【重要追記有】「射幸性」は果たしてソシャゲの本質的な問題点そのものなのか

先ず,そもそも「射幸心」の定義として何を基準に参照したらよいのか,という点からして問題となる訳ですが,ひとまずWikipediaの該当記事を確認しておきます(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%84%E5%B9%B8%E5%BF%83):

>人間の心理として「幸運を得たい」と願う感情の事で、その心理的な欲求を抱く状態
>しばしば「幸運によって他人よりも幸せに恵まれたい」という心理状態をも含む。

なるほど,定義はこういう事らしい.

そして更に,次のような議論も既知だそうです:

>射幸心と賭博行為は密接な関係にあり、

こちらは最高裁判例によるとの事.

ここで,当サイト今回記事後段の議論と関連する点としては:こと「萌え産業」自体についての話は,一言も触れられていないと見えます.

 

さて,それではあらためまして,今回本題の参照記事を紹介します:

ゲームにおける「射幸性」は何が問題なのか
山本一郎×日高裕介 ソーシャルゲーム対談(後編)
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/279975/040400002/?n_cid=nbpnbo_mlp

当記事では山本さんの言として:

>その中でユーザーさんは、より強い武器やアイテム、キャラクターが欲しいと願い、1回、300円のガチャを回す。このくらい引いたら出るだろうと期待して、頑張って引く。出ませんでした。じゃあ、出るまで頑張ろうとなる。少ない金額でそのアイテムが当たるかもしれないという期待を抱かせる。これが、射幸性なんです。

とありますが,「少ない金額で当たるかもしれないという期待を抱かせる」事と,「じゃあ、出るまで頑張ろうとなる」という事とは,法制度に落としこむ際に結果評価(数理的モデルが出来る場合にはその形状構造をも含む)としてはたとえ同じになるとしても,そもそもユーザーがプレイを始める際の入口の「動機」のメカニズムとしては,一般にその原理メカニズムは必ずしも異なるのではないか?という点が,気に掛かる訳です.
勿論,此の論点の所在自体は今回記事対談内でも承知とは見えて,例えば直後の段落でも:

>まずは出現確率の表示をしなければ射幸性は制限できない。それって最低限の話で、「その確率だったらそもそもやらない」という人がいるかもしれないですし、「それでもやるんだ」という人もいるかもしれないですし。

という形で,一応の言及自体はきちんとされています.但し,その先を深く突き詰める論は,今回引用記事の範囲では見当りません.

 

他方で,私は個人的に,「ソシャゲはそもそも商売として何をやっている事になるのか,それをどう理解すればよいのか」という観点から,関係者らと非公式に会合の機会を得て,意見交換や議論をしてきています.

その中で,暫定結論の一環として:
「カネが懸かっている事」と「萌えゲーという属性」とは,相性こそ悪くないのかもしれないが,一般論としては別の話ではないか
という論題もが出てきている事については,少なからず重要な観点と認識しています.

すなわち,「ギャンブルとしての射幸性」と,「萌え媒体がその本質的特性として有する顧客誘引力」というのは,少なくとも話の発端としては「別の事」なのではないか,と,誠に荒削りな試論ながら一言指摘する次第です.

もう随分前の事ですが,パチンコ・スロット業界が,いわゆる「二次元萌え的媒体」を商売の一角に取り込んだ際,当初は恐らくかなり慎重に「導入」を進めていた,と傍目にも見えます(初期タイトルに「海物語」などが著名かと).
その後,同業界はアニメコンテンツ等の権利を積極的に獲得し市場投入していく道程を造り進めていく訳ですが(このあたりで「純然ギャンブル好き」と「アニメ絵好き」の顧客層は,重なりつつも両方取り込む形になっていたはずです),他方では,更に数年下って,「パチンコ・スロット産業の顧客層がFX(為替証拠金取引)に流れた」との報道も聞き及んでいたところです.後者の報道について,統計調査等の裏取りは確認していないのですが,ごく素朴に考えても,「ギャンブルファンと二次元萌えファンは両立なり共存し得るかもしれないが,純然ギャンブルファンに対して,例えば『二次元の魅力』で顧客として吸着し続ける事は必ずしも成り立っていない」という構図は見て取れます.

そして,この二軸的な観点からすると,モバイルゲームの課金ユーザーのメンタリティというのは,直感的にはあからさまに後者です.即ち,あくまでも先ずは「二次元のキャラクターが可愛いから」お金を払ってでもプレイする(勿論,その背後には「無課金組」も相応割合で存在する)のであって,ギャンブルとか法規制ライン的な意味での「射幸心」とは,人間の精神・脳機能の内訳からして,メカニズムがちょっと少なからず異なるのではないか,と考えられる訳です.

当記事の前段でも一度触れた通り,課金額やその内訳方式といった「結果」として出てくる際には同じ事だとすれば,法規制をはじめとする社会的合意形成ライン策定のための論議において,まず「射幸性」というキーワードから定量化が模索される事自体は当然でしょう.それらに関しては,既に動いていらっしゃる識者の方々等に,ひとまず仕事をお任せしたいところです(私自身が供せる議論はそう多くないでしょう).

しかしながら,上述の理屈がメカニズムとして成り立っているのであれば,たとえ「射幸心」側に十分妥当な規制ラインが引かれようとも,「萌え誘引力」に惹かれるユーザー層の行動源泉の本質に対しては,なお殆ど全くの「青天井」状態がそのまま継続する可能性さえ残ってしまいます.
そしてこの論点は,「射幸性」対策として何らかの規制ラインを策定するに際しても,そのラインの「妥当性」を考える上では,本来は考慮が必要な因子にも違いないのではないか,と思われる訳ですけれども,単に定量化が難しいのか,あるいは憲法・人権レベルの話まで踏み込むのがあまりにも規模の大き過ぎる話だからなのか,…正直,私の目から見えている限りの現状を,どう認識理解して落とし込んだものか,未だはかりかねているところもあります.

 

【重要な追記】
本件で引用した元記事著者のお一人である山本一郎さんが,取り急ぎ追加解説記事(事実上の拙記事への返信を含む)を迅速に公開されました:

「射幸性」はソシャゲの本質的な問題そのものです
http://lineblog.me/yamamotoichiro/archives/5198079.html

先に引用した対談記事では詳細に触れられていなかった話とか,更には参考文献の御紹介まで頂いて,速報的ながら至れり尽くせりの内容と見えます:浅学の典型たる私も,この頂いた端緒情報を元に知見改善に励みたく存じます.

また勿論,拙記事本文に対しては「人間の生物学的構造をハックする仕組み云々より以前に,先ず法制を含めた社会的合意ラインをシロに着地させていく算段の方が,重要度優先度としては高かろう」という,当り前のお説教をあらためて頂戴した感な向きもあるのですが,御蔭様で現状の「事の重大さ」は直感心理レベルでなお一段良く分かりましたので,こちらも「社会との接点におけるバランス・優先順位」という事を含めて,あらためて反省し考えたく存じます.

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「【重要追記有】「射幸性」は果たしてソシャゲの本質的な問題点そのものなのか」への2件のフィードバック

  1. ギャンブラーはなぜギャンブルを通じてお金を得たいのか。高額当選であれば、そこからステータスを得たいのであり、日ごろの自分では味わえないような贅沢をして幸福感に浸ったり、自己肯定感を得たり、友達にドヤ顔を決めるのが快感ということなのかもしれません。一方、ソシャゲの仮想世界の中では、ウルトラスーパーレアの萌えキャラを所持していることは、すなわちステータスであって、無課金ユーザからしたら自分には味わうことができない贅沢の極みであって、それを所持している人は自己肯定感に包まれ、ほかのユーザに対してドヤ顔を決めることができます。貴殿は、ギャンブラーの射幸心と、ソシャゲにおける射幸心を区別して切り分けようとしていますが、上記のように考えれば、本質的には同じことではないのかと思います。お金をたくさん持っていることが現実世界におけるステータスならば、USSRキャラは仮想のゲーム世界におけるステータスそのものです。ソシャゲのゲーム世界の中では「萌え媒体の顧客誘引力」(=そのキャラが可愛いからどうしても手に入れたい)だけでは説明できないような、その仮想世界内だけで通用する価値観の限定が生じています。パチンコなどで、借金まみれになって人生が終了する人がいる一方、今後はソシャゲで借金まみれになって人生が終了するケースが出てくると思います。仮想世界に没入しきっているユーザにとっては、それは現実世界とほとんど同じだからです。

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