「見てから走る」出来合いロールモデル採用,という方針の限界について

山本一郎さんの物議記事(※内容は至って真っ当です:御一読推奨)「不幸の連鎖、男性の3人に1人「生涯未婚」時代」( http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/16/022700044/032900003/ )で広範に触れられている各論についての異見と,こだまさんの話題書「夫のちんぽが入らない」( http://www.fusosha.co.jp/special/kodama/ )の背景に透けて見える重大な社会構造的問題との,「間」を埋めるべく持論を展開したいと思っているのですが,solutionと言い張れる程度の着地点が論として未だ今一つ見えた気がしないので,端的に箇条書き風味キーワードだけ提示します:

 

それは,「ステレオタイプ的ロールモデル」がとっくに限界を迎えている(そして其の瓦解しつつある様が見え始めている)のではないか,という事です.

 

数学的に言ってしまえばそりゃ当り前で,既知の定型化された「目標」に向かって人生を注いで走ったとしても,運ゲーとしてさえ決して分が良いとは言えない部類ですし,逆にもしそんな事が成り立つのなら「イノベーション」は発生し得ないという事になってしまいます.
或いは,此の中間で「三十年逃げ延びれば自分の現世は勝つる」と踏んで,手堅い国家資格者のようなプレイロールに賭ける,といった”選択”判断も有るのかもしれませんが,それこそ「国家百年単位の未来先食い」への加担助長どころか戦犯本丸に他ならないのではないでしょうか.

職務上近しい分野から例を採れば,今年も東京大学合格者数ランキングは盛況の模様ですし,おおたとしまささんの近著「習い事狂騒曲」( http://toyokeizai.net/articles/-/161822 )も,直近の時勢需要によくマッチした切り口と存じます(かく言う私は発売前予約で購入しながら未だ積んでおります…目次周辺と,上記紹介リンクの東洋経済記事だけ概観しました).
その最中では勿論,私自身も「逆転合格」の御旗の下で,一見して勝ち組エリートコースへの道程を提供している…かのように見せかける商売を担っている訳ですが,実際には密かに「その前提が壊れた場合に耐えうる教育」をもプログラムの一環として織り込んでいます.なお此の指針原則は,恩師平野弘之先生から学んだ事そのものです.

 

「100年先の未来へつながる展望が見えない事にアクセルを踏む気には到底成れない」などと言うと,「其の手前の50年の国家単位システムが財政の一面でさえ危ういと指摘して居るのに,御前は何故足元浮かんでおるのじゃ」と斬り返される事鮮やか必定残当かもしれませんけれども,本邦の先人達(典型例が官僚にも多く見られます)は実際に「100年単位」の計画を作り進めて結果事を成してきた向きも多分に有る訳でして,往時の「見通しの難しさ」や「リソース面での厳しさ」等々を推察するに,現代後輩の我々が論議に挙げている題など些細に見えかねない程度の桁違い感ではないか,と素朴に思う次第です.

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