「校風」はどこへゆく:早稲田大学を例に

早稲田大学の学部入試が,地震の為東北6県の受験生に対して「大学入学共通テストによる判定」を導入しました:
https://www.waseda.jp/inst/admission/news/2021/02/16/9872/

これで,早稲田大学は講義のオンライン化に引き続いて,遂には学部入試も「外部化」の駒を進めた,という事になります(なお,対する慶應義塾大学は「追試験」を実施する事で対応との話です).

 

既に今年度開幕早々から「(高田)馬場なくして何ぞ早稲田や」とさんざん言われている事かと存じますが,斯様な「社会情勢上の事情」により,早稲田大学のいわゆる”校風”なるものが,敢えて厳しく言えば「解体」されていくかのような様を目の当りにするというのは,少なからず思うところあります(尚,プロフィール等にはあまり詳しく書いていませんが,筆者は実は早稲田大学のゼミに外部生として公式参加していた経験があります).

さても「校風」とはなんぞ,数学者の分際で定義もされていない用語を安直に用いるとは何事か,と一歩目にしてほうぼうから矢が飛んで来そうな言い回しではございますが,早稲田大学に限らず,他の大学においても同様類似の「懸念」は,主に出身者らを発信源として生じているのではないかと思案します.
その中でも,この度早稲田大学が,上記のような制度に則る入学試験制度をも採用した為に,今回特段に採り上げた次第であります.

 

早稲田大学なり高田馬場と言えば,学生が夜遅くまで,或いは更に夜を徹してまで,呑み屋なりカラオケ屋なり雀荘なりで遊びつつ,ああでもないこうでもないと,役に立つのか否かなどお構い無しに論議をたたかわせていた,という印象がやはりあります.
また,全国区の有名大学である為下宿生も多く,下宿先に乗り込めば更に諸々深い事が出来る,という事も当然ある訳で,斯様な経験の積み上げが「早稲田閥(他大生や更には大学生以外をも含む)」の活動を支えていた,という一面は,誠に否み難いものがあるのではないかと察します.

 

全国区の大学と言えば,近年では近畿大学なども受験者が増えて有名になりましたが,それは比較的最近「近大マグロ」が出来てからの影響も大きい事で,昔馴染みの全国区と言えば(規模をも考えて)他には明治大学などが挙げられます.慶應は学年定員が早稲田の約半数という事情もあってか,幾分「学閥」の出来方が異なるようにも見受けられます.

翻って筆者の出身校である東京大学などは,何だかんだ言って結局東京出身者の割合が比較的高く(東京に進学校が集中している事と無関係ではないでしょう),その意味で「全国区」との意味合いはやや薄れます.或いは,日本大学や東海大学なども学年定員規模は大きいのですが,附属校が多い事と,それ以外からの「大学入学組」において,全国区としての割合が然程大きくないのではないかと考えられる由です.

 

また,早稲田大学の大学からの入学者においては,その上位層を東京大学不合格組(特に理系で顕著)が占めており,彼等が早稲田の実力を引き上げている,といった構造もある訳ですが,授業がオンライン化していく中で,それら「大学ラベル」の差なども,平準化されていくのではないかという気がしてなりません(この論は既に多くの識者によって語られている事と存じます).

尤も,斯様な「大学ラベル」などそもそも無用ではないか,といった論も従前からある訳ですが,こと今般の社会的事情において,其の点が表面化した事は,やはり小さからぬ事だったのではないかと思案します.

大学は何処へ行くのでしょうか.更に言えば,日本の大学の意義は,果たしてどこまで「もつ」のでしょうか…??

(参考:成毛眞氏の各近著)

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