外

●中学校
 1年生:男子
 2年生:男子
 3年生:男子

●高校
 1年生:男子
 2年生:男子→墜落
 3年生:東大組牽引/不登校

 

「第1志望に落ちたので仕方無く県立トップの高校に入学した」当初は,「何が悲しうてこんな奴らと机を並べて勉強せにゃならんのか」という態度を決め込み,高校1年次最初の1学期間は,同級生と殆ど会話もしませんでした.無論,交友関係が出来るはずもありません(中学3年次同級生のゲーマー仲間は他の職業科高校へ,知的障害生は地元企業へ就職となっていました).

中3次の高校入試模試で「満点から1点落とすと順位が27位まで下がる」事を経験していた筆者は,この高校で「とりあえず,この27位を防衛出来ればいいかな」と思っていました.
小学3年次から既習だった化学は1学期中間試験で当然の如く満点,しかし数学(試験2回)は難関でした.さすが在りし日の「理系の厚木」.
校内実力テスト(いわゆる校内模試)ではちょうど27位(/学年398人)で,「まぁ防衛したかな」の結果でした.ちなみに英語は1位で,「数学の厚高生は英語が弱点」と見切りました.英語の偏差値が80を突破するのは翌年度の事です.

高校でも当然の如く制服は着ておらず,3年次には「厚高は私服登校OKになったのですか?」と生徒会に保護者から問い合わせがあったそうです(知人の生徒会役員からこぼされました).
相変わらずトイレは男子だし着替えはしない(体育も私服)訳ですが,なんか最初から目立ってたらしく,入学者説明会(3/18)には上級生が既に「あいつが入学してくるらしいぞ」「学附面接で落ちたんだってー」と噂していました.(※実際には東京学芸大学附属高校の合否は「ほぼ学科筆記で決まっている」そうで,そうすると筆者は「数学があと小問2つ解けていれば受かっていた」程度だったという事になります.)
また,学年教諭陣の間で,「生徒指導委員会」「美化委員会」等と同等の位置付けで「ブリザム対策委員会」が設けられていた事が,3年次に他クラスでバラされました.理由は,「あいつはボコられるのではないか」という事が主眼だったようで,生徒指導部の教諭から身に覚えのない呼び出しを受けて「最近何か無かったか」と頻繁に訊かれたりしていました.

高校1年次1学期の内申点は,学年5位(10段階評価13科目で113/130点)でした.ここでも半端に優位に立ってしまった事が,後に筆者の運命を分けていきます.
初回の進路志望調査では,祖父(町医者でした)の後を継ぐ事を考えて「東京医科歯科大学」と書きました;「東大理三は流石にキツいだろう」くらいの感覚です.

 

1年次の文化祭では,クラス代表がなかなか決まらず,もう1つの責任者ポストであった「会計長」を筆者が先に引き受けて,クラス代表者は審議継続,という形でスタートしました.
責任者集会に早目に集合して待っていると,入学当初から教室の角でゲームの話をしていた同級生が,学ランを着てやって来ました.

「君なの?」

これが,私が高校でクラスメイトと話した最初の発話でした.

このクラス代表とクラス全体の不仲や,先輩も含めた学園祭実行委員会での態度なども大概でしたが,筆者の居たクラスでは,彼がラジオのクイズに全問正解して「クラスに賞金10万円」を獲得したので,最終的に「文化祭で赤字を出したのに全員に2322円が分配される」という,珍事態になりました.このとき,割り切れずに余った6円は担任に謹呈したのですが,この担任は後(我々の卒業後)に痴漢(手鏡スカート下覗き)で捕まり,余罪100件で免職となりました…;同期の間では今でも「黒歴史」と呼ばれております.

 

高校2年次ではクラスがだいぶ分かれて,先の1年次クラス代表とも別クラスとなりました.ところが,彼は1年次末の「学園祭審議委員会」(来年度の実行委員会へ向けて企画を立てる委員会)に呼ばれてバカ正直に委員となっており(呼ばれて行った1年生はたった5人でした),しかも「一般生徒質疑応答会」に出席したのは筆者一人とあって,翌年度(高校2年次)の「高校全体学園祭実行委員会」は結局,この審議委員会と,巻き添えで引っ張って来られた筆者のようなポジションの人材で構成される事になります.ちなみに1年次のクラス代表の彼は,翌年度には学園祭全体の実行委員長になりました(苦笑).

という訳で,高校2年次はおおよそ学園祭実行委員会の思い出で埋め尽くされましたが,そんな中でも「英語でトップを取ったら数学のトップを紹介してもらった」などのエピソードもありました.彼らを集めて,後に筆者は「東大組」を組閣する事となります.この時のスローガンは「我が校から東大10人」でした(直近年の最高は9人,年によっては3人程度で,2桁には届かない状況が続いていました).

 

さても,この学園祭総合実行委員会が問題で,内部では「優等生同士の恋愛ごっこ」(分かる人には分かるであろう,稚拙から始める上にエグいやつ)が続いていました.文化祭が終わった翌日,実行委員長は同期の委員と”正式に”交際を始めました.
このとき,筆者は「親友を取られた」と感じた訳ですが,体力的にも「男子部に居る限界」を感じ始めていた事と相俟って,うっかり彼女持ちに惚れ込んでしまいます.筆者の「男子部」生活は,ここであっけなく「墜落」して終わりました.その後,筆者が「男子部」に復帰する事は結局今に至るまでありません.

周囲の女子は(恐らく「勝てる見込みが無い」と分かった上で)「応援」してくれていたりしましたが,当の彼女さん(元委員会同期)との仲だけは険悪で,「私の彼に近付かないで!」まで言われました.もう1,2歩くらいで「上履きに画鋲」どころか「どっちかが相模川に浮かぶ」くらいの空気感でしたが,結局その後筆者は彼から正式にお断りされ,「あまりいじめないでやってくれないか」と言われてしょげる事になります.(なお,彼らは後に結婚し,現在ではお子様もそれなりの歳に育ってきています.)

ここへきて,筆者はようやく「あぁ,女子部の方が包容力は高いんだ」と,初めて認識する事になります.何しろ,小学校後半は「人外」枠でボコられ,中学では「学年首席別格」で性別云々以前の好き勝手をやっていた訳ですから,実質的には「約10年ぶりの女子部復帰」という感じだった次第です.

 

高校3年次には件の彼と再び同級生となり,もう一人の実行委員会同期(その後も引っ張られて生徒会会計役員になっていた)とも一緒になりました.
しかし,筆者は「受験勉強が忙し過ぎて高校へ通っている暇が無い」という理由で,公立である事をも盾に,出席日数ギリギリまで学校へ行かず,ひたすら自習を続けていました(詳細は以前記事述).
ちなみに,高校2年次の12月には,時の担任(後に教育委員会へ引っ張られて行きました)に個別面談を申し込んで,「もう高校生と大学受験生の『兼業』は疲れました」と相談しています.この時,担任がもし引き留めたら学校を辞めてやろうと思っていたのですが,彼は「もしこれこれの状況になったら,それは君が本校を辞める時だよ」と丁寧に対応してくれたので,筆者は「一応籍を残す」という判断に落ち着いた次第です.

 

この高3次,理系クラスは43人中女子が5人という有様で,しかも筆者はどうやら女子の学年トップ(後に現役で東大文三に進学)から「ブリザムさんは怖くて話しかけられない」と言われていた,と同級生の女子(なぜか私の髪をショートにする事に3年間固執していました)から聞きました.
そんな訳で,「東大組」の組閣(休日もほとんど模試等で顔を合わせていました)は,実質的に「男子部の再結成」に近い形となっていました.

 

少し時間を巻き戻して:
高校2年次の9月,進路志望の「暫定確定」期日が迫っていました(往時文理分けは高3のみ).筆者は,「学者(東大理一)」と「医者」の二択で迷った挙句決めきれず,結局学園祭実行委員長だった彼にひっそり相談しました.

すると,彼は「お前を医者にしておくのはもったいない」と言いました.

「筆者を医者にするとヤバい,絶対やっちゃいけない生体実験とかやりまくるだろう」は誰でも言うところだったのですが,上述の一言は意外かつ強烈で,これを以て筆者の「学者ルート」が決まる事になりました.

 

その後も多々有るのですが,結局筆者は東京大学理科一類→理学部数学科→大学院数理科学研究科と進学する事になり,大学では体育の授業カードで「女」欄にチェックを入れなければ女子扱いにならない(往時),という事情もあって,ジェンダー方面ではおおよそ困る事はありませんでした(対人関係はともかく).
筆者のアスペルガー障害が判明するのは,大分後になって学部4年次の事です.自閉症スペクトラム指数(Autism Quotient)は46/50と,かなり重度でした(発達障害の判定基準は33/50,健常者の平均は21/50).

 

という訳で,以上3記事にわたって「いじめ」と「学力」と「発達障害」と「ジェンダー(性的少数者)」に関して,筆者の体験を追想しながら述べてきた訳ですが,ざっくりまとめるならばやはり「アスペルガー症候群該当者は可能なら学力上位(更に言うなら東大)を目指すと良い」「いじめは学力の威力で一掃出来る」「性別の壁はぶち破れない事はないが,セクシュアルマイノリティは暫定『女子部』に置いといた方がマルい」といったところでしょうか.

Share

#いじめ を #学力 トップで克服する【中編】

前記事の続きです.先ず,筆者の「社会的所属」歴を復習しておきます:

●幼稚園(2年保育)
 年中:女子
 年長:女子

●小学校
 1年生:女子
 2年生:女子→追放
 3年生:男子
 4年生:男子
 5年生:人外
 6年生:人外

●中学校
 1年生:男子
 2年生:男子
 3年生:男子

●高校
 1年生:男子
 2年生:男子→墜落
 3年生:東大組牽引/不登校

 

中学進学に際して,「このままではいじめられ続けるから,『どちらか』に決める必要があるだろう」という事で家族会議が開催され,中学校では「とりあえず男子寄せの方が問題になるリスクが少なかろう」というだけの理由で,長い髪を切って男子制服を作る事になります.着なかったけど.
尤も,もしあと1~2年前述の「いじめ」が続いていたら,筆者はナチュラルに死んでいただろうと今でも思いますので(自殺か他殺かはともかく),ここでの判断は「致し方無い」ものだったかな,とも思っています.…私感としては「人生最大の汚点」に近い向きもありつつ.

なお,ここでの中1次クラス分けに関しては,筆者1人だけを意図的に「小学校時代に関係の深かった生徒達から隔離する」,という施策が採られました.何で知ってるかって,昇降口の下駄箱や机椅子やロッカーに貼られている名前シールが二重になっていて,別の小学校同期男子(比較的近い関係で,かついじめっ子ではなかった)のシールが下に透けてたんだもの:「直前になって慌てて調整した」小中学校連携学校当局の動きが見え見えでした.そして後までいくと結局,筆者は中学3年間ずっと,生徒指導主任担任の下に監視され続ける事になります.
中学高校で男子トイレを「合意の下で」使っていた事例って,筆者と青木志貴さんくらいじゃないでしょうか.椿彩奈(旧名:椿姫彩菜)さんは「幼稚園以来一貫して女子」でしたし(処女作「わたし、男子校出身です。」参照).
また,「着替えが問題になるのでは?」というお問い合わせなども頂きましたが,ずっと体操着しか着てない(着替えない)から問題になりすらしません.あと超太ってたので(体重80kg超,3サイズ全部メートル単位),体型面でも外から見て性別とか分からないレベルでしたし.

 

そして,運命の「1学期中間テスト」を迎えます.

出身小学校から中学受験組がごっそり抜けたとは言え,中学では4小学校からの流入だったので,「学年210人中まぁ20番くらいいけばいいかな」くらいに思っていました.なお,筆者はこの時点で「試験は授業でやった事の中から出題されるのだから,原則満点が当たり前であり,いっそ0点満点の減点方式(不正答はマイナス点)とし,かつ常に抜き打ちにすべきだ」という自論を頑なに持っています.

9教科のテスト結果は各教科素点と合計点が表示されて返却され,その後の個別担任面談で「十番単位で順位が伝えられる」仕組みとなっていました.筆者の担任(生徒指導主任)は「十番以内」とにこやかに伝え,それ以上の事は教えてくれませんでした.ちなみに,筆者の合計点は満点の94.6%で,「勝負科目」と位置付けていた英語が99点で机蹴ってた憶えがあります.

ところが,ここで隣のクラスの担任がやらかします:上述のルールを破り,英語満点の女子に「学年3位」と伝えてしまったとの事で,「では1位は誰か」となって「ブリザム」と勝手にバラされる流れが,場外戦で勝手に発生していました.斯くして,筆者は「ブリザム学年トップだったんだってねー」と,小学校同期と顔を覚えたばかりの新参同期生の混ざった数多くの同期生から,廊下ですれ違う度に「真実を告げられる」事になります.隣の担任,グッジョブなのかやらかしなのか.

そしてここから,筆者に対する周囲の目が変わります.「中学に入ると学力の威力がここまで大きくなるのか」と,背筋に新たな認識が走った感覚は,今でも憶えています.

ゲーマー仲間は中学受験で私立に行ってしまったので,中学1年次は結局「友達」は出来ませんでしたが,いじめ暴力とかそういう概念は一掃されていました.授業で「二人組作ってー」の際には,おおよそ「微妙な男子」が余ってるのを見つけて「私も余ってるから組んで」と頼むような具合でした.
むしろ難関だったのは部活動で,コンピュータ部に入部届けを出したのですが,「君は問題起こさないか」「問題って何ですか」「例えば,フロッピー食べちゃうとか」と,顧問(学年主任;生徒指導主任よりはるかに怖かった理科教諭)に面接で確認される始末です.仕方が無いので「機材は一切食べません,飲食料持ち込み禁止なのでコンピュータ室では飲食一切しません」と誓約して,何とか入部する事になりました.
ちなみに,この時新たに出来たゲーマー仲間が,その後●十年来の付き合いになっていたりします(基本的に事実上の「男子部」で,女子は3学年合計でも片手に満たない程度の人数でした).

 

中学2年次になると,クラス替えの結果,学年内でも既に有名だった知的障害生(男子)が同級生になりました.お互い「余る」ので,必然的に授業で毎回「組む」事になります.更には,隣のクラスに部活のゲーマー仲間が入ってきて物理距離が近くなったので,休み時間にはいつもゲームの曲(※歌詞は付いていません)を廊下の端で歌っていました(以前記事でも述べたエピソード).
この頃までには,「学年トップは制服着ないでも許される」風潮が生徒教諭双方間に浸透し,筆者は「学年の雄」の立場を勝ち得る事になります.そもそも,無理矢理「男子寄せ」して生活していたので,学校当局もなかなか強く言えない様子で,筆者はその恩恵をのうのうと全面享受していました.なおアスペルガー障害は往時も健在です(※後の発覚).

また,筆者が「師匠」と仰いでいた幼稚園以来の同期男子が,「腕力」方面で学年コミュニティを事実上制覇していたので,筆者はその「参謀室長」という位置付けで,物理体力を含む生徒社会的にも強い立場を勝ち得る事になりました.ちなみにその師匠は学年最高身長で,強烈な膝蹴りを得意としていました.

 

そして,クライマックスの中学3年次がやってきます.
上述の部活ゲーマー仲間が同級生となり,知的障害生と私と合わせて「遂に魔のトライアングルが完成してしまった」と師匠に言わしめた,まさに「絶対結界」の最たるものでした.

この中学3年次にも,体育祭・文化祭両方総合優勝,合唱コンクール銀賞で「波動砲」と呼ばれていた筆者の大声は3年間最後まで遂に優勝に届かず,とエピソード盛り沢山なのですが,何と言っても皆のインパクトが強いのは,やはり「進路」でした.
ここへきて,筆者は再び「中学に入ると学力の威力が超優位になる」体感を再経験する事になります.

往時の県立トップ高校は模試でも常にA判定で,「まぁ余裕でしょう」とずっと思っていたのですが,中学3年次12月末の模試で「得点率総合98%」を叩き出し,偏差値75オーバーで国立東京学芸大学附属高等学校(学附)の合格率が60%を超えたので,年明け間際に急遽第1志望をこの国立に変更し,担任(結局3年間同じでした)に電話をして「国立受けたいんですけど」と言ったら「いいけど,まず受かんないよ」と言われつつも,「保護者の方に相談して」となり,両親に言ったら「やれるところまでやってみるがよろしい」という話になって,結果年明けギリギリで願書を母に取りに行ってもらって,まさかの国立受験となりました.
学校内では受験校は秘密にしていて,「受かったら言う」「早慶?」「いや早慶なんて遥かに簡単」などとごまかしつつも(往時早稲田って未だ男子校しか無かったんじゃないかな…?),筆者は初めて「受験勉強」を体験する事になります.この時の自分ルールは,「アニメは有り,ゲームは無し,疲れたらベッドに仰向けになっても良いが,抱き枕はNG」というものでした.夕食が出来ると妹が部屋まで呼びに来てくれるようになりました.

今更対応してくれる塾も無かったので(地理的にも遠かったですし),過去問を解いて1教科だけ点数が低かった数学を,市販の「最高水準問題集」で補強して,受験に臨みました.
ちなみに,筆者の持論だった「試験前だけ勉強するのはズルい」との信念は,「随時勉強しているなら論理的に整合性は成り立つ」に書き換えていました.

中学受験で私立にいった地元の同期から「過去問をやるといいよ」とアドバイスをもらい,過去問を徹底してやり込んで,「本番」に臨みます:

2/12(水)1次試験(筆記)
2/13(木)1次合格発表
2/14(金)2次試験(面接)
2/15(土)2次試験発表

2/13@世田谷区某所,結果はまさかの「1次合格」でした.この時点で在籍中学史上初となり,「歴代首席」(往時,但し6年後に抜かれる)が確定しました.教諭陣も流石に全力バックアップ体制となり,「我が校の命運はブリザムに懸かっている」的な空気が漂っていました.

2次試験では「3対1面接」という激しい構図で,「趣味は何ですか」「テレビゲームです」「では,好きなゲームのタイトルを3つ挙げて下さい」という,謎の緊張感で進んで終わりました.
発表が次の日だったので,聖書を読みながら回数券で世田谷まで向かいました.

2/15,2次試験の番号は無し.
「解禁」とばかりに,高校最寄り駅の前にあったゲーセンで格ゲーを1本やって帰りました.
中学は午前日程だったので,地元に帰ったらギリギリ校長先生が帰途につこうという所でした.
「不合格でした」「お疲れ様」という報告で,校内に辿り着いたら担任は未だ居たので,「仰っていた通り,まず受かりませんでした」と正直に(アスペルガークォリティ)言ったら,「何を言っている」と返されました.お前が年末に電話で言ってたんじゃないか.

 

反応が凄まじかったのは,週明けの2/17(月)です.翌日2/18(火)に県立高校一斉入試を控えていたタイミングで,筆者は自宅ゲームも解禁して呑気に遊んでいたのですが,生徒の反応が異常でした.結局「受からなかったけど高校名はバラした」訳ですが,大半の同期生が受験する県立高校入試を控えて,筆者の元に「どうだった?」というインタビューが,学校から自宅までの帰路に至るまで殺到しました.尚,訊いてくるのはほどんど女子.「現実主義とは斯くあるものか」を体感しました.

翌日の県立高校入試は余裕の英語数学満点,5教科総点96%.翌2/19(水)の新聞朝刊で自己採点をして,中学に登校してライバル(同じ高校)と得点照会.一部記述問題も有ったので,筆者は「最低でも94%」,相手は「最高でも94%」,「じゃあ私が勝ったな」でした.なお,県立高校の合格発表は,合唱コンクール(3/1)明けの3/5.入試制度変更初年度に伴う,異例の長期間空き合格発表でした.

 

3/10の卒業式で制服脱ぎ捨てて体操着で卒業証書を受け取った唯一の卒業生となりましたが,10年後でも全然伝説は語り継がれていて,しかも後に高校で同期生となる他市出身生から「高校でもやるの?」と訊かれるなど,香ばしい話題には事欠きません.

なおここで(後に判明する)重大な問題がありまして:
国立「第1志望」不合格で,すっかりやる気を無くしていた筆者は,高校の性別欄も「もうどうでもいいから中学と同じで」と書類を親に任せて提出してしまいました.この時の「判断の至らなさ」が,進学1年半後に炸裂する事になります(次記事に続く).

Share

#セクシュアルマイノリティ は暫定「女子部」に入れとく方が一応マルい,但し #発達障害 とは非常に相性が悪い【前編】

「#14歳の栞」観賞が尾を引きずっているブリザムです.SNSでプライベート連絡を交友関係各方面に送ったら,女子からしか反応が無ぇでやんの.

 

さて表題の件ですが,一応私は「両方」を通ってきている立場としての経験から述べたものです.意味は字面そのまんまで,「女子部」の方が包容力は高い,と一般論としては言えます.
だいぶ昔の話になりますが,「金八先生」で上戸彩さん演じるFtM(物理女子,脳ミソ男子)の生徒が相応の「受容」を勝ち取っていた構図を思い出して頂ければ,何となくお分かり頂ける向きもあるかもしれません.

但し,コミュニケーションに失敗してその「女子社会」から弾き出されると,「帰る場所」が無くなって最悪の場合地獄を見る事になります.というか筆者は見てきました,体感で.

 

筆者の「社会的所属」歴を時系列で概観すると,以下のようになるかと思います:

●幼稚園(2年保育)
 年中:女子
 年長:女子

●小学校
 1年生:女子
 2年生:女子→追放
 3年生:男子
 4年生:男子
 5年生:人外
 6年生:人外

●中学校
 1年生:男子
 2年生:男子
 3年生:男子

●高校
 1年生:男子
 2年生:男子→墜落
 3年生:東大組牽引/不登校

以下,参考情報記事として,順を追って説明していきます.

 

幼稚園はそもそもトイレとか着替えとか区別も何も無いので,別段大した問題は起こりませんでした.入園初日に教室内で男子同士が殴り合いやってるのを見て相当ビビりましたが,基本的には本読み(それも「図鑑」とか「交通の教則」とかのレベル)のオタクだったので,男子部から喧嘩を売られる事もなく,女子部のコミュニティ問題を起こす事もなく,おおむね平穏に生活していたように思います.当初は次代当主として育てられていたので(婿取りアリ養子アリの家柄でした),むしろ家庭の教育の方が厳しかったかもしれません(?);とは言っても,母親が「中の人男」で,下に妹弟が生まれる度に母方の祖父母宅へ預けられていたりしたので,こちらも然程大きな「負傷」などする事なく育ちました.

結果としては,何しろ「男子並みの荒さがない」ので,年長組になるとおままごとにも誘われるようになります.役柄は「アイスくれる近所のおじちゃん」でした.覚えてるかえーちゃんなっちゃん.

 

そして,そのまま持ち上がって(おおよそ卒業生は4小学校に分散),小学校も「女子部」スタートとなります。理由も上述と同じです.

しかし,このあたりから「問題」が顕在化し始めました.元々,冷静に考えると幼稚園年長時から「やる事が無くなって」変な試行錯誤(紙とか砂とか食べてみたり)に至っていたのですが,小学校1年次はそれが最速化します.「廊下に立ってなさい」の受刑回数はクラス断トツトップで,しかも教室の外に出ても喜んで奇声とか上げているので(授業が簡単なので追い出されても問題は感じなかった),担任から何度も平手を浴びました.

更に,担任ごと持ち上がりの2年次には女子部内でも「嫌がられる」状況が発生します.今にして思えばアスペルガー障害の典型なのですが,何しろコミュニケーションの距離感がおかしかった模様で,「占いごっこ」の一環として「縁切り儀式」を数人の女子から迫られます.えぇ,ハートのカードをハサミで切りましたよ,何枚も.
学年修了までには,「女子部から追い出されたけど男子部にも所属していない,学業成績は良いけどコミュニティの無い人」が見事に出来上がっておりました.

 

斯くして,居場所の無くなった3年次には,「男子部寄せ」で社会的処理が成される事になります.なお,行政登録とかどうなっていたのかは今でもよく分かりません.トイレは6年間「両方使用」でしたし(※但し学年で筆者唯一).小学生の間は,たしか男子部と女子部でケンカした際には「トイレに逃げ込む」という聖域戦術があったのですが,私にだけは効きませんでした;なんか知らんけど当時の小学校当局からもお咎め無しでした.

その後の小学3~4年次は,概ね「中学受験組並みの学業成績」と「ゲーマー」というポジションで「居場所」を作っていたはずです.筆者にRPGを薦めてきたゲーマー仲間の男子が,後(10年近く後)に「お前は絶対に強くなると思ってやった」と述懐していました.実際,後の中学時代にRPGで全国ランキングに2種乗ってるので,まぁそれなりといったところでしょうか.

 

しかしながら,小学生男子の社会ヒエラルキーというものは,おおよそ「50メートル走のタイムとドッヂボールの強さ」で決まっているものでして,そのゲーマー仲間とクラスが分かれてしまった5年次には,「男子部」における社会的位置付けが無くなってしまいました.
さりとて,女子部に「復帰」を申し入れても拒まれてしまい(何しろ,2年次以来の「気持ち悪いキャラ」の記憶は皆の中にバッチリ残っていましたので),いよいよ学校社会全般において筆者の居場所は無くなります.

そして,ほどなく「いじめ」が始まるに至ります.いじめと言ってもその内訳は大半が暴行で(今にして思えば性犯罪レベルを含む),端的に言えば「廊下でブリザムとすれ違ったらとりあえず蹴る」などといった有様でした.担任の居ない休み時間に,教室の角で男子に囲まれて下着まで剥かれて女子は誰も助けに来ない,という仕様でしたが,なぜかここで性的な意味でのダメージはさほど負っていなかった模様です;そんな事より,太腿に着火後のライターを押し当てられたり,腕を爪で掴まれて今なお残るレベルの傷を負ったりという,純粋に「痛み」の方が苦痛でした.
この段階までに,筆者は「親も教員も頼るに値しない」という実情を,身をもって悟る事になります.同クラス内別件の男女間「DV共依存」問題には児童込み会合を何度も開いてくれていたというのに.
なお,この時点では中学受験組が学力上位を席巻しており,筆者の成績は学年103人中ギリギリ十傑に入るかどうか,という程度でした(次記事に続く).

Share