代議制に思う事

過日ご承知の通り東京都議選が行われまして,「あんなに面白そうな祭だったら私も予め都民権を取得しておけばよかった」と毎度の如く思う立場です.公職選挙が祭ポジションでいいのか,という論は以下で触れますが,其の「面白さ」の最たるは矢張り直接民主制ではないかと思いつつ言及します.

 

さて,その選挙戦の中でも,例えば公明党のポスターには「議員報酬2割削減」といの一番に大きく書かれてありまして,まさに「うちがやりました!」と正面から言っています.

で,実際公明党(候補者)に投票するかはともかく,此の端的な政策内容について,選挙権を持つ都民が身内に居たので訊いてみたところ,「税金減るのはいいねえ」との回答を得ました.

ここからが私の試論です.

その同じ人に,「ではあなたは,やおやさんの店頭で150円のリンゴを120円まで値切れますか?」と重ねて訊いてみたところ,「うーん…それはまず難しいと思う」との答えでした.

 

公明党の政策提言(そして可決に至らしめた都議会総体の働き)本来自体については,筆者は特段精査していないのですが,こと「やりました!」の報告ポスター文面を見る限りでは,「先ず代議士の(余計な)仕事を2割カットする」といった言及内容は矢面に立っておらず,あくまでも「報酬を2割減らした」という結果が主眼と位置付けられています.

…対価が2割減ったら,相対的に仕事が25%増えたのと同じ事ではないでしょうか??
あるいは先の例で言えば,4個600円のリンゴを2割値切れば,同じ600円でリンゴが5個買える計算になります.

 

これは大変イヤな予感がします.

当サイトでは,折に触れて「エージェンシー・スラック」「共有地の悲劇」「公正妥当な対価とは如何」といった,先人の知見により相応に確立されてきている概念をも参照しながら,斯様に「社会の形のあり方」について考えてきたつもりなのですが,こと代議士システム(間接民主制,公職選挙)に至って,「面と向かって値切れない相手にでさえも,『紙に名前を書く』(投票)だけなら特段の逡巡も無く出来てしまう」という事情が見えてしまったゆえ(上述エピソード),今更ながら空恐ろしさを感じ,頭を抱えるのみであります.

かかる事情は恐らく,俗に昔から「政治家の能力平均が有権者の能力平均を超える事はない」などと称される構造では済まないのではないか,と思われる由です:どちらかと言うと,アイヒマン実験の類の現象なのか,もしくはNIMBYみたいな括りでしょうか.
いずれにしても,「殆ど何ら『分かってない』立場から,公職選挙権を行使して代議士なり公務員をこき使う」との構図に一部なりとも該当しうる限りは,当サイトの問題意識の一つとして頭書から掲げてきている「正当な対価」の問題の,悪い意味での典型例に違いないと見えます.

 

もっとも,これは必ずしも有権者側が一方的に悪いという問題には恐らくとどまらず,代議士を志す立場もたいがいであろうと思われます.

今回都議選でも安泰の如く当選された,おときた駿氏(北区選出)の「選挙アドレナリン」という言い表しようが,まさにそれを端的に分かりやすく物語っています:即ち「政治家は選挙が本番」感覚認識,という.
もはや何が悪いではなく,構造上の限界的問題ではないかという気もしますけれども.

なぜ選挙期間中は、12時間もほぼ休みなく動き回れたのだろうか…【ほぼ雑談】
http://otokitashun.com/blog/daily/15584/

 

近日も「ベビーカー or 公用車」といったフレーズで論議が一部方面ながら大分盛り上がっていた模様ですが(論議喚起は原則諸手賛成です:筆者方針),かく言う私自身は,電車で優先席に座って周囲の状況を確認してから通信機器の使用如何を判断決定する程度には,社会コスト分配を受ける立場でもあります.「音が聞こえ過ぎると意識安定性が揺らいで削られていくので,耳栓を装備した上で読字に集中してしのぐ」「股関節周囲の筋肉系があまり強くない(内臓手術の後遺影響もあると思われる)為,長時間立位は自律意識に影響する神経系統へも負荷が大きい」あたりが主な事情ですが,シルバーリボンが知られている確率はヘルプマークよりなお低い模様です…;急性症状の致命リスク等が相対的に低い事には違いないかもしれませんが,別段無い訳でもなく.

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