「匿名世界」側で棲み分けた結果として,彼等匿名者の生活の有り様は如何なるのか

以前の拙記事( http://www.educationbusiness.jp/2016/03/10/顕名と社会的責任の所在と,経済活動生産性につ/ )に関連する論題として,直近に苫米地英人博士があらためてTwitterで指摘されていました(御本人は「既述の論」とされていますが,今回の述べられ方が端的にも分かりやすい説明になっていると見えたので紹介します):

ここで,苫米地博士は「棲み分けるべき」としていて,あくまでも匿名活動者を「焼き払う」ような含意はひとまず無いと見えます.此の点,冒頭リンクの以前拙記事で述べた私見の方向性とは,少なくとも直ちに対立する論点内容では無く,何らかの「共通の指向性」を見据えた大局論は成立しうるものと思っています.

しかし他方で,同じく指摘されている「責任」の存在については,これも以前拙記事で触れていた通り,現状の「匿名活動」には何ら「責任の所在を確保し明らかにしておく算段」の目処が立っていないと見受けられる旨もまたなお否み難く,もっと言えば「本気で社会的責任を自身が引き受ける意思を有するのかどうか」といった点にさえ,疑念を隠しきれません.

個人的には,匿名世界の「住人」達が,実名世界から切り離された「棲み分け先」(苫米地博士の提言通りに社会的「実装」が成された段階での意)において,果たしてどのような「生活」を送る事になるのか? という点は気になっております.

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