「命をつぎ込んでイイ仕事をする」方向性について,私達はどう考えて臨めばよいのか

最近,こちらで顕名している以外のところで記事を書いていて,そこでは主としてコーチングの理論的観点から,

「本義の通り物理的(医学的)に命を削って注ぎ込んでまで,自らの意思でイイ仕事をしようとする人に関しては,原理的に防ぐ・差し止める算段が思いつかない(社会的害悪に該当しない限り).他方で,本意でない仕事で『心を削る』事には,元来何らの社会正義を見出せない」

と述べていたのですが,その記事が一般に公開されたちょうど直後に,あろうことか,「自ら命を注ぎ込んでまで生産性の高い仕事を続けていた」方の訃報に接する事となりました.

ご当人の直近の活動状況などを拝見すると,まさに「命を削ってでもやる」という意思が包み隠さず見てとれて,先述の私なりの基準からすれば,これは「防げない」タイプの方であった,という事になります.しかし他方では,この方は業界内でも「当初から無茶と思われるスケジュールでさえも多産な仕事をこなし,その仕事の成果に対してコンシューマー層からの評価も高く,市場性としても関係者一同嬉しい」との評をもって,其のお仕事成果を継続的に提出結実させてきており,更には同業・関連業種の職業人が「模範」と見ていた向きさえ,少なからずあった旨も聞き及んでいます.

経験則の限りでは,「産業分野を開拓するのは,一握りの『特化したバケモノ級の存在』である」,という向きも,未だ決して少なくないのではないか,と認識しているのですが,それをめいめい勝手のままに認めると,上述の通り「犠牲者」が出てしまう事も,また構造上避けられないと考えざるを得ません.

「身体・精神とも健康を基盤として,削れ過ぎない事は無論,元気で幸せに生きよう」とは,コーチとしてよりも寧ろヒーラーとしての,職責に根差す私の言明ですが,ひるがえって社会の実情を目の当りにするにつけ,「命も心も削っている」としか思えない人の姿が,大変多く見えてきてしまいます.

勿論,人間ドックのような健康診断・検査も定期的に受診してほしいのですが,「身体(あるいは精神も)に無理を掛けている」自覚のある方は,先ず十分に回復させるだけの機会を確保して頂きたいと,強く願います.
本来は無論,元気になってくれさえすれば方法は何でも良いのですが,例えばかくいう私もヒーラーとしての職務を提供しています:私のヒーリングセッションあまり用語として普及していませんが,より詳しくは「数学的ヒーリング」では,現代数理物理学の知見をも活用する事に加えて,「セッション後もきちんと休んで回復する時間・量を確保して下さいね」という,強いお説教がもれなく付属して,予後の効果を高めています

記事タイトル以下の「イイ仕事をしようと思うと命を削る羽目になりかねない」といった構造的事情に関して,直接に「対策」の算段を持っている訳ではないのですが,せめて「健康回復」の立場からは,マシいや万全を期したく,個人レベルからでも出来るところから随時着手して,貢献していきたい次第です.

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