「プロトコル」を気にしていく内にピクトグラムに行き着きまして(今更ながら),そうするとピクトグラムの”元サンプル”を探して,人の集まる場所に行って眺めてみたりもする訳でして,勿論ランダムサンプルを採る気はない(さすがに統計収集に任せる)ので,一応は「何がしかの御題目」をもって集まった人々を見る事になるのですが,
パターンが多過ぎてよく分からない…
おそらく此の状況は昔(遅くとも5歳とかそのくらい)からそうでして,「相手の属性」が不明だからずっと観測データを取り続けて「辞書通読暗記」状態になって,そして当該「暗記」がそろそろいいかな,と思ったあたりで話し掛けると相手が計算コストで吹っ飛ぶ…といった顚末を,幾度も経験してきたような気がします.
「御挨拶的な日常会話を一切しない,本題から入ってずっと本題の話だけし続ける子」と指摘されていたのもそのくらい若い頃以来だったかと存じますが,近年だいぶいい歳になってからあらためて他者間の話を聞いていると,「自分の事しか言ってない」のはむしろ大半であって=多分仕様と見えて,そうすると「特段意味の無い御挨拶」が成立しうる理由がそもそもよく分からないのですが….