教育において「財源が有れば出来る事」は果たしてどの程度か

最近も幾つかの文教系会合で末席にしれっと入っておおよそ正座しておったのですが,「相変わらず文科省系統は予算もってくる力が乏しいっす」と「現場教員は激務過ぎて死んじゃいます」との現状認識二大巨頭が従前知識を大幅アップデートな感じで見て取れまして,国政レベルで随時上がってくる報道タイムライン(主に最近のよろしくない方面話題)への留意と視線を分散させながら,頭だか腹だかよく分からないけどなんか段々痛くなってくる気分で,素人意見表明のタイミングさえ全部スルーした有様でした.
それ自体は単に「論題の箇条を作ろうとするベースとして採ってくる現場事例が筋悪下手過ぎるだろう」という斬り方でも済んでしまう程度の談かもしれませんが,こと「じゃあ『逆』は果たしてどれほどアリなのか」と思い起こしてみたときに,やはり「金を掛けたらイイ教育は出来るのか?」との一行設問にまで挙げると,一言でキレイに応える事は中々…いや到底難しいように思われる,と申さざるを得ません.

なるほど「金が無いと厳しい」は有るかもしれませんが,こと教育において,相応の「結果」に何よりも直結するのは,学習当事者(=教育の「享受者」)本人の「意欲」ではないか,と,私個人なりの職務経験の限り見えるところで,やはり思う次第です.(ところで全く余談ですが,今年で私の教育職経験がさる大台に乗っていた事に書きながら気付きました…)

 

そして,この「意欲」を支える重要な因子として「環境」もが効いているのではないか,という試論が,匿名ながら近日上がっていました(下記リンク記事).個人の人生遍歴譚なので安直な一般化は到底困難な内容も多く見えますが,他方では思い当るところある「構図」も垣間見えるかと存じますので,ひとまず御紹介:

高専・奨学金でなんとか高学歴?になって、感じた・思ったこととか
http://anond.hatelabo.jp/20170609081119

…ナルホド,「金が無くて厳しい」の一例はこういう当事者感覚か,とも見て取れます.

 

他方で,最近は教育分野でも御自身の経験(まさに真っ最中)を含めて記事を多数書かれまた大いに参照されている,山本一郎さんの論の中には,こんな一幕もあります:

子供の「好き」を未来の糧にする大学入試改革のこと
http://kodomomirai.com/column/education/1217.html

そうなると、子供の教育、コントロールというのはとっても大事になってくるように思うわけです。とりわけ、何に興味を持たせるか、あるいは持たせないかってその子の将来を左右するといっても過言ではない。というのも、例えば長男が「つくば宇宙センターに行きたい」というので子供三人連れて筑波エキスプレスに乗って宇宙観光にいくじゃないですか。こっちは宇宙の図鑑持って、ネットで太陽系を調べながらわくわくで向かう途中に、似た年頃の子供を抱えた一家が戦隊モノの資料を一生懸命見ながら時間を潰している。もちろん、好きなコンテンツに熱心になるのは悪いことじゃないですよ。でも、子供の教育と将来の生産性を考えたら、戦隊モノやアニメに時間を費やすことが子供の将来に良い影響を与えるんだろうか、と悩んでしまうわけです。目の肥えた良い消費者になることはあっても、そういう戦隊ものを参考にできるようなコンテンツ制作者にならない限り子供のころから培った目利きの能力が社会で役に立つ能力になるはずもない。

拙宅山本家だって、親が仕事で忙しいとiPad渡して好きな動画を見せてるときがあって、そうなると三人でドラえもん観てたりします。長男も次男も一時期は妖怪ウォッチにハマって、メダル集めてました。そういうものも好きで良い。ただ、未来に対して生産的になるであろう興味関心と、単に子供の消費者として時間をつぶすだけの代物とのバランスをどうとるのがいいのか、凄く、凄く悩みます。喉のところまで、そんなもの観てないで算数でもやれといいたくなる、それをグッと堪えて「ねえ、ドラえもんの映画はどうだったの」とにこやかに訊いたりします。次男が「タイムマシンを作れるようになりたい」と言われたら、すかさず地球の歴史は38億年あってね、みたいな話に振りながら三兄弟が「宇宙って神秘的だね、凄いね」って言い出す流れにもっていくという涙ぐましい努力が必要なんですよ。

同著者の他の記事を併せて読むと,大局としてはさすがに相当マトモな事を仰っていますし,親の務めの一として「期待値を上げる」企図にも臆面なく言及されているあたりには,世の中における当事者ポジション論客としての誠実さやバランス感覚をも感じます.

 

とはいえ,何度でも言いますけれど(こと「教育」分野において言及するに際しては),小学生当時に同級生から煽られて始めた某RPGがなければ,今の私は絶対に無い訳です.その後私が高校進学以降までRPGに人生時間の多くを投入する事になる傍らで,小学校生活半ばから塾通いを始めた級友の多くは,果たして所期の目的に比してそれ相応の成業に至ったのでしょうか.少なくともこと「進学実績」的基準に照らしてみた限り,私以外に同程度の教育水準まで辿り着いた同期は,通塾組の中にこそ殆ど見当りません.尤も,同様の構図は進学した先の地元公立高校同期を見ても指摘出来る事であり,そうすると「教育って何だっけ,一体何を出来るのか」といった,それこそ筋悪アホ過ぎる展開に陥るのかもしれませんけれども.

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