「段差」を解消する意識のありよう

ふと気づいてみると,Google検索キーワード「住民票 性別」で当サイト記事(http://wp.me/p6S43T-3E)が1位になっていたのですね.もう1年近く前に書いたこの記事は,私自身の”失敗談”反省をも含めて,法制度の振り返りと「手続き的実用」の方法技術御紹介を合わせた内容でして,端的に言えば「社会制度を(必要なら論議も含めつつ)適確に活用して,各個人当事者本人が主観レベルでも納得いく形で,不満不足無く活動していく事が出来る為の一助となれれば」と思って公開したものです.

ちなみに,検索キーワード「健康保険証 性別」だと未だなかなか拙記事は出てこないのですが,上述記事の「健康保険証バージョン」も実践的成果報告&方法論(=「使い方」)込みで本年1月に公開しています(http://wp.me/p6S43T-6t).こちらの記事では特に,従前の厚生労働省見解にあった「やむを得ない場合」という点に切り込んで,制度利用者の立場からは「より強い」主張もが認められうる旨を,私自身の実例をふまえて紹介している事が特徴かと存じます.

 

私自身の立場としては,次のように行政対応が「当初」時点から,性別欄を言わば「特記事項」的な扱いとしてくれれば,当事者としてなお「楽」になるのではないか,と思っているところですけれども:

申請書・証明書等の性別記入欄および性別記載を廃止しました
http://www.city.iruma.saitama.jp/todokede/tetsuduki/seibetsukisai.html

 

さて,斯様に当サイトは「教育」を看板に掲げつつも,実際には活動の相当割合を「性別欄の不記載,ないしは欄自体の抹消」といった方向に割いてきている訳ですが,此の本来目的は何だったか,とあらためて考えてみますと:

一言でいえば,「無用な『段差』の解消」という事になるのではないか,と思います.

性別欄を非公開なり廃止としたい人の大多数は,本来別に人権活動家(Activist)などになりたい訳でも何でもなくて,単に何がしか自分が(特に社会的に)活動したい際に,ともすれば「障壁」となりうる性別欄の存在を,そのタイミングで出て来ずに済むようになっていて欲しい,と思っているだけ…なはずではないでしょうか.

性別欄の存在やその内訳(例えば「2択」)に,何ら違和感をおぼえず,用意された欄のままに記載に倣う事に異論無い人達(統計割合上の大多数…参考拙記事:http://wp.me/p6S43T-4l)にとっては,本当に「何でもない事」なのかもしれませんけれども,こと統計上少数の「思い当るところがある」当事者においては,このちょっとした「段差」が,自らの社会的生存を脅かしかねない因子として,立ちはだかる構図とさえ見える状況が,しばしば発生存在している訳です.

 

自他共に「人格に比して医学特性に恵まれている」との評を享受しつつ,「性別認識は人類最大の偏見ではないか」などと公言してやまない私ではありますが,今回もあらためて述べているところの「本来何がしたいのか」という意味では,必ずしも常日頃から男装なり女装なりといったコスプレをしている状態を続けたい訳でもありません(と言うより,今現在は男装も女装もあまりやる気ありません:無論,社会的立ち居振る舞いの意味も含めて).

今更ながら,「心のバリアフリー」といったキーワードをも「私自身一人称視点での意味」として捉えた上で,本来やりたい事を見据えて,そのために必要なら社会的活動をも随時行っていきたいと思っています.

…とりあえず,「色のついてない車椅子マークのトイレ」の扉に「健常者の使用禁止」と貼り出していた某公共施設は許さんですが.

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