生産性を「人口・物量」が支えている,というのは一体どこまで本当か

過日,さる過去オリンピック開催地を視察する機会を得まして,何も知らない視点からすれば廃墟かと一瞬見紛いかねない建造物が通電稼働している風景を一目見て,まさに「つわものどもが夢の跡」感に落涙を禁じ得なかった次第であります.

此の道程では更に,敢えて「現場」と触れる機会もが織り込まれてあったので,現地の方と話し込んで(という素振りをしつつ8割以上一方的にお話をうかがって)ちょっと親しくなって,ついには「景気はどうですか」とお訊きするところまで踏み込ませて頂きました:

すると,「五輪が終わった後はもう右肩下がりには違いないんだけど,盛況ぶりとしては五輪の時よりもバブル期の方が全然すごかった,一番良かった」という,どうみても正直な談話が出てきまして.地元金融機関とか公的セクターの名前が挙がってくるあたりに生々しさを感じるばかりですが,浅学な筆者はうっかり目の表情でバレないよう必死ながらも,そこで「ホンマカイナ」と思った訳です.

 

この話が大筋として実態を反映している通りだとすると,生産性(上述例では超端的に「売上」基準のみですが)に貢献するのは,「財源投入(先行投資)」よりも単純に「人口(アタマ数)の多さ」との正相関による要素が大きい,という事になります.
当サイトの記事を読まれる方々の中には,「そりゃそうだろ」と「そんなバカな」の両面の意見を持たれる方がそれぞれにいらっしゃるのではないかと存じますが,斯様な論立ての根幹ドグマたる「ミもフタもない物量戦なのである」との言説は,果たして一体どれほどの正当性を持ちうるものなのでしょうか?

…と,そんな現状のまさに「渦中」に居る人々の中でも,少なからず同様類似の疑念が温度高くなってきたと思われるところへ,少し前に山本一郎さんがド真ん中な記事を公論に供していらっしゃいました:

日本人は休むのが下手で、頑張ればうまくいくと思い込み過ぎなのではないか
http://bunshun.jp/articles/-/3923

周知の通り,山本一郎さんといえば「人口動態と社会保障」をキーワード的切り口として種々の社会問題について調査研究発表を重ねてこられている,論客というよりもはや実学者の立場でいらっしゃる訳で,そのポジションから「こんな言い回し」(上記リンク記事)が直球で射出されるに至っている事自体が,現状の深刻さを如実に表しているかのようで,恐ろしくて身体が硬直する程です.読者の中には恐れをなすより溜飲を下げた人の方が多いかもしれませんが(?).

 

かく言う筆者は,つい先日も公式Twitter@KazmiBlizzam等で「よく寝ます.死にたくないので…健康で幸せに生きたいので」などと放言していたばかりですが,他方では直近に職務で3時間ほど文書を作成し続けて,なんか身体が痛くなって「さすがにちょっとやり過ぎたかな」と反省してみたりと,誠によく転がっております.随分前に「激務で身体を壊した」時ですら,作業活動量は「週30コマの講義(と,移動時を中心に進めていた執筆)」程度でありまして,年間2000時間なんて一体どこの世界の話か,と思う限りです(上述「激務」は結局1年もちませんでした).

なお,「その努力は何の意味があるんですか」に未だ疑問を持つ経験を出来ていない方へは特に,安宅和人著「イシューからはじめよ―知的生産の『シンプルな本質』」(https://www.amazon.co.jp/dp/4862760856)を推薦します.大分前に世に出た成書ですが,現在でもなお「使える」内容は豊富にある良書と存じます.

 

本音としては,CCCP(コグニティブコーポレートコーチングプログラム;筆者も講師を務めています)を推奨すれば「一足飛び」に改善向上が可能なのですが,今回記事で書くには文量が多くなり過ぎるのと(別立て記事として書きたいと思います),一度くらい「方法論で走り込んで自主練泥仕合で懲りてみる」機会を通っておく目的用途としても,上述紹介成書は悪くないかな,と思う次第です.

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